【 ちょこっとlate 】
◆zsc5U.7zok




58 :No.17 ちょこっとlate 1/5 ◇zsc5U.7zok:08/02/18 00:26:01 ID:BZcQtSMZ
 「勘弁してくれ……」
 庭にある物置。狭苦しいその空間で、俺は必死に息を殺していた。
 乾いた雑巾の嫌な臭いが鼻を突く。泥水のようなあの臭さだ。
 まだ冬場だからいいが、これが夏だったらと思うとゾッとする。
「大体、何でこんなことになるんだよ……」
 小声で愚痴ってはみたものの、当然答える者は誰もいない。
 それに、理由なんて分かりきっているのだ。
「女は怖い」
 そう、女は怖い。バレンタインデーの女は特に。
 血走った目で男を追いかけ、その手に綺麗にラッピングされたそれを押し付けようとする。
 受け取ったら最後だ。俺たちは、哀れにもルールに従いその女に贈り物を返さなければならない。
「菓子会社のクソッタレが。大体、こんなの明らかにおかしいだろうが」

59 :No.17 ちょこっとlate 2/5 ◇zsc5U.7zok:08/02/18 00:26:16 ID:BZcQtSMZ
 二月十四日、バレンタインデー。
 元々は、婚姻を禁じた王様に背き、結婚式を挙げたヴァレンティヌスという聖人にちなんだもの
らしい。
 日本では、女の子が好きな男の子に思いを伝える恋人達の日という扱いになっている。
 まぁ、平たく言えばカップルのイベントの一つだろうか。
 だが、ある日を境にこの日が持つ意味は一変することになった。
 今から十年前の二月十四日。ある女性が渡そうとした手編みのマフラーに関して、男性側は「重
いから」という理由で受け取りを拒否。
 精神的苦痛を受けたと、女性がこの男性を訴えたのである。
 なんとも馬鹿馬鹿しいこの裁判は実に二年近くも争われ、さらに馬鹿馬鹿しい判決が下されるこ
とになる。
 精神的な苦痛も加味し、マフラーに使われた材料費の約三倍の慰謝料の支払いを男性に命じたのだ。
 この慰謝料自体は大した額ではなかった。それまでの裁判に掛かった金額や時間を考えれば、本
当に微々たる物だったろう。
 しかし、本当の恐怖はこの後にやってくる。
 何を考えたのか、民主党の中心的人物の一人であったとある議員が、この問題を大々的に取り上
げ、法律の整備を訴えたのだ。
 これだけ聞けば単なる笑い話だが、笑えないのはこの女性議員が心底にこの問題を真剣に扱って
いたことだ。
 彼女の動きは早かった。党内の女性議員を纏め上げ、すぐに法案を提出したのである。
 以下がその内容の一部である。

60 :No.17 ちょこっとlate 3/5 ◇zsc5U.7zok:08/02/18 00:26:28 ID:BZcQtSMZ
・特定の交際相手のいない十八歳以上の男性は、バレンタインデーに女性から贈り物を受け取るこ
とを拒否してはならない。ただし、手渡しの場合に限る。
・贈り物を受け取った男性は、ホワイトデーに目安として貰った物の三倍程度の贈り物を返さなけ
ればならない。
・バレンタインデーの贈り物は、原則として菓子類に限る。ただし、交際相手に贈る場合はこの限
りではない。
・特定の交際相手のいる女性は、それ以外の男性に贈り物をしてはならない。

 なんとも馬鹿げた話だろう。
 ところが、何かの間違いだろうか、この法案はすんなり通る羽目になる。
 勿論、運も味方した。国会内の女性議員の占める割合は増加の一途にあったし、中心となった彼
女の影響力も大きかった。
 また、財力の面では日本中のお菓子会社が彼女をバックアップし、外堀を少しずつ埋めていった
のである。
 そして、何よりも日本の人口の約半分、つまり女性全員が彼女を支持したのだから。
 そのまま、法案は可決され、二年の充電期間を置いてついに施行されることとなってしまったのだ。
 かの有名な悪法、バレンタイン法……通称三倍返し法だ。
 勿論、意図していた目的どおりの法律ならば、大した問題ではなかった。

61 :No.17 ちょこっとlate 4/5 ◇zsc5U.7zok:08/02/18 00:26:39 ID:BZcQtSMZ
 しかし、ここにお菓子会社のバレンタイン商法が絡んで、事態は悪化の一途を辿る。
 余談ではあるが、このバレンタイン商法の原型は、平賀源内が土用の丑の日にウナギを食えとい
う商法を考え出したことに起因するとされている。
 この手法は、日本人の国民性に嵌るとされているが、イベント好きな体質なのだろうか?
 話を戻そう。 
 日本中のお菓子メーカーは、バレンタイン用の贈り物として、超高級な菓子類の販売に踏み切っ
たのである。
 その平均価格たるや実に三万円を超え、物によっては五十万円以上するものまで売り出された。
 もう後は分かるだろう。
 日本中の独り身の男性の多くは、この贈り物を恐れ嘆く羽目になる。
 どんなに馬鹿げていても法律なのだ。贈られたら受け取らなければならないし、受け取ったら三
倍にして返さなければならない。
 女性達はこぞって高い菓子を買い漁り、それを半ば無理矢理に近い形で周囲にばら撒いた。
 当然、恋愛感情などではなく、見返り目的だ。
 五万なら十五万。十万なら三十万。
 返さない場合には勿論罰金が科せられ、その支払いが命じられた。
 青少年の甘酸っぱいイベントが、一転して阿鼻叫喚の地獄絵図と化したのである。
 採算の合わないような高級菓子でさえ爆発的に売れるのだ。
 お菓子会社が彼女の後ろ盾となったのも、これが真の目的だったのだろう。
 勿論、男性側も黙っていたわけではない。この悪法の撤廃を要求し、デモを行う者も現れた。
 しかし、一度制定された法を撤廃させるのはかなり難しい上に、日本中の女性がこの法律を支持
しているのだ。大した成果を挙げることは出来なかった。

62 :No.17 ちょこっとlate 5/5 ◇zsc5U.7zok:08/02/18 00:26:50 ID:BZcQtSMZ
 その後、年を追うごとにこの法律はより洗練されていった。
 年収を踏まえ、返済が可能な平均額を計算。贈り物の額に年齢ごとに上限が設けられ、より接収
しやすく整備される。
 もう、ここまでくると借金の徴収となんら変わらない。
 ちなみに、俺の年齢……十八歳の上限額は一万円だ。けっして、返せない額ではない。
 だが、返す気があるか? と聞かれたら話は別だ。
 何故好きでもない女の子に、なけなしのバイト代をはたいて贈り物をしなければならないという
のか。
 大体、平気な顔をして男から金を毟り取ろうとする神経が分からない。
 俺は、今そういう一人の女から逃げている。ここもいつ見つかるか分からない。
 そろそろ場所を移すべきかもしれない。
 幸い、外に気配は感じない。
 隠れ場所にも二、三心当たりはある。
 俺は物音を立てないように、扉を開けた。

 瞬間、空気が凍る。
「うふふ〜。おにぃちゃんみっけ」
 あ……。
「危ない、危ない。もう少しで逃げられちゃうとこだったぁ。はい、これ」
「……」
「大丈夫、大丈夫。一万円くらいの安物だからさ。じゃあ、お返し期待してるね〜」
 俺は絶望に眩暈を感じつつも、妹の背中に声を掛ける。
「あの……勘弁してはくれないよね?」
「だぁめ」
 そう返した妹の顔には、慈悲など一片も無い悪魔のごとき笑みが浮かんでいた。

 了



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