【 それはみにくかった 】
◆ynAdbGZ23c




17 :No.06 それはみにくかった 1/4 ◇ynAdbGZ23c:08/02/23 22:20:44 ID:gnUp+QAB
 白色の閃光が僕の視界を完全に覆う。次いでやってきた猛烈な風に僕の足は地から離れ、
とどまるところを失った僕の体は宙を舞う。四肢の自由は完全に奪われ、もはや僕は
何処までが僕の体で、何処までがそうでないかということがわからなくなってしまった。
 僕が見る生まれて初めての、あるいは最後かもしれない、走馬灯のはじまりだった。

 ――絵がひとつ、あった。
 その中心を大胆に占めるのはレオタードを身に纏った女性だった。
 それは美しい舞の一瞬を切り取ったかのように写実的な絵だったが、細部に見て取れる光の機微や
筋肉のなめらかな描き込みが、カメラに焼き付けられたものとはまた違って、人間の生命力の
ほとばしりを感じさせるようだった。
 「人のからだを描くのが好きなの」
 立ち尽くし、呆然と絵を眺めていた僕に、一人の少女が声をかけた。
 木造の校舎の一角を占める美術室には、僕と彼女の二人しか居ない。鼻の頭を絵の具で汚した彼女は、
完成の充実感をいっぱいにして、僕を見ている。

 彼女がカンバスに向かって筆を走らせるのを、僕は幾度となく窓の外から見ていた。
 彼女は学校でも有名な、類まれな美術の才を持った女の子で、幾度となくコンクールで賞をとっては
他の生徒達から尊敬のまなざしを浴びていた。彼女自身もそれはとても美しくて、彼女に
想いを寄せる男子生徒は後を絶たなかった。僕もその一人で、走りつかれた帰りに美術室の外を
通るとき、集中した目つきで絵に向かう彼女を見るのが一日の中で一番好きな時間だった。いつもは少し
立ち止まっているだけだったが、長いときは数分のあいだずっと見つめているときもあった。それでも
彼女の視線はずっとカンバスの上にあって、遠巻きに見ている僕に気付く気配は全くなかった。
そんな彼女の絵に対する一途な思いも、いやむしろそれこそが、僕が彼女を好きになった理由のひとつだった。


18 :No.06 それはみにくかった 2/4 ◇ynAdbGZ23c:08/02/23 22:21:19 ID:gnUp+QAB
 「モデルも立てずにこんな絵が描けるなんて、すごいね」
 僕は今にも呼吸して動き出しそうなレオタードの女性を指して言った。
 「ありがとう」彼女は照れくさそうにはにかみ笑う。
 「どうしても目に焼きついて離れないひとのすがた、ってのがあって。私が描いてるのはそういうの」
 「ほんとに、すっごくきれいな絵だ」
 僕がそう言って彼女の絵を褒めると、予想していた反応とは違って、彼女はどこか悲しげな顔で笑った。
 「当たり前よ。だってきれいなものを描いてるんだもの」
 意外な返事に戸惑う僕に彼女は続ける。
 「聞いてくれる?」
 僕が無言でうなづくと、ひと息おいて彼女が言った。
 「私はきれいなものをきれいに描くことはできるのかもしれないけど、汚いものや醜いものに隠れてるきれいなものを
描けるわけじゃない。私はね、いつか、人が『醜い』って言った何かを描いて、『やっぱりきれいだった』って
言わせられるような画家になりたいんだ」
 風が吹いたようだった。
 その言葉はとても力強くて、僕は新鮮な驚きと感動を覚えた。自分が今まで全く考えたことも無いことだった。
見ている景色の様子までがらりと変わってしまうようだった。彼女にはこの世界がどんな風に見えているのか、
僕はもっともっと知りたくなった。
 「例えば、そうだな。怪我をしてる人とかさ」
 そして冗談げにこう言った彼女の言葉を、僕は心の底から真に受けてしまったのだ。

 ――それから何年かが過ぎ、僕はとある喫茶店で彼女の目の前に二枚の搭乗券を差し出していた。
 飛行機の行き先は、いくつかの空港を経由しての、紛争地域に隣接する小さな空港だった。
 「僕が守るから、一緒に行こう」
 ぶっきらぼうに放たれた僕の言葉を、彼女は、驚きはしたものの暖かい笑顔で受け入れてくれた。
 あの日から数年、軍学校でとてつもなく厳しい訓練を受けてきた日々のことを、彼女は僕の次によく知っていた。

