【 にたものどうし 】
◆tGCLvTU/yA




70 :No.20 にたものどうし1/5 ◇tGCLvTU/yA:08/02/18 00:30:58 ID:BZcQtSMZ
 雨が降っていたから、と彼女は言った。
 いや、確かに俺から誘ったし、向こうも初めからそんなに乗り気じゃないのは目に見えてわかっていた。だけど、直前の時間になってそんなわがまま
な理由で俺の一世一代の大勝負をふいにするとは一体どういう了見だ。
「つまらん」
 デートをすっぽかされ、昼にラーメンを食べるためだけに出かけた帰り道に一人呟く。財布のなかで無駄になった諭吉たちが泣いている。俺も泣きたい。
 恐らくやたらと降っている今日の雨は、俺かもしくは悲しみに暮れる誰かの涙で出来ているに違いない。
 なんて、鬱陶しい雨にもドラマを持たせなきゃやってられないくらい、俺の心は荒んでいた。周りから見たら能天気な男にしか見えないだろうが。
「このまま降るといい。すべての涙を出し尽くせ……俺の分も頼む」
 などとわけのわからん独り言を空に向かって呟き、ため息をつく。能天気な男から変な男くらいには格が上がったかな。閑静な住宅街だし、聞いてる
人間は皆無だろうけど。
「帰ったら即寝てやる、寝て過ごしてやる」
 いくら週末の一大イベントは終末したとはいえ、時間は待ってくれない。せっかくの休日を有効活用する方法は、時間を気にせずゆっくり寝る。これだ。
 それに、今日は朝早くから起きていろいろ準備していたので休日にしては非常に睡眠時間が短い。というかほとんど寝てない。
 ああ、そうだ。もう寝ろってことなんだ。今週も疲れただろう、ゆっくり休んでいいんだよっていう神様のお告げなんだ。この雨もきっと、全国の農家
さんが感謝する恵みの雨に違いないんだ。祈りを捧げよう。
「アーメン。雨だけに――」
「――もう! さっきから寒いし冷たいわね、何なのよこれっ!」
 随分と威勢のいい怒鳴り声が聞こえた。タイミングがよすぎて、俺のアーメンが寒いし冷たいのかと思って辺りを見回したが、おかしなことに俺以外に
人影が見当たらない。幽霊が出るには季節も時間も何もかも早すぎるし、透明人間だったらこんなつまらないところよりも、銭湯とかにいるはずだ。
 人がいるとしたら、ちょうど今通りかかろうとした空き地くらいしかないのだが、ダンボールがど真ん中に放置されてることくらいしか不審な点は見当
たらない。なかなか大きなダンボールだし、子供くらいなもしかしたら入れるかもしれないとは思うが。
「まさか、捨て子……とかではないよな」
 赤ちゃんポスト、なんてわけのわからんものが出来る時代だ。もう何が起きたっておかしくはない。さすがにこんな空き地に捨てるなんてバカな親はいて
欲しくはないけど。何度見回してもやっぱり人はいないし、あのダンボールが見れば見るほど怪しい。
「確認だけしてみるか……」
 空き地に一歩足を踏み入れる。ぬちゃ、という感触がとても気持ち悪い。相当ぬかるんでるな、よく見ると水たまりだらけだし。
 まるで目の前に爆弾でもあるかのような慎重さで一歩ずつダンボールに近づいていく。
「捨て子じゃありませんように、捨て子じゃありませんように……」
 さっきまでのダジャレを交えた軽い祈りなんかとは違って、今回ばかりはちょっとだけ神に祈るような気持ちだった。これで何にもなかったら、さっきの
声は空耳ということにして即帰ろう。そして寝よう。

71 :No.20 にたものどうし 2/5 ◇tGCLvTU/yA:08/02/18 00:31:17 ID:BZcQtSMZ
 ぬかるんだ地面の気持ち悪さと戦いつつも、ようやくあと一歩乗り出せばダンボールの中を見れる位置までやってきた。
 なんだか知らないけど勇気が入った。ドタキャン女を誘う時よりもずっと。ああ、もう、なんでいつもと違った帰り道なんかにしたんだ。
