【 放課後イクスキューズ 】
◆p/4uMzQz/M




141 :No.36 放課後イクスキューズ 1/5 ◇p/4uMzQz/M:08/02/11 00:40:08 ID:S44wChK6

 シンナーの匂いが、何だか心地よく感じるようになってきたのは、ちょっと危ないのだろうか。
 そう一瞬考えが浮かんだが、それなら普段から此処で絵を描いてる人たち、
特に先輩なんかはどうなんだって話だ。馬鹿馬鹿しいなぁ。
「はい、ほら、動かない」
 急に掛かった声に、僕は飛び上がりそうになるのを堪えながら無理矢理体勢を維持した。
心臓に悪い。まぁ呆けていた僕が悪いのだけれども。
「集中切れてきたみたいね。……今日はここまでにしましょうか」
 もう動いていいわよ、との声で僕が先輩の方を向くと、もうカンバスを持って準備室の方へ入るところだった。
 機嫌を損ねてしまったかと思い、急いで椅子から立ち上がってその背中に近づくが──
「あ、あの先輩、すみませんちょっと考え事しててあの」
「ストップ」
 振り向いた先輩に手で押しとめられた。
 美術室ギリギリ。扉の前。
「貴方が悪い訳じゃないから、気にしなくていい」
 そう言って先輩は再び準備室に向き直って、僕が喋る間も無く「また明日同じ時間に」という声と一緒に扉が閉められた。ぱたん。


         ◆

142 :No.36 放課後イクスキューズ 2/5 ◇p/4uMzQz/M:08/02/11 00:40:36 ID:S44wChK6
 友人曰く、柚木恵果先輩は、とんでもない変態らしい。
「あー、えっとな、まずこの高校の生徒会長を勤めて二年目だろ。
 上の学年じゃ成績トップを二年間維持し続けてるらしいし、同時に美術部部長もやっている。
 んで、外見も上の上。恐ろしい程の美貌とプロポーション。何でもモデルのスカウトとか何度もされてるらしいな。
 興味無いの一言で全部断ってるらしいけど。もったいねぇよな、実際。
 そんなだから寄って来る男の数も尋常じゃないんだが、これまた全部お断り。蟻一匹通さねぇ。
 最近じゃあな、バスケ部キャンプテンの祐二さんとか、
 ウチの学年の七瀬とかが玉砕したらしいな。二人ともかなりイケメンなのになー。まぁ、仕方ない。
 んで、そんだけ凄い人で、学年離れた俺のところにもこれだけ話と噂が流れてくる有名人の訳だがぁ──」
 小暮は何故かそこで言葉を切った。何でだろう。
 僕は飲んでいたレモンティーを置いて、口を開いた。
「が、何? どうしたんだよ、早く続きを」
「いやさ、そもそも何でお前が俺に先輩のコト聞いてんだよ、嫌味か?」
 昼食のパンを齧りながら、小暮は心底恨めしそうに僕に言った。
「お前、先輩と付き合ってるんだろ?」
 んー、何と言うべきか。
「……一応、ね」
 そう言われて思い出すのは、まだたった二日前の事。
「お前さ一昨日俺に言ったじゃねぇか。今日の朝先輩に『私と付き合ってくれ』って言われたって」
「その前に恐らく、『放課後に美術室へ』って入るんだけどね……」

143 :No.36 放課後イクスキューズ 3/5 ◇p/4uMzQz/M:08/02/11 00:41:03 ID:S44wChK6
 なんでも。
 偶然通学中のバスの車内で見かけた僕が、先輩の絵のモデルとして理想的だったらしい。
降車するなり戦々恐々とする僕を捕まえて、美術室の鍵を押し付けながらほとんど脅しに近い口調で告白した、と。
 健全な高校生男子としては仕方の無いことに、先輩で頭がいっぱいで、その一日勉強も手に付かなかった。
放課後を迎えると僕は胸を躍らせながら美術室に向かったのだが、入るなり白いカンバスに向かった先輩が一言。
「そこに座りなさい、って。静かに、でも滅茶苦茶怖く」
 あの人は目線も言葉も要らず、身にまとう空気だけで人を殺せると思った。
「……まぁ、俺なら御免だな。窓の外向いたまま、一切会話無しで二時間。
 しかも動いちゃいけないって、何も美味しいこと無いじゃないかお前」
 折角放課後に男女が二人きりなのに、と友人が机に突っ伏しながら零した。
「しっかし。何でお前なんだろうな、見た目小学生で取り得も別に無いのに」
 お前が言うな、と思った。けれど前半はその通りだったので、僕は何も言い返さなかった。
 そのまま僕は自分の分のパンを、深い悲しみと共に飲み込んだ。 

