【 その汚く美しき青春 】
◆/7C0zzoEsE




111 :No.27 その汚く美しき青春 1/5 ◇/7C0zzoEsE:08/02/03 23:31:32 ID:sYxQu+th
 伊藤由香が退学になるそうだ。
たくさんのクラスメートに囲まれて、彼女は本当に幸せそうな顔をしていた。
俺は遠目で、彼女が自分のお腹を優しく撫でる姿を眺めていた。

 十六歳で結婚できるこのご時勢で、妊娠すれば退学だなんて校則はナンセンスだと思う。
同じ様に考える生徒達の署名は、教師陣に受けいられなかった。
「ルールを破った生徒には、それ相応の罰が与えられる」
 なんてつまらないルールだ。吐き気がする。
 普段は「生徒達の味方だ」なんて豪語している担任も、関わろうとしない。
汚い、汚い、汚い。誰が? 教師が? 由香さんが?
 大抵の男子は嘆いていた。由香さんが去ることに対してじゃない。
由香さんが"汚れていた"ことに対してだ。
 小柄で華奢な体に被さった長い髪。抜けるような白い肌に映える琥珀の輝きを持つ瞳。
華やかだった。お淑やかな佇まいはお嬢様の印象を与えるが、
それでいて決して媚びない、凛とした女性だった。
 クラスにいる尻の軽い女子達とは全然違うと皆信じていた。
きっと、彼女でなければクラスの半分も署名は集まらなかったろう。
 名残を惜しむ女子、遠巻きに苦笑いの男子、中心で微笑む花びら。
 滑稽な様子だな。携帯電話の受信箱を開けると、ここにも滑稽なメールが残っている。
『どうしよう悠治……俺パパになっちゃった!』
 緊張感の欠片も無い、人のことをコケにするようなメール。
俺の親友は頭が悪かったらしい。
 一ヶ月ほど前のメール。親友――田中典弘は相当参っているようだった。
初めてそのメールを見た時は、天地が引っくり返ったのを覚えている。

112 :No.27 その汚く美しき青春 2/5 ◇/7C0zzoEsE:08/02/03 23:32:00 ID:sYxQu+th
『どうしよう……親父にぶん殴られたし、お袋は泣き出すし……勘弁してくれよ』
 勘弁して欲しいのはこっちだった。なぁ、俺は由香さんが好きだったのに。
世界中の不幸を背負ったかのような文面で愚痴られるのが辛かった。
『やっぱり責任とらなきゃいけないよなぁ……』
 セックスをするときにだってルールはあるさ。簡単明瞭明快、コンドームをつければいい。それだけだ。
お前はそんな短髪にして、校則は守れるのにどうして?
 どうして、そんなに頭が悪いんだよ。

 由香さんは、残り少ない学校生活を楽しむように、生き生きと登校していた。
それに引き換え典弘のやつは高野連がどうのって、野球部はやめるし。
いつも真っ青な顔をして、学校も休みがちになっていた。
 由香さんは決して相手の名前を言わないから、皆は純粋に典弘の妙な様子を心配していた。
誰が、今一番辛いのだろうか。彼? 彼女? 俺?
 典弘、お前は今幸せでいっぱいのはずだろ? 俺はお前を支えてやらないぜ?
俺の方が誰かの支えを欲しているはずだ。絶対。
 彼女の笑顔を見ているだけで、目眩がするんだぜ。
 下校時刻を知らせるチャイムが鳴り響いて、一人、また一人と由香さんの傍を離れる。
彼女も鞄の中に荷物を詰めている。
「由香さん? 一緒に帰ろうか。荷物持つよ」
 俺が話しかけると、彼女は「ありがとう」とふんわり微笑んだ。

「由香さんも大変だね」
 俺は両腕いっぱいに荷物を抱えて道路側を歩く。
彼女は心底不思議そうに尋ねた、
「何が?」
「いや、妊娠とか退学とか云々……」
 彼女はかんらかんらと笑って、僕の顔を覗き込む。

113 :No.27 その汚く美しき青春 3/5 ◇/7C0zzoEsE:08/02/03 23:32:27 ID:sYxQu+th
「嬉しいことは大変じゃないよ、君なら分かってくれると思ったんだけどな」
 うん? と俺に聞き返してくる。その姿を見て、俺は胸を痛めた。
「でも、典弘君最近元気ないから。心配だなぁ」
「あいつも急に子供とかできて、色々不安なんだろ」
「そうかな……?」
「違いないよ」
 彼女は一瞬寂しそうな顔をした。そして、俺は彼女にそんな顔をさせる典弘のことが許せないのだ。
「でもね、私、君には感謝してるんだよ」
「急にどうしたの?」俺は笑って聞き返す。
「悠治君が私と典弘君を紹介してくれたでしょ?」
 そうだったか、あまりに前のことで忘れてしまった。今思うと、馬鹿なことをしたなと悔やんでならない。
「今でもそう、君は私の鞄を持って。いつでも親切にしてくれて……」
 彼女は目を瞑って、ゆっくりゆっくり繋ぎ合わせるように語る。
「一等、大切な友人だわ」
 その言葉を聞いた途端、胸が潰れるかと思った。動悸が激しくなるのを必死で抑える。
目の前にいる彼女を抱きしめて、連れ去りたい。そんな衝動に駆られる自分が嫌だった。
「なんでそんなお別れみたいに言うんだよ……」
「だって、もう退学しちゃうからかな?」
 別に退学してもいいじゃんかよ。俺は、典弘と君と赤ちゃんに会いに行くよ。ちょっと辛いけどさ。
「じゃあ、私道こっちだからね」
「送っていくよ?」
「いいよ、平気。ありがと」
 彼女が笑って手を振る。俺はそんな姿をみて。
――思わず手首を掴んでしまった。
「え……と。どうかした?」
「いや……、あの、ごめん」
 なんだか、遠く、知らないどこかへ去ってしまいそうな気がしたんだ。

