【 ウェストファリア 】
◆/UzWoCdlY.




99 :No.24 ウェストファリア 1/5 ◇/UzWoCdlY.:08/02/03 23:13:17 ID:sYxQu+th
 歩きながらミシェルは父の手を強く握った。
 父は手を握り返して「大丈夫だよ、ミシェル」と言う。母だって横から同じように言う。ミシェルはあいまいにうなづいた。
 パパもママも言うなら大丈夫なのかもしれない。
 でも、とミシェルは思う。
 このマチは変だ。何か。みんな髪の毛は黒いし肌は妙に黄色いし、たまに髪の色が茶色いやつもいるけど、そういうのはとんでもなく似合ってない。
 おまけに、すごく人が多いし。
 駅の構内は大量の人でごった返していた。みんなやけに急いでいるふうだ。それに、とんでもなく音がうるさい。
 全てはいつものことなのだがミシェルが知る由もなかった。ただただミシェルは人の波を前に目を見開いている。
 歩く人の数を数えようとして、諦めた。ミシェルはひとり愚痴をもらす。
 スカートをはいてる年上の女の子たちが、みんな同じに見えちゃって。
 父が3人分の切符を買いに行き、ミシェルは母と手をつないだ。
「ねえママ」
 ミシェルは大きな声で言う。そうしないと聞こえないのだ。
 小さな声は全部、この騒音の中に飲み込まれてしまう。
「なあに?」
「あの人たち何やってるの?」
 目の前で、同じような服装の男の人同士が頭を下げあっていた。お互い何か声を掛けているみたいだが、ミシェルには言葉がわからない。もちろん、2人が笑いあっている理由もわからない。
 2人の男は何度も何度も頭を下げてから、別々の方向に歩き出した。
「へんなの」
 離れていく2人の背中をミシェルは交互に目で追う。歩き方だって、背格好だって2人はよく似ている。それに、髪型も。
 おまけに、2人とも同じカバンだ。ミシェルが気がついたとき、上から母の声が降ってきた。
「別れ際には頭を下げるのが、ここでのルールなのよ」
「ふうん」
 やっぱり、変なマチ。父が切符を持って戻ってくる。切符は硬くて裏側が真っ黒だった。
 ミシェルが読めたのは、280という数字だけだ。
「さあミシェル、まだ歩けるかい? もう少しの辛抱だぞ」
「だいじょうぶ」
 再び父に手を引かれ、人の合間を縫うようにして歩く。このマチにも地下鉄があるらしい。ミシェルは地下鉄があまり好きではない。何となく暗い感じがするからだ。おまけに、とミシェルは思う。
 こんな変なマチでさっきみたい人たちに囲まれて地下鉄に乗るなんて、サイテーな感じ。
「パパ」

100 :No.24 ウェストファリア 2/5 ◇/UzWoCdlY.:08/02/03 23:13:51 ID:sYxQu+th
「ん?」
「このマチの地下鉄って変なんでしょ? どのくらい変なの?」
「そうだな……」
 ミシェルは答えを予想する。こんなマチなんだから、とんでもなく変に決まってる。もう想像もできないくらいに。きっと変なんだ。どう変なのかはわからないけれど、きっと。
 父が腰を屈めて、ミシェルの耳もとでそっと囁いた。
「ここの地下鉄は音が全然しないんだ。もしかしたら……宙に浮いてるのかもしれないな」
 地下鉄が浮いてるなんて、やっぱり、変なマチ。

