【 自分自身 】
◆daFVkGT71A




80 :No.27 自分自身 1/4 ◇daFVkGT71A :08/02/24 23:31:18 ID:jZBIcH1D
 周囲には不気味な暗闇の森があった。得体の知れない鳴き声や、時折何かが動く音が聞こえる。一日を終
えると、いつも不安に駆られた。ここに連れて来られた日の恐怖を思い出しているのかも知れない。
長い間ここで奴隷をやっていると、死が身近なものだということが分かってくる。
「また一日、生き延びることが出来てよかった」
 俺はわずかな喜びに身をひたした。ここに来てからというもの、機械のように働くだけの日々だ。
……ん? あれはなんだ?
何気なく目を向けた先、黒一色で塗り固められた森の中に白い布が翻ったのが見えた。驚いて目を凝らせ
ば、やはり間違いない、脱走だ。
「ははっ、ラッキー」
 脱走は珍しくない。兵士たちも手を焼いているようだった。脱走者を見つけて捕まえれば、扱いを改善す
るというお触れまで出した。だから俺はこれまでに何人も捕らえてきた。もちろん協力すればするほど、待
遇は良くなる。今や模範奴隷と言われ、兵士からは信頼され、同じ仲間からは軽蔑の目で見られている。
 ……あれは、女か。娼婦だろうな、ますますラッキーだ。捕まえやすい。
俺はゆっくりと女に近づいた。彼女は自分の走ってきた方向を眺めるばかりで俺に気付いている様子はな
い。とうとう女の真後ろまで気付かれることなく近づくことが出来た。あっけない。少し拍子抜けだ。
「おい」
 肩を掴んで言った。女は一瞬硬直したが、一呼吸を置いて振り向いた。俺を見ていくらか安心したようだ。
「なんだ、兵士じゃないのね。びっくりさせないでよ」
「まあでも似たようなものだな。お前を奴らに引き渡すんだから」
「ねぇ、あなたは自分が何なのか分かる?」
「え?」
「私は分かる。私たちは人じゃないのよ。ただの身体。誰かに使われる肉体にすぎないの。でも私はそれが
我慢できない。あなたは平気なの? そうやって自分を殺して生きていくこと」
いきなり何を言い出すんだ。わけが分からなかった。そんなことは奴隷なんだから当然だ。
「私は私自身として生きたい。だってこの世に私は一人しかいないんだもの」
「自分自身として……?」
 自分自身として生きる? そんなこと出来るわけがない。俺たちは奴隷なんだ。
「あなたは優秀な奴隷として有名だわ。けど、ただの肉体として生きることに虚しさは覚えない?」
虚しさ? そんなもの生きるためには仕方がないじゃないか。俺にどうしろって言うんだ。
「私と一緒に逃げない?」

81 :No.27 自分自身 2/4 ◇daFVkGT71A:08/02/24 23:31:33 ID:jZBIcH1D
 やっぱり無謀だったか? 俺は女と森の中を走りながら思った。後ろからは兵士の足音が追ってくる。あ
れに捕まれば間違いなく見せしめに拷問の後、殺されるだろう。
「まさかこんなに早く見つかるなんて」
 女は苦々しげに呟いた。
全く、衝動的な自分に嫌気がさす。女の言葉は確かに間違ってはいないと思う。それどころか、今の俺に
は眩しいぐらいだった。だからこそ俺もついて行きたいと思ったんだ。でも、死んじまったら意味がない。
「なあ、お前は先行けよ」
 だから、俺はそう言った。
「元々俺はお前にくっついてきただけでさ、お前みたいに考えたこともなかったんだ。俺にお前と逃げる資
格なんてない」
「何言ってんのあんた」
「お前の考えは素晴らしいと思う。だから、生き延びて欲しい」
 そう言って俺はそれまで来た道を逆走した。後ろから何か聞こえるが無視する。一時の感情に流されて命
を落とすなんて馬鹿げていると思うが、もう後には退けないところまで来てしまっている。
「はははっ、ミスったなぁ。あんな女の話なんか聞くんじゃなかった」
 前から兵士二人が来る。どちらもマシンガンを抱えていた。
「こりゃ抵抗しないほうが得策かもな」
 諦めて両手を挙げた。兵士たちはだんだんと距離をつめてくる。こちらが抵抗しないと分かると幾分警戒
を緩めたようだが、マシンガンから手を放すことはない。
「まさか逃げてるのがお前だったとはな。血迷ったか」
 兵士一人がそう言って、俺の腕を掴み、そのまま組み伏した。
「模範奴隷だからって許してもらえると思うなよ」
 マシンガンを俺に向かって構えて、もう一人が言った。
「分かって――」
 パン。パン。
俺の言葉をさえぎって乾いた音が闇に響いた。それと同時に、兵士二人が地面に倒れこむ。
「なっ?」
 起き上がった視線の先、硝煙を上げる拳銃を手にした女がいた。
「お前、何で?」
「言ったでしょ。私は私自身として生きる。あなたの言葉にも従うつもりはないわ」