 深呼吸を繰り返す。よし、準備オーケー。もう勢いで行ってやる。
「いくぞ、せーのっ!」
 目をかっと見開いて、ダンボールを覗き込む。その中には――
「……猫?」
 猫がいた。目が合うと少し不機嫌そうに顔を歪めてくる。
 いたって普通の猫だった。つまるところ、捨て子ではなく捨て猫だった。よくよく考えればわかることだ。いくら謎の怒鳴り声の直後とはいえ、捨て子が
いるとは何もかもが短絡的すぎる。大体、赤ちゃんは言葉を喋れない。あの怒鳴り声も、傷ついた俺の心が作り出した幻聴に違いない。
「ま、そりゃそうだよな……」
 別に猫なら捨てられていても構わないってわけじゃないが、子供じゃなくて良かったとは思う。
 それにしても。さっきからこの猫、俺から目線を外そうとしない。一目ぼれ、か。まあ仕方のないことだ。良いものは良い。猫にもわかってしまうのか。
「よお、お前も一人か」
 しゃがみこんで、猫に話かける。
 答えが返ってこないのはわかりきってるが、せっかくの縁だ。独り者同士仲良くしようかと、猫の頭に手を伸ばすと、
「気安く触らないでよ、気持ち悪い」
 そんな嫌悪の塊みたいな言葉と共に、俺の右手を払いのけつつひっかいた。
「……あれ?」
 痛みと驚き同時にやってくる。なんだこれ、猫に話かけたらちゃんとした答えが返ってきた。それも心にぐさっと突き刺さるような。
「なによ」
 随分と不機嫌そうに俺を睨みつける。いや、にしても随分と流暢な日本語だ。声だって不機嫌なことを除けば淀みがないし、よく通りそうだ。
 そして何より、さっきの怒鳴り声と全く同じ声。なるほど、さっきの幻聴の犯人はこいつか。流石に喋る猫とは俺も予想だにしなかった。
「いや、文句というよりもなんだかすっきりとした気分だ」
 俺の返事に猫は少しばかり面をくらったように見えた。けどそれも一瞬のことですぐに不機嫌そうな表情へと戻ると、
「そう、なら消えて。すぐにでもね」
 はっきりと拒絶の意志を示して、ぷいっとそっぽを向く。おかしいな、さっきの目線は一目ぼれじゃなかったのか。話し方からして多分女の子だろうか、
つくづく今日は女運がない。しかし二連敗はちょっと辛いので、もう少し粘ってやる。
「まあまあ、そう言うなよ。お互い独りだし、もう少し話でもしよう」
 独り、の部分に猫の耳の辺りがピクっと反応した。やっぱり喋れるだけあって普通の猫よりも頭がいいんだろう。自分の状況も理解してるのか。
 それでも猫は俺のことを頑なに無視したいらしく、こちらを向こうともしなかった。

72 :No.20 にたものどうし 3/5 ◇tGCLvTU/yA:08/02/18 00:31:36 ID:BZcQtSMZ
 さしている傘に、ポツポツと雨の粒が当たる。そんな音だけの時間が一分か、十分、百分くらいだったか。長かったかもしれないし、短かったかもしれない。
いなくなったか、と確認するために猫が一瞬こちらを向いては、すぐそっぽを向く。そんな攻防を五回ほど繰り返した辺りで猫はようやく観念した。
「……ねえ、驚かないの?」
 まだこちらを振り向くつもりはないらしいが俺と話をする気にはなったらしく、心底不思議だ、というような声色で猫が尋ねてくる。
「なにが?」
「私が普通に喋ること」
 うーん、と頭をかく。確かに人語を喋る猫なんて、驚かない方がおかしい。事実、こいつは俺が驚かないことにとても驚いている。今まで相当奇異の目
で見られてきたんだろう。俺の場合、驚きよりも捨て子じゃなくて良かったという安堵の方が先に来ているのかもしれない。
「そうだな……俺のようないい男との約束をフイにする女がいるんだ。喋る猫がいたって何も不思議なことはないだろう」
 大体こいつもこいつだ。あまりにも人間らしく喋るものだから、あんまり抵抗なく喋るということを受け入れてしまったではないか。
「アンタみたいなわけのわかんない男、誰だってフイにしたくなるわよ」
