【 親父の富士とワシの梅 】
◆/7C0zzoEsE




111 :No.28 親父の富士とワシの梅 1/4 ◇/7C0zzoEsE:08/02/11 00:18:35 ID:S44wChK6
「何年ぶりじゃあ……相も変わらず、ふてぶてしい様子だな、おい」
 立ち上がる湯気にその輪郭をぼやけさせながらも、なお堂々と君臨する。
銭湯いっぱいに広がる富士の絵を仰いで呟いた。
 ふんぞり返ったその忌々しい姿に、昔の傷跡は見られない。
「どこのどいつが修復しやがったんじゃ……」
 何も覆わず股間もさらけ出して仁王立ちしているワシを、
周りの連中は恐々と眺めている。しかし、その視線は違うことなく逞しい背中。
首から背中にかけて咲き誇る、立派な梅の花に集中している。
 県の条例が何だか知らんが、ワシはこん風呂の昔からの常連じゃい。
文句ある奴は叩き出すぞとばかりに睨みつけると、全員目を逸らした。
「おっさん、すっげぇ梅じゃ!」
「あン?」
 どこの命知らずじゃ、ギロリと声のする方を振り返ると。
まだ尻の青いハナたれ小僧が目を輝かせて立っている。
「おめぇ、どこのガキじゃい」
「おっさん、そン梅すっげぇなあ。触らせてくれよお」
 遠慮もクソも無しにベタベタ引っ付いてくる。
「目障りじゃあ、向こう行けや!」
 手で乱暴に振り払っても、離れようとしない。
そうこうしているうちに、ガキの親父が戦々恐々として息子を連れ戻しに来る。
「おい、てめぇのガキだったら。てめぇで鎖繋いどけや!」
「すいません、本当すいません」
 えらく腰の低い男で、ぺこぺこ頭を下げながら小僧を引っ張っていった。
「……ったく」
 そういえば、ワシも丁度あの頃くらいか……。
親父と一緒にこン銭湯に入り浸っとったんも。

112 :No.28 親父の富士とワシの梅 2/4 ◇/7C0zzoEsE:08/02/11 00:19:07 ID:S44wChK6
◆◆◆◆
「おとん! それ何の絵じゃ?」
「おぅ? お富士さんの絵やないか。何や、お前知らんのかいな」
 思い出の中の親父の背はでっかく。とても頼もしかった。
右手のペンキを壁に豪快に塗りたくると、あっという間に富士の峰なり影なりが生まれた。
 額から汗水なりが滴り落ち、脚立の下には小さな水溜りが出来ていた。
親父は顔に赤なり青なりの絵の具がベッタリつけて、きったねえ顔で笑っていた。
「富士かぁ。綺麗じゃのお、おとん完成したら連れてってくれんね?」
「おお、ええぞ。こん仕事終わって、暇が出来たらの」
 富士の野郎はでっかかった。でっかい親父の背中でも覆い隠せない程。
親父の働いている姿を見ているのが好きだった。でっかい富士が好きだった。
親父も描いている間は口癖のように言っていた。
「お前も、こんお富士さんみたく。でっけえ人間になれよ」
 そん時の親父はいつもニカァって白い歯を見せて。
そしたら、ワシもつられて笑っとった。
 そんで仕事が終わったら、銭湯の人の好意でシャワーを浴びさせて貰った。
親父の背中はやたらでっかくて、ワシの小さい手じゃ洗うのも必死で。
今度はワシのほうが汗まみれになって、ひたすら背中をタオルで擦った。
いつか、親父みたくでっかい人間になったろうって。
そんで親父よりもでっかい背中を磨かせてやったろうって、
 でも、親父は倒れた。でかかった親父は倒れおった。富士の全部を描き終わる前に。
過労で足元がふら付いて、脚立から足を踏み外した。
そんで床に足が着いた途端に汗の水溜りに足を滑らせ、すっ転んで頭を打ちおった。
 打ち所が悪かったんじゃろう、親父は結局ワシを富士に連れて行けんようになってもうた。
自分だけ勝手に、もっと高いところに。お天道様の処へ昇ってもうた。

113 :No.28 親父の富士とワシの梅 3/4 ◇/7C0zzoEsE:08/02/11 00:23:11 ID:S44wChK6
 ワシは許せんかった。何が許せんかったんかは阿呆やから分からんかった。
それで頭の上まで振り上げた拳のやり場に困ってもうたから、
ワシは一人で銭湯まで行って、親父を殺した脚立を握って、富士の絵に叩きつけてやった。
ざまあみろだ、雪の積もった山頂にポッカリ間抜けな穴が開いた。
『器のちっちぇー息子じゃな』
 そんな親父の声が聞こえた気がして、思わずそっから逃げ出してもうた。
親父と二人暮らしだったから、何に止められること無く。その街から逃げ出してもうた。
 そんで、ゴミを漁って毎日毎日寒さと飢えにやられていた野良犬だったワシは、
今の組長が拾ってくれたおかげで、命だけは助かった。
 だけど、組の者として生きることになってからは、
汚い仕事も色々やった。この手を真っ赤に染めてきた。
色んな人の恨みを買って、色んな人の泣き言を聞いてきて。
 体だけは馬鹿みたいにでっかくなりやがるが、
どうやっても親父みたいなでっかい人間になりゃあせんかった。
 腕に梅の花を描いて、消えないように彫って。
それでもワシの体が綺麗になることは無かった、ただ汚れ続けていく一方だった。
 街から離れて三十年。ひたすら組長について行ったが、遂に組長もパクられちまった。
ワシのいく当ても居場所も無くなってしもうた。
 そんでてめぇのケツを吹くために、罪を償いに行こうって決心したけど。
その前に一っ風呂浴びたくなっちまった。

◆◆◆◆

「しもうた……」
 心地よい湯船から上がって、最後に体を洗い流すだけだ。
しかし素っ裸で来てもうたからに、タオルを忘れてしもうてるのを今更気がついた。

114 :No.28 親父の富士とワシの梅 4/4 ◇/7C0zzoEsE:08/02/11 00:23:47 ID:S44wChK6
どないすっか。もうこのまま、上がってまうか。
ふぅ、とでっかいため息を吐いてうな垂れていると、頭から声を浴びせられた。

「おっちゃん、背中流したろか?」

 ワシが目を丸くして、声の方を振り返ると、
さっきのハナたれ小僧がタオルを握って二ヒヒと笑っている。
ガキの親は子供を叱り付けて、遠目で冷や冷やしながら眺めているが。
「……ワシの背中はお富士さんほどでっけぇぞ」
 ワシは眼前の絵を指差した後、ぼうずに背中を向ける。
「望むところじゃい」
 ぼうずはそのちっこい手で、勢いよくワシの背中をタオルで擦った。
そして、ぼうずは感嘆の声をあげる。
「やっぱり……すっげえ見事な梅じゃ」
「……きったねえ背中の梅じゃろ」
「うんにゃ。きれいじゃあ。おっちゃんのでっかい背中に、よう栄えとるわ!」
 ぼうずは目を輝かせて、わしの背中を磨く。誰もが忌み嫌う背中を丁寧に磨く。
「もっと――もっと優しゅうせんかい」
 わしは泣いた。顔は俯いたまま声は決して漏らさず。
大粒の涙が目から零れた。ぼうずはそんな事にも気付かんで、熱心に背中を洗う。
ワシの背負った、きったねえ過去を洗い流す様に。
いつかの、親父のでっけえ背中を磨いた頃のワシの様に。


                               <了>



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