【 慈悲の性女 】
◆0CH8r0HG.A




75 :No.21 慈悲の性女 1/4 ◇0CH8r0HG.A:08/02/18 00:32:45 ID:BZcQtSMZ
 「ああ……もう、駄目だ」
 彼は膝をつき、突き立てた剣に身を委ねていた。
 腹と足から血が流れている。明らかに致命傷だった。多分もう長くはないだろう。
 ここは戦場だ。珍しい光景でもない。少し行けば、味方が未だ戦闘を続けているのだろう。時折、
剣戟と轟音が響いてくる。
 もう、その目は焦点を結んでいなかった。意識もどれ程残っていたのだろうか。
 しかし、彼は薄れ行く思考の中で懸命に恐怖と戦っていたのだ。
 死そのものの恐怖とではない。戦場で死ぬのは、彼にとってこの上ない名誉だったのだから。彼
が怖かったのは死ぬ瞬間にたった一人であるということだった。
 彼の愛する妻は、祖国で娘と二人彼の帰りを待っていることだろう。
「死にたくない! こんな所で独り寂しく死ぬなんて……俺は!」
 恐れに対し、必死で意識を繋ぎ止める。柄を触る手は震え、立つ力は既に沸いて来ない。
 しかし、彼は懸命に手を伸ばした。そこにいない彼の妻と娘に。
「大丈夫です」
 不意に彼の手をそっと握る者が現れる。その声は優しく、彼の耳に滑り込んだ。
「あ、貴方は……?」
 壊れかけた眼を凝らし、その姿を捉えようとする。
 しかし、彼女はそんな彼を制し、優しく瞼を閉じさせた。
「恐れなくてもいいのですよ? 貴方は一人ではないのです。天に召されるその瞬間まで、私は貴方
と共にあります」
 そう言って、彼の手に何かを握らせる。それはとても優しく、温かいぬくもり。
「ああ、聖女さま……」
 その頬を涙が伝った。自分はこの優しい方の腕の中で逝けるのだ……と。
 数秒後、彼はその生を終えた。
 満足そうに微笑む彼の手には、女物のパンツが握られていた。

76 :No.21 慈悲の性女 2/4 ◇0CH8r0HG.A:08/02/18 00:33:01 ID:BZcQtSMZ
 昔、とある国家間で戦争が起こった。
 その二つの国はともに、誇り高い戦士達の国だった。
 規模としては大したことはなかったものの、死者は日に百人を越えることもあり、少しづつそれぞ
れの国力を削っていった。
 また、国の大きさが拮抗していたことが戦争の長期化を招き、傷跡は増えていくばかり。
 戦士としての誇りが、戦闘を泥沼化させ決着を遠ざけていく。
 民の心はどんどん荒んでいったのだ。
 そんなある時、突如として戦場に奇妙な噂が流れ始める。
「なぁ、お前聞いたか? この前の戦場にも出たらしいぞ?」
「あん? 出たって何がだよ?」
「聖女だよ、聖女」
「聖女って……あの?」
「ああ。噂どおり、死にそうな奴らの前に現れて、配っていったらしい……パンツを」
「単なる変態じゃねぇか」
 国を問わず、戦場に倒れる兵士の前に、慈愛に満ちた表情で現れる一人の女性。
 最早、目も霞み寂しく一人死にゆかんとする兵士の手を優しく握り、微笑みかける。
 時に抱きしめ、時に子守唄を歌うその姿は、いつしか『慈悲の聖女』と呼ばれ荒んだ人々の心に微
かな希望を抱かせた。
 ……のは最初だけ。
 というのも、彼女は希望の象徴とされるには、重大な問題を抱えていたのである。
「死にそうな男の手にパンツを握らせるって、一体何を考えてるんだ?」
「そんなもん、知るかよ。この間、死んだ中隊長は、パンツを頭に被せられてたらしい。どう考えて
も嫌がらせじゃないのかな」
「頭に? いよいよ分からんな。敵国の新手の心理戦略か?」

77 :No.21 慈悲の性女 3/4 ◇0CH8r0HG.A:08/02/18 00:33:22 ID:BZcQtSMZ
 常軌を逸した聖女の噂は、瞬く間に国中に広がっていった。
 当時、両国において戦場で誇り高く散っていくのは、とても名誉なこととされていた。
 家族と国を守って死ぬ、勇者に相応しい死に様である……と。
 しかし、彼女の行動は明らかにその名誉を否定していたのである。
「おいっ、ぐぐ。敵国のぶぶ……アーカム将軍が名誉の戦死を……くく、なされたらしい……ぶはあ
っはははっはは!」
「笑ってるってことは、『また』か?」
「あ、ああ。くひひ、はぁアーカム将軍は、くく局部を晒して、ぶっ! か、顔に深々とパンツを被
せられてたらしい……くく」
「哀れなことだ……。敵ながら、尊敬できる方であったがな」
 死者の姿は、その地位が上がれば上がるほど、より無様に滑稽に飾られていった。
 しかし、不思議なことに国民の間に聖女に対する憎しみは沸かなかった。
 というのも、聖女と出会った死者たちは、皆一様に驚くほど安らかな、安堵した表情を浮かべてい
たのである。
「息子はとても満足そうでした、本当に。ううっ……親として、面目が立って嬉しゅうございます」
「え、ええ。彼は、えーと、とても勇敢な最後をとげました。うん」
 あまりにも幸せそうな死に顔に、遺族は聖女に対して憎しみを持てなかったのだ。
 そのうち、少しずつ戦場に変化が現れ始める。
「はぁ、死にたくないなぁ。名誉の戦死ってそんなに良いもんかなぁ?」
「そうだなぁ。誇りなんて持っていたところで、美味いものが食えるわけでもないしなぁ」
「そうそう。生きて帰って、早く女房の作る美味い飯を食いたいなぁ。戦争、終わらないかなぁ」
「死んじまったら、聖女様に何をされるか分からないしな」
「はっはっは。ちげぇねぇ」

78 :No.21 慈悲の性女 4/4 ◇0CH8r0HG.A:08/02/18 00:33:37 ID:BZcQtSMZ
 最初は単なる笑い話だった。
 死んだら、聖女様に恥をかかされる。だから死にたくない。
 戦場でそう口にするうち、勇敢な兵士達の心に少しずつ『死にたくない』という言葉が染み込んで
いった。
 兵士達に、次第に命を惜しむ気持ちが生まれていったのである。
 そんな死に対する恐れは、本来なら人が誰でも持っているものだ。それを、死を名誉であると信じ
ることで、必死に押さえ込んできたのである。
 しかし、聖女はその名誉を失うきっかけを作ってしまったのだ。
 両国内で、次第に和平を望む声が聞かれ始めた。

「なぁ、最近聖女様の噂を聞かないと思わないか?」
「あ、ああ。一体どうしたんだろう? もしかして死んじまったのか?」
 彼らが死の恐怖を思い出した頃、聖女は消えてしまったかのように姿を現さなくなった。
 戦場には、孤独を感じながら死んでいく者たちが増え、その死に顔からは悲しみと未練が溢れるよ
うになった。
 彼らの死への恐怖は次第にピークに達していった。
 
 それからすぐに、両国は戦争の終結を決意した。お互いに手を取り合い、生きていく道を選んだの
だ。
 彼らは自らの国を統一し、一つとなった。
 長い戦争が終わり、やっと平和が戻ったのである。
 その記念式典で初めて、新しい国のシンボルである国旗が披露された。
 その旗には、両国の平和の象徴である、女物のパンツが描かれていたという。

 おわり



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