【 「描くモノ」 】
◆ZetubougQo




71 :No.19 「描くモノ」 1/3 ◇ZetubougQo:08/02/10 20:10:30 ID:fA3WfsI5
紅葉狩りの季節も終わりかけるころ。
無表情で行きかう人々。
そんな雑踏の中、その男は居た。
衣替えというには大げさな長いコートを羽織り、スーツケース大の古びた鞄に腰掛け、カンバスを広げるその男。
どこか絶望したような顔で日々往来を眺め、一心に描き続けるその姿は、なにか寒気を感じさせた。

変わったものに興味を引かれるタチの私は、ある日思い切って声をかけてみた。
「何を、描いてるんですか」
男はちらりとこちらを見ると、トントンとカンバスを叩き、また作業を開始した。
どうやら、黙ってみてろということらしい。
脇から覗いてみると、それは一人の老人を描いた墨絵だった。
こんな街中に来てるんだから、てっきり風景画だろうと思っていた私は意表を付かれ、「なんで…」と口走ってしまった。
男はそれには応えず、黙々と描き続ける。
開始から数分後、とてつもない速さで男は描き上げた。
あれだけの時間で描いたとはとても思えないほどの精細な絵を。
モチーフの老人などどこを探しても見当たらないというのに、声や仕草までもを思い浮かべさせる。
その人の時間を一瞬だけ止め、すっぽりと投影した、そんな感じがした。
「すごいですね。こんなに巧いなら、いっそ絵の具で描いたらどうです?もっと生き生きと描けると思いますよ」
男は静かに首を振るとゆるゆると立ち上がり、座っていた鞄に描き上げた絵をしまうと、また新しい紙を取り出す。
カンバスに紙を置くと、男はその虚ろな目でぼうと往来を見やる。
そのまま男は何をするでもなく行き交う人々を眺めていた。
なんだ、もう描かないのかと行こうとすると、男はふと顔を上げた。
その視線の先には一人の男性。
目でそれを追いつつ、筆を取り出す。

72 :No.19 「描くモノ」 2/3 ◇ZetubougQo:08/02/10 20:10:48 ID:fA3WfsI5
ほう、次はあの男性を描くのか。
まったく、こんな往来で一見しただけの顔を描き続けるのか。
なにもこんなところで描かなくても良いのに、いったいどんな変わり者なんだか。
そんな事を思いつつ、ふと私は男の顔を覗いてみた。
その顔は、悲哀に満ちていた。
絵筆を硬く握り締め、どうしようもなく悲しげな顔で、眺めていた。
過ぎ去る背中をひとしきり見送った後、男はまた黙って描き始めた。
元のように無表情になり、黙々と、描き始めた。
ただただ、描き続けた。

男の絵は、単に巧いだけでなく、何か、見るものの心を鷲づかみにするものを持っていた。
描くのは大抵老人で、時たま中年や、子供も描くこともある。
それらの絵は何十枚、いや何百枚になるのか。

仕事柄、よくその通りを利用する私は、時々その男の絵を見に行った。
その日も私は、外回りのついでに男の絵を見ていた。
車椅子に乗った少年の絵を描き上げると、また男は通りを眺める。
私も一緒にぼうっとしていると、突然後ろから声をかけられた。
「おーいお父さん、なにやってるの?」
振り向くと家族――家内と息子――が不思議そうにこっちを見ていた。
「おまえたちも今日はどうしたんだ。買い物か?」
「うん、久々にデパートにね」
「それとね、向こうの公園に戦隊ヒーローが来るんだよ!」
「そうかそう、帰ったらどんなショーだったか教えてくれよ」
そんな雑談をし、仲良く二人歩く姿を見送った。
自分もそろそろ行かなくては。
去り際にちらと男のカンバスを覗くと、親子二人連れの絵が描かれていた。
ほう、二人同時に描くなんて珍しいな、などと思いつつ、私は会社への道を急いだ。

73 :No.19 「描くモノ」 3/3 ◇ZetubougQo:08/02/10 20:11:14 ID:fA3WfsI5
 その五時間後、私は寒空の中、呆然と立ち尽くしていた。
 あのあと社内で突然課長に呼び出され、深刻な顔で告げられたのは、
「落ち着いて聞いてほしい。君の奥さんと、息子さんが、事故に遭われた」
 病院に駆け込んだが、もう二人とも息を引き取った後だった。
 公園近くの交差点で、わき見運転の車に、撥ねられた、らしい。
 病院から帰宅すると、玄関先に何か立てかけてあった。
 それは、昼間あの男が描いていた絵。
 手をつないで歩く、家内と息子の、絵。
 昼間の時と違うのは、そう。
 その絵は黒塗りの額に入り、墨染の垂れ布が掛けてあったのだ。



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