【 運命の筆 】
◆zsc5U.7zok




66 :No.18 運命の筆 1/5 ◇zsc5U.7zok:08/02/10 18:12:25 ID:OmTKY2vc
 ここに一枚の絵がある。
 この絵は、とある画家の全てが描かれた傑作だ。
 周りに天才画家と呼ばれながら、ある時忽然と姿を消した男。
 これから俺が語るのは、この絵にまつわるその男の真実と不運の物語だ。

 男は一言で言えば平凡だった。
 妻と娘が一人。画家を志し、日がな一日絵を描き続けることもザラだった。
 そこそこ絵は上手かったかもしれない。男が書いてきた作品を見ても、下手だと言う者はいなかった
ろう。
 ただ、天才ではなかった。
 地の滲むような努力の果てに、様々な技法を身に付けたりもしていた。
 だが、どれほど腕を磨いたところで、目に入っただけで人々の足を止めさせ、見ているだけでその瞳
から涙が溢れてくるような……そんな絵を描くことはできなかった。
 男が頑張れば頑張るほど、天賦の才を持つ者が描いた作品の凄まじさを思い知らされた。

67 :No.18 運命の筆 2/5 ◇zsc5U.7zok:08/02/10 18:12:43 ID:OmTKY2vc
「何故だ! 何故、これほどの差があるのだ! 私は自分に出来ることは全てやっているというのに、
何故これほど惨めな思いをしなければならないのだ!」
 男が悩んだ時、妻は必ず優しく夫を慰めた。
「他人の評価なんてどうでもいいじゃない。貴方の絵の良さは私達が知っているわ」
 男が悲しんだ時、娘は必ず強く父を元気付けた
「あたし、おとうさんも『おとうさんのえ』もだぁいすき」
 だが、そうは言っても現実は残酷だ。
 例え、男がいくら絵を描いたところで、素人より多少上手いばかりのその絵を高値で買おうなどとい
った奇特な者はいなかった。
 描けば描くほどその生活は貧しくなっていくのだから、普通ならば諦めざるを得なかったろう。
 絶望の果てに、新たな道を模索すべきだったかもしれない。
 しかし、不運なことに男の強烈な自尊心と嫉妬心は、自身が絵の道を諦めることを許さなかった。
「神よ! いや、この際悪魔でも構わない。私に力を! いかなる天才を持ってしても描くことの叶わ
ぬ絵を描き出す力をくれ!」
 天才とは、天からその優れた力を与えられた者を指すのだ。
 男がこの世に生まれた時点で、天は彼を見限っていた。平凡な人間というのはそういうものだ。
 だから、彼が力を得る為には悪魔に頼るしかなかった。
 そして、本当に……心底男が不運だったのはこの後のこと。
「人間。お前の願いを叶えてやってもいいぞ?」
 どこからともなく聞こえた声。男が周囲を見渡しても誰もいない。
「だ、誰だ! どこにいる!」
「おいおい、『誰だ』ってのは酷いじゃねぇか。お前さんが俺を呼んだんだろうに」
 次いで、甲高い笑い声が響いた。
「ま、まさか」
「おうよ、お前さんの考えてる通りだ。悪魔が哀れな人間の願いを叶えてやろうっていうんだよ」

68 :No.18 運命の筆 3/5 ◇zsc5U.7zok:08/02/10 18:13:04 ID:OmTKY2vc
 ここで一つ、良いことを教えよう。悪魔というのは人間のいうことを素直に聞いたりはしない。例え
一時の快楽を得られても、後で必ず大きなしっぺ返しを喰う羽目になるのだ。覚えておいてほしい。
 さて、話を戻そう。もちろんその時の男に、悪魔の誘いを拒む理由は無かった。
「本当に……力をくれるのか?」
「ああ本当さ。そうだねぇ……。ただ上手い絵が描けても面白くないだろう。よし。じゃあ、お前にこ
いつをやろう。」
 いつの間にか、男の手の中には一本の絵筆が握られていた。
「それは、様々なものの未来を鮮明に描くことが出来る筆だ。そいつがあれば、お前は世界で唯一人の
未来を描く画家になれるだろう。しかも、そいつで描かれた絵はどんな天才画家であろうと霞むほど生
々しく美しくなるってぇオマケ付きだ。世界中の人間どもが、お前を天才と褒め称えるだろうぜ」
「……」
 男はここで考え込んだ。確かに、この筆を使えば金や名声は手に入るだろう。だが、それは実際には
自身の力ではないのだから。画家としてのプライドが、男を迷わせた。
 だが、結局男は引き返すことは出来なかった。
「……条件は何だ。言っておくが、娘と妻だけは渡せんぞ? それ以外なら好きに持っていくがいい」
 男は、残っていた理性を振り絞って条件を付けた。
「くくっ。話が早いじゃねぇか。安心しな。そんなもんいらねぇよ」
 結局、悪魔はその時は何も取らずに消えてしまった。
 しかし、男はここで気付くべきだったのだ。自分の犯した大きな過ちに。
 