 容赦も何もあったもんじゃないが、それでもさっきよりは刺々しさが消えた言葉に、俺も自然と頬が緩む。
「まあ、驚いたというよりも、すげえなあとは思うけどな。それ」
「……そんなにすごくもないし、いいものでもないわよ」
 刺々しさがやや復活して、不機嫌そうに猫が言う。確かに本人からしてみればそうなるのかもしれない。俺がもし猫語を話せる人間だったとしたら、周り
からどんな風に見られるんだろう。こいつに対する俺みたいに、率直にすごいと思える人間ばかりか、それとも――
「あんたさ」
 思考を中断して、猫の言葉に耳を傾ける。
「私をここに置いてった人、見なかった?」
「いや、見てないな」
 もしかして、飼い主のことを待ってるんだろうか。箱もまだそんなにくたびれてないので、ここに置かれてからそんなに日はたってないと思うが。
一日か、二日か多分そんなところだろうと思う。
「そう、残念ね」
 雨が一層強くなった。降りすぎだ。あのドタキャン女、直前に天気予報でも見たのか。
「もしここに来たら、殺してやろうかと思ったのに」
 楽しそうに猫が笑う。そっぽを向いたままなので、表情までは確認できないが、心底楽しそうな声音だった。
「殺してやるとは穏やかじゃないな」
「本気だけどね。あなたよりもずっと小さかったような気がするし、本気でやれば多分殺せると思うの」
なるほど、確かに良いもんじゃない。頭がいいってのはそういうことも理解できてしまうのか。利口すぎるのも考えものだ。

73 :No.20 にたものどうし 4/5 ◇tGCLvTU/yA:08/02/18 00:31:50 ID:BZcQtSMZ
「それにしても、さっきから本当に何なのかしらこれ。冷たいし、寒いし。もう最低ね」
 何段階かいきなり会話が飛んだので、頭が一瞬追いつかなかった。雨のことを言ってるんだろう。そうか、飼い猫とかだったら雨を知らなかったりする
のか。まあ生まれた時から家にいれば知らなくてもおかしくはないか。
「雨のことか?」
「アメ? なにそれ」
 やっぱり知らなかった。頭が良いのかと思えばこんな風に世間知らずなところもあったりと、ころころ印象が変わる。
「雨っていうのはな、誰かが悲しい思いをすると降ってくるものなんだ。だから冷たいし、寒い。お前は心当たりないか?」
「……別に」
 動揺をまるきり隠せずに、声が震えてるところを見るとそうは思えなかったけど、それ以上別に追求するつもりもなかった。殺してやるなんて言ってる
くらいだし、飼い主に裏切られて悲しい気持ちよりも、恨んできる気持ちの方が確かに強そうだ。
「アメ、さっきよりも増えてきてるわね」
 降りが強くなってきた、と言いたいんだろう。頷いて、そうだな。と俺は答えた。
「誰かが悲しい気持ちになってるってことなのかしら」
 自分で言っといてなんだけど、誰かに口にされるとすごく恥ずかしくなってくる。なんでこんなこと言っちゃったんだろう。もしかしたら俺の言葉通り
なら今の自分の後悔の念が雨を強くしてるのかと少し苦笑した。
 妙な間が出来た。俺がどう話しかけようかまごついていると、猫がため息をついて口を開く。
「もういい加減帰ったら? アメも増えてきたし、こんな冷たいもの体に浴びてたら体に悪いと思うけど」
 確かに、体に良いものではないだろう。お互いに。俺は頷いて立ち上がる。
「そうだな、帰るか。一緒に」
 傘を左から右手に持ち替えて、左手を猫に伸ばす。一緒に、の部分に猫は久しぶりにとても怪訝そうな顔をして、こちらに振り向いた。
「なによ、これ」
 俺の左手をじぃっと見ながら、今までで一番機嫌が悪そうに言う。
「いや、こういうのって利き手の方がいいかなと思って」
「そういうことじゃないでしょ」
 機嫌が悪いを通り越して、もはや猫は呆れ気味だ。まったく、人がせっかくエスコートしてやろうっていうのにその態度は酷いんじゃないのか。
