【 妖精さんのお仕事 】
◆lDzk49E.e2




116 :No.28 妖精さんのお仕事 1/4 ◇lDzk49E.e2:08/02/03 23:36:20 ID:sYxQu+th
 人間さんたちの世界にはいろいろなルールがありまして、そのひとつひとつにそれらを司る神様たちがいるのです。
 妖精さんであるわたしのお仕事は、ルールの神様たちが自分の役目を放り出してしまわないように、彼らのご機嫌を取ることなのです。
 だって彼らが逃げ出してしまうと、人間さんたちがそのルールを忘れてしまうというのだから、それはそれは大変な、失敗できないお仕事
なのですよ。
 
 
 さて、うららかな日差しを浴びながら、今日もわたしはお仕事にいそしみます。
 ふらふらと人間さんの世界を歩いていると、「妖精さん妖精さん」とどこかから声が聞こえました。
「あら、こんにちは、時速五十キロ制限さん」わたしは挨拶して、道路の端に立てかけられた標識を見上げます。「こんにちは」と返してく
れる彼は高いところにいるので、ちょっぴり首が痛むのでした。
「おこまりごとですか?」わたしがたずねると、「うん、最近ね。自分の存在意義がわからなくなっちゃって……」と彼はものすごく落ち込
んだ表情をしています。
 そんざいいぎ? とわたしはおばかなのでその言葉がわかりません。
「自分がここに立っている意味があるのかってことだよ」そう彼が教えてくれました。どうしてそんなことを思うのですか? とわたしはた
ずねます。「このあたりはあんまり車が混まないからね。みんな制限速度を破って走っていってしまうんだ」
 なるほど、とわたしはうなずいて、先を促します。
「それなら最初から私がいてもいなくっても、変わらないじゃないか。そう思わないかい?」
 彼はふてくされたように同意を求めます。そんなことないです、とわたしが言おうとしたその瞬間、ぶるるんと轟音をあげて車が走り去っ
ていきました。軽く80キロは出ていたように思います。「ほらね」と彼は撃沈しました。
「ち、ちがいますよ。あなたはきっと役に立っています!」そうわたしは口からでまかせを言ってしまいます。
「そんなわけないよ。今のを見ただろう。私は、誰からも必要とされてないんだ……」と彼はますます落ち込んでしまいました。
 時速五十キロ制限さんはデリケートな性格のようです。わたしは困ってしまって、う〜んと考えます。
「あ」としばらく経って、わたしはぴきーんとひらめきました。「そうですそうです。いちど、事故を起こしちゃえばいいんですよ」
 わたしがそう言うと、「ええー!?」と彼は驚いて顔を真っ青に染めました。「そ、そんなの危ないよ」
「そうですか? うーん、むずかしいですねえ」
「妖精さんは意外とバイオレンスなんだね」こどもはおそれを知らない、と彼はつぶやきます。
「人間さんは規則をへいきで破るわりにはおくびょうだから、とわたしの神様が言っていました。なのできっと成功すると思うのですが」
 わたしの神様? と彼はたずねてきます。「わたしにも神様がついているのですよ。とっても、えらい人なのです」
「そうなんだ。知らなかったよ。妖精さんの神様だなんて、それはすごいお人なのだろうね」
「そうです。すごいんです。このお仕事も神様にもらったんですよ」わたしはえへんと胸を張ります。「だから、間違いは言わないんです」

117 :No.28 妖精さんのお仕事 2/4 ◇lDzk49E.e2:08/02/03 23:37:25 ID:sYxQu+th
 しかし彼は首をかしげます。「でも、どうやって事故を起こせばいいのだろう」と。
 わたしはちょっぴり困りましたが、今度はすぐにひらめきました。「そうですそうです。うそをつけばいいんですよ」
「今度はうそをつくのかい?」彼はすこしいぶかしげですが、わたしは自信があります。
「うその仲間を作って、協力してもらうんですよ」
「よくわからないよ」と彼は首を振ります。
「あなたのそばに、『事故多発。速度を落として』というように、おっきな看板を置けばいいのです。そうすればきっとあなたを見て、五
十キロ以上で走ったら危ないんだなあと思って、制限速度を守るようになりますよ」
 わたしがそれを告げますと、彼はさきほどとは打って変わって「ああ、なるほど」とふかくうなずきました。「すごいよ、妖精さん」
 えへへ、そんなことを言われるとわたしは照れてしまいます。
「でも、どうやって看板を置けばいいのだろう」とまた問題が増えましたが、それは大丈夫です。わたしは自信を持って言います。
「わたしの神様はとーってもえらくてやさしい人なので、きっとわたしがたのめば置いてくれますよ」
「ほんとうかい? それはたすかるなあ」彼は安心したように微笑みます。
「ええ、まかせてください」わたしはどんと胸をたたいたあと、「それでも困ったらわたしがまた相談にのってあげますから、役目を放り出
しちゃダメですよ」そう彼に告げまして、次のお仕事に向かうのでした。
 ──はたして終わったころには、どっと疲れてしまいました。特に女子用トイレさんの愚痴はすさまじいものでした。
すこし休むためにふらり公園を立ち寄ったのですが、疲れを加速させるかのように大変なものを目撃してしまいました。なんと人間さんの
男性と女性が言い争っているのです。
 耳を傾けますと、「いいじゃんか〜ぐへへ」「ばか! こんなところでできるわけないじゃない!」などという言葉が聞こえてきました。
 あれがうわさの痴話げんかというものなのでしょうか。わたしがどきどきしながら眺めていますと彼らがこちらに気づいたようで、一瞥だ
けしてそそくさと逃げるように立ち去っていきました。
 ふと気配を感じて、わたしがその場所に近づくと、少年がベンチにおやま座りをして泣いていました。さきほどは確認できなかったので、
わたしは彼が神様なのだと気づきました。
「どうしたのですか?」わたしは顔を覗き込んでたずねます。初めて見る顔でした。「あなた、ルールの神様ですよね?」
 しばらく彼は泣き続けました。わたしは少年のとなりに座って返答を待ちます。数分の沈黙のあと、ようやく彼は顔をあげました。
「……わからない。でも、違うと思う。ぼくは、ルールになりきれなかった出来損ないなんだ」そうか細い声でつぶやきます。
「わたしのことは、わかりますか?」
「うん、妖精さんだろ」彼はこちらをちらりと見て答えました。そのとおり、とわたしは微笑みます。
「こまったことがあるのならば、ぜひわたしに聞かせてください」
 わたしがそう諭すと、彼は意を決したように唇をかみ締めました。

