【 慈悲をもってして 】
◆h97CRfGlsw




98 :No.26 慈悲をもってして 1/4 ◇h97CRfGlsw:08/02/18 00:40:11 ID:BZcQtSMZ
「ところで君、今日は何個貰ったんだい?」
 安物のソファーに体を投げ出して、学校帰りに漫画に読みふけっていると、台所でもぞもぞ作業をしている山田が唐突に言った。意識だけをそちらに向けると、山田のいる方からほのかに甘い香りが漂ってくる。
「……なんのことかわからない」
「なるほどね」
 ふっ、と鼻から空気の抜ける音が聞こえた。わかっているくせにあえて聞いてくるその根性が憎たらしい。おそらくこちらに顔を向けてニヤついているだろうので、これ以上掘り下げることはしない。
 言わずもがな、という感じにあしらわれてしまった俺はもう不貞腐れるしか他になく、漫画をぽいと床に放ってテレビのリモコンに手を伸ばした。適当にチャンネルを回すと、案の定、
『今年のバレンタインにおける、売上ナンバーワンのチョ――』
 などという、全くもって不愉快極まりない特集が組まれていた。いまいましいその洋菓子の名前が言い切られる前に電源を消し、リモコンを床に放って深く溜め息をついた。後を追うように、再び台所から鼻笑い。
「残念だったね」
「違うんだ。いくつか渡されたけれど全部断ったんだよ。俺、これまで隠してきましたけど実は甘いものが大嫌いだったのです」
「そんなことより、ちょっとこっちにきてくれないか」
 そんなこと。ええ、どうせそんなこと扱いですよ。つまり全ての同級生女子から「その他大勢」の烙印を押される悲しみなど、渡す側の人間にはどうやっても一生わからないのだ。
 ソファー越しに台所へ顔を向けると、山田がちょいちょいと手招きをしていた。溜め息を伴侶にしぶしぶ立ち上がり、さもめんどくさそうなそぶりで向う。小奇麗なシステムキッチンには、件の洋菓子たちが散らばっていた。
「この日に向けてブロックのものがずいぶん出回っていてね。だから少し手を加えて、久しぶりにチョ――」
「禁句。そのワードは禁句なんだぜ」
「おっと、これは失礼」
 耳を塞いでふるふると首を左右に振ると、山田は口元に手を添えて唇の端を持ち上げ、すっと目を細めた。鋭角的に整った輪郭と深い黒の長髪があいまって、山田にはそんな皮肉っぽい笑みがよく似合うのだった。
「久しぶりにこの……そう、黒い洋菓子。これに、ちょっと舌鼓でも打とうかなと思ってね」
 単語を変えて先程の言葉をつなぐ。山田は切り刻まれたブロックのひとかけらをつまむと、気取った仕草で上品に口に入れた。君もどう?と薄ら笑いでこちらに欠片を差し出してくる。ほとんど変わらない目線が忌々しい。
 目を逸らして、苦虫を噛み潰したような顔を作る。不機嫌を装う俺に山田が苦笑を向ける。悪かったよと肩をすくめる山田に、俺は鼻を鳴らす。いつものやり取り。行程はきっと、これからも変わらないのだろう。


 異性ながら、幼年の頃からずっと兄弟のようだった。お互いに性を意識するような年頃になると、山田はますます俺に合わせて男っぽくなっていった。だから、兄弟で間違っていない。正確には、姉弟なのかもしれないが。
 性別、という要素をなるべく排除することで、俺たちは関係を崩すことなく高校生活を迎えることが出来た。揃って風呂に入るとか、一緒に布団に入るとか、体に触れるとか。そういうスキンシップは、暗黙のうちになくなっていったが。
 周囲から見れば奇妙な関係だった。冷やかされることも多い。その度あいつとは腐れ縁、別になにもない、親同士が親密なだけ、そうやって誤魔化すことが、長年連れ添う間に不文律として成立していった。
 どちらかが均衡を崩せば、いとも簡単にどうにかなってしまう危うい関係の上に、俺たちは立っている。ただ、このまま何もしなければきっと、これからも何も変わらないのだろう。
 その前提の上で、このバレンタインという日は、特別な意味を持つ日となっていた。嫌が応にも異性を意識することになるこのイベントは、無視することも率先することも出来ない、かなり微妙な日なのだ。

 そんなこんなで、結局いつもどおり今日も山田の家にきてくつろぐという選択肢に甘んじて、今に至る。
 お互い、意図的に話題にすることを避けて避けてのバレンタイン。この日は、ある意味で俺達の関係を象徴するかのような日なのだった。

