【 貧相だから 】
◆h97CRfGlsw




72 :No.25 貧相だから 1/4 ◇h97CRfGlsw:08/02/24 23:20:46 ID:jZBIcH1D
 マンションの一室、一定の間隔でドアを三度叩くと、ぱたぱたとスリッパの足音がこちらに向ってきた。手のひらに食い込んでいる差し入れのビニール袋を持ち直し、鍵が外されるのを待つ。
「絵里さん、いらっしゃい。すみません、いきなり呼び出しちゃって……」
「いいよ。どうせ美香が呼べっていったんでしょ」
 出迎えてくれた朝倉に差し入れを渡す。ショートボブの髪を揺らして可愛らしく歩く朝倉の後ろを、真冬かつ真夜中ということで着込んできたコートを脱ぎたたみながら歩く。
 広々としたリビングに入ると、コタツに突っ伏している髪の長い女が一人。その周囲にはビール瓶がかなりの数散乱しており、隅に置かれている空気清浄機がなかったらと思うとぞっとしない。
「絵里、遅いわよ。なにやってたの」
「お前ははもう少し人の都合というものを考えようか」
 面倒くさそうに目線だけをこちらに向けて、よく通る声で文句を言う。美香という名前のそいつは、朝倉の名前を叫ぶと手に持っていたビール瓶をコタツにたたきつけた。朝倉が慌てて次を用意する。
 この家賃高めなマンションも、美香が今我が物顔で飲んでいるビールも、全て朝倉のものだ。思うに、美香はまたいつものように事前連絡なしに朝倉の部屋に押しかけて、あまつさえ私を呼びつけたのだろう。
 こいつはいわゆるジャイアンである。立場的には朝倉がのびたクンで、私は無能なドラエモンか。そんなことを考えながら、コタツに参加する。美香が大場取りを敢行しているので、足が伸ばせない。
「美香、足退けな」
「うっさいわね、ここは私の特等席なのよ。ねえ、朝倉」
「え? え、っと……」
 ビールの缶を回収していた朝倉は、突然会話を振られて困っていた。朝倉は美香を立てるか私を立てるかで悩んでいるようだったので、目配せしてやる。
 美香の満足する解答をしたので、朝倉は頭を撫でられていた。朝倉が美香の隣に座り、ビールの酌をはじめる。私の好きなチューハイが用意されているあたり、流石朝倉というところだ。
 私たちの付き合いは高校からで、はじめのうちはわりと対等だった。が、親密になって個々人の性格が表に出るようになると、上記のポジションに落ち着いた。
 おとなしい性格で控えめなお嬢様の朝倉は、今では完全に美香の財布兼メイドになってしまっている。不憫だとは思うが、私も結構甘い汁を吸わせてもらっているのでなんとも言えない。すまん朝倉。
「で、何の用なの」
 朝倉が出してくれたチューハイで口の中を湿らせてから、改めて美香に質問する。くだらない内容で呼び出されるのが常なので、おそらく今日も取るに足らない話だろう。美香は不機嫌そうに顔をゆがめると、ぼそりと言った。
「……連絡がこないのよ」
「とうとう親に見限られたのか」
「ち、違うわよ! 昨日の合コンの話! どいつもこいつも、私に電話一本入れないのよ!」
 美香がビールの注がれたコップをコタツに叩きつけ、脇にいる朝倉がびくりと体を跳ねさせる。なるほど、今日は愚痴か。私が来るまでの約一時間、おそらく八つ当たりをされたであろう朝倉はよくよく見れば憔悴していた。
 昨日、所属サークル主催で合コンがあったのだ。頼まれる形で、私たちはその行事にはじめて参加した。が、どうやら彼女は全員から遠慮されているらしい。ちなみに私は、面倒にも全員から誘いがきた。
「これは何かの間違いよ。きっと渡した電話番号が三桁くらい間違っていたに違いないわ」
「でも美香さん、誰にも電話番号渡してなかったじゃ、すいませんなんでもないです」
 美香がぎろりと朝倉を睨みつけている。そういう威圧的なところと、性格のキツさ加減が男に近寄ってもらえない原因だと、彼女はわかっているのか、わかっていてやっているのか。
 美香がビールを一気飲みし、朝倉が次の缶をあける。絡み酒で怒り上戸な上、ざる。朝倉に、つまみの追加は!と怒鳴る美香を眺めながら、私は深く溜め息をついた。