82 :No.27 自分自身 3/4 ◇daFVkGT71A:08/02/24 23:32:38 ID:jZBIcH1D
 しばらく走ると兵士たちの気配がしなくなった。周りの森の声が大きくなる。俺と女は外を目指して走っ
ていた。
「ところで、どこでこの拳銃を手に入れたんだ?」
 さっきは動揺してそこまで頭が回らなかったが、よくよく考えてみると娼婦が拳銃を持っているというの
もおかしな話だ。
「この前、私のところに来た兵士から盗んだのよ」
 そうか。この女はずっと前から逃げるための計画を練っていたんだ。
「よくそこまで出来たな」
「このぐらいは持っておかないとね。役に立ったでしょ?」
 チラリと横目で俺を見て、からかうような声で言った。たいした女だ。
「これから先必要にならなければいいんだがな」
「……そうね」
 しばらく走ると、町の灯が見えてきた。あと少しだ。もうすぐで俺たちは人間になれる。思わず笑みがこ
ぼれた。隣の女の顔も希望に満ちているように見える。
「この森を抜ければ――」
「――自由だわ」
 出口はもう目の前だった。何だ意外と簡単じゃないか。俺が今まであそこでこき使われていたのが馬鹿み
たいだ。
そうして俺たちは森の外に出た。

 そこは確かに光に満ちていた。ただ、その光はあまりに攻撃的だった。
「はは……甘かったか」
 俺は呟いた。周囲は兵士たちに囲まれている。逃げ場なんかどこにもない。それどころか、兵士たちは銃
を構えていて、動くことすら出来なかった。
「こんなに簡単に終わるなんてな」
 もう自嘲の笑みしか出てこない。せめて女だけでも逃がしてやりたいが、さっきのようにうまくはいかな
いだろう。両方とも殺されて終わりだ。
「諦めて投降しろ」
 静かだが、威厳のある声が響いた。

83 :No.27 自分自身 4/4 ◇daFVkGT71A:08/02/24 23:33:27 ID:jZBIcH1D
「嫌よ」
 それまで黙っていた女が言った。その声は悔しさを滲ませていたが、気丈だった。
「今この場で殺されたいのか!」
 叩きつけるような声が襲ってきた。女はそれにも臆することなく言った。
「どうせあとで殺すくせに。それに、私はもう誰ものにもならないわ。また戻ってこの身体をもてあそばれ
るぐらいなら……今ここで終わらせる」
 固い意志を感じさせる言葉だった。兵士たちを睨み付けて女は手に持っていた拳銃を頭に当てる。
「おい! 何考えてんだ」
 無駄だと分かっていても尋ねずにはいられなかった。それほど俺は動揺していた。
「せめて最期は私自身でありたいから」
 悲しげな微笑を浮かべて言った。同時に、引き金が引かれた。
 少し前に聞いた音が、今度は一発だけ響く。
 女の身体は力を失い、地面に倒れた。
「……そうか。お前は立派だったよ」
 もう届いてはいないだろうが、女に言った。





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