【 風の行き先 】
◆Kq/hroLWiA




84 :No.23 風の行き先 1/5 ◇Kq/hroLWiA:08/02/18 00:35:32 ID:BZcQtSMZ
 ある山小屋に、三人の男女が住んでいた。
 がっしりとした体格で、年は四十前後といった感じの男、志村幸助。
 対して、ほっそりとした体型で小柄な、まだ少し幼さが残る顔立ちの女性、桜丘雛乃。
 そして、小柄な雛乃より、さらに一まわりほど小さな男の子、武田光一。
 彼らは、昼ごはんを食べ終えた後、それぞれ思い思いの時間を過ごしていた。
 幸助は陽光の射し込む窓際で横になり、古新聞を眺めていた。光一はテーブルで絵を描いて遊び、雛乃はその
隣に座り、竹で籠を編んでいる。
 小屋の中は静かで、三人の僅かな息遣いと、外からたまに聞こえてくる動物の鳴き声しか聞こえなかった。
 のどかな午後がそんな感じで一時間ほど過ぎた頃、絵描きに飽きたのか、光一がごろんと寝転び、雛乃の膝の
上に頭を乗せた。仰向けになって雛乃の顔を見上げる光一に、雛乃は優しく言葉をかける。
「どうしたの?」
「ねぇ、お話してよ。SOSウサギの話」
「また? この前もしたでしょ」
「いいじゃん。何回も聞きたいの」
 雛乃は「仕方ないなぁ」と呟くと、編み掛けの籠をわきに置いて、光一の頭を軽く撫でた。さらさらとした
感触が雛乃の指先に伝わる。
 自作のおとぎ話を、雛乃は語り始めた。
「むかしむかし、あるところに脚の遅いウサギさんがいました――」

「それじゃ、遊んでくるね」
 光一はそう言うと、小屋を飛び出していった。
 見送った雛乃が、小屋の壁に掛けられている当てにならない柱時計を見てみると、時刻は一応午後三時を示して
いた。ここ数週間前から、光一は毎日決まった時間に、外に遊びに行くようになっていた。幸助達は、光一が
どこに遊びに行っているのかは知らないでいる。
 いつものように、小屋の中は幸助と雛乃の二人だけになった。
「あの、幸助さん」
 窓際で、向日葵のように日の光を追いかけながら古新聞を読んでいた幸助に、雛乃はおずおずと声をかけた。
「いつまで、この生活は続くのでしょうか……」
 幸助は、古新聞の記事から目線を上げ、雛乃を見た。
「いつまで、と言うと……?」

85 :No.23 風の行き先 2/5 ◇Kq/hroLWiA:08/02/18 00:35:43 ID:BZcQtSMZ
「その、いつまでも、こんな生活を続けるわけにはいかないと思うんです。大戦で人間はほとんど死んでしまった
けど、それでも生きている人は居ると思うんです」
 幸助が新聞を折りたたみ、真剣な表情で雛乃と向き合った。
「生き残りを、探そうと?」
「……はい。出来れば、そうした方が、今後のために良いと思うんです」
 雛乃の口調は、今にも消え入りそうだった。
「僕は……賛成はできないな。この生活が始まってそろそろ半年が経つけど、依然、人はおろか、ヘリや飛行機の
気配も全くない。それに、大戦で、どこがどれくらい放射能汚染されたか分からないから、不用意に移動するのは
危険だと思う。僕らは、核の知識に関しては素人だからね。
 そして何より……こういう言い方をすると、言い訳じみている気がしないでもないけど……」
 幸助は、自分の脚を見た。手で太ももを擦り、言う。
「僕は、戦争で脚を怪我したせいで、歩くことが出来ない」
 幸助の脚のことは、もちろん雛乃は知っていた。知った上で、こう考えたことがある。
 幸助を残して、私と光一君とで生存者を探す旅に出るのは駄目か。
 だが、その考えはすぐに否定された。ハンディを持った人間を見捨てるような真似は、やはりすべきではない。
分かってはいる。が、この変化のない生活が、苦痛と感じなかったはずがなかった。
 だからもし、もしも、幸助が了承してくれれば、この状況を変えられると思って、雛乃はこの話をしたのだ。
けれど、答えは雛乃の望むものではなかった。
「僕は、それよりも考えることがあると思う。少し話が大きくなってしまうけど、人類の今後についてだ。
 もし本当に僕達が人類最後の生き残りだった場合、僕達は種として子孫を残していかなければならないと思う。
ここに居る三人で、子供を産めるのは、女である雛乃ちゃんだけだ」
 雛乃は一瞬表情を強張らせた。そして、僅かに脅えるような素振りを見せる。
 幸助は、自分が雛乃を恐がらせてしまったことに気づき、取り繕うようにして言った。
「あ、安心していいよ。僕は女の人には興味がないから」
「その発言は、別な意味で安心できません……」
「あ、えっと。そうか。正確には、普通の女性には興味がない、だな。どういう意味かというと、僕は、愛する
女性は一人と決めているんだ。戦争で亡くなった、僕の元奥さん。彼女以外の女性に、僕は惹かれるわけには
いかないんだ」
 今は亡き最愛の人の姿を心に浮かべ、確たる自信と共に告げた幸助の言葉には、信頼に足る力が籠っていた。
 雛乃は僅かに安堵の息を吐くと、しかし、すぐに浮かない顔をして俯いてしまった。

