【 『よげんのしょ』 】
◆Kq/hroLWiA




87 :No.23 『よげんのしょ』 1/5 ◇Kq/hroLWiA:08/02/10 23:19:32 ID:RqqC7kMw
「何これ。『よげんのしょ』?」
 マンションで独り暮らしをしている佐々山菊葉が、大学の休みを利用して部屋の掃除をしていた時のこと。押
入れを整理していた菊葉が、古臭いダンボール箱の中から発掘したのは、一冊のノートだった。
 普通に市販されているA4サイズの自由帳で、表紙にマジックペンで大きく『よげんのしょ』と書かれてあった。
 古ぼけたノートを見つめながら、菊葉は複数の記憶の糸を手繰り寄せてみた。すると、一本の糸に重みがかかった。
「あぁっ! これ、確か小学生の時に書いたやつだ。懐かしいなぁ」
 かつて彼女が小学生だった時のこと。ノストラダムスの大予言に影響を受けて書いたのが、この『よげんのしょ』
だった。それを思い出した菊葉は、昔のアルバムでも見るかのような期待のこもった表情を浮かべ、ページをめくった。
 『よげんのしょ』は、左右二ページに渡って予知した未来の光景が絵として描かれており、右ページの下部に、
その予言の内容が二、三行で記述されていた。
 この『よげんのしょ』は、菊葉が小学三年生の時に書かれた。予言の内容は、四年生以降の菊葉の身の回りの
出来事について予言されており、その予言の間隔は特に一貫性がなく、ランダムなものとなっていた。
 懐かしい思い出と共に、過去からページをめくっていく菊葉だったが、途中から違和感を覚え始めていた。
 予言として記された内容が、どれもこれも、過去実際に体験したものばかりなのだ。
 ノートを持つ菊葉の手が、かすかに震えた。
 まさかと思いつつも、ページをさらにめくっていく。ノートの半分ほどまで進んだところで、予言にある菊葉の年齢が、
今の菊葉の年齢――二十歳に追いついた。そして、そこに書かれた予言の内容を見て、菊葉は愕然とした。
つい先日。ほんの三日前に起こったことが、そこに書かれていたのだ。
 『よげんのしょ』はまだまだその先も続いている。菊葉はつばを飲み込もうとしたが、飲み込むつばがないほどに
口の中は乾いていた。
 ページの端をつかみ、ゆっくりとめくり返していく。次のページにも、予言は書かれていた。
――○月×日(晴れ) きくは20才 となりに男の人がひっこしてくる。ほっぺたに大きなほくろがある人だ――
 予言と共にあった絵は、マンションの廊下で、隣に越してくるという男性が、菊葉と向かい合って挨拶を
しているのを横から描いたものだった。左のページに男性が、右のページに菊葉が描かれている。予言に書かれて
いるように、左側の男性の頬には、大きな黒子(ほくろ)があった。
 これまでの予言はことごとく当たっているが、それでもまだ半信半疑だった菊葉は、この、次の予言が的中
するかどうかで、『よげんのしょ』の信憑性を見極めることにした。

 菊葉が『よげんのしょ』を見つけてから一ヶ月。ついに、予言の日がやってきた。
 その日は朝から快晴だった。休日で特に予定もなかった菊葉は、午前中は静かに部屋で過ごしていた。

88 :No.23 『よげんのしょ』 2/5 ◇Kq/hroLWiA:08/02/10 23:19:56 ID:RqqC7kMw
 時計の短針が、もう少しで十二の文字に届きそうになった時だった。急に、外が騒がしくなったので、菊葉は
玄関へ行き、ゆっくりと扉を開いて廊下を窺ってみた。すると、一人の男性が大きな段ボール箱を担いで、隣の
部屋に入っていくところが見えた。
 菊葉は慌てて外に出た。隣の部屋の前に行くと、扉が開放されていて、中の廊下のところに、先ほどの男性が
段ボール箱を置いていた。男性は首にまいたタオルで汗を拭くと、こちらを振り向き、菊葉の存在に気付いた。
「あ、はじめまして。このマンションにお住みの方ですか?」
「は、はい。隣の704号室に住んでる、佐々山です。えっと、引っ越してこられたんですか?」
「お隣さんですか。これはどうも。僕は大上です。そうです、こちらに越してきたんですよ。これから、よろしく
お願いしますね」
 笑顔で右手を差し出してきた大上に、菊葉はおずおずと右手を差し出した。菊葉よりも一回りは大きな大上の手が、
菊葉の右手を包むようにつかんで、軽く上下に振られた。
 握手をしている間、菊葉の視線は大上の頬に注目していた。大上の頬には、大きな黒子があったのだ。
 突然、電子音が鳴り響いた。大上は慌ててジーンズのポケットから携帯電話を取り出して、電話に出た。
二言三言会話をすると、大上は電話を切って菊葉に向き直った。
「すみません、弟が下でタンス担いで待っているので」
 それじゃ、と軽く右手を挙げると、大上はエレベーターのある方に向かって足早に去っていった。

