【 この醜くも美しい世界 】
◆Ms.BlueNHo




120 :No.29 この醜くも美しい世界 1/5 ◇Ms.BlueNHo:08/02/03 23:39:53 ID:sYxQu+th
 世界は、規律に満ちている。

「……」
 何も変わらない、それこそある種のルールに則って行われているかのような高校の授業を、俺はいつものように聞き流していた。
 本来学生というものは、授業をマジメに聞いて勉学に励まなければならないらしい。
 それは尤もだ。勉強をしないでロクな大人になってしまっても、困るのは自分なのだから。
 しかし。だが、しかし、
「あんな大人になっちまうくらいなら、いっそ学ばない方がマシだよな」
 教壇に立ち、黒板に向かって気だるそうにテキストの数式を書き写している数学教師に聴こえないくらいの声で、俺は呟いた。
 端から見れば、どこにでもいる教師の、どこででも行われている授業風景だ。特別良い所も無いが、目に見えて悪い部分も無い。
 常人が、見る分には。
 視界に映る数学教師は、俺から見ればただの薄汚い、卑怯な人間の一人に過ぎない。
 教師だけではない。例えばこのクラス全体を見渡してみても、吐き気がするぐらい汚い人間が殆どだ。
 身なりではない。こいつらは性格が腐っている。
 何故そんな事が言えるかと言うと、決定的な証拠があるからだ。
 教師も、生徒も、誰も彼も。
 建物にも。きっと、この世界そのものにも。
 皆が皆、じゃらじゃらと煩そうに身体になにかを巻きつけている。

 それは、ルールと言う名の文字で編まれた、鎖の束だった。

121 :No.29 この醜くも美しい世界 2/5 ◇Ms.BlueNHo:08/02/03 23:40:18 ID:sYxQu+th
 俺がこの鎖に気付いたのは、物心ついた時。俺がこの鎖の意味を知ったのは、小学生の時。
 そして俺がこの鎖を侮蔑の対象と認識したのは、中学生の時だった。
 文字が幾重にも折り重なって編まれた鎖が、本人の体中に縛りついていた。しかし、当の本人はそれに気付く様子も無く、普段通りに生活している。
 この鎖一本一本は自らが定めたルールの条文で出来ていた。いわゆる、自分ルールと言う奴だ。
 落ちた食物は3秒まではセーフとかいうくだらないものから、自分より弱そうな奴はパシリに使えるという神経を疑いたくなるようなものまで、様々だ。
 そしてその鎖は、銀の光沢を放つものもあれば、錆色で今にも砕けそうなものもある。この違いの意味を、俺は最近になって知った。
 俺は、ちらりと隣の席に座っている男子生徒を見た。机に突っ伏してぐっすりと眠っている。
 その生徒の身体にも、例外無く鎖が巻き付いている。俺は意識を集中して、その鎖の条文を読み解いていく。
 どれもくだらない自分ルールばかりだったが、その中でも一際くだらない、お目当ての条文を発見した。
――自分ははこの授業中、気づかれる事無く寝通す事が出来る――
 出来たばかりのルールなので、その鎖は銀色に輝いていた。が、文字の密度が目に見えて薄い。今にも崩れ落ちそうなくらいスカスカだった。
 当たり前だ。その条文には、理由が無かった。こういう自分勝手な思い込みは得てして脆い。
「コラァ! そこの奴、何寝ているんだ!」
 案の定、教師の怒声が男子生徒に突き刺さった。男子生徒が慌てて飛び起きる。
 俺はその瞬間、鎖同士の攻防戦とも言えるものを目撃する。一瞬の事だが、何故かスローがかかったように鮮明に映るのだ。
 怒声の音波に乗るように、教師から男子生徒に向かって鎖が伸びる。
――不真面目な生徒は、廊下に立たせて説教しても良い――
 これはこの教師が長年使い続けてきたものなのだろう。錆が目立っていた。しかし、文字の鎖は太く、長い。
 伸びた鎖は男性生徒に直撃する。正確には、男子生徒の鎖に。
 激突は一瞬だった。男子生徒の鎖は倍速映像の様に急速に錆び始め、一瞬にして砕け散る。ルールが破られたのだ。
「廊下に立ってろ!」
 教師がそう言うと、男子生徒は顔を伏せながら退室する。
 どっちもどっちのくだらない自分ルールだったので、俺はいなくなった生徒の代わりに教師を睨みつけた。ああいう輩が一番嫌いなのだ。
「ん? 何だお前、何か言いたげだな。文句があるならお前も出て行くか?」
 最早難癖に近い理由だったが、それでも鎖は飛んできた。
 俺は席を立つ動作でその鎖を回避し、鞄を片手に教室の出口まで歩いていく。
「胸糞悪いんで、早退します。さようなら」
「……おい、待て。誰が帰って良いと言った!」
 教師の罵声を無視し、俺は教室を出た。
 廊下で律儀に突っ立っている男子生徒には目もくれず、俺は下駄箱へと急いだ。

