50 :No.18 他意識過剰 1/4 ◇jhPQKqb8fo:08/02/24 22:08:28 ID:OFwK7DZT
――だからよ、暴飲暴食は慎めっつーんだよ――
差し込む夕日が寂しさを投げかける四畳半、俺は正座で説教を受けていた。一人で自分の影を正座しながら見つめるというのは
なかなか神経に来るものである。それ以前に一人で説教を受けるという奇妙な経験を自分がすることになるとは思わなかった。
――そもそもてめーは自分の体に無頓着すぎなんだよ。入院してーのか?――
そう、一人である。つまりは俺に正論をぶっ刺してくるこいつは人間ではない。
――おいこら、聞いてんのか? いいかげんにしねーと揺れるぞ?――
「すんません、マジで勘弁してください」
反射的に言い返してため息をつく。一度揺れられたことがあるが死ぬかと思った。胃がでんぐりがえり、内容物が絶妙にシャッフルされる
あの感覚は二度と味わいたくない。
――大体だな、てめー情けなくねーのか? 自分の胃に説教されるなんてよ――
じゃあすんなよ、などと言い返したらどうなるかは目に見えているので黙っておくことにし、言葉のかわりにため息を吐き出した。
あの医者の口車に乗らなきゃこんなことにはならなかったのだ。最初は遠慮していた胃だったが、
最近ではちょっと食いすぎただけで容赦なく文句をつけてくる。確かにある程度の自己管理にはなるが・・・・・・。
――・・・・・・てめえ、全然聞いてねえな? いい度胸してんじゃねーか。おらおらおらぁ!――
ぎゃあああああああ!
急に胃が爆発したように揺れだした。ぶっ倒れる俺。
――とにかく俺がいる限りてめえには胃に優しい食事を取ってもらうからな。覚悟しとけよ――
薄れゆく意識の中で胃の声が頭に反響していた。
「やーやー、CA19-9が正常値に戻ってるねー。胃の腫瘍はもう心配いらないよ」
椅子に座った白衣の男がニコニコとしながらカルテをめくっている。それはそうだろうとも。訳のわからん技術を使われたのだから効果が現れないと困る。
しかし胡散臭い医者だ。
「いやぁ、僕も嬉しいよ。正直副作用とか出ないかドキドキだったんだよね。いや自信はあったよ? でも何が起こるのかわからないのがこの世界だから。はっはっは」
確証のない技術を使うなよ・・・・・・。うすうす感じていたがやはり実験台扱いだったのか。臓器に意志を与える最新技術だのこれからの
自己管理はこれだだの調子いい事を並べていたが、笑顔を浮かべながらも目が不安げにギョロギョロしていた辺り、
ほとんど実験もしていなかったと見える。まず自分でやってから試せと言いたい。まあ報奨金につられた俺も俺だが・・・・・・。
――まあこれも俺の努力の賜物って奴だな。感謝しろ――
「わかったわかった」
えらそうな胃の言葉に投げやりに返す。努力と言うが見張っている労力もないし、一蓮托生なのだから別に感謝するいわれもない。
51 :No.18 他意識過剰 2/4 ◇jhPQKqb8fo:08/02/24 22:08:56 ID:OFwK7DZT
「ん、いーくんと話しているのかい?」
「ええまあ。てかいーくんって何ですか? まさか胃のことですか」
医者は笑顔で頷く。あいかわらず目だけ笑っていないので微妙に恐い。
「そうだとも。犬や猫にだって名前を付けるんだから、胃に名前を付けてもおかしいことはないだろう?」
「そりゃそうかもしれませんが、人の胃に勝手に変な愛称をつけないで下さい」