 それからというもの、男はその筆で様々な未来を絵にした。
 その絵は全てがとても美しく、またそのどれもが正確に未来を予見した。
 男女の結婚などのささやかなものから、戦争や飢饉といった大きな事件までを次々と。
 もちろん男の名は世界中に知れ渡り、名が広まるにつれて男の絵の価値も飛躍的に上がっていく。
 ついには、男は世界で知らぬ者がいないほどの天才画家として、多くの羨望を集めるまでまでに上り
詰めた。
 まさにこの時、男は人生の絶頂の中にあった。
 だが、さっきも言ったように、悪魔との取引には必ず裏が存在する。
 男がそれに気付かされることになるのは、それからすぐのことだった。

69 :No.18 運命の筆 4/5 ◇zsc5U.7zok:08/02/10 18:13:19 ID:OmTKY2vc
 その日。男がいつも通り、仕事を終え家に帰ると妻と娘の姿が見当たらなかった。
「おーい。どこだい? 返事をしておくれ」
 男は妻と娘に呼びかける。しかし、いくら探しても二人は見つからない。
「一体どこに行ってしまったのだ……?」
 探し疲れて途方に暮れる。と、今までには無かった筈の一枚の絵が壁に掛けられていることに気付い
た。
「ん? 何だ、この絵は」
 男はその絵を手にとってまじまじと見つめる。
「これは私の家の中ではないか。私はこんなものを描いた覚えはないぞ。」
 その絵には、家の中で食卓につき笑顔を浮かべる妻と娘の姿が描かれていた。
 とても幸せそうな、優しい笑顔。今ではもう見慣れてしまった笑顔だ。
「まさか、いやそんな馬鹿な……」
「いよぅ、兄弟。どうだ? 俺が描いた絵の感想は?」
 男の予感を裏付けるように、あの声が響いた。
「な、お前、あの時の悪魔か?」
「くくっ。ああそうさ。お前さんが上手くやってるか気になってなぁ。」
 耳障りで不快な声だった。男は自分の恐ろしい考えを振り払うように悪魔に問うた。
「妻と娘がいないのは、お前がやったのか!?」
「いない? おいおい、天才画家さんよ。お前さんの目玉は飾りなのかい? 目の前にいるじゃない
か」
「何!? では、やはり……」
「ああ、そうさ。その絵の中でとても楽しそうに微笑んでいるだろう」
 悪魔の高笑いが響いた。
 男の妻と娘は、絵の中に入れられてしまったのだ。
「何故だ!? 妻と娘は奪わぬといったではないか! 約束が違うぞ!」
「あん? おいおい、俺はそんなつまらない物を奪ったつもりは無いぜ? お前さんからいただいた
のは、お前さんの未来だよ」
「え……?」
 そう。男が奪われたのは、自分が幸せを感じる未来そのものだった。

70 :No.18 運命の筆 5/5 ◇zsc5U.7zok:08/02/10 18:13:38 ID:OmTKY2vc
「約束どおり、大事な大事な娘さんや奥さんを奪うことなんてしないさ。ただ、お前さんはその幸せ
な団欒には加われない。何故なら、そこにあんたの未来は無いからだ。黙って、その幸せな光景を見
つめながら絵を描くことしかできないのさ」
 嘲るような声。
「安心しな。お前さんからその絵を奪ったりはしないよ。約束だからなぁ。だが、これから先も、あ
んたにまつわる物は残らず絵になっていくだろうぜ? 何せ、あんたには未来が無いんだからさぁ」
 悪魔は下品な笑いを残し、再びその気配が掻き消えた。
「なんという……ことだ」
 男は絶望に膝をつき、暫く手の中の絵を見つめていた。
 その絵は、男が悪魔の筆で描いてきた物と同様、とても美しく生々しかった。

 ああ、なんとも救いようの無い話じゃないか。結局、男はその絵をそこに残し、何処へともなく消
えてしまった。
 人々は、家族で旅にでも出たんだろうなんて噂した。
 その絵は、画家の最後の作品だってな。
 だが、実際は違うのさ。
 男は、とある方法を使って、妻と娘の所に行ったんだ。
 どんな方法かって? 知りたいのなら、この絵をよーく見るがいい。部屋の隅で、今にも揺れ出し
そうな男の姿が見えるだろう?
 男は、絵に描かれた部屋の中で、自ら首を括ったのさ。死体もまた、男の未来だからな。優しい悪
魔はその姿を絵に描き加えてやったんだよ。
 かくして、幸せな団欒の中で首を吊っているというこの奇妙な絵の出来上がりってわけだ。
 どうだい? 素晴らしい作品だろう? 哀れな男の人生が全て詰まった傑作だ。
 さて、もう分かったようだな。俺が誰なのか。
 お前らは、悪魔となんか取引しちゃいけないぜ? 大抵は悲惨な末路が待ってるんだからな。
 ん? 何で悪魔の癖にそんな忠告をするのかって?
 そりゃあ当然さ。人間は、怖いものほど近づきたがるって愚かな生き物なんだからなぁ……くくっ。

 了



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