【 ピグマリオニック 】
◆2YSq4YJJBc




88 :No.29 ピグマリオニック 1/4 ◇2YSq4YJJBc:08/02/24 23:45:11 ID:jZBIcH1D
 ヒロユキは朝目覚めるとすぐに、先程まで見ていた冴えない夢の内容をそっくり忘れ去ろうと試みた。
 鳴り放しの目覚まし時計を耳元に掲げたり、重い頭を左右に激しく振ったりもした。自室を出て階下に行き、妹に妙な顔をされながらも洗面台で冷水に顔を浸してみたりもした。
 しかし見たばかりのその夢の光景は、ヒロユキの頭にこびり付いては決して離れるそぶりを見せなかったのである。
 それは、実に冴えない夢であった。
 一人の少女がヒロユキに話しかけている。それをヒロユキは黙って見ている。非常に熱心に話しかけるその少女は、しかし生身の人間には似ても似つかない姿をしていた。
 もっとも、それは別段グロテスクな意味ではない。要するにその少女は"絵"だっただけの話なのである。絵に描かれた少女、あるいは少女の絵がヒロユキに話しかけている。
 それが、その夢の全てであった。
 だが問題は、絵そのものの出来にあったのである。
 その絵は幼稚園児が描いたのかと見まがうほどのあまりに酷い出来であった。そもそもの立体感に欠け、鼻や口はほとんど一本の直線で描かれていた。
 髪は隙間だらけで目だけが異常に大きかった。動きはぎこちなく、手足がおかしな場所からあらぬ方向へと曲がっていた。
 とてもじゃないが、お世辞にも可愛いとは言えない絵だったのである。
 では、何故そのような絵がヒロユキの夢に出てきたかだが……何を隠そう他ならぬヒロユキこそが、その絵の作者なのだった。

「要するに君自身が描いたブサイクな女の子に夢に出られた、と」
「まるでオバケみたいな言い方だな」
 滑稽さを端的に集約した友人の言葉にヒロユキは憮然と返した。もっとも友人は面白がっている様子でもある。
「悪いねえ、他に表現が浮かばなくて。だが一つ訊いても良いかい?」
「何だ?」
「何ゆえそのような年端も行かない女の子を描こうと思ったんだい?」
「そ、それは……」
 友人にそう訊かれたヒロユキは言葉に窮した。それはあの夢をヒロユキが忘れたがっている理由でもあったからである。もっともここまで話した以上は後には引けぬと思い直し、ヒロユキは一思いに話し始めた。
 ――昨今、ウェブ上には趣味で、売り込みで、あるいは仕事の傍らで自作のイラストを公開するサイトが数多く存在する。
 その中には美麗な風景画等を載せるサイトも少なからず存在はするものの、多くは通称"二次元"と呼ばれる、可憐な少女を描いたものを扱うサイトが大多数である。
 そういったイラストは男性が好むツボを熟知し彼らを魅了して止まない。無論ヒロユキもその魅了される側の哀れな一人であった。
 長らく、ヒロユキはそちら側にいた。しかしある時さらに哀れなことに、自分でも描いてみよう、と唐突に思い立ったのが、今回の事の発端なのであった。
「でもイラストはゴミ箱に直行したよ。思った以上に酷い出来だった」
「なるほどねえ」
「全く、忘れたい過去だ」
「そうだろうとも。……しかし、勿体無いね」
「勿体、無い?」

89 :No.29 ピグマリオニック 2/4 ◇2YSq4YJJBc:08/02/24 23:45:38 ID:jZBIcH1D
 友人は静かに頷いた。
「勿体無いだろう。もしも君の絵が上手ければ君の夢は楽園になったんじゃないか。彼女いないんだろう、君? 惜しいことをしたね。絵さえ上手ければ……」
 友人のその言葉にヒロユキの心は揺れ始めた。自分の描いた絵が一度夢に出たのだから二度目も……そんな浅薄な算段が頭を巡り始めた。そうしてヒロユキの返事は自ずと決まっていったのである。
「ど、どうやったら絵が上手くなれる?」
「練習することだね。まぁ、最初は写すことから始めるのが良いのかもしれないけれど」

 家に帰ったヒロユキは、思い立ったが吉日、とばかりにすぐさま練習を開始した。
 もっとも練習と言っても、それは友人の言葉どおり既存のイラストを書き写すことである。ヒロユキは適当なウェブサイトのイラストから簡単そうな一枚を選び出すと、ルーズリーフに早速鉛筆を滑らせ始めた。
 一時間二時間、やがて手が痛くなった頃に夕食を摂り、そして寝るまで練習は続けられた。
 やがて鉛筆を置き、出来上がった絵をしげしげと眺めたヒロユキは「これなら大丈夫だろう」と満足そうな笑みを浮かべた。彼はそれを枕の下に滑り込ませると、練習疲れからすぐさま眠りに落ちたのであった。