「まあまあ。ところで次はどこにする? おすすめは腸かな。将来のリスクを早いうちに軽減したいなら心臓とかも悪くないよ。それとももう全身やっちゃおうか?」
思いもよらない医者の言葉に俺はのけぞった。
「まだやる気なんですか!?」
医者は出来の悪い生徒を見る教師のような顔をした。眉を浅く立てて言う。
「当たり前じゃないか。胃だけで健康が保てると思うかい? 患者には出来る限り健康になる道を歩んでもらいたいと思うのは医者の本能だよ。
被験者は多いほうがいいしね」
「ちょっと。最後なんて言いました?」
「いやいや。まあ悪くない話だと思うよ? また報奨金出すし。若いんだからためらわずにどーんといきなよ、どーんと」
重い扉を開けるときのような仕草をされても困る。俺はため息をついた。
「考えさせてください」
白ばかりが目立つ病院の待合室で、俺は一人で悩んでいた。手持ち無沙汰を埋めるように買った缶コーヒーはすでにぬるくなっている。
――何を悩んでるのかわからんね。やっちゃえばいーじゃん――
「おまえはそうやって簡単に言うけどね・・・・・・」
小声で呟く。一つ(一人とは考えたくない、なんとなく)でもこんなに大変なのに他の臓器まで意志を持ったらどんなことになるのか
考えただけで気分が重苦しくなる。しかしそれに見合うメリットもあるのだ。
――金になるし健康にいいし言うことなしだと思うがな。暇なときの話し相手にもなるし――
「まあな・・・・・・」
何か見落としているような気がしてならない。このような体験をしている奴が周りにいないので過剰に不安になっているだけという
気もするのだが・・・・・・。誰かに相談ぐらいしたいものだ。
――まあ決めるのはお前だけど。俺は賛成だぜ? 俺は俺のことしか分からないからな。お前の健康が損なわれる危険性はなるべく排除したい――
確かに悩むことはないように見える。胃は基本的にはいい奴だし、母親以上に俺の健康に気を使ってくれる。健康を何よりも優先して考
えるのは困り者だが。別に他人に声が聞こえるわけでもないし。他の臓器にも意思を与えれば、それぞれの分野で的確な助言をしてくれるだろう。
「そうだな・・・・・・。うん、よし、決めた」
俺は医者の待つ診察室に戻り、他の臓器たちにも意志を与えるよう頼んだ。後悔することになるとも知らずに・・・・・・
52 :No.18 他意識過剰 3/4 ◇jhPQKqb8fo:08/02/24 22:09:14 ID:OFwK7DZT
「俺の体を元に戻してくれ!」
俺は診察室のドアを開けるなりそう言った。ゆっくりと振り返った医師の冷静な顔に違和感を覚えたが、今はそれどころではない。
「どうしたの? まだあの日から三日しか経ってないじゃない」
三日も耐えたことを評価して欲しいものだ。異変はあの後すぐ起きた。いつも通り歩いて帰ろうとしたのだが、足が妙に早く動く。
いぶかしむ俺の頭に、声が反響した。
――こんちゃーす。足っす。早速ですが、いつものペースよりこんぐらいの方が健康に良いんでそうさせてもらいますわ。
なーに、三日もすれば慣れますさかい。痩せまっせー――
なんだと。冗談ではない。俺はゆっくりと周りの風景を眺めながら歩くのが好きなのだ。しかし足に力を入れても、あまりスピードは変わらない。
むしろ精神が疲弊するだけだった。
それだけならまだよかった。その夜、俺が日課としている睡眠前の読書に励んでいると、いきなり視界が暗くなった。目の声が反響する。
――ちょっと! いつまで起きてるの? 夜更かしは体に悪いんだから早く寝なきゃだめでしょ! まったく・・・・・・。か、勘違いしないでよね!