118 :No.28 妖精さんのお仕事 3/4 ◇lDzk49E.e2:08/02/03 23:37:43 ID:sYxQu+th
「人間たちは、ぼくを振り回してばかりなんだ。それも個人個人によってぼくは変質してしまうから、もう嫌になってしまうよ」
 彼はつらそうに言います。そういえば、と思い出します。わたしはたいへんなこと忘れていました。
「ごめんなさい。お名前、聞かせてもらっていいですか?」
「ぼくは、常識というんだ」彼は腕で涙をぬぐいながらつぶやきます。「ねえ、妖精さん。ぼくは、ルールなのかな?」
 
 
「かみさまあ〜」
 わたしはおうちに戻って開口一番、ばりばりとせんべいをむさぼるわたしの神様に泣きつきました。「おわっ、なんだなんだ」と神様は慌
てせんべいを落とします。
「こんな時間まで外に出て……今日もやってたのか」呆れたように神様が言います。「はい。お仕事ですからね」とわたしは胸を張ります。
そしてはっと気づいて、今度は落ち込みました。
「そうなんです。お仕事なのに、わたし職務放棄してしまいました……」
「あらま。そりゃあいけないことだ」
「はい、いけないことなんです。どうしましょうどうしましょう」
「まず落ち着け」床でごろごろ転がるわたしを神様が足でふんづけて止めます。
 話を聞かせろ、と尖ったせんべいの破片で脅されたので、わたしは正直にことの顛末を話します。
 いつものように仕事をしたこと。公園で常識さんに出会ったこと。わたしは彼がルールであるのかどうかわからず、そのまま逃げるように
帰ってしまったこと。
 神様はふんふんと頷いたあと、「まあお前には難しいだろうな」と言いました。
「わたしでは、彼の役には立てないのでしょうか」そうわたしはぼそぼそとたずねます。
「いや、そんなことはない。だってお前、常識って概念知らないだろ?」
「ええ、よくわかりません」
「それはしょうがないんだよ。あたしがまだ教えていないことなんだからな」
「あ」とわたしはこれまで神様に教えてもらったいろいろなもの中に常識が無かったことを思います。
「別に今から教えてやってもいいんだけど」神様はばつが悪そうに頭をかきました。「お前、ほんとうに聞きたいか?」
 この世の常識を知るというのは大事なことなんだけど、同時に大事なものを失うことがあるんだ。それでもいいのか?
 その言葉に、わたしはうなずきました。
 
 

119 :No.28 妖精さんのお仕事 4/4 ◇lDzk49E.e2:08/02/03 23:38:27 ID:sYxQu+th
 何年も経ちました。
 常識という概念を知ったあの日の夜、わたしはそのことを彼に伝えるために公園に行きました。しかし、彼はもうそこにいませんでした。
 それだけではないのです。次の日も、そのまた次の日も、わたしにはルールの神様すら見えなくなっていました。
 それはつまり、この世の常識でした。認識した瞬間、わたしは大事なともだちを失った気がしました。
 ぼんやりとするわたしを、いろいろなことをわたしに教えてくれた神様であるおかあさんは悲しそうな目で見ていました。
 そしてわたしは今、中学生です。ごくふつうの人間さんです。
 妖精さんのお仕事をしていたおかげで、ちょっぴり風紀にはうるさくなってしまいましたけど。 
 
 
「──常識さん、きこえていますか。あなたは大事なルールでもあり、束縛でもあるんですよ」



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