114 :No.27 その汚く美しき青春 4/5 ◇/7C0zzoEsE:08/02/03 23:32:54 ID:sYxQu+th
「じゃ、じゃあね」
 彼女はちょっと驚いたようだったが、それでも微笑んで別れを告げる。
「由香さん!」
 俺が少し声を張り上げると、ふんわりとこちらを振り返る。
「ま、またね」
 彼女はにっこり、「またね」と言い返した。
また会おうね。そういうニュアンスで、片手はお腹に添えたまま……。

 ああ、そしてどうしただろうか。可哀相な女の子と、その子に宿る命は。
どうして、可哀相な運命は強く歩む者を阻むのだろうか。

――彼女は死んだ
 花びらは散った。朝の連絡で担任は沈痛な面持ちで告げる。
クラスメートの嗚咽が耳障りだった。俺は、全く、意味が分からなくて。
だって、どうして、昨日まで一緒にいたのに。傍にいたのに。触れ合えたのに。
 俺はトイレの個室に駆け込んで吐いた。ひたすら、吐き続けた。可哀相な二つの命を想って、泣いた。
 残酷な車は命を奪った。青信号にも関わらず、速度を緩めずに彼女にぶつかった。
打ち所は悪かったわけじゃあ無い。ただ彼女の子供が"流れて"。それで、血も、流れて。
ぶつかってからも、彼女は両手でお腹の赤ん坊を庇おうと必死で――。

「災難だったよ」
男子トイレの中に生徒が入ってくるのが、足音で分かった。
俺は鼻を啜って、今日は早引けでもしようと思ってた頃。
「でもね、俺、酷い話が、ちょっと安心しちゃって」
 話し声が、途切れ途切れに耳に入ってきた。
"耳に入ってきた"が意識して聞こうとはしなかった。それが典弘の声だと気付くまでは。
「お前、それは不謹慎だろ」
「でもさ、だって十七歳でパパなんて言われても、よく分かんなかったし。無理だし」

115 :No.27 その汚く美しき青春 5/5 ◇/7C0zzoEsE:08/02/03 23:33:22 ID:sYxQu+th
 そうか、俺が相談に乗らなかったから、他の奴に話してるのか。
何の相談? 一体、あいつは何の話をしているんだ?
「お袋も親父も何か肩の荷降りた感じみたいだし。俺、今夜葬式行くんだけどさ」
「お前、それ最悪……」
「仕方無いじゃん、お前も孕ませたら辛さが分かるって。あーあ、俺、彼女当分いらねえ」
「ちょ、お前、だれか個室入ってるからもうちょっと静かな声で……」
「でもよく考えたら、なあんか野球部やめ損じゃん。俺」
 俺は、そこで、個室のドアを蹴飛ばして。典弘に飛び掛った。
全体重をかけて、地面に転ばせて。その上から、馬乗りになる。
 典弘は目を丸くしていた。その連れ添いも。俺は、右腕に思い切り力を込めて、典弘の頬を殴りつける。
一発、二発、三発、四発。何度も何度も、繰り返し殴りつける。
 典弘は「止めてくれ」と懇願しているが聞く耳を持たなかった。連れ添いの奴も抑えかかってくるが、払いのけて、殴り続ける。
彼一人じゃ止められないことが分かったのか、教師でも呼びに走っていった。
 俺、どうして、こんなに泣いて。殴ってる手が痛くて。
あのとき、由香にこいつなんか紹介しなければ。
あのとき、先に告白していれば。
あのとき、無理にでも彼女を家まで送ってあげれれば。
あのとき、彼女を連れ去っていれば。
「ああああああああ!」
 振り払うように。何かから逃げるように。叫んで、泣いて、ぐしゃぐしゃになりながらも、殴る。
血と、涙と、汗と、涎が混じって。何にも見えなくなって。
 そうして、俺は殴り続ける。きっと誰かが止めに来るまで。
清閑なトイレの中で、殴り続ける音が無機質に響く。

 どうか、この音が天国の二人に届きませんように。
 どうか、こいつと由香さんの思い出の詰まった校舎から退学できますように。
                                        (了)



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