【 趣味を仕事に 】
◆otogi/VR86




103 :No.26 趣味を仕事に 1/3 ◇otogi/VR86:08/02/11 00:13:04 ID:S44wChK6
 絵を描くのが辛いと感じるようになったのはいつからだろう。

 それは賞に向けた作品の仕上げにかかったときのことだった。出来も悪くないし、師匠の持つ影響力を考えれば大賞は間違いない。
 しかし、非常におもしろくない。
 何をモデルに描こう、こういう構図にしよう、絵の具はなにを使おう、あの手法を使ってみよう、絶対に認めさせてやろう。
 あのころは何も考えずひたすらに上を目指して描いていた。少しでもいいものを、少しでも評価されそうなものを、ただただ描き
続けた。
 思い返せば非常に稚拙な作品だったが、描いているときは気にならなかった。
 今やその情熱なんかかけらも残ってはいない。間違いなく評価される絵を淡々と書き続けるだけ。そこに創意工夫はなく、抑えきれ
ない情熱もない。
 運良く絵を職業にはできる立場に就けそうだが、自分が天才でないことになんてとうの昔に気が付いている。
 だからこそ過去の偉人の足跡を恐る恐る辿っているのだが、これでいいのだろうか?

 自分が寝食を忘れるほど夢中だったものは、これほど窮屈で退屈で、鬱屈とさせるものだったのだろうか?
 今日も師匠に認められようと若手の持ち込みがあるはずだというのに、我ながら贅沢な悩みだ。

 ダメだ。こんな広いアトリエにひとりでいると自分の小ささを再認識させられてしまいそうだ。
 気分転換に軽く散歩でもしよう。幸い時間には多少の余裕はあるし、仕上げる箇所も残りは少ない。
 そこで初めて自分が無意識に、完璧で模範的な絵を書き続けていたことに気がついてしまった。

104 :No.26 趣味を仕事に 2/3 ◇otogi/VR86:08/02/11 00:13:33 ID:S44wChK6
 やはり外の空気は気持ちがいい。昼時だからか人影もあまりない。風が吹いていれば寒いのだろうがありがたいことに風もない。絶
好の散歩日和だ。
 郊外へ行こう、せっかくの散歩なのに人臭いところにいたくない。

 昔は氾濫を繰り返していたという大きな川の流れに沿って歩く。新鮮な空気を吸いながら不審者のように歩いていると、さっきまで
の沈んだ気分が嘘のようだ。
 水の流れだって環境に合わせて自在に形を変えている。だったら自分も六、七割くらいは我慢してやろうじゃないか。体のそれくら
いは水だと聞いたことがある。

 意気揚々と歩を進めているとこれまでの静さを破って喧騒が聞こえてくる。甲高い声から察するに子どもだろうか?
 やや先に目をやるとやはりそれは子どもたちだった。多い、そもそもまだ学校の時間のはずだが。普段なら素通りするのだが、今日
は気分がいい。近づいてみよう。
 一瞬集団ボイコットかと心配したがどうやらそれは杞憂だったらしく、課外授業で写生をしているようだ。許可を求めると引率の教
師に怪しがられたが、近くで見せてもらおう。
 散らばる子どもたちの中で目をつけたのは、周りが大小のグループを形成しているのに関わらず、ひとりきりで空を見る少年だった。
「ちょっと隣、いいかい?」
 少年は驚いたような顔をしたが、返事を待たずに構わず座る。
 「なんでひとりなんだい? 一年生のうちに友達を作らなきゃ」
 少年はぼそりと、友達はいるけど、絵が好きだからひとりで描きたいんだ、と答えた。

 絵を見せてもらった。
 悪いがめちゃくちゃだ、年齢を考えれば当然かもしれない。遠近法を知っているのだろうか、遥か上空の飛行
機と目の前の橋が同じ大きさだ。
「ねえ、実は絵にはちょっと詳しいんだ。少し教えてあげようか。」
 少年はぼそりと答える。
「ええと、ありがとう、ございます……。でも、ええと、あの、僕、自分で描きたい。うまくなれなくてもいい
から、自分だけで描きたい」

 雷が落ちたようだった。

105 :No.26 趣味を仕事に 3/3 ◇otogi/VR86:08/02/11 00:13:54 ID:S44wChK6
 あれからどうやって帰ってきたのかわからない。今なら宇宙人にアトリエに連れ戻されたと言われても信じられる気がする。とりあ
えず落ち着け自分。まずは絵だ、絵を仕上げなきゃいけなかったはずだ。
 それほどまでに衝撃を受けた。あの自分の半分どころかさらにその半分ほどの年齢の少年の言葉。
 友達を作ることすら躊躇ってしまうような子なのに、あのときの少年には躊躇いなんてものはなかった。うまくなれなくてもいいっ
て、本気で言ってた。絵が好きなのにアドバイスはいらないって言ってた。
 ひたすらに上手くなることを考えてきた自分と少年は対極の存在なのか。
それともただ単に私が異端だったのか。

 そうか、自分がやりたかった絵はあれだったのか。

 あの少年のようにキラキラした笑顔で、自分であれこれ工夫して、自分の絵に満足したかったんだ。
 表情をなくして、ひたすら定石通りに、苦しみを感じながら描きたくはない。

 気が付くといつの間にか目の前には大賞間違いなしの絵があった。その際審査員は口を揃えて「荒削りながらも将来性を感じる作品」
と言うだろう。
 こんな絵にだれが価値を見いだすんだ。そもそもこれは誰の絵だ、間違っても自分の絵じゃないはずだ。誰がこんな劣化コピーみた
いな絵を描くか。

 ああ、でもやっぱりこれは自分の絵だ。
 良かった。ギリギリ気付けた。今ならまだ間に合う。
 黒をありったけ用意して構える。
 もったいないな。書き直しても間に合わないぞ。今から就職先見つかるだろうか。
 後ろ髪を引かれる思いを振り切るように、山盛りの黒をキャンバスに叩きつけた。






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