【 ファットエンジェルは空を飛ぶ 】
◆/7C0zzoEsE




84 :No.28 ファットエンジェルは空を飛ぶ 1/4 ◇/7C0zzoEsE:08/02/24 23:41:17 ID:jZBIcH1D
「お父さんだって勝手に天界から追放したのは反省している様子もあるから。
だから、きっと孝弘ちゃんが、しっかり謝って。それでちょっとずつ飛ぶ訓練を見せれば――」
「母さん!」
 母の言葉を途中で遮った。急に大きな声を出したので、頬がブルンっと震える。
「もういいって……。話ってそれだけ? 学校あるから行くよ?」
 母はまだ何か言いたげだったが、背を向けて鞄を掴んだ。
「行ってきます」
 行ってらっしゃいと手を振る、彼女の背中では大鷲を思わせる立派な翼が輝いている。
僕の子供の手ぐらいの大きさしかない翼とは、比べようも無いほど成熟した"それ"だった。
 言いようの無い気分になってドアを開くと、玄関の前には今にもチャイムを押そうとしている同級生の姿があった。
「おっす、孝弘。今日は早いんだね」
「ああ、真衣さん。おはよう」
 律儀に毎日出迎えてくれる彼女は、間違いなく人間の良き友達だ。
僕が恋愛感情を意識する時もあったが、彼女は僕をしっかり友達の分類に線引きをしている。
恋人に入り込む隙間は無い。あったとしても、きっと僕の体では通れない。
 一人で登校するのは、きっと手持ち無沙汰なのだろう。
それを証拠に彼女は学校に着くまでずっと雑談を続ける。
僕は適当に相槌を打つだけ。彼女は飽きもせず、話しつづける。
 クリッと大きな瞳に、可愛らしく結んだツインの髪をピョコピョコ揺らして。
「いやあ、やっぱり君は今日も見事に大きいね。馬みたいだね」
「うん、ありがとう」
 豚と言わずに、馬と比喩するところが、彼女なりの優しさだろうか。
「馬といえば……君、走馬灯って見たことある?」
「……走馬灯?」
「そりゃあ、無いよね。生きてるんだし」
 彼女はかんらかんらと笑う。僕は、生前には見たことあったのかな、なんて思ってしまう。
「走馬灯はね、人がそれまで生きた全ての体験を一瞬で思い出して。
その中から、自分が助かる手段を見つけ出そうとする。人間の防衛反応らしいよ」
「へぇ……」
「凄いよねぇ。人間って。死にたくないって体と頭は必死なんだよね。

85 :No.28 ファットエンジェルは空を飛ぶ 2/4 ◇/7C0zzoEsE:08/02/24 23:41:53 ID:jZBIcH1D
あ、でも私は、死んでみたいかも」
 彼女は早口でまくしたてる。よく舌を噛まないものだと、感心する。
「死んでみたいの?」
「あ、違う違う。死んでみたいっていうのは、ちょっと過言。そうじゃなくてね」
 彼女は一呼吸おいて、真面目な顔で言う。
「『天使』を見てみたいのよ」
 僕は唾を飲み込んだ、心臓が跳ね上がった気がした。
「……へぇ、どうしてそんなものを?」
「え、だって素敵じゃない? 小さい頃からの夢だわぁ」
「きっと……案外大したものじゃないと思うよ?」
 変な汗が額から落ちる。きっとこれは脂肪だろうか。
「そんなこと無いわよ! 美しさの象徴みたいなものよ、きっと。光り輝いて、荘厳で、聡明で……。見るものを浄化していくのでしょうね」
 彼女があまりにうっとりした目で語るので、僕は押し黙ってしまった。
「あ、もう学校だ。それじゃあね!」」
「う……うん」
 彼女はタッと友人達の下へ駆けていく。と、その途中。彼女は振り返って、僕に声をかける。
「そうだ。今日、帰りにケーキバイキング行くから付き合いなさいよ!」
 僕はドキッとして、しどろもどろに答える。
「ぼ、僕と? どうして」
「だって、君なら元が取れるだろうなって思って」
 あ、そうですか。と、僕は手をヒラヒラ振る。彼女はにこっと微笑んで、また走って行った。

「ん? なんだあれ?」
 集団になっている女の子達、彼女はそれに向かって駆けていった。
しかし集団には女の子だけでなく、男も、教師も。用務員までいる。
奇妙な事に、皆、空を仰いでいるのだ。そして、しきりに何か叫んでいる。
「どうしたの?」
 集団の傍まで歩いていって。友人を掴まえる。
「どうしたのって……お前、あれを見てみろよ」

