【 誰かの慈悲 】
◆/73ORiYgDY




89 :No.24 誰かの慈悲 1/5 ◇/73ORiYgDY:08/02/18 00:37:42 ID:BZcQtSMZ
 突然、無職になった。
といっても別に会社にリストラされたというわけでも、気の会わない上司に耐えかねて辞表を叩きつけたわけでもない。
会社自体が潰れてしまったのだ。
長年続けていた偽装が発覚し、偽装のことなど毛ほども知らなかった俺や同期の若い世代も巻き込んで倒産した。
それだけならまだ良い。新しく就職先を探せば済む話だった。
俺は無職になったのを一つのきっかけと感じ、自分の会社を作ることを目指していくつかの講習会をうけた。
すると一人の有名焼肉店の社員を名乗る男が、今流行のフランチャイズをやってみないかと声をかけてきた。
フランチャイズでノウハウを身につけ、そのあと独立開業してみないか、と。
俺はその話に飛びついて、結果的に多額の金を騙し取られた。いわゆるフランチャイズ詐欺だ。

以上が昨日までの俺の悲劇。ここからは今日の話になる。
借金まみれになった俺はどうしようもなくバレンタインで浮かれている町をさまよっていた。
すると偶然、例の俺を騙した男とすれ違った。俺は我を忘れ、その男に飛び掛った。
別に殺すつもりは無かった。ただ一発殴れればいい。だけど俺の足はもつれ、全体重を男に預ける形になって男もろともコンクリートの地面に倒れこんだ。
硬いものが硬いものに当たる鈍い音が響き、起き上がって確認してみると男は冷たく、微動だにしない。
俺は怖くなって逃げ出した。

以上が今までの俺の悲劇。ここからは現在進行形。
木枯らしが吹く寒い路地裏で、俺はうずくまっている。もうどうしようもない。多額の借金を背負い、犯罪者に成り下がってしまった。

急に怒りがこみ上げてきた。なぜ俺はこんな目にあわなくちゃならないんだ?
怒りの矛先はあのフランチャイズ男でも、偽装を行っていた会社の役員でもない。
俺は神に激怒した。確かに大した善行をした記憶も無いが、別にこんな目にあわなきゃならないほど悪いことをした覚えは無い。
っといっても、神に怒ってもどうしようもない。虚しいだけだ。何か八つ当たりできるものはないかとあたりを見回すとちょうどいいものが見つかった。
「貴方も神の慈悲に触れてみませんか?」
なんとも安っぽいキャッチコピーだったが好都合だ。電柱に貼り付けてある"それ"には神のすばらしさが謳ってあり、熱心に入信を勧めていた。
俺は神の代弁者だと名乗る宗教家に、神への不満をぶつけてやろうと決めた。そのあとはどうなってもいい。
たとえ怒鳴っている間に屈強な黒服の男たちが現れ、俺を東京湾に沈めようとしても構わない。俺の人生はもう終わってる。
なんなら宗教家を道ずれにして自殺してやろうか?それも悪くない。
チラシに書いてあった住所は見覚えがあった。そんなに遠くない。俺は神に向かって歩き出した。

90 :No.24 誰かの慈悲 2/5 ◇/73ORiYgDY:08/02/18 00:37:56 ID:BZcQtSMZ
着いてみるとそこはビックリするほど簡素なアパートだった。
郵便受けを見てみると二〇三号室のところに「神の会」と書いてある。どうやら間違いではないらしい。
堂々と、しかし内心は少しおどおどしながら、俺はドアをノックした。
「どうぞ」
落ち着いた男の声が返ってきた、声の質からしてそんなに年ではない。ドアには鍵がかかっていなかったので、俺はゆっくりとドアを開けた。
玄関に入ると、意外なことに品のいい初老の男が俺を迎えた。
「よくきましたね、こちらへどうぞ」
まるで古い友達を招くように男は俺を居間へと案内した。十畳ほどの和室にはちゃぶ台があり、その上にはお茶菓子が二人分ある。
「他に誰かいるんですか?」
尋ねると、男は自分ひとりだという。もしかしたら部屋を間違えたか?男は俺を座らせてお茶菓子を進めると、言った。
「何かお困りですね?」
「確かに困ってますけど…何でわかったんです?」
「困ってない人はこんな所きませんよ」
「失礼ですが…あなたは…?」
俺が聞くとその男は神の会の会長と名乗った。やはりここは「神の会」の本部で間違いないようだ。
「他の信者の方はどちらに?」
「それがですね、今は一人も信者がいないんですよ」
「ひ、一人も?」
「近頃はあまり宗教というのは人気がないのでね」
その宗教家はまるで信者がいないのをまったく気にしてないかのように笑いながら言う。
「だから貴方みたいな若い人が来てくれて嬉しいですよ」
「はぁ・・・」
開口一番怒鳴り散らしてやろうと息巻いていたのに拍子抜けだ。てっきり巧みな話術で信者を集めて金を巻き上げるような悪徳宗教家かと思っていたのに。

