【 萌絵と旅する男 】
◆CFP/2ll04c




16 :No.05 萌絵と旅する男 1/3 ◇CFP/2ll04c:08/02/09 23:53:12 ID:9vfIfcC3
 暗い夜道を自宅に向かって歩いている時、いきなり物凄い衝撃に見舞われた。曲がり角から
突然何かが飛び出してきて、俺に勢いよくぶつかってきたらしい。
「だ、大丈夫だったかい? け、怪我してない?」
 俺は尻もちをついたまま、どうやら若い男らしい、声の主に返事をした。
「ああ、大丈夫ですよ。そちらは怪我ありませんか?」
「へ?」
 なぜかその男は、俺の存在に初めて気がついたようだった。よくよく見ると、大事そうに胸に
抱えている、大きな四角い物にその男は話かけていた。
「す、す、すいません。ちょっと考えごとをして、ぼんやりしてましたので……」
 ようやく男は俺のほうに向って、ぺこぺこと頭を下げて謝ってきた。街灯に照らしだされた男
は、とてもやつれた様子で、眼鏡の奥の目が弱々しく俺を窺っていた。しかし、謝っている間も
相変わらず、黒い布に包まれた平らな物を宝物のように固く抱きしめたままだった。
 だんだん俺は、男が大事そうにしている物が気になってきた。
「もしかして、見たい……ですか?」
 唐突に男は、消え入りそうな声で俺に話しかけてきた。奇妙なことに、自分から提案してきた
くせに、男の顔はとてもつらそうに歪んでいた。
「あ、はい。よかったら見せてほしい」
 その頃には、俺の好奇心も抑えきれないほど膨れ上がっていたので、渡りに舟とばかりに、その
提案に飛びついた。
「すぐ近くに公園があるから、そこへ行きましょう」
 自分が言ってしまったことに対して、悔やんでいるような様子の男の背中を押すようにして、俺達は
一緒に公園へ向かった。

17 :No.05 萌絵と旅する男 2/3 ◇CFP/2ll04c:08/02/09 23:53:44 ID:9vfIfcC3
 芝生の広場の真ん中に、並んで腰をおろした。頭上にはあまり明るくはないが照明が立っている。
 男の顔には、自分の彼女の写真を初めて友達に見せる時のような、期待と不安がないまぜになった
複雑な表情が浮かんでいた。少し震える手で、男は固く結ばれている包みを解いていった。
 俺はそこに現れた光景に思わず息を呑んだ。
 絵だ――明らかにただの二次元の絵だ。しかし、俺はそれを見た瞬間に、脳天から雷に打たれた
ような衝撃を受けていた。
 縦一メートル、横五十センチくらいの安っぽいフレームの中にその娘は佇んでいた。洋館の一室
だろうか、床には赤い絨毯が敷かれ、奥には豪華な天蓋付きのベッドが見える。中央に小首を傾げ、
上目づかいにこちらを見ている少女がいた。髪の毛は緑色で、猫耳がちょこんと頭に乗っている。
両手は濃紺のメイド服の胸元で、固く握りしめられていた。ちょうど何かを懇願するかのように。
 そういえば少女の大きな目も、光の加減によるものかとても不安そうで、俺に向かって何事か訴え
かけているようだった。
「これは……どこで手に入れたんですか?」
 唾をごくりと飲み込んだ後、俺は男に質問をした。
「それはちょっと……」
 男の声はとても小さく聞き取りにくかったが、質問に答えたくない気持は明らかだった。
(お……いちゃ……て)
 何か聞こえたような気がしたが、俺は男に話かけるのに夢中だった。
「その絵いくらだったら売ってもらえます?」
 男は驚愕して目を見開いた。その質問には答えないまま、怯えもあらわに再び絵を包みはじめた。
(おにいちゃん……たすけて……)
 澄んではいるが哀切に満ちた少女の声が、頭の中に響いたのはその時だった。
 俺は絵の中の少女が、自分に助けを求めていることを確信した。
 足元に転がっていた、赤ん坊の頭くらいの大きさの石をそっと持ち上げた。下を向いて一心不乱に
荷造りをしている男の後頭部めがけて、俺は勢いよく石を振り下ろした――

18 :No.05 萌絵と旅する男 3/3 ◇CFP/2ll04c:08/02/09 23:54:10 ID:9vfIfcC3
――それから、俺は少女とともに旅をしている。男が死んでしまったか生きているかはわからない。
 警察に捕まるのも嫌だったし、何より少女がどこかへ行きたがってると感じたから旅にでた。
 たぶん俺が石で打った男も、前の所有者から似たような方法で奪ったのだと思う。この絵にはそれ
をさせる魔性が宿っている。少女の声はあれ以来聞こえない。
 当て所もない旅だった。安いビジネスホテルやネットカフェで泊まりを重ねた。部屋に二人きりに
なると、一番見やすい場所に少女の絵を掲げた。飽きることもなく、ただ少女を眺めた。
 双眼鏡を逆さまにして、自分と絵を一緒に覗いてもらえれば、その絵の中に入れるという話を何かで
読んだことがある。しかし、少女を誰にも見せたくはなかったので、その方法は不可能だった。
 俺は絵の中に入れた自分を妄想して、頭の中で少女と戯れた。

 薄汚れた食堂に入った時、嫌な予感がした。男の客が一人だけいたが、そいつは俺の抱えている黒い
包みに、ねっとりと絡みつくような視線をよこしてきた。俺は男から一番遠い席に座ることにした。
「兄ちゃん、それなに?」
 男は図々しくも俺の向いの席までやってきて、どかりと腰をおろしながら、無遠慮に尋ねてきた。
「俺が描いたつまらない絵です」
 俺はできるだけ素っ気なく答えた。すると突然、頭の中に絵を奪った時以来、初めて少女の声が聞こえた。
(その人に私を見せなさい!)
 俺は別れがきたことをはっきりと自覚しながら、その男におずおずと申しでた。
「もしかして、見たい……ですか?」
  
                        完



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