【 朝焼けに降る今日、その弟は 】
◆fSBTW8KS4E




39 :No.11 朝焼けに降る今日、その弟は1/2 ◇fSBTW8KS4E:08/02/18 00:11:40 ID:BZcQtSMZ
 僕の記憶の中で、姉はいつも快活な笑みを見せ、それこそ無敵だった。気が弱く、身体も小さい僕は、姉に助けられ笑っていた。
 今の仕事や生活に嫌気がさして、全部を投げ出してしまおうと決心しかけた時に、僕の携帯は姉に呼び起こされた。椅子から降り、
携帯に手を伸ばす。姉は、あの無敵な声で、今から一緒に夕飯を食べようと笑ってきたので、吊されたロープを見てから、僕は電話を
切り、外に出る準備をする。
 姉が指定した小さいステーキハウスは、僕と姉の思い出の場所で、すすけた窓から目をこらすと、中にいる姉は手を振った。笑って
答えてから、ドアを押す。ベルが鳴り、店員は声を上げる。
「久しぶりだね、姉さん」
 姉はジーンズとTシャツといった軽装で、寒くないのと尋ねても、もうすぐ春だからと答えただけだった。
「ここ覚えてる?」
 運ばれてきたリブステーキにナイフをいれながら、姉は尋ねる。
「姉さんがバイト代を貯めて僕に初めてごはんをご馳走してくれたところだ」
 誇らしげに、食べたいのを頼んでいいのよ、と財布を確認しながら姉が言っていたのを思いだして、笑ってしまう。
「それで姉さん、今日はどうしたの? 急に呼び出すなんて珍しいね」
 そう聞くと、姉は少し動きを止めたが、ナイフを置くとコップを取った。そして、喉へ水を通らせると僕の方を見つめた。
「私ね、きっと今から、あなたに不快な思いをさせる。でも最後まで聞いてほしいの」
 僕はさいころステーキの一つをごはんと一緒に口へ運ぶ。ゆっくりと飲み込む音が、身体の中で重く響いた。
「私まえまで女優を目指してたんだけどね」
 そう姉が始めると、彼女の口からは次々と不幸が語られていった。
 女優といっても明るい笑顔だけでは目指せなかった。オーディションの会場で審査員に声をかけられホテルに連れてかれたこと。ホ
テルで無理矢理犯されたこと。そのあとお金を渡されただけで、もう連絡が取れないこと。それから付き合っていたヒモの男が、自分
の部屋に他の女を連れ込んでいたこと。問いただせば殴られたこと。働いていた職場ではいじめられていること。身に覚えのない書類
の計算ミスを自分のせいにされたこと。それを理由に責め立てられ会社を辞めたこと。
 姉が話すたびに、記憶の中にいた姉が崩れていった。ひととおり話し終えると、今度は明るい顔で続けた。
「でもね、こんなに悪いことが起こるのは、私に悪霊が憑いているからなの」
 姉はショルダーバックからいくつかのパンフレットや書類を取り出しながら話す。その書類を見たとき、僕は絶望した。
 朝光会、そう太陽のロゴと一緒に印字された紙は、紛れもなく新興宗教の案内だった。
「この朝光会ってね、簡単に言うと助け合いの会みたいなものなの。隣人愛って言葉があるでしょ。朝光会ではねそれを実践する素晴
らしい会なの。会員に愛の証としてなにかしてあげるでしょ、そうすると褒められて朝光布って言うのが貰えるんだ。それを繰り返し
てねみんなで仕合わせになりましょうって言うことなの」
 姉は笑いながら、パンフレットを使って説明していく。

40 :No.11 朝焼けに降る今日、その弟は2/2 ◇fSBTW8KS4E:08/02/18 00:11:54 ID:BZcQtSMZ
「私はさっき話したとおり、凄い落ち込んでいたの、でもね朝光会の霊媒師さんが、無償で除霊してくれたの。そしたら気持ちが凄い
楽になってね、じっさい朝光会でやってるくじ引きに挑戦したら、一等が出たのよ。凄いでしょ」
 僕は黙って下を向いている。耳を塞ぎたい、今すぐここから逃げたい。
「姉さん、わかったから、すこし、ごめん」
 沈黙が流れ、僕はコップに手を伸ばす。その時、姉の顔を覗くと、姉が泣いていたので手を止める。
「ごめんなさい。私、変よね」
 僕は少し慌ててテーブルに置いてあるナプキンを渡し、姉を落ち着かせる。
「わかってるの、これが新興宗教だって」
「いいよ、喋らないで。辛いから」
「ごめんなさい。でもこれに救われたのは確かなのよ。正直何でもよかった。私は寄りかかるものがほしかった。それがたまたま声を
かけられた朝光会よ。その中身が偽物だったり、私みたいな人を騙してお金を取るような団体でも。依存できるものがあったのはあり
がたい事よ」
 それから、姉はまた泣き始め、僕はいたたまれない気分になる。周りの目もあるし、もう出よう、僕が声をかけると、姉は素直に頷
き、外へ出た。僕は店員に謝罪をしながら、金を払い店を出る。
 そのあと、姉を自宅まで送り別れた。最後まで姉は自分の過ちを謝っていた。
 家に戻ると、僕は自分の部下に電話をした。
「教祖様からお電話とは珍しいですね」
 部下の声は少し浮かれている、酒でも飲んでいたのだろう。
「僕は、もう、教祖を辞める」
 姉と別れてからずっと考えていたことを、短く言ってから電話を切る。ディスプレイに浮かんだ「朝光会 幹部・堂島 通話時間 
7秒」の字に腹が立ち、僕は壁に携帯を投げつけた。
 強かった姉の弱みにつけ込んでいた僕は、世界一の罪人だ。
 ベッドに沈み、僕は黒に潜る。頭の中で昔の姉を思い返していく。
 翌朝、ベランダから眺める日光は、僕を鋭く突き刺す。夜中ずっと鳴っていた電話も、今は静かだ。姉はどうするだろうか、朝光会
という存在を無くして。姉には悪いが、僕はあのまま姉を騙すことの方が辛い。最後に謝りたかった、しかしドアを叩く堂島の声が
聞こえて、僕はベランダに足をかける。
 姉さん、こんな弟でごめん。弟はこの朝焼けに落ちていくよ。
 朝焼けに降る教祖の弟は、姉を支えることは出来ないんだ。
 小さく呟いて、足に力を込めた。恐くはなかった。



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