       ◇◇◇

 アキラの向かえには変な色の座席があった。3人くらい座れそうなのに誰も座ってない。
 他の座席は全て埋まっているのに、この地下鉄に乗ってくる人はみんなつり革につかまるのだ。
 隣に座る母が、「あれはお年寄りの席なのよ」と理由を教えてくれた。
「バスにもあるでしょ? あれと同じもの」
「ゆうせんせき?」
「そうそう、優先席」
 皆さんお年寄りには席を譲りましょう。アキラは小学校でそう習っていた。それがルールですよ、と。
 アキラの担任は定年退職間近のおばあちゃん先生で、アキラは、先生も席を譲ってほしいのかな、と思った。
 優先席もあって、おまけに席まで譲ってもらえるなんて、まったくおとしよりはぜいたくだ。
「おとしよりって、いくつからおとしより?」
「……そうねえ。お茶が好きになったらお年寄りかしら」
 母の答えに、なるほど、とアキラは思う。ぼくのおばあちゃんはいつもお茶飲んでるし、職員室に行けば先生の机にも必ずお茶がある。
 アキラは一度お茶を飲んだことがある。おばあちゃんの家だった。けれど苦くてダメだ、とそれ以来口をつけてない。
 逆に、一緒に置かれていた大福がおいしくて、今ではアキラの好物になっている。
 地下鉄が速度を落として駅に停まった。ドアが開いてガヤガヤと人が降り、入れ替わりに同じくらいの人が乗ってくる。
 席はきれいに埋まり、またしても優先席は空いた。ベルが鳴ってドアが閉まり始める。
 ぼくは、とアキラは思う。あの席に座れるようになるまでは、ずいぶん時間がかかりそうだ。
 そのとき、がたん、と音がした。
 急にドアが開いた音だった。
 メガホンから駅員の声が響く。「駆け込み乗車はおやめください!」。けれどアキラの耳にはその言葉はほとんど届かない。駆け込んできた人の姿に、アキラの目はあっという間に奪われた。

101 :No.24 ウェストファリア 3/5 ◇/UzWoCdlY.:08/02/03 23:14:17 ID:sYxQu+th
 女の子。
 金髪だった。
 女の子は周りをきょろきょろと見回して、それからアキラの向かえに座った。ゆうせんせきだ。
 女の子の傍には2人の男女がやれやれという面持ちで立っていて、アキラはこのときようやく、彼女の両親の存在に気づく。
「おかあさん、ゆうせんせきに座ったね」
 アキラは母に言った。女の子に聞かれちゃ嫌な気がしたから、小さな声で言った。
 母は女の子の方を見ながら、「そうね」とつぶやいただけだった。
「どうするの? ゆうせんせきだよ?」
 アキラが言うと、母は困ったような顔をした。女の子は足をぶらぶらさせて、真っ暗な中を時おり光が見えるだけの外を見ている。彼女の両親が何か話しているけれど、アキラには言葉がわからない。
「誰も注意しないね、おとしよりじゃないのにね」
「いいのよ、注意しなくても」
「なんで?」
「なんでって言われても……」
 そのとき女の子が、持っていたカバンから何かを取り出した。小さな丸い水筒だった。女の子は水筒に口をつけてこきゅこきゅと飲んで、それからカバンに水筒を仕舞った。
 そのとき、アキラは、あっと思った。
 そうか、だからあの子はゆうせんせきに座れるんだ。水筒の中身はお茶で、あの子はきっとお茶が好きなんだ。

       ◇◇◇

 わたしのことを見てるやつがいる。しかも目の前に。せっかく席が空いてたのに、向かえに変なやつがいるなんて思いもよらなかったじゃない。
 口に残ったオレンジジュースの匂いよりも、ミシェルには目の前の男の子が気になった。
「ねえパパ、あいつがじっとこっち見てる」
 傍に立つ父を見上げた。父は「あいつ?」と訊きかえし、ミシェルは「目の前」と言う。
 父は振り向かずに、「まあ、いいじゃないか」と諌めるように言った。
「ママ、見ず知らずの他人をじっと見つめるのもルール?」
「たぶん、違うんじゃないかしら」
 じゃああいつは何なんだ、と思う。視線を前に向けた。男の子はまだミシェルをじっと見つめている。ミシェルは心の中でひとりごちた。
 どうして? わたしの髪が金色だから? わたしの目が青いから?
 確かに、ここじゃ周りのやつらの髪は黒で目も黒だけど。確かにここじゃ、金髪はわたしたちだけだけれど。
 そう考えると妙に怒りがわいてきてミシェルは席を立ちたくなったけれど、他に空席が無いのを思い出してやきもきして、やり場のない怒りはどうしようもなく2本の足をぶらぶらさせた。