私が乾いてきたから閉じただけよ! べつにアンタのこと心配してるんじゃないんだから!――
うるさい。なんでもいいから続きを読ませてくれ。しかしいくら念じても目は一向に開こうとしない。その日は諦めて寝た。ちなみに規則正しく
六時間後に勝手に目が覚めた。
ほかにも食堂で勝手に手が止まったり(食べすぎですよ!)、煙草を吸おうとしたらこれまた手が止まったり(肺さんに頼まれました、すみません)、
散々な目にあった。いくら健康にいいからと言ってもやりすぎだ。さっさと元に戻してくれ。
そう熱弁を振るう俺の言葉を、医者は黙って聞いていた。
「君の言いたいことは分かったよ」
「そうか、わかってくれたか、なら早く・・・・・・」
「でも駄目だよ」
医者は顔全体に満面の笑みを浮かべて言った。
「・・・・・・なんでだ?」
俺は冷や汗を背中に感じた。違和感が大きくなっていく。
「逆に聞くけどさ。君はなんでここに来れたのかな?」
「は? だから元に戻してもらおうと・・・・・・」
「違う違う。『来たのか』じゃなく『来れたのか』だよ」
「それは・・・・・・」
そこで俺は黙った。何かに気付いたわけではない。口が勝手に閉じたのだ。
医者は再び満面の笑みを浮かべた。そこでようやく違和感の正体に気付いた。
・・・・・・目が笑ってる・・・・・・
53 :No.18 他意識過剰 4/4 ◇jhPQKqb8fo:08/02/24 22:09:30 ID:OFwK7DZT
かつて不自然に独立していた目が、今では違和感なく顔に馴染んでいる。まるで持ち主が変わったように・・・・・・。
「気付いたみたいだね。はじめましてでもないんだけど、改めて自己紹介しとくよ。僕は『口』です」
いつしか俺は自分の意思で指一本動かせなくなっていた。医者の口が言葉を紡ぎ出す。
「あ、付け加えると君は本来の僕に会ったことは一度もないよ。まあ最近までは目だけ元の僕だったけどね。仕事が忙しくて手術の暇がなかったんだ。
今のところは仲間を増やせるのは僕だけだから頑張らないとね。いやぁ、それにしてもまさかこんなに早く全身に意思を与える決意をしてくれるとは
思わなかったよ。それじゃベッドの方へどうぞ」
医者は最後の言葉だけを俺以外の誰かに告げるように言った。と、体が勝手に動いてベッドに横たわってしまった。力を込めるがどうにもならない。
「さて、最後の手術と行こうか」
何を言っているんだ。もう全ての臓器が意思を持っているじゃないか。俺の体に自由になるところなんて・・・・・・。
・・・・・・!?
「気付いたかな? そう、まだ君の物のままの臓器があるだろ?」
医者は仰向けの俺を人差し指でつついた。俺の額を。
「脳、さ」
パニックに襲われる俺をよそに、医者は語りだす。
「大丈夫。本来の僕が実証済みさ。脳に意思を与えても今の君の意識と喧嘩するなんてことはない。君の意識に上書きされるからね」
それのどこが大丈夫だというのか。やめろ。やめてくれ。
「本当はちょっと期待してたんだけどね。あの時すぐに全身に意思を与えた君なら、僕たち臓器の本懐を理解してくれると思ったんだけど」
そんなもん理解してたまるか。いや、理解してもいい。だから俺を解放してくれ。
「この手術が終われば君も生まれ変わるよ。ただただ長く生きて仲間を増やそうとする、本来の生物としての正しいあり方を持った君にね」
――そういうことだ。諦めろ――
――あんさん抵抗するから、いい加減こっちもしんどいんやわ。ま、堪忍してーな――
――これでアンタも私達ももっと長生きできるわよ。べっ、別に私はアンタのことはどーでもいいんだけど!――
そりゃお前らは長生きするのが唯一にして絶対の幸せなんだろうが俺に押し付けるんじゃねえ! やめ、やめろ!
「それじゃ、いくよ」
やめてくれやめてくれやめてくれやっめてくぎゃああああああああaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa
とある病院の診察室の扉が開き、白衣の男と患者らしき男が出てくる。
彼らは向かい合うと、固く握手をして笑いあった。
まるで全身で笑っているような、とても眩しい笑顔だった。 <了>