【 アイロニストの系譜 】
◆QIrxf/4SJM




120 :No.31 アイロニストの系譜 1/5 ◇QIrxf/4SJM:08/02/11 00:27:39 ID:S44wChK6
「コーヒーとクランベリージャムを頼むよ」
「いつもどおり、甘くないものでよろしいですか?」と赤毛の侍女は言った。
「うん」僕は羊皮紙に羽ペンを走らせながら頷いた。今日は、まだまだ片付けなくてはならない書類がたくさん残っている。
 臣下たちも全精力を注いで取り組んでいるけれど、治水に関しての書類はなかなか減ってくれない。先日の嵐による洪水は、たくさんの肥沃土をもたらしながら、土地をかき回して去っていったのだ。
 僕らは数日間、缶詰状態で書類を消化し続けていた。僕はコーヒーを飲みながらジャムを舐め、臣下の話に耳を傾けて承諾の印にサインをするだけだった。
「どさくさに紛れて、城下からも下水の整備について要望が来ておりますが」とバルシアスが言った。
「いいんじゃないかな。金は有り余っているんだ」と僕は言った。二回の戦争を制した僕らは、大量の賠償金を手に入れていたのだ。「問題は、人手があるかどうかだね」
「陛下、ハンズワースの補修に当たらせている人数を削減し、城下に回すというのどうでしょうか? 賃金を上げて期限を延ばせば文句は言われないはずです」
 侍女がさりげなく入ってきて、コーヒーとクランベリージャム、金のスプーンを置いていった。彼女らは、無断で入ってきてコーヒーを置いても僕たちが怒らないことを知っているのだ。何かを言ったとしても「そこに置いといて」と言うだけだ。
 僕はジャムを一口舐め、コーヒーを啜って言った。「いいね」
 彼らに殆どを任せておけば、事は順調に運ぶ。それは先の大戦で嫌というほど思い知らされたものだ。僕はただ一番美しい馬に乗り、先頭に立って剣を振り上げて「進め!」と言い、戦いが終われば「凱歌を奏でよ!」と叫ぶだけだった。 
「にしても、金が減らないな」と言って、僕はジャムを舐めてコーヒーを飲み干した。
 バルシアスは苦笑いをして、「まだまだ手をつけていない事が山積みです。早々に無くなってもらっては困りものですよ」
 出来る限り金をかけて国中の治水をしても、金庫の金はそれでも九割九分は残っている。やろうと思えば最強の艦隊を作り、世界中の海賊を粛清して、島国を淘汰することだってできるだろう。しかし、それはあまりにもくだらない金の使い道に思える。
 僕は今まで、城のインテリアを増やし、侍女たちの制服を臣下と彼女らの要望に沿った可愛らしいものに変えた。清掃員、シェフ、庭師、全ての数は倍に増やした。
「おーい、コーヒーのおかわりを頼むよ」
 反応が無いので、僕は席を立って少し伸びをした後、部屋から出た。ドアの横に座っている二人の侍女は、楽しそうに談笑している。
 僕はその隣に立って、にやりとした。「コーヒー、おかわり」
 声に気付き、はっとして振り向いた二人は、血相を変えて僕に頭を下げた。「ああ、陛下、申し訳ございません!」
「いいんだ。それより、その椅子の座り心地はどう?」
「余りにも居心地がよくて、お話が弾んでしまい――」
「気にしないことだよ。女の子はそうでなくちゃいけないんだ。立ち仕事でむくんだ足なんて、見せたくないだろうし。できればスカートをたくし上げてもらって、皆の足を見分してやりたい気分さ。むくんでいる子がいれば、そこに椅子を置くよ」
「まあ、陛下ったら!」二人は破顔した。「コーヒー、すぐにお持ちいたしますね」
 僕が気伸びをしながら部屋に戻ると、机に向かっていた臣下たちが、一斉に視線を僕に向けた。
「陛下の女性人気はもはや絶頂ですな」シャンドラ将軍が髭を撫でながら言った。
「バルシアスには敵わないさ」と僕が返す。「何人目だっけ?」
 はにかんで頬を上気させたバルシアスは、後ろ頭を掻いた。「二人目ができたって、モンティーナが先日」
「陛下もバルシアスにならい、お世継ぎをこしらえて欲しいものですな!」
「どうにも目移りしちゃってね。神様は女性の誕生を顔で決めているのかな」
 僕が言うと、辺りは笑いの渦に飲み込まれた。

