【 海流瓶 】
◆oOy5b7baSU




48 :No.14 海流瓶 1/4 ◇oOy5b7baSU :08/02/18 00:21:02 ID:BZcQtSMZ
「海流瓶」と言うものを知ってるだろうか。
透明なビンの中に手紙を入れ、密閉し、海に投げ込むというものだ。海流瓶は海流に乗りどこまでも流され続け
る。そうしてはるか遠いどこかしらの海岸に打ち上げられ、たまたま通りかかったどこかしらの誰かが海流瓶と
出会うことになる。しかしそれは一握りの幸運な海流瓶に過ぎず、多くの海流瓶は岩礁に砕かれたり、侵食され
沈んでしまったり、もしくは何十年と海流と共に漂流し続けことになる。
今私がこうして書いているこの文章は一つの海流瓶である。ただ違っているのは一般的な海流瓶が世界中の誰か
に届くのを望むものであるなら、これはただ一人の人のもとに届くことを望んでいることだろう。一握りの幸運
があるならばその人の目に届くかもしれないし、この電子の海をさ迷い続け静かに深海に沈んでいくことになる
かもしれない。けれども、何故か私にはその人がこの海流瓶と出会うような気がする。あの時私とその人が偶然
の再会を果たしたような一握りの幸運と同じように、その人の足元に漂着するような気がする。

49 :No.14 海流瓶 2/4 ◇oOy5b7baSU:08/02/18 00:21:16 ID:BZcQtSMZ
 帰宅ラッシュも過ぎ、人もまばらとなった大阪御堂筋線地下鉄の電車の中である。田舎から洋服の買出しにき
た私はその日のショッピングスケジュールを終え、今夜泊めてもらう友人宅に向かうところだ。両腕にはここぞ
とばかりにブランド店で買いあさった品々、これからの季節必要になるであろう冬物のコート、厚手のニット、
ついでに衝動買いしたメンズ用香水などなどがつまった紙袋をぶら下げて、ドア側にある銀色の鉄柱に体を預け
て一日中歩き回った体を休めていた。
「天王寺、天王寺に到着いたしました。次は――」
天王寺かなつかしいな。今は実家の田舎に帰り野山に囲まれた暮らしに戻っているが、三年ほど前まで天王寺の
隣、美章園で資格を取るために一人暮らしをしていた。その頃の忘れられない思い出が頭の隅を流れていく、通
学にバイトに試験、それから同じバイト先で知り合った彼女……。
反対側の乗車口が開き、数人の乗客が電車に乗り込んできた。警笛と共にドアが閉まり、ゆっくりと電車が動き
出す、慣性が疲れきった体に心地よい。思い出に浸っていた私はふと視線を感じ、反対側のドアのほうをみる、
私をそっと見つめる女性と目が合った。その見覚えのある女性の姿に「まさか」と私は驚いた。年のころは二十
歳を少し過ぎた頃、細っそりとした体にラフなジーンズと軽めのパーカー、肩までかかる栗色の髪と、薄く自然
な化粧をほどこした小さな顔が彼女の印象をずっと若く見せている。今まさに私が思い出に浸っていた思い出そ
のものが目の前に現れているのだ。そんな私の驚きに確信を得たのか、彼女は反対側の私の横に来て気恥ずかし
そうにこう言った。