102 :No.24 ウェストファリア 4/5 ◇/UzWoCdlY.:08/02/03 23:15:20 ID:sYxQu+th
 だって、変なのはそっちじゃないの。
 ミシェルは怒りと不満を胸いっぱいに抱えたまま、けれどそれらをぶつける術も男の子と交渉する術も持たなかった。時間だけがやみくもにすぎて、地下鉄は時間どおりに目当ての駅に着いた。
 父親が「降りるよ」とミシェルに言う。ミシェルは座席から跳ねるように立ち上がった。。
 向かえの席ではあの男の子も立ち上がろうとしている。一緒の駅だ。
 ミシェルが座っていた側のドアが開いた。さっさとあいつとはおさらばね。ミシェルはドアが開くとすぐに駆け出す。両親がミシェルを見失わないようについていく。
 パパは、今日泊まるホテルは料理がすごくおいしいって言っていた。どのくらいだろう、ママの料理よりおいしいのかな。クランベリーパイはメニューにあるのかな。
 改札が見えてきた。ミシェルは切符のことを思い出す。ポケットを探った。ない。たぶんカバンの中だ。水筒だけが顔を見せた。
 自分が切符を入れていそうな場所をもう一度探した。二度探した。三度目を探し終えたあとで、ミシェルは追いついてきた両親にこう言ったのだった。
「あのね、切符、なくしちゃった」

       ◇◇◇

 同じ駅で女の子が降りるそぶりを見せたとき、アキラは不思議とうれしくなっていた。なぜかはわからない。相手はゆうせんせきに座っていたんだし、たぶんお茶が好きなんだろう。
 けれどそれ以上に、金髪と青い目はアキラの脳裏に強烈に焼きついていた。いわゆる恋かもしれない。けれどアキラはその単語を知らない。
 目の前から走り去っていく女の子の背中を見ながらアキラは、もう一度会えたらいい、なんて思いながら、けれどそのチャンスは女の子がいた座席の上に、さりげなく転がっていた。

       ◇◇◇

 ミシェルは泣き出しそうになって両親がそれを慰めている。「大丈夫だよ、ミシェル」と父が言う。母だって横から同じように言う。
 ミシェルは首を横に振る。
 全然大丈夫じゃない。

       ◇◇◇

 アキラは走っている。改札までは一本道だ。たぶん急がなくても会えるだろう。手には切符を持っていて、落とさないように何度も何度も握りなおした。
 女の子がいた座席の上に転がっていた切符。
 改札が見えた。すぐに女の子も見つけた。両親が傍で何かを言っている。女の子はその間でうつむいている。たぶん泣いているんだろう。アキラはそう直感した。
 その瞬間、女の子の両親が話す意味のわからない言葉が耳に飛び込んできて、アキラは思わず立ちすくんでしまう。
 ところで、とアキラは思う。
 切符って、どう言うの?

103 :No.24 ウェストファリア 5/5 ◇/UzWoCdlY.:08/02/03 23:17:00 ID:sYxQu+th
       ◇◇◇

 ミシェルは涙の向こうに誰かがいるのを感じた。嫌な予感がした。ママはいつも言っている。オンナの勘は当たるのよ? だったらたぶん当たっている。
 おそるおそる、顔を上げた。一度まばたきした。二度目にまばたきしたとき男の子の輪郭を視界がはっきり捉えて、三度目のまばたきを待たずにミシェルは手で涙をぬぐう。
 やっぱり勘は当たっていた。
「何しに来たの!?」
 言ってから、何してんだろうわたし、と思う。男の子は戸惑ったままミシェルと両親を交互に見比べている。そして、手には何かを持っている。
 ミシェルはすぐに気づいた。
 あれは、わたしの切符。
 その瞬間さっきまでの感情がミシェルの中でぐにゃりと曲がった。怒り? 不満? 
 全部ぶつけるようにミシェルは男の子に歩み寄る。一歩、一歩、一歩。
 七歩目で男の子の前に立ったとき、ミシェルは、言葉が通じないことを思い出して、少しの間考えて、それから、決めた。
「ミシェル」
 自分の胸を指差しながら、もう一度繰り返した。「ミシェル」。わたしの名前。あんただって、名乗ることぐらいはできるでしょ? それが初対面のルールってもんじゃないの。
 男の子は繰り返した。「ミシェル」。発音は上手くない。けれど、かみしめるように言う。「ミシェル」。
 やがて切符を持った手がミシェルの方に伸びて、男の子は、もう片方の手を自分に向けてこう言った。
「アキラ」
 ミシェルは切符を受け取った。それから繰り返す。「アキラ」。アキラは笑っていた。でも言葉は続かない。
 だからミシェルは少し考えて、それからさっき見た男の人2人を思い出して頭を下げてみて、それを見たアキラが「あはは」なんて笑ったからミシェルは心の中だけで思った。
 やっぱり、変なやつ!


 <了>



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