【 ある画家の絵 】
◆eYCc7/VuC2




31 :No.09 ある画家の絵 1/3 ◇eYCc7/VuC2:08/02/10 00:02:44 ID:O/Da0CZZ
 部屋の中に男が一人いる。ぎらぎらとした目つきの男は、窓からさしこむ月の光を頼りに一心不乱に絵を描いている。
 男は画家であった。有名ではないものの、自らが描いた絵を売ることでなんとか日々の糧を得ていた。
 来る日も来る日も、男は絵を描き続けていた。生来絵が好きであり、それしか生き方を知らなかった。
 ある夏の日のことである。
 男がふとイーゼルを見ると、そこには見知らぬ絵があった。妙齢の女性が雪景色の中で微笑む絵である。
 はて、こんな絵を描いただろうかと男がいぶかしがっていると、どこからか男を呼ぶ声がした。周りを見渡しても誰もいない。
 ここだここだ、という声に振り向けば、絵の中の女性が男に向けて手を振っているのである。
 男はひどく驚いたが、絵の女性が言うには困っていて助けて欲しいということである。
「こんなところに穴が開いちまってね。寒くていけない」
 見れば女性の外套の一部の絵具が剥がれてしまっていた。
「あんた画家だろう。直してくれやしないかい」
 男は言われるままに絵具を上から重ねてやった。すると女性は満足そうな顔でお礼を述べた後、元の絵の様に戻った。
 不思議なこともあるものだと、男はその絵を飾っておいたが女性が喋りだすことは二度となかった。
 また別のある日のことである。
 以前と同じように、イーゼルの上に見知らぬ絵があった。林の中で少年達が駆け回る絵である。
 もしやと思ってよくよく見れば、絵の中の少年達が男へと手を振っていた。聞けば、やはり困っているのだという。
「あんなものがあったら危なくていけない」
 見れば少年達の頭上のあたりに土くれのような汚れがついていた。
 男が言われるままに汚れをとってやると、少年達は満足そうな顔でお礼を述べた後、元の絵の様に戻った。
 それから幾度か同じようなことがあった。
 見知らぬ絵があらわれ其処此処が良くないというのを直してやると、お礼を述べてただの絵となるのだ。
 何故こんなことが、と疑問に思いもしたが、絵好きの男はあらわれる絵あらわれる絵を直してやった。

32 :No.09 ある画家の絵 2/3 ◇eYCc7/VuC2:08/02/10 00:03:16 ID:O/Da0CZZ
 季節が巡り冬になった。
 ある商人が男の絵を見たいと言って男の部屋を訪れた。男は促されるままに自分の絵を何枚か見せた。
「あぁ、これはなかなかいいね。おや、こっちの女性の絵は……」
 商人が見ていたのは、あの突然あらわれた女性の絵であった。これなら高値で売れると商人が言うが、自分の絵でもないので売ることはできな
いと男は断った。どういうことかと尋ねる商人に、男は喋る絵の話をしてやった。
 驚く商人に他の絵も見せると、どれもこれもすばらしい出来だと言った。
「是非とも売ってくれないだろうか」
「……少し、考えさせてください」
 夜、男は絵を並べて悩んでいた。確かにお金には困っていた。食べるだけで精一杯の生活からも抜け出せるだろう。しかし、どこの誰が描いた
ものとも知れぬ絵である。しかも言葉を喋った面妖な絵だ。何が起こるかわかるものではない。男はそう考え、断ろうと決めた。
 次の日、男が絵を描いて商人を待っていると、突然扉を破って屈強そうな男達が現れた。男の誰何に何も答えない男達は、どうやら男を捕らえ
ようとしているらしい。男はたいした抵抗もできずすぐに縄で縛られた。
 男が目を白黒させていると、昨日の商人と警吏があらわれた。
「おぉ、これです。これが盗まれた絵です」
 絵を大事そうに抱える商人を見て、ようやく男にも事態が理解できた。だが、男が何を言おうと警吏は聞こうともせず、男は牢獄に入れられた。
 それから数日後、男は釈放されたものの家をとりあげられ、画材だけが渡された。
 男はどうしようもなく、ただ絵を描いた。我が身を嘆き在りし日を胸に抱いて、絵を描いた。

33 :No.09 ある画家の絵 3/3 ◇eYCc7/VuC2:08/02/10 00:03:37 ID:O/Da0CZZ
 男は持てる画材だけを持ち、途方に暮れていた。
 このままでは夜にも凍えて死んでしまうことは明らかだが、頼れるところもなかった。
「お困りかい?」
 声に振り向けばそれは女性であった。よくよく見ればあの絵にある妙齢の女性である。男が驚きを隠せずにいても、女性は気にした素振りもない。
「寒いだろう。うちにおいで」
 男は言われるままについていった。物の怪であれなんであれ、このままでいるよりはマシだと考えたのだ。
 着いた女性の屋敷は広く、かなりの富豪であることが見て取れた。
「あんた画家だろう。頼みがあるんだ」
 女性は自分の絵を描いて欲しいのだと言う。
 絵の完成まではここにいたらいいという女性の好意に甘え、男は言われるままに絵を描いた。それはいつかの女性の絵そっくりになった。
 女性は絵をとても気に入り、男に代金だと男が暫く生活に困らないだろう額の代金を払った。女性に尋ねてみたが、絵を描かせたのは男がはじめて
であり、同じ絵を見たこともないと言う。
 女性の屋敷を出ても、男は絵を描き続けた。時には子供達の絵を描いて欲しいという紳士の頼みを聞き、時には自分達を描いてくれという老夫婦の
頼みを聞いた。不思議なことにそれらはどれもいつか男の部屋に現れた絵と同じ様になった。皆一様に絵を気に入るが、同じ絵を見たことなどないと言う。
 喋った絵と同じ絵を一通り書き終えた頃には、男は再び自分の部屋を得て絵を描く日々をはじめることができた。
 新しい男の部屋にも時折、汚れたり痛んだ絵が突然あらわれることがあった。男は絵の喋るまま、それらを直してやった。

 それから幾年月が過ぎ、街の好事家達の中では一つの噂が流れていた。
 部屋の中に男が一人いる。ぎらぎらとした目つきの男は、窓からさしこむ月の光を頼りに一心不乱に絵を描いている。
 その画家の男が描かれた絵の前に絵を置いておけば、次の日には絵の汚れや傷が直っているということである。



BACK−ある風景の絵◆7BJkZFw08A  |  INDEXへ  |  NEXT−ぼでぃ・ぺいんと◆IPIieSiFsA