【 じひる 】
◆VXDElOORQI




102 :No.27 じひる 1/4 ◇VXDElOORQI :08/02/18 00:41:20 ID:BZcQtSMZ
 バンと勢い良くドアが開いた。またか……。とため息をついてからドアのほうを見ると、そこには
俺の予想通り妹が立っていた。部屋に入るときはノックをしろと何度も言っているのに、また勝手に
入ってきて。まったくしょうがない妹だ。
「今月の標語はっぴょーう」
 妹はまたわけのわからないことを言い出した。いきなり今月の標語と言われても。もちろん先月の
標語を俺は聞いたことがない。先々月のも、もちろんない。
「なんに対する標語なわけ?」
「私とおニィ。二人のに決まってるじゃない」
 勝手に決まっていた。
「私とおニィの今月の心がけというか、目標みたいな感じなんだよ。当たり前でしょ」
 勝手に当たり前にされていた。
「それじゃあ発表しまーす。じゃじゃーん!」
 妹が手に持っていた紙を俺に見せてくる。そこには『慈悲る』と書いてあった。
「……なんて読むの?」
「じひる」
「じひる?」
「ジヒルとハイド」
「二重人格?」
 正しくはジキルとハイド。
「うっ……私の中に眠るもう一人の人格が」
「大変だ! 早く精神科に連れて行かないと!」
「……お兄様、私新しいお洋服が欲しいの」
「どさくさに紛れておねだりしてる!」
「お兄様……ダメ?」
「お兄様よりアニキって元気に呼ばれるほうがいいな」
「アニキ! 服買って!」
「わあ! 便利な二重人格だな! というか多重人格じゃん!」
「慈悲深いアニキなら買ってくれるよね!」
「そこに慈悲が来るのね! 強引だな!」
「いいじゃん。慈悲れよ。アニキ」

103 :No.27 じひる 2/4 ◇VXDElOORQI:08/02/18 00:41:32 ID:BZcQtSMZ
「だから慈悲るってなんだよ!」
「今月の標語です」
「なんに対する標語だよ! はっ! しまった! 振り出しに戻ってる!」
「以下無限ループ」
「勘弁して!」

 妹が言うには『慈悲る』ってのは、常に慈悲の心を持って、人に接しましょう。みたいなことらし
い。人に優しく。みたいな。そんな感じらしい。正直、よくわからない。
 慈悲の意味が、いつくしむとか、あわれむとか、なさけとか、そんな感じだから、人に優しくって
のも少し違う気がする。
 妹のことだから、『慈悲』って言葉の意味を正しく理解していないのかも知れない。なんとなく難
しい言葉を使ってみたかっただけとか。あと多分、これが一番の目的だと思うけれど、服を買って欲
しかっただけなんだろう。だからいつくしむとかなさけとか、そんな感じのニュアンスを含む言葉な
らなんだってよかったんだと思う。
 妹は俺に『慈悲る』の説明をしたあと、もう一度、服を買えと言ってきた。俺がきっぱりと断ると、
思いのほかあっさりと引き下がり、部屋を出て行った。
 出て行く直前。ドアの前で振り向き、俺になにか言いたそうな顔をしていたが、結局なにも言わな
かった。

 昔から妹は謝ることが苦手だった。
 そんなことを無残な姿になっているジグソーパズルを見ながら思い出す。あともう少しで完成する
はずだったジグソーパズル。それがもう完全にバラバラだった。一ピースもくっついていない。バラ
バラだった。バラバラ殺人事件だった。死んだの俺の心だ。
 自分の部屋で作らなかった俺が悪いのかも知れない。でも俺の部屋にはジグソーパズルを作るスペ
ースがなかった。だから単身赴任をしている親父の部屋で作っていたのだ。
「親父の部屋でパズル作ってるから入るときは気をつけろよ」とちゃんと伝えていたのに。
 あぁ、俺のノイシュヴァンシュタイン城が……。

 親父の部屋を出てリビングへ行くと、妹がソファに頭を抱えて座り「やっちまった……」と呟いて
いるのを聞いたからだ。

104 :No.27 じひる 3/4 ◇VXDElOORQI:08/02/18 00:41:43 ID:BZcQtSMZ
 そのあと妹は俺の気配に気付いたのか、一瞬俺のほうに振り向いたが、すぐに目を逸らした。
 これでほぼ確定だな。
「なにをやっちまったんだ?」
 俺はわざとらしくそう聞いた。
「おニィの日記読んじゃった。私のことそんな目で見てたなんて」
「どんな目だよ! というか俺、日記書いてないし!」
「おニィが大事にしてたフィギュアを萌えないゴミに出しちゃった」
「萌えるよ! いや! その前にフィギュアなんて持ってないよ!」
「え? 持ってないの?」
「なんだよその意外そうな顔は! 持ってないよ!」
「じゃあ私がこの前見た、セーラー服を着た人形を下からなめるように見てたお兄ちゃんは一体……」
「夢か幻だ! 俺が言いたいのはそういうことじゃないの! パズル! 俺のジグソーパズル!」
 ジグソーパズルって言葉に、不意に表情を暗くする妹。
「あれは、そのどのくらいまで出来たのかなって思って見に行ったんだけど、ほら、お父さんの部屋
って埃っぽいでしょ? だからくしゃみしちゃって。その風でぶわーバラバラーって」
「どんなくしゃみだよ!」
「ごめんなさい。でも本当にわざとじゃないの。つい悪戯したくなっちゃって」
「わざと過ぎる!」
「ごめんなさい。本当にパズルが乗ってた板にぶつかちゃって。それでパズルが落ちちゃったの。す
ぐに元に戻そうとしたんだけど、もうバラバラで……。本当だよ。今度はちゃんと本当。その、おニ
ィ……ごめんなさい」
 妹はぺこりと頭を下げる。
「本当?」
 妹は頭を下げたままコクンと首を縦に振る。
 俺は腕を振り上げ、妹の頭に向かって振り下ろす。
 その気配を察してのか、妹は体を強張らせる。
 その手をぽんと妹の頭の上に置き、クシャクシャと頭を撫でる。
「じゃあ許す」
 顔を上げ、妹は不思議そうな目をして俺を見上げる。
「まあ、そのなさけだな。なさけ。次からは気をつけろよ?」

105 :No.27 じひる 4/4 ◇VXDElOORQI:08/02/18 00:41:56 ID:BZcQtSMZ
「……うん」
 そう返事をしても妹はまだ不思議そうな目をしている。どうやらもう自分が考えた標語を忘れてい
るらしい。まったくしょうがない妹だ。
「だって、ほら今月の標語は『慈悲る』だろ?」
 妹はその言葉に表情をぱぁっと輝かせ、「うん!」と力強く頷いた。

おしまい



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