86 :No.23 風の行き先 3/5 ◇Kq/hroLWiA:08/02/18 00:35:55 ID:BZcQtSMZ
「どうしたの?」
「あの……えっと……。昔、私は妊娠したことがあるんです。私が妊娠している時に、父親は戦場で死に
ました。私は、亡くなったその人のためにも、子供を産むことを決意したんですけど……。後になって、その人が、
私以外にも五人の女性と関係を持っていたことが分かって。しかも、五人とも全員妊娠していたんです」
「そ、それは……」
「ショックでした。裏切られた気分でした。そして、気持ちが落ち込んでいた時に、さらに悲劇が起こって……。
子供を、流産したんです」
 幸助は言葉をなくしてしまった。今まで一緒に暮らしていた彼女が、まさかそんな暗い過去を持っていたなんて、
想像もしていなかったのだ。
「それ以来、私は男性のことが信じられなくて。あ、幸助さんは、いい人だというのは分かっているんですけど。
けど、その、親密な関係にはなれなくて。それに、妊娠も、流産のことを思い出すと、恐くて……」
 雛乃の視線は、ずっと自身の手元に注がれていた。
 垂れ落ちた彼女の前髪が、幸助の視界から雛乃の瞳を隠す。
「そうか……。その、無理を言ったみたいだね。ごめん」
 二人は沈黙し、重苦しい空気が、小屋の中に漂った。山奥の静けさが、今の二人には苦痛で仕方なかった。
 二人が、どうやってこの淀んだ雰囲気を取り除こうかと考えあぐねていたその時だった。
 唐突に、小屋の扉が開かれた。そこに立っていたのは、顔や服を黒く汚した光一だった。小屋の中の二人とは
違い、光一の顔は、晴れやかな笑みで溢れていた。
「ひな姉! コウスケ! 来て!」
 渡りに船を得たと感じた雛乃は、すぐに立ち上がり、入り口へと向かった。
「どうしたの、光一君?」
「とにかく来て。ほら、コウスケも!」
 雛乃の体越しに、奥に座る幸助を呼びつける光一。しかし、幸助は困ったような表情を浮かべ、自分の脚を見た。
「これがあれば、大丈夫でしょ?」
 幸助の主張を先読みしていたのか、光一が取り出したのは、一台の車椅子だった。
 雛乃と幸助は、同時に驚きの表情を浮かべ、幸助が尋ねた。
「ど、どこから持ってきたんだ?」
「下の街からだよ。大変だったんだよ」
「街って。お前、体は大丈夫なのか?」
「体? よく分からないけど、とにかく早く来てよ! 見せたいものがあるんだ!」