122 :No.29 この醜くも美しい世界 3/5 ◇Ms.BlueNHo:08/02/03 23:40:47 ID:sYxQu+th
「くだらない、くだらない、くだらない、くだらない」
 一人校庭を横断し、俺は校門を目指して歩いていた。体育の授業は無かったので、校庭は静寂に満ちている。
 俺はあのルールで出来た鎖が大嫌いだった。見る鎖全てが欲望とエゴの塊で、長時間見ていると本気で吐き気がしてくるくらいだ。
 だから俺は、他人が嫌いだ。
 その内人そのものが嫌いになるかもしれない。特に、この学校という場所では。
 いつの間にか校門まで来ていた。俺は後ろを振り返り、校舎全体を視界に入れる。
 校舎は、無数に伸びる巨大な鎖が巻き付いていた。その鎖はまるで大蛇の様に、ギリギリと容赦無く校舎を締め付けている。
 学校という場所は、規格外にルールが多い。そしてその殆どが、自分勝手が生み出した負の産物だ。
 くだらない校則、不良達の暴権、教師の隠蔽。挙げだしたらキリがない。
「この鎖を解き外せば、ちっとはマシになるのかね……」
 これ以上この場に居合わせたくなかったので、俺は踵を返して家路に着こうとした。が、

「解き外すとは、また面白い言い回しですね。確かにこれは、知恵の輪の様です」
「……!?」

 独り言でついた悪態に返答され、俺は驚いて背後を見た。
 そこには、一人の女が立っていた。
 見知らぬ学校の制服を着ており、時間が時間だったので俺は少し戸惑った。
 しかし次の瞬間、女の全身を見回して、俺の顔が疑惑から衝撃へと変わる。
「こんな格好ですが、私、実は、天使なんです」
 女の発言など、聞こえては来なかった。いや、聞こえてはいたが、脳が理解を拒否した。
 