 今夜もまた、酔っ払った暴君の相手をしなければならないらしい。毎日毎日、これでは体が持たないというものだ。

73 :No.25 貧相だから 2/4 ◇h97CRfGlsw:08/02/24 23:21:02 ID:jZBIcH1D
「……でもね、私気付いたのよ」
 しばらくビールに集中していた美香が、不意に俯いたまま言った。なにと対応させたでも、なのだろうかと思いつつはいはいと相槌を打つ。美香は大きく息を吸い、意気込んで言った。
「私が男受けしないのは、からだが貧相だからなのよ!」
 急に立ち上がる美香。その拍子にコタツも跳ね上がり、上にあった少しのつまみと飲み物が散乱した。うつ伏して転寝していた朝倉も一緒に吹っ飛び、床に転がって悶絶している。
 突発的な行動を予期して非難させておいたコップをコタツに戻し、少しの間をおいて、私は反応を返す。
「ふーん」
「悔しいけどね。私はあえてこの事実を認めるわ。……ちょっと朝倉、何寝てるのよ。大事な議題が発表されたのよ」
「ひゅ、ひゅみません……」
 舌かんだのか朝倉。美香は一通り叫んで満足したのか、おとなしくコタツに戻ってきた。私はピーナッツをかじりながら、鼻息を漏らす。大仰に何を言い出すかと思えば、そんなことか。
「私は物凄く美人で、非の打ち所がない程に完璧だけど、いかんせん男はもっとぽっちゃりしてる馬鹿みたいな胸の女が好きなのよ」
「まあ、一理ある」
「でしょう!? ルックス百点の私がもてないなんて、ありえないわ! なに考えてるの! 馬鹿なの!?」
 馬鹿はお前だ。髪にチューハイを滴らせながら、ぼそりと呟く。またいきなり立ち上がるもんだから、今度こそ私も頭からチューハイを被ってしまった。再び床に転がった朝倉に頼んで、衣巾をもってきてもらう。
 美香は憮然として腰をおろすと、ビールをぐいと煽った。ひっくと痙攣してぐでんとコタツに溶ける美香は、黙っていれば美人だ。以前一緒に町を歩いた時、うんざりするほど声をかけられていたし。
 芸能人でもやればと、投げやりに言いたくなるような容姿。顔は嫌味なほど小さく、すらっと背が高い。素地が小振りなくせに、顔のパーツはそれぞれが印象的に整っている。髪だって一級品だ。
 ただ、確かに体つきは細く、貧相といえばそうだ。しかしもてない原因では絶対にないと思う。体つきの好みなんか人それぞれだし、私はどちらかというと細身のほうが好きだ。俺もね。
「絵里さん、何処が濡れました? タオル持ってきました」
「ああ、悪いね」
 立ち上がって服のすそを引っ張ると、朝倉が親切にも拭ってくれた。金持ちなのに、美香のせいかおかげかこんな従者まがいのことばかり上手くなってしまって……。哀れんでいると、唐突に美香が口を開いた。
「……それよ」
「なにさ」
「それ! アンタらの胸についてる塊よ! それが諸悪の根源なんだわ! 特に朝倉ぁ!」
「は、はい」
 朝倉が上官に怒鳴られた消防隊員のように背筋を正す。私はとばっちりを受けないよう、そそくさと逃げる。美香がどかどかと、震える朝倉に近づき、顔をぐいと寄せる。目が据わってるぞ。
「これはなに」
「む、胸です」
「なんでこんなに大きいのよ。ふざけてるの? けんか売ってるの? どういうつもり? 人の嫌がることはしちゃいけないのよ?」
「ふ、ふざけてません、けんかも売ってません。でもごめんなさい、胸がごめんなさい、全て私の責任です」
 背のあまり高くない朝倉に合わせて美香は腰をかがめ、仇敵を見るような目つきで胸を至近距離で眺めている。と思うと、いきなりそれをわし掴みにし、揉みしだき始めた。ちょっと羨ましかったりする。