99 :No.26 慈悲をもってして 2/4 ◇h97CRfGlsw:08/02/18 00:40:25 ID:BZcQtSMZ
「で、なんの用だ?」
 そっぽを向いたままつっけんどんに言う。女の子が台所で件の洋菓子を展開しているのに、今更なんの用もくそもないのだが、このセリフも例年通りだ。山田も俺と同じように、涼しい顔で定形文を返す。
「信じられないが、今年も誰にすら相手にされなかった、かわいそうにも程がある人がいるらしくてね」
「なんと」
「だから、私が深い慈悲を持って」
 山田はそこで言葉を切ると、こちらに顔を向けて挑発的ににやりとほくそえんだ。目と目が合い、図らずもにらみ合いのような形になる。言い方を帰れば見詰め合う。だが、俺達の場合これはある意味牽制のようなものだった。
「まったく、毎年毎年情けない限りだよ」
「圧倒的余計なお世話」
「18にもなって誰からも好意をもたれていないなんてね。君が恥ずかしすぎて死なないよう、せめて私が気をまわしてあげないと。面倒だけれど」
「そういうお前だって、俺以外に渡せる相手いないんだろ? 貰っていただけることに感謝する必要があると思います」
「私は元々、こんな製菓会社の陰謀のような行事に興味がないだけさ。お返しにはちょっと心惹かれるけれど」
「月並みな言い訳だな。俺なら容赦なくお徳用パックの小粒をそこら中に拡散させる」
「そんなことをしたら私の高貴なイメージも拡散するじゃないか」
「自惚れに過ぎる。こいつの頭はどうなっているのか」
 べらべらと牽制球の応酬。お互いに、仕方なくというスタンスを崩したくないのだ。意地っ張りというか、強情というか。今までずっとこんな感じで過ごしてきたことで、もはやこれがスタンダードとなってしまっている。
 会話が止んで、微妙な空気が流れる。山田はじっと俺の目を覗き込んでいたが、しばらくするとやれやれと呟き、わざとらしく肩をすくめた後にブロックの解体作業に戻った。どうやら、俺の勝ちのようだ。
「……まあ、とにかくその素直ではない男に恵んでやろうと思うんだが、どうやら聞いたところによると彼は甘いものが嫌いらしくてね」
 山田は切り刻んだものをボウルにぶち込み、それをお湯をはったなべに浮かべた。表情筋をあまり動かさない山田だが、どうやら少しむくれているようだった。微かだが眉間がより、目尻が上がっている。鼻息が荒い。
 少し言い過ぎただろうか。後ろ頭をがりがりやりつつ、ヘラでものを撫で回して溶かす山田の後姿を眺める。というか何で俺を台所に呼びつけたんだと考えていると、唐突に山田が隅に置いてあった調味料の小瓶に手をかけた。慌てて腕を掴んで止める。
「落ち着け、今なら未だ間に合う。これ以上憎しみの連鎖を繋げてどうするというのか」
「君は甘いもの嫌いなんだろう?」
「ばよえーん」
「ならば一向に構わん!」
 瓶をひっくり返して中身のブラックペッパーを全てぶちまけようとする山田から、無理矢理それを引っ手繰る。甘いから辛くしようってそんなお前。山田は目を細め、じと目をこちらに向けてきた。悪かった、俺が悪かった。
「まあいい」
 山田はふんと鼻を鳴らすと、なべを電気コンロから退けた。ホッとしていると、山田はずいとこちらに接近してきた。体を引くと、山田はこちらをちらと一瞥して冷蔵庫の扉を開けた。中から小皿を取り出し、中身を台所に並べる。
「右からわさび、からし、コショウ、しょうゆ、ソース、ケチャップとなっております」
「なんと」
「今年は期待に沿えるよう前もって用意しておいた。惜しみない賞賛を」
「本当に夢みたいです」