        ◆

 その日の放課後も、その次の日の放課後も、またその次も、次も、次も先輩と僕との逢瀬は続きました。
表現に些か誇張が見えますけど、そこらは僕の自尊心の表れです。
 毎日のように、微かな期待とそこはかとない諦めを抱いたまま、僕は足しげく美術室に通いました。
ちなみに美術部には先輩しか属していません。一人美術部です。

144 :No.36 放課後イクスキューズ 4/5 ◇p/4uMzQz/M:08/02/11 00:41:24 ID:S44wChK6
「……先輩、今日はお昼何食べました?」
「…………パン」
 話が続かない。先輩と会話しようとしても、毎回こんな感じだ。空気重いよ空気。
 はぁ、と肩を落さないように溜め息をつきました。自分の横顔に先輩の視線が刺さっているのが分かっているから、
どうしても落ち着かない気持ちになるんだろうなぁ。溜め息なんていくら吐いても足りないや。
 生殺し、ってこういう事なんだろうか。真綿で首を、ってのもそうだったろうか。この空気が毎日続くもんだから、
ちょっと気が参ってきた。だから、僕は尋ねてみる。
「恵果先輩、絵ってあとどれ位で出来るんですか?」
 決して先輩の方は向かずに、窓の外を眺めたまま僕は喋る。ああ、空が青いなぁ。
「毎日描いてて、もう結構な時間じゃないですか。そろそろ出来上がってくるんじゃないですか?」
 ……返答は無い。動けない僕は先輩の方を伺うことも出来ず、ただじっとしているしかない。
 もう一度だけ、話かけよう。
「せんぱ」「終わり。今日はここまで」
 驚きと共に僕が先輩の方に頭を回すと、やっぱり先輩はもう準備室の方に引っ込もうとしていた。
 そして扉が、ぱたん、と。
「…………僕、何かしたかな」
 僕以外誰も居なくなった美術室で小さく呟く。
 いつもの事とはいえ、先輩はいつも唐突だ。でもこんなことされても怒れない僕も僕なのだが。
 ちなみにいつも先輩は、この後しばらく準備室から出てこない。何をしているのかしらないが、
この間三十分待っても出てこなかった。……やっぱり、気になるなぁ。
 足音を限界まで消して、僕は部屋をしきる扉の前まで歩いた。
扉はしっかり閉められているが、上の方の部分が曇りガラスになっている。よし、ここから様子を──
「…………くそっ」
 僕は急いで引き返して、先輩が座っていた椅子を持とうとして、
やっぱり止めて、自分が座っていた椅子を持って戻ってきた。それの上にゆっくりと立つ。
 これなら、少しくらい中の様子が見える筈……。
 予想通り、何やら小さくもぞもぞと黒い物体が動いているのが見えます。
あれは制服の黒だろうから、きっと先輩だろうな。でも、何をしているのだろうか。
 ──仕方ない。こうなったら奥の手だ。

145 :No.36 放課後イクスキューズ 5/5 ◇p/4uMzQz/M:08/02/11 00:41:45 ID:S44wChK6
 ここは三階で外にはベランダがあるから、そこから行けば準備室の前まで行って、窓から中が窺えるかもしれない。
 再び音を立てないようにそっと歩いて、ベランダへの扉を開く。扉は閉めないまま、ゆっくりと準備室の前まで僕は移動した。
「窓は……よっし、開いてる」
 少しだけ開いていた窓の隙間へと、僕は顔だけを近づけていって──
 ……? …………ん? ぁ──!!
「……あ、くぁ、せせせせせ…………!?!」
 漏れそうになる言葉を、必死に口を両手で塞いで塞き止めます。え? 一体、僕は何を見た?!
 何も考えられない! 今見たものが思い出せない! だって僕は何も見ていない! あの、先輩の××××以外!
 盛大に頭がパニクって、オーバーヒートして、でもそんな事も分からないまま、
僕は物音なんか最早気にせず、凄い勢いでその場所を去りました。
 後ろから、悲鳴のような、……嬌声のような声が聞こえたのは、思春期特有の妄想です。妄想でしたとも。ええ。

        ◆

 結局、頭にこびり付きっぱなしの映像が邪魔をして、一睡も出来なかった僕は、
何となくかなり早い時間に登校して、何となく先輩に貰った合鍵を使って、何となく準備室に忍び込んでいました。
 何の変哲も無い部屋で、石膏の像や、油絵、画材なんかが乱雑に置かれています。
「別に、先輩の匂いがする訳ないけどさ……」
 何となく変な事を口走ってみました。
 見渡すと、部屋の隅に一枚だけ立てたまま布が掛けられたカンバスがあります。
近づいて布を捲って、そこに描かれているものを見ました。
「……ははっ、そりゃあ、完成しないよね」
 とりあえず、今日から先輩とどう接するかを、放課後までの時間で考えなければ。それが、一番の問題だ。

                             完。



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