121 :No.31 アイロニストの系譜 2/5 ◇QIrxf/4SJM:08/02/11 00:28:04 ID:S44wChK6
 
 僕は東の塔の地下にある物置にやってきていた。ここにはありとあらゆるがらくたが置かれている。先々代、あるいはもっと前の王から受け継がれた不要物たちが、無作為に押し込まれているのだ。
 僕は脚の一本が折れている椅子を外に持ち出して、壁に背もたれを押し付けるようにして座ってみた。ちょっとしたバランス感覚が要求される。
「あら、陛下。地下あさりですか?」通りかかった侍女が言った。顔をよく見れば、鼻の上にそばかすが散っている。二重の双眸はくりくりと大きく、室内帽の横からは、赤いおさげが覗いていた。
「うん。息抜きには一番良いんだ。変なものがたくさん詰まってる。ところで、バルシアスを呼んできてくれないかい? ついでにコーヒーも欲しいな」
「バルシアスさまはどこにいらっしゃるのでしょう?」
「モンティーナに花でも贈ってるんじゃない?」
 侍女はくすりと笑った。「すぐにお呼びいたしますね。あと、コーヒーに甘くないクランベリージャムも」
 クランベリージャムが僕の好物であることは、広く知れ渡っているのかもしれない。
 てくてく歩いていく彼女の後姿が見えなくなると、僕は立ち上がった。椅子が地面に転がったので、担ぎ上げて地下に戻した。
 僕は更なる発見を求めて、がらくたをあさり始めた。明らかに失敗の跡が見られるタペストリー、おぞましい模様の描かれた古文書、誰かの頭髪、手垢まみれのくたびれた槍。上に乗っているものを剥ぎ取って、下で眠っているものを掘り出していく。
 天鵝絨に覆われた一枚の板を発見した。とはいえ、角がかろうじて顔を覗かせているだけで、その大半はがらくたの中に埋まっている。
「陛下、お呼びですか?」
 外からバルシアスの声が聞こえたので、僕は入ってくるように言った。「面白そうなものを見つけたんだ」
「陛下も物好きですね」
 バルシアスと二人で物を退けていくと、それは徐々に姿を現してきた。
「陛下、コーヒーをお持ちいたしました」
 僕はコーヒーをどこかに置いて、入ってくるように言った。
 僕たちが板を持ち上げて、侍女に足元の案内人になってもらうと、思ったよりもたやすく運び出すことが出来た。
 壁に立てかけたところで、僕はぬるくなってしまったコーヒーを啜った。
「それにしても、何でしょうか、これ」侍女が興味深そうに見ている。
「こうしてみると、ただならぬ気配を感じますね」
「布を剥いでみよう」と僕は言って、薄汚れた天鵝絨を勢いよく剥ぎ取った。
「まあ、素敵」と侍女は言った。
 現れたのは、女の描かれた画布だった。板に貼り付けられたそれは、確かに素敵である。なぜならば、右半分にしか手をつけられていないのだ。
 絵の中の女性は、椅子に座って空虚な左半分を寂しそうに見つめている。赤い髪に青いガウンは、ある種の哀愁のようなものをかもし出していた。
「これを寝室に飾ることにするよ。ところできみの名は?」
「リーラでございます、陛下」と侍女は頬を赤らめて答えた。