「ほう、練習を始めたのか。それで初日はどうだった? 良い夢見れたのかい?」
 興味深そうに訊く友人に、ヒロユキは胸を張って答えた。
「ずいぶん良かったよ。夢から覚めたときに悔しかったくらいだ。もっとも、まだまだ改善の余地はあるね……体が平面的なんだ。もっと色々なイラストを試してみるよ」
「そうか、頑張ってみてくれたまえ」
「ああ、毎日やってみるつもりだよ」
 そしてヒロユキは言葉どおりに毎日練習を続けたのである。
 一週間、二週間と経ち、ヒロユキは段々とイラストを写すことに慣れていった。色鉛筆で絵に色を塗ると夢がよりいっそう華やかなものになった。
 また、絵を複数枚同時に枕の下に入れると、夢の中に複数の少女が同時に登場することにも気がついた。ヒロユキはそうやって、自分だけの夢を作り出していったのである。

 その日も同じように話を聞いていた友人が、しかしふと、怪訝そうにこう言った。
「ところで君はそこまで夢を自由にできるのに、夢の中で女の子たちと何をしているんだい……?」
「何、って……普通にお話ししたり、あとは公園に行ったりだけど……もちろんイラストの」
 すると友人は、大げさにため息をついた。
「今の今まで邪な感情に一切囚われなかった君にはほとほと敬服するよ。よほど純粋なんだねえ、君は」
 その途端、ヒロユキは頭を打たれたような衝撃を受けた。友人が何を言いたいかを一人の男として瞬時に理解したのである。
「……い、言われてみれば……だが、イラストの女の子は常に服を着ていたから……」
「君はずいぶん上手くなったろう。自分の絵を描けずとも、既存のイラストから服を取り払うことぐらいできるんじゃないのかい? あとは保健の教科書でも参考にして書きたまえよ」
 それは男であるヒロユキにとって極めて魅力的な提案に思えた。生唾を飲み込む音がヒロユキの頭蓋の中で大きく響いた。
「わ、わかった、出来るかどうかは不安だがやってみる……」

90 :No.29 ピグマリオニック 3/4 ◇2YSq4YJJBc:08/02/24 23:47:17 ID:jZBIcH1D
  
 しかし友人の言葉どおり、ヒロユキはそれほどの苦労もなく服を取り払った絵を描くことに成功したのである。二つのお椀型の小山の上には、桃色の色鉛筆で小さな突起が描かれた。
 保健の教科書の隣に佇む、全裸の少女を描いた絵。それを前にヒロユキはもう一度生唾を飲み込んだ。
 それは今夜の夢の中で行われるだろう事を予想してのことであり、図らずも男としての大事な部分の反応を感じたヒロユキは、気後れする前に布団に飛び込んだのであった。

 ヒロユキの目の前に一人の少女が横たわり、静かに寝息を立てている。
 あろうことか身には何も纏っておらず、両腕はただ無防備に体の横で曲げられていた。ヒロユキが隣に横たわると、すう、すうと小さな寝息が、しかしはっきりと聞こえてくるのであった。
 ヒロユキは片手をそっとその胸へと伸ばした。見かけの年齢のわりには大きめの胸であった。その先端には、桃色の突起が控えめに乗っている。
 頼むから途中で起きないでくれよ。そう少女に願いながら、しかし同時に決して起きないことをヒロユキは知ってもいた。これはヒロユキの夢なのである。
 だがそれでも、少女へと、厳密にはその無防備な胸へと伸びるヒロユキの手は小刻みに震えていた。ヒロユキはこれまでの生涯で、一度たりとも女性の胸を触ったことがないのである。
 緊張から大汗をかきながらも、ついにヒロユキはその胸へと手を触れた――

「……感触がない?」
「あ、ああ」
 いつものようにヒロユキは友人に話を始めた。昨日のことから初めは興味深々だった友人も、しかしヒロユキの言葉には困惑したようであった。
「そうなんだ。なんというか、妙に硬いというかゴワゴワしているというか……それに冷たかったし、少なくとも人の肌を触っている感じじゃ、なかった」
「それで慌てて飛び起きて夢から覚めてしまった、と」
「そうなんだ」
「ふうむ……」
 友人は真剣に考え込み始めた。夢の中の胸の感触が異質だとヒロユキは言うのである。しばらく考えたあとで、友人はヒロユキに向かってこう結論した。
「君には彼女がいたことはないんだろう? 恐らく想像力の限界なんだね、それは」
「……想像力?」
「そうさ。見たことがない物の色はわからない。食べたことがない物の味はわからない。触れたことがない物の感触はわからない。単純なことだけど、ゆえに越えられない壁でもあるね」
「つまり、どうすればいい?」
 友人はにやりと笑って言った。
「諦めるか、実際に触ってみるかのどちらかだねえ」

