【 なめくじ男と絵日記 】
◆/sLDCv4rTY




49 :No.13 なめくじ男と絵日記 1/2 ◇/sLDCv4rTY:08/02/10 17:07:40 ID:XkyjENZ9
 どこか遠い町に住むなめくじ男は、ある一冊の絵日記を愛読している。
 それは薄い日記帳で、ぼろぼろの表紙には汚い字で彼のものではない名前が書れている。
表紙をめくると、お父さんと呼ばれている男の頭がなめくじにどんどん近づいていく姿が、
おそろしく下手な絵で書かれている。
また、なめくじが好きな「お父さん」が、なめくじに近づいていくことでどんなに喜んだかも書かれている。
 それを愛読しているなめくじ男はその名の通り、
頭から肩までは薄い褐色のなめくじで胴体手足は肌色の人間という奇妙な躯をしていた。
また、なめくじの範囲は日ごとに拡がっていって、腕もその上半分はなめくじのようにブヨブヨとしていた。

 異臭のしている或る部屋の、床にしかれた新聞紙の上で彼は正座をしていた。
そしていつものように彼は彼の五本の指で、最後のページから日記をめくって読んでいった。
濡れた手で字をなぞりながら、じっくりと読んでいった。
 最後のページから読んでいくと、日記に描かれている男はどんどん普通の人間に戻っていくようにみえた。
 彼は初めのページまで読み終えると、粘液にまみれた二つの臭い目を瞑り、
自分が普通の人間だったときの妄想をするのだ。
 彼は虚無の妄想の中では人間だった。なめくじが好きな普通の人間だった。
虚無の世界で彼は彼の息子とあそび、とびきりの笑顔を見せるのだった。
彼は夜の、しかも雨の降る人通りの少ない時にしか外出ができず、
もはや虚無の中こそが彼の世界の全てだった。
 虚無の世界で彼は笑っていた。虚無自体も笑っていた。
 彼には人間がこわかった。そしてなめくじのことを、もはやきらいになっていた。

50 :No.13 なめくじ男と絵日記 2/2 ◇/sLDCv4rTY:08/02/10 17:08:16 ID:XkyjENZ9
 妄想をやめて目を開けて、なめくじ男はおもった。
“あひゃるにもも、に、にべ、にももも。びひ、びひゃひゃ、びひひひひひひひ”
そうおもって、彼はへんな液体を吐いた。
“ぼえっ!”
一度豪快に吐き出してからも黄ばんだ液体はぼたぼたとしたたった。
 液体が出終わると、それから彼は、自分の体液がこぼれ落ちて黄色く濡れた新聞紙を見つめていた。
 数秒間見つめて、それからそれを丸めて捨てようとした。
しかし彼にはその体液が、自分のなかで徐々に消えていく「人間」の一部なんじゃないかとおもえてきて、
その体液が付き染み込んだ新聞紙を彼はむしゃむしゃと食べた。
これ以上「人間」を逃してしまわないために急いで食べた。
 食べている途中、昔は耳だった穴からもへんな体液が吹き出てきた。
苔みたいなものが混ざった体液を穴から飛び散らせながら彼は汚れた新聞紙をむしゃむしゃと必死に食べた。
 彼は、人間に戻りたかった。
彼には、このままなめくじになってしまうことが、こわかった。
彼の頭の中では、虚無がずっと笑い続けていた。



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