「お前が言ったんだろ。ここにいたら体に悪いって。俺は優しいからな、お前が雨のせいで体を悪くしたらと思うと夜も眠れないんだよ」
 理路整然とした説明をすると、猫は俺のやさしさに感動したのかとても珍しいものを見るような目で俺を見た。
 よし、チャンスは今しかない。猫を掴もうと左手をもっと伸ばす。
「だから、触らないでって言ってるでしょ!」
 さっきの右手のように払いのけられるついでにひっかかれる。だけどそんなこと気にしない。もう手だけじゃなく左腕を全部使ってがっしと猫を抱える。

74 :No.20 にたものどうし 5/5 ◇tGCLvTU/yA:08/02/18 00:32:06 ID:BZcQtSMZ
「ちょっと、離してよ!」
「バカめ、掴んだらもう俺の家まで離すもんか……って痛っ! 噛むなよバカ!」
 人がいなくてよかった。こんなの誰かが聞いてたら絶対俺は誘拐犯か何かと間違えられる。ていうか暴れすぎだこいつ。
「っさいわね、じゃあさっさと離しなさいよ。私のこと可哀想とか思ってるんでしょ? そういうのすごく迷惑なの」
 正直思ってる。まあ、連れてこうと思う理由に可哀想だからって気持ちがあるのは本当だし、こいつは本当に前の飼い主を殺しかねないからほっとけない
ってのもある。だけど、
「ばかやろう、こんないい男なのに直前でデートをすっぽかされる俺の方が可哀想だ。俺のことを哀れだと思うなら、大人しく拾われてやれ」
 俺の方がずっと可哀想だ。右手はひっかかれるわ、左手は噛まれて歯型がついてるわでもう散々だし、デートの約束はすっぽかされる。とにかくもう、踏ん
だり蹴ったりだって言うんだ。程度はともかく捨てられたのは俺も同じだ。俺と同じ境遇のやつを可哀想だと思って何が悪い。助けてやりたくなって何が悪い。
「……私が、拾われてやる?」
 さっきまで大暴れしていたくせに、その一言で動きがピタリと止まる。あ、こいつ意外と単純だ。と、思った瞬間だった。
「そうさ、俺に拾われてやるんだ。こんな可哀想なやつに拾われてやるなんて、お前意外といいやつだな」
 もうわけがわからない、どうして俺は自分をこんなに貶めなくちゃいけないんだ。
「そういう、ことなら、まあ……」
 歯切れが悪いながらも、拾われてやるか、と呟きながら猫はようやく腕の中で暴れるのを止める。まったく、最初から素直にうんって言えばいいんだ。
おかげで自分で自分を不必要に傷つけてしまった。
「でも、一方的にお世話をされるのは嫌。代わりに、そうね……フられたっていうなら、私がなってあげましょうか? 恋人」
 大いに余計なお世話だった。まあ、でもここで断るとへそを曲げかねないので、
「んー、ああ。じゃあよろしく……えっと、名前は」
「特にないけど。好きに呼んだらいいんじゃない?」
 ふと気づくと、雨は止み始めて、空には少しずつ陽が差し始めてきていた。挿した傘を閉じたかったが、あいにくと両手が塞がってる。にしても、
どうなってるんだ、今日の空模様は。まるでこいつみたいに機嫌がころころ変わる。
「じゃあ、ソラなんてどうだろう。あ、ちなみに俺の名前は祐介だから」
 個人的にはぴったりだと思う。特にころころと顔の色を変えるところなんかそっくりだ。俺の抜群のネーミングセにソラは、
「おなか減ったわ」
 呑気におなかをさすりながらそう言った。この野郎、さっきまでの人間不信っぷりはどこに行ったんだ。いくらなんでも極端すぎるんじゃないか。
 まあ、猫なんてこんなもんなのかもしれない。帰り道のコンビニでミルクやらなんやら買ってやれば、こいつも満足するだろう。話はそれからだ。
 財布は確認するまでもない。幸か不幸か、今日使うはずだった三万円が、まだしっかりと入っているはずだから。



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