 ここに至って諦めるには、ヒロユキは夢にのめり込み過ぎていた。とはいえ、ましてや実際に触るアテなどほとんどないのもまた事実であった。
 さて、どうしようか。途方に暮れながらとぼとぼと帰り道を歩いていたヒロユキは、誰かに駆け足で追い抜かれたのを感じた。顔を上げるとそれはヒロユキ自身の妹であった。何だ、リカか……。
 だが、ヒロユキがはたと立ち止まるまではそう時間はかからなかった。

91 :No.29 ピグマリオニック 4/4 ◇2YSq4YJJBc:08/02/24 23:47:42 ID:jZBIcH1D
 齢にして十四、ひらひらと制服のスカートを揺らすその姿。その瞬間から彼女はヒロユキにとって最後の希望にしか思えなくなっていたのである。
「リ、リカ、話がある」
 帰宅後ヒロユキは部屋に入ろうとするリカを捕まえた。胸元へ自然と落ちる視線を何とか押さえ目と目を合わせたが、余計にリカを怯ませる結果となったことにヒロユキは気づかない。
「……なにいきなり? 少しどころじゃなく顔がマジだよ兄貴。何か」
「む、む、むむねを、むねを」
「むねを、宗男? なに、鈴木宗男?」
「いやいやそうじゃなく、そうじゃなくてそうじゃなくって」
「じゃあなに? っていうかこれから遊びに行くんだけどそこどいてくれない?」
「いやちょっと、ま、待て」
「待てって言われて待つヤツはいないの!」
 ドアが閉まる音にヒロユキは諦めるほかなかった。部屋に戻り、昨日描いたばかりの裸の少女の絵を眺める。
 自分の夢には決定的な何かが足りない。そして足りないものは経験だと友人は言う。要するに胸を触った経験のことだ。頼みの綱のリカは、無論胸を触らせてくれなどしない。
 だが……そう、起きているリカは。
 ヒロユキは夢の完成への欲求と罪悪感の間の葛藤に悩み、万が一のときの言い訳を思いつく限り頭の中で並べ立てた。そして今日は一度も鉛筆を手に取らず、ただ静かに夜を待った。

 リカが「おやすみ」を家族に告げてから三時間が経過していた。ヒロユキを除いた全員が床についていた。ヒロユキは椅子から立ち上がり、ズレた服の感触で自分がぐっしょりと汗をかいていたことに気がついた。
 ……行くか。
 静かにドアを開け部屋を出た。もっともリカの部屋は向かいであり足音の心配はほとんど無い。ヒロユキは静かにリカのドアを開け、そしてすう、すうというリカの寝息を聞いた。
 ヒロユキは、リカの眠るベッドにそっと近づいた。
 パジャマの前を開け、肝心の胸を触り、手早く前を閉じて部屋を去る。ヒロユキの計画はそれだけであった。場合によっては前を閉じる作業は省略して本人の寝相のせいにする。下着は取れないが仕方ない、と思った。
 要するに胸を触ることだけが、自らに課した至上の任務であった。
 リカはタオルケット一枚だけですやすやと眠っていた。ヒロユキはそれをそっと剥がし、リカが起きないことにひとまず安心した。
 だが、問題はここからである。ヒロユキは次にパジャマのボタンを一個、また一個とゆっくりと外し始めた。リカは気づいた様子もなく眠り続けている。
 最後の一個を外し前を大きく開いたところで、ヒロユキは改めてリカの胸の大きさに気が付いた。妹の胸を見る機会など無かったが、下着越しでも大きいことがはっきりと伝わる胸であった。
 同時に、男として大事な部分が反応していることに一抹の羞恥心を感じた。相手は実の妹である。
 だが今更部屋に逃げ帰ることには更なる後悔を重ねることになりそうで、ヒロユキはベッドの横に屈みこみ震える手を伸ばすと、ついに――
 
 ここで友人は手を止め書きかけの原稿を読み直した。そして書き進めようにも彼の手は全く動かなかった。やはり、何度想像しても胸の感触が描写できないのである。
 彼はため息をつき、仕方なくその原稿を丸めてゴミ箱へと捨てた。
 やはり足りないのは経験なのだ。友人はそう漏らすと大きくため息をつき、そろそろ彼女でも作るか、とその冴えない頭でしみじみと思った。




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