86 :No.28 ファットエンジェルは空を飛ぶ 3/4 ◇/7C0zzoEsE:08/02/24 23:42:13 ID:jZBIcH1D
 彼の言う通りに屋上を眺めた。太陽の光が反射して、よく見えない。
 それでも、目を凝らして見てみると。人の影が屋上で立っているように見えた。
しかも、何を思ってかフェンスの外側に立っている。
「死んでやる……彼に振られたから、生きてても意味無いもん!」
 彼女の枯れそうな声が響いていた。そしてようやく、納得が言った。
しかし、何を思って。人に見つからないよう、こっそりやればいいものを……。ふう、とため息を吐くと。後ろから叫ばれた。
「孝弘! お前助けに行って来い!」
「杉浦先生!」
 女子生徒が担任の下へ駆けていく。彼は、一体何を言っているのか。
「そんな……。だって俺」
「お前しか助けに行けないだろう?」
 彼の目には有無を言わせない強さがあった。そして僕は断りきれなかった。
「……わかったよ」

 肉を揺らして、非常階段を駆け上る。体中びっしり汗まみれになって。
屋上に着いたときは、肩で息をしなければならないほど疲れきっていた。
「はぁ……はぁ……」
「……はぁ…ば、馬鹿な……馬鹿なことはやめ、やめなさい!」
「助けて」
 彼女は一層擦れた声で、救いを求める。
「へ?」
 僕は間抜けな声を出してしまった。
「彼が……別れないって……。でも……怖くて、足が竦んで動けない……」
 ため息を吐いてしまいそうな。どうして人間はこう愚かなんだろう。
「待ってて、今、そっち行くから」
 僕が、おそるおそるフェンスを越える。乗り越える間もずっとギシギシ言うので、心臓が飛び出そうになった。
「ほら、僕の手を……掴んで」
 汗でびっしょり濡れてしまって。汚い手だけど、彼女に差し出す。彼女もまた、おそるおそる僕の手を握って。そして、フェンスは折れた。
 僕の体重と彼女の体重に耐え切れなかったのか。なんて柔なフェンスなんだ。今度学校に苦情を言ってやる。そんな事を思っても、落ちる速度は弱まらない。

87 :No.28 ファットエンジェルは空を飛ぶ 4/4 ◇/7C0zzoEsE:08/02/24 23:44:06 ID:jZBIcH1D
 悲鳴が聞こえる。耳障りな、人間達の声。もっと痩せていれば、もうちょっとゆるりと落ちたのに。
そうじゃない。そうじゃなくて、ずっと頭の中で渦巻いている。走馬灯。
 僕の今まで生きてきた全て。短い一生だったな、もっと食べたかった。そうじゃない。
走馬灯を見る理由。どうすれば助かるのか。どうすれば飛べるのか。飛べない! こんな小さな翼じゃ飛ぶことなんて出来ない。
こんな重たい体、こんな小さな翼じゃ支えられない……。違う! そうじゃない!

「天使は……天使は心で飛ぶんだ!!」

 白い体が、燃える様に光った。小さな、小さな翼をピチピチ動かして。あまりの勢いにピチピチだった制服は破けてしまった。
 シャツを着るのが億劫だった僕は、それだけで半裸になってしまう。
自殺未遂の女子生徒をお姫様の様に抱きかかえて、僕はゆっくり降りてくる。違う、飛べきれずにゆっくりと落ちているだけだ。
 僕は自然に笑みがこぼれていた。先程までの生徒達の叫びは、拍手喝采に変わる。地表に降り立った時、誰よりも先に真衣さんが声をかけて来た。
「でっぷりと出張った下腹に、白い肌。白い翼に……まるで天使みたい」
 お前は何者だって、皆が詰め寄って来る。僕はすっかり参ってしまって。
「父さん!」
 杉浦先生に助けを求めてしまった。
「あいよ、任せとけ」
 彼が美しいテノールを響かせると、生徒達はその場に倒れて眠ってしまった。
「見事な天使ぶりだったな。息子よ」
「父さん……」
 いつ以来だろう、親父に褒められたのは。
「もうお前が恥じることは無い。お前を許そう! 彼らの記憶を消して。三人で天界に戻ろう」
 僕はその言葉を聞くやいなや、すぐに頭を振った。
「父さん。僕はしっかり痩せて、もっと自分に納得が言ってから天界に行くよ」
「しかし……」
「大丈夫。もう、僕には翼があるから」
 彼は口を噤んで、「それなら、もう何も言わん」と職員室へ向かっていった。
 僕はその場で、天使の様な顔で眠っている真衣さんの頬っぺたをつついて、
「……だから、今日のバイキング頑張らなくちゃね」なんて呟いていた。
                                           <了>



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