 『よげんのしょ』は本物だ。そう確信した菊葉は、高鳴る心臓を押えられなかった。急いで部屋に戻った菊葉は、
押入れから再度『よげんのしょ』を取り出した。ページを開き、今日のことが予言されたページを開いた。
間違いなく、予言は当たる。
 菊葉は、次のページを開いた。次は、今からおよそ二ヵ月後の出来事を予言していた。
――□月△日(くもり)きくは20才 この日、前から好きだった小野原せんぱいにこくはくをする。こくはくは
せいこうして、二人はつきあうようになる――
 菊葉は思わず口元を押さえた。小野原は、確かに実在する人物の名前だった。サークルの先輩で、しかも菊葉が
サークルに入って以来ずっと好意を抱いていた相手だ。
 好きな人のことを見透かされていたことに、どこかむずがゆい気分がしたが、菊葉はそれ以上に嬉しくて
仕方なかった。今までずっと憧れていた先輩と付き合うことが出来るかもしれない。『よげんのしょ』が正しければ、
二ヵ月後には小野原先輩と恋人同士になることができる。
 二ヵ月後の幸福を頭に浮かべながら、菊葉はそっとノートをとじた。

89 :No.23 『よげんのしょ』 3/5 ◇Kq/hroLWiA:08/02/10 23:20:27 ID:RqqC7kMw
 結論から言うと、菊葉は小野原と付き合うことになった。
 二ヶ月間を首を長くして待ち続けた菊葉が、予言の日に小野原に告白をすると、簡単に了承を得たのだ。
 それまで異性との関係がなかった菊葉にとって、告白はとても勇気のいることだった。もしかしたら、
『よげんのしょ』がなかったら、小野原先輩に告白することは出来なかったかもしれない。
 菊葉は『よげんのしょ』に対して大いに感謝し、そしてそれ以来、『よげんのしょ』を疑うことを止めた。

 その日は大学の用事があったため、菊葉は少し遅めの帰宅となった。
 玄関前の廊下にきたところで、隣の、大上の家の前に人影が立っていることに気づいた。
 薄暗くて顔が判別しにくかったが、その左頬にある大きな黒子が見えて、菊葉の緊張が軽くほぐれた。
「こんばんは、大神さん」
「え、あ、はい? えっと、どちら様でしょうか?」
「え、もう忘れちゃったんですか? 隣に住んでる佐々山ですよ」
「あ、お隣さんでしたか。すみません」
「もぅ、忘れないでくださいよ。それじゃあ」
 菊葉は笑いながら軽く会釈をすると、自分の部屋の鍵を開けて、中に入った。
 菊葉は大学の用事で疲れていたため、すぐにベッドに横になった。ベッド横にあった『よげんのしょ』を手に取り、
ページをめくる。ページをいくつかめくったところで、菊葉の目が予言の内容に釘付けとなった。
――☆月◇日(晴れ) きくは21才 小野原せんぱいの子どもができる。親にははんたいされるけど、
私は赤ちゃんをうむことを、けついする――
 菊葉は思わず自分のお腹を見た。だが、もちろんまだ妊娠はしていない。まだ小野原とはそういう行いを
していないから当然だった。けれど、『よげんのしょ』に書かれているのだから、近く自分は妊娠するという
ことだ。しかも、愛する先輩の子供を。
 菊葉は素直に嬉しかった。就職もしていない大学生同士の間に子供が出来て問題はあるかもしれないが、
やはりそれ以上に大好きな人の子供ができることが、ただ純粋に嬉しかった。
 菊葉はベッドの上でばたばたと手足を動かして、喜びを噛み締めた。が、そこでふと気づいた。子供ができる
ということは、当然小野原先輩とナニをするということだ。実は、菊葉まだそういう経験を一度もしたことがない。
「ど、どうしよう。私、ちゃんとできるかな……。で、できるって何をっ! は、はうわぁ……」
 いずれやってくるその時を想像して、途端に菊葉の顔は真っ赤に染まった。意味も無くベッドの上で正座をして、
頭の中で色々と妄想をし、さらに紅潮する。
 ゆでだこのように熱くなった頭を落ち着かせるために、菊葉はとりあえず気持ちを切り替えて『よげんのしょ』

