【 満月の夜に 】
◆7BJkZFw08A




27 :No.08 満月の夜に 1/5 ◇7BJkZFw08A:08/02/17 23:08:16 ID:5krz/sVH
 さら、さら。
五月のうららかな日差しの下、大きな屋敷の庭を、せせらぎが静かに通り過ぎて行く。
 その広い広い庭の中で、白い洋服を着た少女が一人、花を摘んでいた。
ゆったりとウェーブのかかった、この辺りでは珍しいほとんど茶色の髪。あどけなさの残る顔つきからして、まだ年のころ十二、三というところだろう。
 少女の方へ、屋敷の方から一人の婦人が少年を伴って歩いてくる。
「お母様、そちらの方はどなたですか?」少女が問う、婦人は少女の母であるようだ。
「……ハスミ、この少年が今日からあなた付きの使用人よ」やっと見つかったのよ、と婦人はため息をつきながら言う。
 す、と婦人のやや後方に控えていた少年が前に出た。見た感じ、ハスミと年はそう変わらないようだ。
「トヤ、と申します。ハスミお嬢様、これからよろしくお願いいたします!」
 ぺこり、というには少し力みすぎに、少年は頭を下げた。
「お母様の言っていた私付きの使用人とはあなたの事ですね? ええ、こちらこそよろしくお願いします」
 ハスミは柔らかく微笑みながら、少年に会釈した。
少年が少し顔を赤らめたのは、緊張のせいか、それとも。
 ハスミの母はそれに気づいたのか、目元にほんのわずか、哀しそうな光を宿した。
 さら、さらと、せせらぎは静かに、涼やかに五月の陽の元を流れていた……

「トヤは、苗字は何と言うのですか?」
 二人で庭を歩きながら、ハスミはそう尋ねた。
「私には、苗字は無いのです。その、両親がいないもので」
 まあ、と少女が口に手を当てる。「悪いことを聞いてしまいましたね」
「いえ、構いません。でも僕は幸運です、こんな立派なお屋敷に仕えることが出来て」
 ハスミの家、スズシロ家はこの地方一帯の中でも指折りの富裕な家である。
故にこのように大きな屋敷、大きな庭を持つことができるのだ。確かにこの事は、仕える使用人にとっても鼻が高いだろう。
 それに、とトヤが言葉を継ぐ。
「こんなに美しいお嬢様のお付きになれて……」
 途中まで言って照れくさくなったのか、言葉を濁しあらぬ方を向く。
ハスミもまた恥ずかしそうに俯いた。春の日差しは二人を柔らかに照らしていた。
「あ、すみません……その、何だか変な事を言ってしまって」
 やおらトヤが弁解するように手を振りつつそんなことを言った。
「あら、私を美しいと言ったことを、変なことと言うの?」

28 :No.08 満月の夜に 2/5 ◇7BJkZFw08A:08/02/17 23:08:55 ID:5krz/sVH
 冗談めかしてハスミが言う。慌てて、いえそんなことはと先ほどより強く手を振りながら言うトヤ。
その素振りがあんまり必死だったため、思わずハスミは吹き出してしまった。
「うふ、あはは、あははははは」
「はは、ははは……」
 ひとしきり二人で笑った後、ハスミが不意にこんなことを言った。
「私、あなたとならお友達になれそうな気がします!」
「友達などと、そんな。私はただの付き人です」
「いいのです、付き人で、お友達で。私ずっとこのお屋敷にいるんですもの。同じくらいの年の人なんていなくて、寂しかったんです」
「弟様がいらっしゃるじゃないですか」
 ハスミには三歳年下の弟がいる。しかしハスミは頭を振りながら言った。
「あれはまだ幼いです。それに私、あなたが気に入りました!」
「はあ、それは……」
「嫌ですか?」やや上目づかいに、ハスミが問う。
「いえ、嬉しい、です」しどろもどろ、トヤが答える。
 よかった! と言いながらぱちんと手を合わせるハスミ。
 二人はいつの間にか、庭の外れまで来ていた。深緑の木立の壁が二人の目の前に広がっており、そこにひっそりと佇む白く大きな土蔵がひとつ。
この静寂の中にあって、その頑健な造りが周りと調和しつつも圧倒的な存在感を放っている。
「土蔵ですね。さすがに大きい」トヤが感心した風に言う。
「ええ、 ここは下の階は物置なんですけどね、上の階には昔私の叔母が住んでいたそうですよ」
「叔母さん……ですか? どうしてこんなところに?」
「さあ、私にもなんでかは。私が生まれて少し後に亡くなってしまったそうですから」
「そうですか……」
 そんなことより、とハスミはトヤの手を捕まえてもと来た道を走りだす。
「私のお部屋へ来て下さいな! ささやかですけど、歓迎会を開きましょう!」
 軽快に遠ざかって行くハスミと、それに引きずられるトヤを、白い土蔵がじっと見つめていた。