50 :No.14 海流瓶 3/4 ◇oOy5b7baSU:08/02/18 00:21:28 ID:BZcQtSMZ
「あの、私……覚えてますか?」
もちろん覚えいる、頭の中が真っ白になった。三年ぶりにきた大阪で、何本もの電車が通るこの地下鉄の、この
多数ある乗車口のただ一つのこの車両に今乗り合わせるという偶然。彼女が目の前にいるという一握りの奇跡的
なタイミングに私の思考は悲鳴を上げ、完全に停止した。
「覚えているよ」
と、ぼんやり呟く。
「よかった……」
ほっとしたようにあどけない微笑が浮かぶ。それから二人の間に思い思いの静寂が流れる。電車は先ほどとは違
い静かに、そしてのろのろと走っていく。隣に佇む現実となった思い出の姿。私はあの頃の思いに押しつぶさ
れ、これは夢なのか現実なのかも分からない。
「あの時の事なんです」
彼女は真っ直ぐ向かいのドアを見つめてこう言った。
「私、強引すぎたってずっと考えてたんです。だから謝りたかったんです」
違う、責められはしても謝ることはない。私は言うべき言葉を捜して彼女の顔を見る。彼女も私の顔を見た、照
れくさそうな顔と、零れ落ちそうな涙を見て私は完全に言葉を失う。
「それとありがとうって言いたかったんです」
そういって見つめ返す彼女の健気さと純粋さに胸を打たれ、ただ彼女と見詰め合うことしかできない。それが自
分のできる精一杯だった。
「昭和町、昭和町に到着いたしました。次は――」
いつの間にか電車は止まり、乗車口が空気の排出音を出して開く。
「じゃ、私ここなので――」
そう言うと彼女は乗車口から足早に出ていく、私は未だ何も言えず、何を言うべきかも分からずただ彼女の後ろ
姿を見送る。警笛が鳴り響きドアが閉まる。乗車口を少し過ぎたところで彼女は振り向いて、軽く右手を上げて
私に手を振る。私も紙袋を床に落としながら手を上げて応える。その姿が右から左へと流れていった。今もまだ
かわらぬ彼女の健気で、純粋な笑顔を私の頭の中に真新しく焼き付け、自然とあの頃の思い出が順序立てられな
がら頭の中をよぎっていく。

51 :No.14 海流瓶 4/4 ◇oOy5b7baSU:08/02/18 00:21:42 ID:BZcQtSMZ
 彼女との出会えったのはバイト先でのでことだった。近所のローソンでバイトをして生活費に稼いでいた私と
同じシフト時間で勤務してたのが彼女だ。
ローソンといえど忙しい時間もすぎると、人もまばらになりレジ仕事も一段落して手持ち草になる。単調なレジ
仕事の気を紛らわそうとちょっとした雑談ををして気を紛らわすのは当然のことだろう。その頃から自分につい
て考え、哲学本を読み漁った私は彼女に色んな話をした。特に好きだったのは"今を生きる"という考え方だっ
た。彼女はいつも頷いて、キラキラと目をかがやせては私の話を聞いてくれた。
 資格試験も無事終わり、後はいつ実家に帰るかというだけだった私を、彼女はコンサートに誘った。私は行く
かどうか迷ったが、折角チケットを用意した彼女の気持ちを断れず、一緒にコンサートにいった。バイト中とは
違い、いつもよりおしゃれした彼女、照れくさい挨拶とバイト先の内輪話。
コンサートを楽しんだ後の帰り道、風の中に冬の匂いがして、街灯は二人の行き先を点々と照らし「楽しかった
ね」と二人で相槌を打ち合い駅に向かい歩いた。
 それからすぐに私は荷物をまとめ、実家に帰った。
彼女から時々着信があったが私が電話に出ることはなかった。「強引すぎた」といった彼女。しかしそれは違
う。私は彼女のことを好きだったし、いつまでも二人で歩いた帰り道の情景を忘れない。私は今を生きれない人
間だ。幸せを味わえない、幸せの先にはそれ以上の悲しみが待っていること、そのことに耐えれない。私は人を
愛するという感情がなくなってしまった。そんな自分が彼女の若さに満ちたもっとも輝く時間を奪いたくなかっ
た。

「長居、長居に到着しました。次は――」
目的地についたところで私の思考は途切れ、空気音と共に開くドアから足早に降りる。警笛が鳴り響きドアがし
まる。
ふと振り返り、今まさに動こうとしている列車を見た。そこには列車のガラスに反射したくたびれた私の姿が私
を見返しているだけだった。



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