 夜、壁に飾った絵の前で、僕は本を読んでいた。安楽椅子をきこきこ揺らしながら、テーブルのコーヒーを啜る。

122 :No.31 アイロニストの系譜 3/5 ◇QIrxf/4SJM:08/02/11 00:28:29 ID:S44wChK6
「どうか殺してくれ、おお、殺さないでくれ」熱烈なる戯曲の愛情表現を朗読し、僕は口元をつり上げる。「この腕を掴まないでくれ、いいや、掴んでくれ」
 そのとき、腕を何者かに掴まれた。
「何奴!」戦場を駆け巡っていたときの研ぎ澄まされた感覚が蘇ってくる。腕を振り払って素早く椅子から転がり降り、剣を抜いた。コーヒーもこぼさない。
 すぐ異変に気付いた。例の絵画から、腕が飛び出している。それはまるで何かを探しているかのように、ぶんぶん振り回されていた。
 僕はその手を掴み、少し引っ張ってみた。腕と絵の境界が光り、絵の中から女が抜け出てくる。
「おはよう」と僕は言った。
「ああ、なんてことなの!」絵から出てきた女は悲痛に叫んだ。「あなたを左半分にしようと思ったのに!」
 女はうずくまって泣き始めた。
「おいおい、泣かないでくれよ」
「陛下、コーヒーのおかわりをお持ちしました」侍女のリーラが入ってきたのだ。彼女は泣いている女と、剣を片手に背中をさすってあげている僕を見て、「あら、まあ」と言った。
「素敵な時分に気を利かせるね」と僕は言った。「でも、きみでよかったよ。状況はこの通りさ」
 リーラは絵の右半分に浮かんでいる椅子と、泣いている女を見比べた。「あら、まあ」
「きみにお願いがある」僕はリーラに言った。「この子をここから出さないようにして、面倒をみてやって欲しい。実はこの絵、既に臣下たちには見せてしまったんだ」
「わかりました。私が責任を持って、お世話させていただきます」
 リーラは実にいい笑顔をする。
 僕たちは全身全霊をかけて絵から出てきた女を慰め、事情を聞きだすことに成功した。
 彼女が言うことには、「私は、気まぐれな画家ヴァレンシアによって描かれた悲しい女。何を思ったか、彼は左半分に描くべきものを省いてしまったのです」
「見れば分かるよ」
 女は僕の手を掴み、鼻息を荒げて言った。「そこにあなたが現れました。私を選び、部屋で私を求めるあなたが」
「それで連れ込もうとしたんだね?」女が頷いたので、僕は続けた。「悪いけど、僕はこの国を治めなくちゃならない義務があるんだ。だから、きみと一緒に絵の中に行く事はできない」
「え?」女は首を傾げ、訝しげに僕の顔をまじまじと見た。リーラはくすくす笑いを噛み殺している。
「これでも僕は王様なんだ」僕は肩を竦めて見せた。本当は、とてもショックだ。
 女は再び泣き出した。リーラがハンカチで目元と拭ってやった。
「しかたない、ヴァレンシアという画家を探し出してあげるよ。王の力でね」と言って、僕はウィンクした。

「そういえば、陛下。最近は侍女のリーラがお気に入りで?」バルシアスが言った。「彼女以外は寝室に入れないのだと、侍従長が言っていました」
 僕は書類にサインする手を止めた。「そこには深い事情があるんだ」
「リーラ?」シャンドラ将軍が口を挟んできた。「あの子は私が領地から推薦した娘ですよ。気立てもいいし、何より世話好きだ。たしかに、陛下にはぴったりかもしれませんなあ」
「豪奢な服をまとって夜会ばかり開いているご令嬢たちに怒られるかもね」と僕は言った。「ところで、ヴァレンシアという画家について何か知らないかい?」
「陛下、それくらいは知っておいてもらいたいものですよ」シャンドラ将軍は肩を竦めた。「先代の肖像画を描いた人物です。たしか、ハンズワースで弟子をとっていたはずですが、ひどく気難しい人で今はどうしているやら」

123 :No.31 アイロニストの系譜 4/5 ◇QIrxf/4SJM:08/02/11 00:29:25 ID:S44wChK6
「ふうん」と僕はあまり興味がないふうを装った。
 今日の作業が終わると、僕はバルシアスを寝室に呼び出した。彼にだけは、事情を話しておく必要がある。
「それで、ハンズワースに行きたいんだ」
「馬車は手配しましょう。しかし、ヴァレンシアが一度描くのをやめた絵に、再び筆を入れるとは思えませんが――」
「絵から出てきた彼女を連れて行けば、なんとかなるかもしれない」画家には画家の思い入れがあって、右半分だけに彼女を描いたのかもしれないのだ。
 バルシアスは彼女を見て、その隣に座っているリーラと見比べた。「ふむ。彼女をリーラに扮装させるというのはどうでしょう? 二人とも特徴的な赤い髪ですからね」
「しかし、それではますます変な噂が立つことになる」と僕は言った。
「事実にしてしまえばいいじゃないですか。シャンドラ将軍お墨付きですよ」
 意味を察したらしく、リーラは途端に頬を上気させた。「そんな、私なんかが」
「そうだな」僕は言った。「リーラに決めてもらおう。噂を立てたくないのなら、いつもどおり侍女の格好をして誰かの目にとまればいいんだ」
「早速馬車は手配いたします。仕事がある程度片付き次第、出発なされてはどうでしょうか」
「うん。そうする」と僕は言って、リーラの顔を見た。