 トヤがスズシロ家に来てから一月ほどが経った。
彼は年の割に色々なことに気が付き、よく働いた。
ハスミとも仲が良く、スズシロ家の当主であるハスミの父からも気に入られていた。
しかしハスミの母だけは、どこかトヤにそっけない態度をとるのだった。

29 :No.08 満月の夜に 3/5 ◇7BJkZFw08A:08/02/17 23:09:35 ID:5krz/sVH
「僕、奥さまに嫌われているのでしょうか?」
 トヤは思い切ってハスミにそう尋ねてみた。
「いいえ、そんなことありませんわ。大体、この家にあなたを連れてきたのはお母様なのでしょう?」
「それはそうですが……」
 ハスミの母はスズシロ家の直接の子孫である。
その母にハスミの父が婿入りする形となり、表面上はハスミの父が当主となっているが、実権を握っているのは母である。
「あまり気になさらないことですわ。とりたててあなたを苛めるわけではありませんし。
 それより今夜は満月です、私と一緒にお月見しませんか?」
「お月見……まだ六月ですよ」
「いいじゃありませんか、少しくらい早くたって」
 空は真っ赤に焼けており、ねぐらへ帰る烏達の声が寂しく響いている。
 トヤ、ハスミ、と呼ぶ声がした。
「奥さまだ」トヤは慌てて駆けだす、ハスミも呼ばれたので一緒についていく。
 窓から差し込む橙色の柔らかで冷たい光が、部屋の中を紅く染めていた。

「どうしました、奥さま」
「ああ、実は明日客が来ることになったのよ。昔あったティーセットを使いたいんだけども、とってきてくれない?」
「ええ、わかりました。それはどこにあるんですか?」
「庭の端にある土蔵の中よ、長い間使ってなかったものだから。土蔵はハスミが知ってるはずだから、ハスミに案内してもらうといいわ」
「いえ、僕、知っています」トヤはそう答えたが、遅れてやってきたハスミが二人の間に割り込みながら言う。
「いいえ! 構いません、夕方のお庭は一人じゃ心細いでしょう」
「なら一緒に行きなさい」
 ハスミの母がそう言ったので、二人は一緒に、駆けだしていった。

「うーん、ずいぶん暗いですね、それに埃がひどいのか変な臭いがします。明かりを持ってくれば良かった」
「戻りますか?」
「いえ、これくらいならまだ大丈夫でしょう、幸い中には明かり取りの窓もあるようですし」
 ハスミの叔母が住んでいた、ということもあるだろう。土蔵には格子の嵌った小さな窓があった。
二人は土蔵の中に入り、目的の物を探し始めた。と、突然ばたりと土蔵の扉が閉まった。
「ひゃ」ハスミが驚く。

30 :No.08 満月の夜に 4/5 ◇7BJkZFw08A:08/02/17 23:10:17 ID:5krz/sVH
「風で閉まっただけでしょう」言いながらトヤは扉に近寄り、再び開けようとする、が。
「あれ、開かない……」トヤはがちゃがちゃといじってみたが、何かの具合で扉は開かなくなっていた。
「ええっ! そんな」
「大丈夫、僕らが戻ってこなければお屋敷の誰かがおかしいと思いますよ。奥さまも行先は知っているわけだし」
「そう……ですか?」不安げに問うハスミ。「そうですよ」と安心させるようにトヤがはっきりとした声で言う。
 しかし夜がゆっくりと土蔵の中を満たす頃になっても、誰も助けに来る気配はなかった。
「夜……ですね」「ええ」
「少し変な場所ですけど、二人でお月見ですね」「お嬢様……呑気ですね」
 どれくらい経っただろう。もうずいぶん経った気がする、ハスミもトヤも、そう思った。
小さな明かりとりの窓から見ると、ちょうど満月が見える――――――――