この際だからいろいろと探ってみることにした。もしかしたら猫をかぶってるだけで実はとんでもない極悪人なのかもしれない。
「あの…質問なんですが・・・なんで宗教を開こうと思ったんですか?」
「生きとし生けるものが幸せであるようにするためですよ。いわゆる神の慈悲です。」
呆れた。いったいどんな奇抜な返答が変えてくるのか期待したけど、なんの捻りもないじゃないか。

91 :No.24 誰かの慈悲 3/5 ◇/73ORiYgDY:08/02/18 00:38:07 ID:BZcQtSMZ
「いくらなんでもそれは流石に無理じゃないですか?世界中の人全員が幸せになれるはずがないですよ」
「そんなことはわかってます。ただ、私は私ができることを精一杯やってるだけです。
 六十間近の私にできることは限られてますけど、貴方の悩みを聞くぐらいならできます」
俺の悩みは聞いてもらうだけじゃ解決しないんだよ…。
この男に俺の身の上話をしても何の面白みもない。俺はこの宗教家がどれほど身を尽くして人を助けられるかためしてみることにした。
「実は母が思い病気なんですけど…父は早くに死んでしまっていて、俺は一人っ子なんだけどあんまり収入もないから入院費が足りなくて…」
我ながら陳腐な嘘だと思ったが、信者ゼロの哀れな宗教家を騙すのならこのぐらいで十分だろう。それにあんまり本気で騙すのも気が引ける。
「本当ですか!?それは大変だ。ちょっと待っててください」
男は扉の奥へ消えた。しばらく物音がして、戻ってきた男の手には分厚い封筒が握られている。おいおい…まじかよ。
男はそれを俺に押し付け、有無を言わせず外へ追い出した。
「早くお母様のとこへ行ってあげなさい」
その哀れな宗教家は俺にそう言い、扉を閉めた。
まさかこんなに簡単に騙せるとは…。
封筒はなかなかの重みがある、一応確認のために一枚抜いてみたが確かに本物だ。透かしも入っている。
あのフランチャイズ男も俺から金を受け取ったときはこんな感覚だったのだろうか?
いやいや、奴と俺は違う。いくらなんでもあの宗教家に悪い。俺にだってそのぐらいの良心はある。
騙されるほうが悪いといってしまえばそれまでだが、実際俺もついこの間騙されたばかり
それに信者が一人も集まらない上に金を騙し取られたなんて可哀想にもほどがある。
とりあえず金を返すことをしよう。…っと言ってもどうやって言って返そう?

迷っていると突然二〇三号室のドアが開いた。驚く俺を尻目に、男はやさしく微笑みながら立っている。
「どうぞ」
男は最初に俺がノックしたときと同じ調子で言った。
部屋に入ると男は俺の手から封筒を抜き取り、タンスにしまった。
「散歩でも行きますか」
と静かに言って、またドアを開けた。俺がぼうっとしていると男は
「何してるんですか?早く行きますよ」
とまたまた静かに言った。俺は慌ててそれに従った。
波乱の展開、というのにはあまりにも穏やかすぎて、インパクトのかけらもない。が予想外の展開。
男は何の説明もなしに歩いていく。しばらく歩いた後、俺は耐え切れなくなって口を開いた。

92 :No.24 誰かの慈悲 4/5 ◇/73ORiYgDY:08/02/18 00:38:20 ID:BZcQtSMZ
「あの…一つ聞きたいのですが…?」
「ちょっといいですか?」
俺が口を開くと同時に男は道端でうなだれていた女に話しかけた。俺のほうには見向きもしない。
女は不思議そうに男を見上げる。男は静かに語りかける。
「貴女が探しているバックは貴女が昨日訪れた公園の茂みの中にありますよ」
女は怪訝そうな顔をしたが、男が続けてバックの柄やブランド名を言い始めると、女の表情は変わった。
「バ、バックの中身は無事なんですか?」
「心配ありません、バックの中身は何一つ無くなってませんよ」
男がそういうと女は嬉々とした表情で男に礼を言い、走り去った。
男は小さく息を吐くとまた歩き出した。俺は呼び止める。
「ちょっと待ってください。いったい今のはなんです?」
男はようやく俺のほうを向き、言った。
「あの女性は友達から大切なものを預かっていたのですがそれが入った鞄を失くしてしまってね、だから私がその鞄の場所を教えてあげたんですよ」
「じゃああの女性はあなたの知り合いかなにかだったんですか?」
「いいえ、さっきはじめて会いました」
そんなはずは無い。初対面名なのに鞄をなくしたこと、ましてや鞄の場所なんてわかるはずが無い。それを男に問うと
「私にはわかるのですよ。私は神だから」
と遠くを見ながら言った。