90 :No.23 『よげんのしょ』 4/5 ◇Kq/hroLWiA:08/02/10 23:20:47 ID:RqqC7kMw
を読み進めることにした。その後も、菊葉と小野原との幸せそうな予言が続いていた。しかし、あるページで、
菊葉の思考が停止した。
 左右のページが、真っ赤に塗られていたのだ。その異様さに、思わず菊葉は絶句してしまった。
 真っ赤に塗られた二ページの、左のページの中央には、二人の人間が倒れている。一人は菊葉で、もう一人は
おそらく小野原先輩。そして右のページには、大型トラックが左向きに描かれていた。トラックのドライバーが
鬼のような形相をしていて、菊葉は思わず背筋を震わせた。
 息をのんで、菊葉は右下の予言を読んだ。
――●月■日(くもり後雨) 菊葉21才 小野原先輩との買い物の帰り、とつぜんトラックがつっこんできて、
ひかれる。私も、小野原せんぱいも、私のおなかの中の赤ちゃんも、みんな死んじゃう――
 何故?
 その言葉が、菊葉の思考を支配した。
 何故自分達が死ぬのか。何故トラックに轢かれなければならないのか。何故。何故。
 菊葉の心を、恐怖という名の蛇がきつく締め付けた。だがそれ以上に、菊葉の心を支配した感情は、理不尽な
死に対する怒りだった。
 『よげんのしょ』は絶対。それは今までの経験で理解していた。けれど、何か回避する方法はないだろうか。
いや、これまでは回避しようとしなかったから予言通りになっただけで、実は簡単に逃れられるのかもしれない。
 菊葉は、もう一度恐ろしい未来の光景を見た。真っ赤な世界に、横たわる二人と、一台のトラック。その
トラックのドライバーに目が行った。憎悪の感情を顔面に貼り付けたような表情だった。そのドライバーの顔を見ていて、
菊葉はあることに気づいた。顔に入った何本かの線のせいで見えにくかったが、よく見ると、頬のところに黒い丸
が描かれていたのだ。
 菊葉は慌ててページを過去に向かってめくっていった。開いたページは、隣に男性が引っ越してくるという
予言が描かれたページ。そこに描かれた男――大上と、将来自分達を轢き殺すドライバーの顔とを見比べた。
「間違いない……こいつだ」
 この男のせいで、私は、小野原先輩は、そして私のお腹にできる子供が死ぬ。そんなのは許せない。絶対に。
 憤怒の念が菊葉の中でたぎる。
 過去の被害者から未来の加害者への、時間に逆行した復讐を、菊葉は決意した。

 チャイムの音が鳴り、大上は玄関へ向かった。声をかけると、若い女性の声が返ってきた。扉を開けて姿を
見せたのは、隣に住む大学生の菊葉だった。
「すみません。私の家の洗濯物が、お宅のベランダのそばに引っかかってて、こちらからは取れそうにないので、

91 :No.23 『よげんのしょ』 5/5 ◇Kq/hroLWiA:08/02/10 23:21:08 ID:RqqC7kMw
こちらのベランダから取らせていただきたいんですけど……」
 女子大生の洗濯物と聞いて、大上の頭の中で少しピンクがかった妄想が膨らんだが、彼はそのことを顔には
出さずに、あくまで真摯な態度で応対した。
 大上が了承して取りに行こうとすると、菊葉は、私も中に入っていいですか、と言ってきたので、大上は少し
浮ついた気分のまま菊葉を室内に招き入れた。
 大上はベランダに立ち、手すりに捕まって菊葉の部屋の側から少しだけ身を乗り出した。地上七階なだけあって、
足がすくんでしまいそうになる。が、女性の前で格好悪いところは見せたくなかったので、大上はあくまで冷静に、菊葉に尋ねた。
「どこらへんですかね?」
「もうちょっと、下の方だと思うんですけど……」
 言われて、大上はさらに少しだけ、身を乗り出した。白いざらざらの壁面をくまなく探してみたが、それらしき
ものは見当たらない。もう少し下かなと思ったその時だった。突然、大上の背中が強く押された。押したのは
もちろん菊葉だ。
 大上の体がベランダの手すりを越え、空に投げ出された。いきなりの展開に、だが大上の脳は冷静に死の危険性を
判断していた。そして、それに対処する方法を思案する前に、鈍く大きな音が地上から響いた。

 大上の死は、結局事故として処理された。
 全てが上手く行っている。慌しい警察の現場検証が終わり、いつもの静けさを取り戻したマンションの自室で、
菊葉は安堵の溜息とともにベッドに腰掛けた。
 『よげんのしょ』を手に取り、ページをめくってみた。真っ赤な予言は今もまだ残っている。彼が死んだら、
未来が変わるから、ページが消えたり、他の予言に書き換わったりするのかと思っていたが、どうやらそれはないらしい。
 菊葉は人知れず祝賀のビールを呷った。

 数ヶ月が過ぎた。その日は、少し曇っていて、天気予報では昼から雨になるらしい。
 菊葉と小野原は、二人で駅前のデパートに買い物に行っていた。菊葉のお腹の中に出来た子供のための、
ベビー用品を買いに行っていたのだ。その帰りでのことだった。
 横断歩道を渡っていた二人に、突如一台の大型トラックが猛スピードで突っ込んできたのだ。
 二人は即死した。
 急ブレーキをかけて停止したトラックから、運転手が降りてきて、物言わぬ骸と成り果てた菊葉を見下ろした。
復讐を遂げた満足感と達成感で、男の口元は怪しくつり上がっていた。
 彼らを轢き殺した男の左頬には、大きな黒子があった。                 おわり



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