87 :No.23 風の行き先 4/5 ◇Kq/hroLWiA:08/02/18 00:36:59 ID:BZcQtSMZ
 
 光一が先頭を早足で進み、その後ろを、雛乃が幸助の乗った車椅子を押して着いてきている。道は舗装されて
おらず、砂利だらけの悪路に雛乃は悪戦苦闘していた。
 十分以上、緩やかな傾斜の山道を進んで、ようやく三人は目的地に到着した。
 そこは、それまでの雑木林が姿を消して、一面野原となっていた。野原は丁度山の斜面にあり、向こう側に
向かって、ゆるやかに傾いていた。広さは野球のグラウンドくらいはありそうだ。
 そこからは、山の麓の景色がよく見えた。そこにあったのは、今や瓦礫と化した広大な街の跡だった。
 およそ半年ぶりに見た景色に、幸助と雛乃は懐古の念を抱くかと思いきや、それ以上に彼らの注意をひきつける
モノが、そこにはあった。
 目の前に広がる草原に、場違いな何かが大量に並んでいた。その何かとは、木片や石など自然のものもあれば、
ビニール傘やサッカーボールなど、人工の物まで多種多様だった。それらが、皆地面に並べられ、何かを描いていた。
 雛乃は、車椅子を押して、地面に描かれたものが何かを知るため、見やすい位置に移動した。
「これは……」
 描かれた文字を見て、幸助は小さく呟いた。雛乃は驚きで目を大きく開け、思わず息を呑んだ。
 野原に書かれていたのは、「SOS」の三文字だった。
「二人をおどろかそうと思って、内緒で作ってたんだ。大変だったんだよ、完成させるの。けど、これで、
ヘリコプターが空を通ったら、きっと気づいてくれるよね!」
 そう言って、光一は満面の笑みを浮かべてから誇らしげに胸を反らし、鼻の下を人差し指で掻いた。指に付いて
いた土が鼻の下に付き、まるで髭が生えたかのように黒く汚れてしまった。
「あ、ウサギだ!」
 光一の視線の先、野原の隅っこに一羽の野うさぎが居た。ウサギを捕まえるつもりなのだろうか、光一はウサギ
の居る方へと駆けて行ってしまい、後には雛乃と幸助だけが残される。
「凄いですね、光一君。まだあんなに小さいのに……。この半年間、私達がただ無為に時間を費やしていた間に、
光一君は、こんなことを……」
 幸助の背後から、小さな溜息が聞こえた。
「私、嘘ついてました」
「嘘?」
「さっき、幸助さんにした哀しい話は、実は全部作り話でした。私、妊娠したことなんてありません。実は私、
処女なんです」
「…………」

88 :No.23 風の行き先 5/5 ◇Kq/hroLWiA:08/02/18 00:37:17 ID:BZcQtSMZ
「私は、昔から男性に対して苦手意識が強くて、それで、幸助さんの提案が恐くて、逃れるために慌ててあんな話
を作ったんです」
「いきなりにしては、随分と凝った内容だったね」
「私、小説が好きで、よく色んな話を想像してるんですよ。光一君に話してるお話も、ほとんど私の自作ですし。
 ごめんなさい、情に訴えるような嘘話をして。光一君の頑張る姿を見て、自分の小ささが恥かしくなりました。
幸助さんの提案、真剣に考えてみようと――」
「僕も、ずっと嘘をついていた」
 雛乃の言葉を遮るように、幸助が言った。そして、おもむろに肘掛に置いた手に力を籠め、立ち上がった。
脚は多少ふらふらしているが、幸助は確かに自分の足で立っていた。
 幸助はゆっくりと振り返り、雛乃と向き合った。
「僕は、実は立てるんだ。杖があれば、歩くことも出来る。ごめん、ずっと騙してて」
「なんで……」
「戦場で脚を怪我して、僕は山奥の病院に運ばれた。そこは、それまで居た戦場とは全く別の世界だった。ほんの
ちょっとの変化が、死に直結していた戦場とは違い、病院では毎日決まった時間にご飯が出て、治療をして、
お風呂に入って、寝てと、全く変化のない、安心できる世界だった。
 戦場から離れたことで、初めて死の恐怖を知ったよ。
 それ以来、僕は変化を恐れるようになった。常に現状を維持することに気を回し、下手な変化は避けるように
なっていた。
 僕の脚が動くと知っていれば、今日の君が提案したように、旅をすることになると思ったから、ずっと嘘を
ついていたんだ。本当に、ごめん」
 幸助は首だけを振り返り、ウサギを追いかけて野原を駆け回る光一の姿を見た。
「僕も、光一の姿を見て自分が恥かしくなったよ。一番年上なのに、自分の我侭のために、屁理屈こねて、挙句
最低な嘘までついて。弱いな、僕は」
「弱いのは皆同じですよ。私も、弱い人間です」
「……探そうか、生き残った人達を」
 一陣の風が野原を走り、重たい空気を遥か空まで持ち去っていった。

おわり



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