19 :No.06 それはみにくかった 3/4 ◇ynAdbGZ23c:08/02/23 22:21:44 ID:gnUp+QAB
 現地についてからは、彼女と僕はさながら戦場カメラマンのような日々を過ごした。彼女がライカの代わりに
抱えているのは画材と折りたたんだイーゼルだった。僕は彼女の護衛として歩いた。言葉も勉強したし、
食材の調達など、彼女が絵を描くためにできるだけ不自由しないよう努めた。危険があれば(ほとんどいつもそうだが)
ライフルを持って彼女の先を歩きもした。
 借り宿を決めてからは、あっちへこっちへ行ったり来たり、軍の監視下に置かれる時もあれば、敵味方が入り乱れる
前線を恐る恐る歩くときもあった。
 彼女と僕はいろいろなひとを見た。
 精悍な軍人や、気性の荒い現地のレジスタンス。悲壮な決意を抱え戦場へ向かう男や、その帰りを待つ女性。
貧困にあえぎ苦しむ子供を見るときもあれば、グロテスクな死体を見ることもあった。
 彼女の目には実に多くの映像が焼き付けられたらしい。ひっきりなしにイーゼルを立てては、目に焼きついた
彼らの姿を描きだして行った。一枚一枚の絵に彼女の魂が込められ、描く人の体からは、その人が持つ感情までもが
沸き立ってくるようだった。
 どこを歩いても戦場の絵描きは不審がられたが、親しげに接してくれる人も少なくなかった。彼女の絵は、
どんな言葉よりも上手に人を感動させた。芸術が人を平和にすると、いつかは絵空事のように思えていたことを
僕は信じたくなっていた。
 日が沈む前に借り宿に戻って、屋上から沈む夕日をふたりで眺める。
 「いつかはあなたのからだも描けるといいな」
 僕の肩に顔をすり寄せて、彼女が笑った。 

20 :No.06 それはみにくかった 4/4 ◇ynAdbGZ23c:08/02/23 22:22:10 ID:gnUp+QAB
 ――走馬灯は、そこで終わり。
 強烈な爆風に吹き飛ばされて、僕は地面に体を叩きつけられた。神経ぜんぶが痛みに震えている。
猛烈な痛みはそのほかの感覚と呼ばれるものを全て覆い隠している。腕がもぎ取れているかもしれない。
足の骨がばらばらになっているかもしれない。目を開けるのが、怖い。
 「――てよ! 起きて! 起きてってば!」
 彼女の声でようやく僕は目を開ける決意をした。視界は霞んでいる。しかしぼんやり見える端正な輪郭は
彼女のものだと分かる。体の痛みが僕の終わりを教えている。戦場に赴くと決め訓練を受け始めてから、このような結末を
迎えることも充分にありえると覚悟していた。けれど、けれど――。
 彼女は涙を流している。耳鳴りが止まなくて、叫んでいるらしい彼女の言葉は薄い壁を隔てたみたいに
あまりはっきり聴こえない。彼女の顔にだんだんピントが合ってきた。両目からは大粒の涙が流れている。
 僕の左手はなんとか指の先まであった。痛みを堪えて指先で彼女の頬を撫ぜる。彼女は伸ばした僕の手を包む。
その手は多分暖かいのだろうが、今は分からない。
 
 君に伝えたいことがある。
 いつの間にか、君の夢をかなえることが僕の夢になっていた。
 今の僕はきっと醜いと思う。体中から血を流してて、自分のからだがどこまでその形を保っているかも分からない。
 でも今、僕は君のことがとってもいとしい。この気持ちは君が絵に向かってるときの気持ちと同じぐらいに
純粋なんだろうとも思う。君が言ってたのはこういうことなのかな。醜いからだの人だって、その中には美しい感情を
持っているのかもしれない。君はそれが描き出せるような画家になりたいって言ったのかな。
 きっとそうなんだろう。僕は嬉しい。こんなときだけど、君のことが分かってよかった。
 口に出そうと思った言葉は体裁が整わないまま零れ落ちるばっかりで、伝わっているかも分からない。だから
最後の言葉にしよう。僕は口のはじの筋肉にすべての力を込める。
 「僕を、描いて」
 彼女がうなづいて、僕の手を握り締める。視界が真っ白になっていく。
 幸せな人生だった。



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