やはり宗教家にまともな奴はいないようだ。長い間一人でいたせいで妄想が膨らんだのだろうか?
俺が冷たい目で見るていると、哀れな宗教家は「いまから証明してみましょう」と俺を町の中心にある駅にへと誘った。
「まず、五分後にこの駅の3番ホームで痴漢がつかまります」
俺は少しも信じなかったが、惰性で俺は哀れな宗教家についてホームに上がった。
すると驚くことに、男の言った時間ぴったりにいかにも幸の薄そうな男が鉄道警備員に取り押さえられた。
呆気にとられている俺にその宗教家は言った。
「あと一分ほどしたら携帯に貴方の母親から電話がかかってきます。心配しなくても貴方が抱えてる借金の話ではありませんよ」
男の言ったとおりの時間に母から電話がかかってきた。たまには実家に顔を出してほしいとの事だ。電話を持つ手が震える。
「最後にあの向かいのホームにいる白髪の男性。いまから電車に飛び込みます」
このとき、今まで一本調子だった男の声がかすかに震えていたような気がしたが、それに気をとめる間もなく悲鳴が響いた。
俺はわけがわからなくなった。なぜこの男はこんなにも簡単に未来を言い当ててしまうのか。何かのトリックにも思えない。―― ―― もしかして本当に神なのか?

93 :No.24 誰かの慈悲 5/5 ◇/73ORiYgDY:08/02/18 00:38:35 ID:BZcQtSMZ
「ようやくわかっていただけましたか?」
男は俺の目を見据えていった。その目は澄んでいて今にも引き込まれてしまいそうで、俺はこの宗教家が本当に神であるとようやく理解した。
「あなたが神だというのはわかりました。でも一つだけ聞きたい事があります」
「私が神である事を証明するためだけにあの男をホームに飛び込ませたのか?ということですね?」
不思議と心を読まれた事に驚きはしなかった。神は続ける。
「世の中の人は誤解しがちですが、神には人を操る力などありません。神にできるのは『全てを知ること』ただそれだけです。
 他は人間と変わりありません。私ももともとは普通の人間でした。それがたまたま前任の神に選ばれて力を受け継いだだけのことです。
 私は世の中で起こるすべてのことを知っていますし、何が起こるかも予測できます。しかしそれらを動かすためには一人間として直接接触しなければなりません。
 何をどうすればその人が救われるかもわかります、その人がどうしても救われないこともわかります」
じゃあ何のために神は存在するのか?そう疑問に思うと、神は答えた。
「生きとし生けるものが幸せであるようにするためですよ。いわゆる神の慈悲です」
いくら全てを知ってても一人じゃ限界があると思うと、神は一人きりじゃないと言った。日本にも何人か他にいるらしい。

神は少し間をあけて言った。
「もう一度言いますが私は基本的に他の人間と変わりありません、ただ少し物知りなだけです。それを除けばただの老人です。
 その程度の神にできることが普通の人間にできないはずがありませんよね?」
「え?」
「貴方にも楽をあたえること、苦を抜くことをできる。いわゆる貴方の慈悲です」
そんな大層な事俺ができるはずが無いと言うと、神は微笑みながら言った。
「大丈夫ですよ。私が誰だか忘れたのですか?私には貴方が貴方の慈悲によって人を救うことができるのを知っています」
「貴方は一度自分の人生をあきらめました。そういう人にしか救えない人も結構いるんですよ」

じゃ、頑張って下さいね。と言って神は人ごみの中に消えていき、俺は一人騒々しいプラットホームに取り残された。

「俺の慈悲…」
一度捨てた人生、人のために使うのも悪くない。何より神は俺に太鼓判を押した。俺には人を救う力があると。
「やってみるか」
俺は小さく呟き、歩き出す。

駅を離れるとうつむきながら歩く少年を見つけた。手始めに俺はこの子に声をかけてみようと決めた。     完



BACK−風の行き先◆Kq/hroLWiA  |  INDEXへ  |  NEXT−無慈悲な聖母に抱かれ◆/7C0zzoEsE