 ―――――「ハッ!?」
 ハスミは意識を取り戻した。少し眠っていたのかしら、などと思う。
「トヤ」呼んでみるが返事が無い。
「トヤ……」ふと、ハスミはそれに気付く。自分の足もとに落ちている、半球状の……
 持ち上げて、ハスミはそれを、見てしまった。胴から引きちぎられ、その半分を吹き飛ばされた、いや、喰いちぎられたような、トヤの、頭。
驚愕に大きく見開かれた片方しかない目がハスミを見つめ、絶望の形に広がった半分だけの口が声にならない悲鳴を上げ続けている。
「きゃあああああああああああっ!」ハスミは思わず掴んでいたそれを投げ飛ばしてしまった。
 見れば、土蔵の床や壁に飛び散ったおびただしい染みは血ではあるまいか、そこここに散らばったぬらりとしたものは、かつてトヤであったものの一片ではないだろうか。
 ハスミが思わず目をそむけた先で、きらりと何かが光った。窓から差し込んだ淡い月光が、立てかけてあった鏡をぼんやりと照らしだしている。
そしてハスミは見た、映しだされた自分の姿を、血で染まった両手、胸元、そして、口……今度こそ、あらん限りの声で、ハスミは絶叫した。
 ぎぃっ、と、扉が開き、誰かが入ってきた。ハスミの、母。
「おかあ、お母様、トヤ……私……私……違うの……どうして……」
「スズシロの、呪いよ」母は吐き捨てるように言った。
 そして、母は今まで娘に伏せていた全てを、スズシロ家の秘密を語った。
「昔の話よ。ある『化生』がいてね、人々にひどく災いをなしたの。人々は困って、なんとか化生を封じようとしたわ。
そしてついに封じることに成功した、スズシロ家の一番上の娘の身体の中に。それ以来、スズシロ家の長女が生まれる度、
その身体には化生が宿ることとなった……でも、それは完全ではなかったの。
その子が十三の歳になると化生の力を抑えきれなくなり、毎年一度、六月の満月の夜に化生がその身体を支配して害をなす。
それは若い少年の肉を喰らうまで、治まる事はない……」一呼吸おいて、母親は言葉を継ぐ。

31 :No.08 満月の夜に 5/5 ◇7BJkZFw08A:08/02/17 23:11:01 ID:5krz/sVH
「ただ、こういう面もあるの。化生の力は莫大な富を呼び寄せる……もとは単なる一農家だったスズシロがここまでの力を持てたのは化生の力のおかげでもあるわ。
人々を守る代償って、とこかしらね。それともわずかながらの神様の慈悲? ふふっ」母親は悲しげに笑った。
「そんな……! じゃあトヤは最初から!?」ハスミは信じられない、信じたくないという思いで母親を見つめる。
「ええ、私の姉さんの時もそうだったし、その前からもずっと……この土蔵で、何人が死んだんでしょうね。すっかり血の匂いがこびりついて」
「そんな、嫌……じゃあ」ごくりと血の混じった唾を飲み込み、ハスミが言う「じゃあ私が死んでしまえば……?」
「それは駄目」ぴしゃりと母親が打ち捨てた。
「あなたが死ねば、化生は檻を失い、また外に出て災いをなすわ。そうしないためにスズシロは化生をその身体に飼い続けてきたのよ……!
あなたが死んだら、姉さん達が苦しみ続けてきたことが全て無駄になる、それは駄目、駄目なのよ……」
 叱責するというより、哀願するような声で母が言う。
 いつの間にか夜が明けて、白んできた空の色がハスミの瞳に当たって弾けた。瞳から零れたその光に、希望の色は無かった。

 それからハスミは、土蔵の二階に住むようになった。朗らかだった笑顔はその姿を潜め、憂慮の影ばかりが少女の顔を覆っている。
 あれからほぼ一年が経った。今年ももう少しで、六月の満月の夜がやって来る。
外から、母親の呼ぶ声がする。ハスミは影が滑るように、虚ろな足取りで土蔵の外へ出た。
「ハスミ……この子が新しいあなた付きの使用人よ」一年前と同じように、母の後ろには少年が控えていた。
「イチナと申します。ど、どうぞよろしくお願いします」
 恥ずかしそうにぺこりと、少年は頭を下げた。
その少年を見つめ、ハスミはこの上なく美しく綺麗な、それでいて一欠片の輝きも無い笑顔を送った。

(ああ、神様。あなたに本当に慈悲があるのなら、この私を御救い下さい! ……いいえ、私はどうなっても構いません。
地獄に落ちても構いません、ですからどうか、二度とこんな悲しみを誰かに与えることのないように。
あの子にも、そしてこれから生まれるスズシロの娘にも。『化生』など、この世から消し去って、私と一緒に地獄へ送ってください。それが、私の……)
 その夜、スズシロ・ハスミは土蔵の二階で、自らの首に割れた鏡の破片を突き立てて命を絶った。
降り注ぐ月光が、涙のようにぽたぽたと零れ落ちる赤い滴を淡く照らし出していた――

 長い年月が経った。
化生はハスミという檻を失っても再び世に出ることは無かった。
しかし、かつてスズシロ家のあった場所には緑の草原がそよそよと風に波打っているだけであり、深緑の木立の中に
あの白い土蔵の姿を見とめることはもはや無かった。



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