 女の身体には、あれほどまで忌み嫌っていたルールの鎖が、一本たりとも巻きついていなかったのだ。

123 :No.29 この醜くも美しい世界 4/5 ◇Ms.BlueNHo:08/02/03 23:41:09 ID:sYxQu+th
「お前っ! な、なんで……?」 
「やはり見えるのですね、鎖が。いや、見えるはずのものが見えないから驚いている、と」
 対称に、女は冷静だった。驚いているこっちがバカみたいになってくる。
 俺は何とか平静を取り戻し、改めて向き直る。
「先程も言いましたが、私は天使なのです。ロウ、つまり戒律を司る天使です。名前はありません」
「て、んし。天使……天使か」
 俺にとって、鎖が無いと言うだけで充分に人外と認識できる。ならば天使という事にしておいた方が理解が早くなる。
 そう思い、とりあえず信じておく事にする。今はこいつの正体より、鎖の話の方が重要だ。
 鎖に縛られない存在。目の前にいる天使は、俺が今まで追い求めてきた理想のモノだった。
「……羨ましそうですね、鎖が無いと言う事が」
「さすが天使、お見通しだな。そうさ、俺はお前が羨ましい。クソみたいなルールを纏わないその身体、夢みたいだ」
 若干テンションが上がっているのが自覚できた。しかし興奮するなという方が無理だ。
 俺は自由が欲しかった。鎖と言う束縛をを断ち切る高貴な存在に、憧れていたのだ。
「私は、貴方を探していました」
「俺を? 何でまた……いっ!?」
 俺が言葉を言い終わらぬ内に、女の手が俺の頭部に飛んできた。手を縦に構え、思いっきりチョップしてきたのだ。
「貴方は重大な勘違いをしています。と同時に、素晴らしい力を持っている。今日私は、貴方に忠告をしに来たのです」
「……はぁ?」
 痛む頭をさすりつつ、俺は女を睨んだ。
 勘違い? そんな事してるつもりは……無い。
「まず一つ。ルールの無い世界なんてありません。戒律という秩序があってこそ、世界は統制されています。貴方が望むルールの無い世界なんて、存在しない。いや、出来ないのです」
「馬鹿な! 世界にルールが必要だというなら、この鎖は何なんだ! どれもこれも馬鹿げてる、どうしようもないルールばかりじゃないか!」




「それが貴方の二つ目の勘違い。貴方の目は全てのルールが見える訳じゃない。存在してはいけない、負の条文だけが見える、限定的な能力なのです」

124 :No.29 この醜くも美しい世界 5/5 ◇Ms.BlueNHo:08/02/03 23:41:40 ID:sYxQu+th
 その言葉を聞いた瞬間、俺の頭には先程とは違った衝撃が走った。
 それは、絶望感。俺が生を受けてから今までの、鎖と共にあった風景は、全てマイナスの世界だった。
 俺は地面に膝をつき、悔いる。同時に視界が霞んでいくのがわかった。
「……何故、泣いているのですか?」
「何故? 何故だって? 俺はこの先一生、負の世界と共に生きていくからだ。光なんか無い、鎖で閉ざされた世界。こんな世界しか見えないなら、いっそ……」
「ちょっぷ」
 女は、また俺の頭に手刀を落としてきた。しかし先程とは裏腹に力は無く、手が頭に当たると同時にその掌で頭を軽く撫でてきた。
「……何をする」
「貴方こそ何を言っているのですか。その目があるからこそ、貴方が望む光ある世界が作られるのですよ?」
 俺は顔を上げて、女の顔を覗き上げる。
「その汚い世界から目を背けてはいけません。鎖があるのなら断ち切りなさい。切った鎖の数だけ、正しいルールが世界を包み込むのです」
 女は、優しく微笑んでいた。正午の光が頭上から差し込むその姿は、さながら聖母か、天使か。
「天使……様……」
「鎖を断ち切る方法は、もう貴方は知っているはずです。まずは身近な所から。そしてゆくゆくは、世界そのものを見てください。貴方には、それが出来る」
 女は俺の頭から手を離し、立ち上がった。
「貴方に会えて良かった。次に会う時は、貴方が少しでも変えたこの醜くも美しい世界について、語り合えるといいですね」
 そう言って、女の姿は徐々に消えていった。最後にもう一度優しく微笑むと、姿は完全に消えてなくなった。
「俺の出来る事、か……」
 俺は錆色の校舎を視界に収め、教室目指して走り出した。
 もう、逃げない。

『ただいまより、第71回、生徒総会を開始します』
 体育館で行われる年1回の生徒会行事は、時期生徒会長の選出から行われるのが通例だった。
『始めに、生徒会長立候補者の挨拶。1番の方、お願いします』
 アナウンスが途切れ、体育館が静寂に包まれる。壇上に設置されたマイクに向かって、俺は歩き出した。
 全校生徒を一望出来る特等席は、俺にとっては拷問に近い空間だった。
 が、今は違う。無数の鎖を視界に納め、心中で気合を入れる。俺は挨拶を開始した。

「――皆さんは、鎖を見る事が出来ますか?」
(完)



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