100 :No.26 慈悲をもってして 3/4 ◇h97CRfGlsw:08/02/18 00:40:39 ID:BZcQtSMZ
 うつ伏せに、ばたりとソファーに倒れこむ。まさかこんなゲテもの食いを強要されるとは思っておらず、すきっ腹に甘味と辛味が溶け込んでなんとも形容しがたい気分になってきた。山田が口元だけで笑んでいる。
「どうした」
「君は俺の涙を見る」
「辛いものが好きなんだろう? 流石に全部は食べられなかったようだが」
 横たわる俺の上に座布団を敷くと、山田はその上にどかりと腰をおろした。先程まで俺が読んでいた漫画を手にとると、ぱらぱらとページをめくり始める。重い。黙れ。そんな言葉を交わして、会話が打ち止めになる。
 静寂の中、妙な雰囲気が出来上がってしまった。去年までは、適当に言葉を交わしてナニを渡し渡され、微妙な気まずさの中どちらからともなくその場をお開きにしたものだった。
 余計な要素でこの日を引き伸ばしてどういうつもりなのだろうか。腰の上に、座布団越しにある山田のおしりの感触に変な気分になりつつ、相手の出方を伺う。一定間隔で、頁をめくる音が響く。
「……君は」
 長い間を置いて、山田がぽつりと言葉を置いた。じっと黙って、話題の展開を待つ。しかし山田もそれきり黙り込んでしまったので、再び変な間が発生してしまった。なんだよ、と顔を上げる。漫画に視線を固定した山田の横顔が視界に入る。
「まあ、なんだ、その……本当に誰からも相手にされなかったのか?」
「だから全部断ったって言いましたでしょう」
「……そうか」
 山田は眉根を寄せると、ぎゅうと俺に体重をかけた。ぱらぱらと漫画を読んでいるようで焦点は絵の上にはなかった。いきなりなんだよ、と軽口を叩く。どうやら誤魔化していることに怒っているようだった。
「ちょっと退きなさい。あんまり虐めると禁止ワードをリリースしますよ」
 言っても頑として動こうとしない山田を、体を持ち上げて無理矢理退ける。ソファーに腰をかけ直すと、ぶすっとした山田がどかりと隣に陣取った。なんとなく空気を察しつつ、なお漫画を読み続ける山田に話し掛ける。
「漫画、逆さになってるぞ」
「……気がつかなかった」
「嘘付けよ」
「君程ではない」
「俺がいつ嘘をついたよ」
「君も私も嘘ばっかりだと思うが」
 山田がこちらに顔を向けて、ぱちりと目が合う。怒っているような困っているような表情で、俺は思わず顔を背けてしまった。触れるか触れないかという距離にある山田の体が、妙に生々しく感じられる。
「どういう意味だよ」
「……言葉通りの意味だ」
 じわりと、心臓全体から直接血がにじみ出るような感覚があった。ぱたりと漫画が閉じられる音がして、山田がソファーから逃げるように立ち去った。含みを持たせた皮肉っぽい会話が、俺達の常だった。言葉通り、そういうつもりなのだろうか。
 山田は台所に戻ると、先程火にかけていたなべを元の場所に戻した。ちらと盗み見るように山田のほうに目を向ける。頭に血が上っているのだろうか、長目の制服スカートから伸びる足が艶かしい。
「……私は、このまま嘘ばかりで過ごすのも悪くはないと思っている」
 山田が言う。こんな付け足しをすることが、いかにも普段の山田らしい。どうあっても誘い受けのスタンスなのだ。仕方がないから、慈悲を持って。暗に、お前に選ばせてやると言いたいのだ。
 山田はそういうつもりなのだろうか。例年通りのバレンタインになるだろうと踏んでいた俺は完全に置いてきぼりを食らってしまい、まんまと山田に主導権を握られてしまっている。こんな空気でなければ、山田は俺の顔を笑ったことだろう。

101 :No.26 慈悲をもってして 4/4 ◇h97CRfGlsw:08/02/18 00:40:51 ID:BZcQtSMZ
「……お前は嘘つきでいいのか?」
 おずおずと話し掛ける。山田は答えず、わざとらしい緩慢な動作でなべをコンロから退け、ボウル衣巾で拭っていた。これ以上は譲歩してやらないということなのだろう。全くもって憎たらしい。
「あのな、山田」
「そんなことより、こっちへくるといい。変なものを食べて口がまずいだろう」
 食べさせたのはお前だけどな。当たり前すぎて突っ込む余地もなく、話の腰を折られて俺は嘆息した。機先も制されるし、本当に今日は厄日だ。言われるままに俺は立ち上がり、山田の元に向った。
 山田は溶けたそれの入ったボウルを胸に抱え込み、そこに人差し指を突っ込んで舐めていた。熱くないのかと逃避っぽくそんなことを考え、倣って手を突き出す。しかし山田は、半身を捻って俺の手を拒んだ。
「誰がこれをやると言った」
「それしかないだろうがよ」
「これは私が舌鼓を打つためのものだ。欲しければ、ここ以外の場所から食べるがいい」
 山田は再び指を突き入れると、それを口に含んだ。苦虫を噛み潰したような表情でそっぽを向く山田に、俺は思わず苦笑した。まさかここまでやってくれるとは思っていなかったので、意外や意外というところだ。
 唇を薄っすらと黒くしたまま停止している山田が、なんだか可愛らしく思えるようになってしまった。俺は今日何度目かの溜め息を漏らし、後ろ頭をかいた。ここまでされては、もう。
「んじゃあ、遠慮なく」
 山田が目を細めた。俺はそれを確認すると、ふっと鼻笑いを置いて冷蔵庫を開けた。先程残したわさび入りのナニを取り出し、見せびらかせるように口に含んだ。俺が涙目で山田に笑いかけると、山田は表情筋を引きつらせた。
「甘いものは嫌いって言っただろ」
「……忘れていたよ」
 俺が軽口を叩くと、山田は肩をすくめて苦笑した。多分、この対応であっていたんだよなと俺は思う。なぜなら俺たちは、常に対等でいなければ気がすまないからだ。片方の優勢など、認められない。
 山田はボウルを脇に置くと、小さく、本当に小さく息を吐いた。その落胆振りに、このままでもいいといったのはお前だろうと内心思う。思いながら、俺は山田に顔を近づけた。


 不意打ちを返すことで、立場を対等に戻すために。






                                      (終)



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