74 :No.25 貧相だから 3/4 ◇h97CRfGlsw:08/02/24 23:21:21 ID:jZBIcH1D
「これが男をダメにするのよ! 頭がパーンってなるのよ! 魔性のカタマリだわ!」
「で、でもでも、大きくて邪魔だし、重くて肩がこったりして、悪いことのほうが多いんですよ? ……なんて、その、言ってみたりして、あはは」
「何も聞こえなかった」
「何も言ってませんでした……」
 押し倒されてうつ伏せに羽交い絞めにされたまま、朝倉は美香の理不尽に晒されていた。私はコタツに入ってぬくぬくしながら、悲鳴と怒声が隣室に迷惑をかけていないかを心配した。
 美香は朝倉を股に敷いたままビールを一口飲み、けふっと品なくげっぷをした。いい加減急性アルコール中毒でぽっくり逝くのではという量を飲んでいるが、大丈夫なのだろうか。
「美香、ちょっと飲みすぎじゃないか? 肝臓がダメになってパーンってなるぞ」
「朝倉ぁ!」
「朝倉も胸も関係ねえよ」
 どうやら完全に酔っ払っているようだ。酔いに任せて馬鹿なまねをしないよう、美香を抱き上げて朝倉から引き剥がす。美香はおとなしく私に連れられてコタツへ戻り、朝倉はよろよろと台所へと歩いていった。
「……ちょっと落ち着いて考えてみたんだけど」
 座り込んでからしばらく黙りこくっていた美香が、頭をフラフラさせながら神妙な面持ちで口を開いた。ふと腕時計に目を向けると、二時を回っている。そろそろ眠気もピークになる頃合だろう。 
「なんだ?」
「……私、実は巨乳なんじゃないかって思うの」
「朝倉に謝ってもらうか?」
「聞いて。いい、発想の逆転をするの。つまり、巨乳は貧乳、貧乳は巨乳って事よ。ということは、私は貧乳だから、巨乳ってことになるはずよ。朝倉は巨乳だから、貧乳になるの。いい気味だわ!」
 美香はコップを握り締めたまま頭を前後に何度か揺らした後、そのままがつんと音を立ててコタツに突っ伏した。断末魔にしてはあまりにも超理論が過ぎる。録音して素面の時に聞かせてやりたいものだ。
「あ、美香さん寝ちゃいました? お水持ってきたんだけど……」
 かいがいしくも、朝倉がトレイに私と美香の分のコップを運んできた。朝倉は美香を揺り起こすと、コップを美香の口につけて、器用に傾け水を飲ませた。さんざ騒いだ反動なのか、美香は動く気力も無いようだ。
「まくらー」
 朝倉に支えられてくてんとしている美香が、ぽつりと言った。私は水を飲みながら、ホントにやりたい放題だなこいつはと、寝転んだ美香に朝倉がスカートをまくってふとももを差し出すのを眺めていた。
「もう一度落ち着いて考えてみたんだけど……」
「どう見ても瀕死の体じゃないか」
「……もしかしたら、男が胸を好きなんじゃなくて、胸が男を好きなんじゃないかしら。ほら、もまれると膨らむって言うし」
「お前もう自分が何言ってるのかわかってないだろ」
 朝倉のふとももに顔を擦りつけながら、美香は完全に寝る体勢に入っていた。ようやく嵐が収まったかと、朝倉と顔を見合わせて苦笑する。途端、朝倉が悲鳴をあげた。美香が太腿をつねったようだ。
「……言っとくけどアンタら、私より先に男作ったらひどいからね」
「いいから寝てろ。明日だって大学あるんだぞ」
「……絶対だからね」
 今度こそぱたりと倒れ、均一な間隔で寝息を立て始めた。やれやれと嘆息し、朝倉がほっと肩を撫で下ろす。

75 :No.25 貧相だから 4/4 ◇h97CRfGlsw:08/02/24 23:21:34 ID:jZBIcH1D
「……気がすんだみたいですね」
「毎度毎度、迷惑な奴だ」
「まあ、美香さんですし」
 美香の髪を撫でながら朝倉が肩をすくめる。微妙に諦観の混じった意見に同意しつつ、動けない朝倉の代わりに散乱したゴミやら空き缶を片付ける。明日も大学にいかなければならないことを考えると、憂鬱だ。
 美香が寝付いたことで、部屋は水をうったように静かになった。元々私も朝倉も多弁な方ではないので、まあ必然。というか美香が一人でうるさすぎるのだ。欠伸混じりに歩き回っていると、朝倉が口を開いた。
「彼氏、作ったらダメみたいですね」
 美香の命令を茶化して言う。美香がどういうつもりで言ったのか察しがついている私は、朝倉の言葉に苦笑を返す。朝倉がここぞとばかりに、美香の頬を優しくつついている。
「こいつが男作るまでって、いつまで待たされるのやらな」
「なんてったって、体が貧相ですからね。これはなかなか出来ないでしょう」
「私たちも道連れってことか」
 お互い顔を見合わせず、通る声で話す。あらかたゴミを収集したところで、コタツをどけて敷布団を二人分敷かせてもらう。今から帰っては、寝るのが何時になるかわかったものではない。
 就寝準備を済ませてから、朝倉の元に戻る。くたばっている美香を膝枕から抱き上げ、ベッドに運ぶ。本来朝倉が寝るべき場所なのだが、どうやら当の本人は最近ここでは寝られていないようだ。
「まったく、お姫様にも困ったもんだな」
「もう慣れちゃいましたけどね。この寂しがり屋さんの面倒、私たちでちゃんと見てあげなきゃです」
 朝倉が布団をかけてやり、娘を見るような慈愛に満ちた表情で美香に微笑みかける。あれだけ虐げられてよくもまあ、と思わないでもないが、私もおおむね朝倉と同意見だった。
 ホントに素直じゃない奴だ、と朝倉と顔を見合わせてクスリと笑いあう。私は夜遅く呼び出された仕返しにと、ぴしんと美香の鼻を小突いてやった。朝倉にも薦めたが、彼女は報復を恐れて辞退した。
 いそいそと布団にもぐる。体を横にしたとたんどっと疲れが溢れてきて、同じタイミングで私と朝倉は溜め息をついた。こんな調子で、明日は起きられるだろうか。
「……安心しろよ。私はどっちかというと、体つきは貧相な方だ」
「私も背が低いですし、貧相な方だと思います」
 ぼそぼそと、布団の中で言葉を発する。そして何個か手探りで目覚ましをセットしてから、リモコンで電気を消した。




 少し離れたベッドの中から、ふん、と小さく鼻息が漏れた。


                                                  終     



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