【 「思い出スケッチ」 】
◆ZetubougQo
78 :No.21 「思い出スケッチ」 1/4 ◇ZetubougQo:08/02/10 23:07:14 ID:RqqC7kMw
ぼふっ。
学校から帰ってくるなりベッドにダイブ。
外は雨。
季節は梅雨真っ盛りの六月。
気分がめいってくる。
こんなときに元気なヤツが信じられない。
ただでさえジメジメしてやる気が起きないのに、そこへ持ってきて中間試験、文化祭、教育実習生の歓迎会と来たもんだ。
さらには外に出られないから部活の課題のモチーフ――僕は美術部なのだ――を決めることもできない。
実習生が美術担当だから見せる絵を描いてこい、ということらしい。
やれやれ、うだうだしていてもしょうがない。
僕はヤッとばかりに気合を入れて立ち上がると、まず何をしようか考え、まずこの散らかった部屋の片付けるから始めることにした。
久々に押入れを開け、散乱したものを整理し中へ入れていく。
と、押入れの奥隅から古ぼけたペンケースとノートの束が出てきた。
表紙には「絵-01」「02」……
ああ、これは昔のスケッチノートか。
僕の始めてのスケッチノート。
そういえば…
幼いころ。
そう、僕が小学生のころ。
近所の公園でいつも絵を描いてる女の子が居た。
女の子といっても、そのころの僕よりずっと年上で、たぶん高校生くらいだったと思う。
平日の夕方と、休日。
女の子はキャンバスと小さな折畳み椅子とセットでいつも公園内をスケッチして回っていた。
79 :No.21 「思い出スケッチ」 2/4 ◇ZetubougQo:08/02/10 23:07:45 ID:RqqC7kMw
確かに此処の公園は広かったけど、それにしてもよく飽きないもんだと子供心に思っていた。
あるとき、何とはなしにその子の方を見ていると、ちょうど顔を上げた彼女と目が合った。
僕はぎくりとして逃げようとしたが、彼女はそんなあわてた様子の僕を見て、ふっと笑いかけ、
「気になる?」
と聞いてきた。
僕はギクシャクと首を横に振ると、続けてこう聞いてきた。
「見る?」
それが、僕が彼女の絵を眺めるきっかけだった。
そして、僕が絵を始めるきっかけだった。
彼女の絵は鉛筆画だった。
何種類もの鉛筆を使い分けて描き上げるその絵は、白と黒でしかないのに、とても鮮やかで暖かく感じた。
そんなお日様のような彼女の絵を見に、僕は毎日のように公園へ通った。
彼女の後ろで、細い黒鉛の線がやさしい一枚の絵に仕上がっていくのを眺める。
ただ、遊び盛りのガキのことだ。
描き終わるまでじっとはしていられなくて、歩き回ったりなんかして手持ち無沙汰な感じだったんだろう。
そんな落ち着きの無い僕に、ある日彼女はプレゼントをくれた。
「ねえねえ、君も一緒に絵、描いて見ようよ」
それは、2Hから4Bまでの濃さが並んだ7本の鉛筆のセットだった。
自由帳を広げ、鉛筆セットを片手に彼女と並んで絵を描く。
鉛筆の正しい持ち方から構図、スケッチ。
絵のことになると彼女は熱心にいろいろ話してくれた。
「鉛筆には濃さがあってね、Hが硬いので、Bが濃いの。Bはブラックって言ってね…」
「硬い鉛筆はしっかり紙にくっつくからなかなか消えないんだよ」
「絵を描くって楽しいでしょ?それをたくさんの人に教えてあげたい。絵の先生になるのが私の夢なんだ」
「うふふ、二人して鉛筆突き出して悩んでるなんて、おかしいね」
楽しみながら描いたせいか彼女の教え方がうまかったせいか、僕はしだいにうまく描けるようになり、彼女にそれを見せては褒めてもらっていた。
80 :No.21 「思い出スケッチ」 3/4 ◇ZetubougQo:08/02/10 23:08:19 ID:RqqC7kMw
ただ、いつも僕はなぜか、固めの鉛筆ばかり使ってた。
それでは当然金属のように硬い絵しか描けない。
彼女は笑ってそれを注意していたが、僕はそれからも柔らかい系の鉛筆はあまり使わなかった。
なぜ僕がそんなことをしたんだったか。
今ではもう思い出せないけど。
まあいい、そんな感じで、親たちがあきれるほど毎日絵を描いていた。
セミの鳴く街路樹も。
散り積もる紅葉も。
布団のようにあたり一面を覆う雪景色も。
そして。
その銀色に飾られた公園で、僕は彼女にさよならを告げられた。
進学のために引っ越すから会えなくなる、と。
81 :No.21 「思い出スケッチ」 4/4 ◇ZetubougQo:08/02/10 23:09:02 ID:RqqC7kMw
それから僕はあの公園には行っていない。
あれほど描き続けていた絵も、もうあのときほど楽しく感じない。
パラパラとノートをめくる。
もう擦れて薄くなってしまっているけど、確かに僕の絵。
まだ下手糞だけど、彼女と絵を描けることがうれしくて、楽しくてしょうがない気持ちで描いた絵たち。
そんな絵を見ていると、忘れてしまった彼女との会話までよみがえってくるようだった。
懐かしくてついずっと見ていると、ノートの端から一枚の紙がぱらりと落ちる。
拾い上げてみると、それは。
彼女の、横顔。
真剣な顔でキャンバスに向かう、彼女。
隣でこっそりと僕が描いた、彼女。
硬い2Hの鉛筆で描かれたそれは、掠れず薄れず、描いたままを保っていた。
思い出の底にそっと畳まれていた一ページ。
その顔立ちが、開かれる。
そうだった。
僕は、彼女のことが、好きだったんだ。
初め絵を見に通ったのも、絵よりもそれを描く彼女を見て居たかったから。
もう長い間記憶の底に仕舞われていた思い出。
埃の積もった鉛筆ケースを空ける。
中には鉛筆が7本。
2Hだけやけに小さい、でも7本全部そろった、鉛筆。
そう、硬い鉛筆は減らない。
僕は、彼女からのプレゼントを使い切ってしまいたくなくて、わざと硬い鉛筆ばかり使っていたんだっけ。
絵、描こう。
彼女の思い出とともに、忘れていた絵への思いがよみがえってきた。
外は雨だけど、傘さしてあの公園に行ってみようか。
今なら良い絵が描けそうだ。
明日来るという先生を驚かせるくらいのものを描いてやる。
僕は思い出の鉛筆セットを手に、家を飛び出した。