 数日のうちに準備は着々と進んだ。治水の書類はほとんど片付け終わり、馬車はいつでも出て行けるように手配された。リーラは僕が目を向けただけで、頬を上気させて、顔を俯けるようになった。
 そして、出発の日。
「じゃあ、行ってくる」と僕は言った。ハンズワースまでは、城下を抜けて一日とかからない。御者は既にヴァレンシアの居場所を知らされている。
 僕たちが彼のアトリエを訪れると、弟子が迎え入れてくれた。ヴァレンシアは病床に臥せっており、今にも死にそうらしい。無理を言って、顔だけでも見せてもらうことにした。
「お師匠さま、お客様です」
 もじゃもじゃの白髪に立派な髭を蓄えた男が、ベッドに横になっている。目の下には大きな隈があり、ひどくやつれていた。
 彼はそばに座った僕たちを見るや、突然起き上がった。「シエラじゃないか! 見間違うはずが無い。おお、いとしき娘よ!」今まで死にかけていたのが嘘であるかのように、彼は力強く女を抱きしめた。
 一方、彼女は困惑した表情をして、「私には描かれてからの記憶しかないのです」と僕に言った。
 それからの彼の回復ぶりは凄まじいものだった。長年の心労の原因が、一瞬にして失われたのだ。
 僕は彼とその弟子たちと夕食をとりながら事情を話した。
「お前は、絵の中に戻ることを望んでいるのかい? そんなことになれば、わしは死んでしまうよ」
「出来ればこのまま外に居たいです。私は画布の中で生れた者。何もしなくても、そろそろ私は絵の中に吸い戻されることでしょう」
「帰るべき絵に、別の人物が描かれていたらどうなるんだろう?」と僕は言った。
「やってみるべき価値はある! 善は急げ、じゃ」
 彼はいきなり立ち上がり、コートを羽織って画材入れを持って出て行った。
「ところでさ、ヴァレンシア画伯は僕が王だってことを分かっているのかな?」とシエラ嬢に言うと、彼女は苦笑いを噛み殺した。


124 :No.31 アイロニストの系譜 5/5 ◇QIrxf/4SJM:08/02/11 00:30:06 ID:S44wChK6
 僕たちが城に戻ったときには、空はもう赤くなり始めていた。寝室に戻り、僕はベッドで寝ているリーラを起こす。
「陛下、お帰りなさいませ」リーラは言って顔を上気させた。「ああ、私ったら、こんな見苦しい姿を――」
 彼女は青いガウンを着たままだった。
「気にしなくていい」僕は言った。「ヴァレンシアを連れてきたんだ。ちなみに、彼女の名はシエラであることが判明したよ」
「おお、これじゃ」ヴァレンシアは絵を壁から降ろして立てかけると、画材入れをあけて向かいあった。「お二人さん、ベッドに並んで腰掛けて、こっちを向いてくれんかの」
「わ、私たちを描くのですか?」リーラが慌てふためいて髪をいじった。
「ちょっと待ってくれ」僕は言った。
「私では嫌なのでしょうか――」
「そうじゃない。着飾る時間くらいあるだろう?」
 シエラが頷くと、ヴァレンシアは言った。「ふむ。できるだけ早くしてもらいたいものじゃが」
 僕はバルシアスを呼びに行き、事情を説明した。
「陛下もついに身を固める決心をしたというわけですね」彼はにやけ顔のまま続けた。「モンティーナのものでよろしければすぐに用意しましょう」
 寝室に戻ってしばらくコーヒーを飲んで時間を潰した。シエラとヴァレンシアは打ち解けて楽しそうにしている。リーラを眺めていると、頬が熱くなるのを感じた。
 バルシアスが大きなカートを押して入ってきた。「中に衣装が入っています。間に合わせですが、モンティーナが選んだので間違いはないでしょう」
「しゃべったのか?」と僕が聞くと、彼は眉を上げて肩を竦めた。
 僕らが着替え終わり、二人で並んで立つと、バルシアスは言った。「素晴らしい」
 リーラがベッドに腰掛け、僕がその横に立つ。
 僕は凛々しげな銀の鎧に赤いマント、儀式用の大剣を突き立て、左手で兜を抱えた。リーラは赤いおさげ髪を金糸で留めて、頭にはティアラを据えている。薄紫色のガウンは、胸元のフリルと膨らんだ肩、真っ白なカフスが印象的だ。
 ヴァレンシアは着飾った僕たちの前を右往左往し、いろいろな角度からしばらく眺めて、椅子に座った。「もういいぞ。十分頭に焼き付けたわい。ところで、部屋を用意してもらってもよいか? ここで描くわけにもいくまい」
 僕が頷くと、シエラが言った。「お父様、私も行っていい?」
「もちろんだとも!」二人は早々と、肩を組んで出て行った。
 バルシアスはドアの前で振り返り、微笑んで僕らを見た。「それではお二人とも、また後で」
 三人がいなくなると、寝室はとても広く感じられた。途端に恥ずかしさがこみ上げてくる。ここには、僕とリーラしかいないのだ。
 ベッドに腰掛けると、自然に手と手が重なった。
 リーラは部屋から出ずに僕を待っていてくれた。出ていくことだってできたのだ。
「絵が完成したら、結婚してくれないか」
 僕の言葉は朝の光に紛れて消える。
 窓のカーテン、赤いおさげ、そばかす、うす桃色のくちびる。
 頬が熱い。
「はい」とリーラは言った。



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