【 コルネオのルール 】
◆LBPyCcG946




87 :No.21 コルネオのルール 1/5 ◇LBPyCcG946:08/02/03 23:01:41 ID:sYxQu+th
 先ほどまで座っていた女性が隣の席を立って、帰って来たのは若い男だった。整えられてない
赤い髪に、茶色の眼をしたチンピラのような風体。どこかで見た事があるような顔だったが、ど
こで見たのか思い出せない。
 私は不審げにその若者を見つめた。すると若者は、馴れ馴れしい口調でこう言った。
「よお、元気か?」
 私は睨みつけた。どうやらこの若者、空の上だというのに酒を煽っているようだ。頬が若干赤
く染まっている。
「飲むかい?」
 ポケットから瓶を取り出して、こちらに勧めてきたが、片手で断った。他人から出された飲み
物を平気で飲む程、私は命の安売りをしていない。
「飲んじゃいけない場所で飲む酒は格別だな」
 と言いながら更に一口飲む若者。やはり、ケチらずにファーストクラスにすべきだった。近く
に添乗員も見当たらず、この若者を追い払ってもらう事も出来ない。
「失礼だが、そこはご婦人の座っていた席だ。戻って来る前にどいてもらおうか」
「そいつはすまなかった。それじゃあ俺は、あんた側の席に座ろう。空の景色を眺めたい」
 若者のトボけた口調が、やけに勘に触ったが、騒ぎ立てる事は出来ない。こっちだって、叩け
ばホコリの出る身である事を思い出し、自戒する。どうやらここは、完全に無視を決め込むのが
正解のようだ。私は青年の視線を受け流し、窓に目をやった。女性が戻って来て、そっちで勝手
に解決してくれるのを待とう。
「1人旅か?」「結婚してるのか?」「合衆国は初めてか?」「それとも帰り?」「あんたポー
カーわかるか?」
 その全ての質問に、ことごとく聞いていないフリをしてやり過ごした。
「賭けようぜ」
 その言葉にだけには、私は意志と無関係に、少しだけ反応を示してしまった。ギャンブルには
目が無い。私の悪い癖だ。少しだけ青年の方を振り返ると、既にトランプを持って、シャッフル
し始めていた。
「おや? やる気になった?」
 私が返事をする前に、青年はカードを配り始めようとした。私の抱えたアタッシュケースの上
にカードを乗っけようとしたので、私は急いでアタッシュケースを青年とは反対側に置いた。

88 :No.21 コルネオのルール 2/5 ◇LBPyCcG946:08/02/03 23:02:04 ID:sYxQu+th
「何か大事な物でも入ってるのか?」
「いや、大したもんじゃない」
「おいおい、覚せい剤2kgと言ったら十分大したもんだろうよ」
 反射的にスーツの内ポケットにやった手を、即座に止められた。それと同時に、ニッコリと笑
いながら「墜落させる気かよ」という台詞。
 そして青年は声の音量を落とし、呟くように言った。
「機内に銃まで持ち込んでるとは……一体何人抱え込んでるんだ? ん?」
「……お前誰だ?」
「コルネオって名前、俺は気に入ってるんだ。良い名前だろ?」
 それは、最近よく聞く名前だった。うちの組織と敵対する組織で、特に最近目立っているとい
う噂の若造だ。この若さで、組織のボスの右腕を勤めていると聞いた。1回だけ、私の部下から
顔写真を見せられた事を思い出した。
 私は訝しげに、コルネオを見た。この若造は、一体何を企んでるのだろうか。
「いや、何も通報しようって言うんじゃない。俺はあんたと、賭けポーカーがしたいだけさ」
 緊迫する空気を一瞬にして和らげるその場慣れした口調。噂は嘘という訳では無かったようだ。
 私は思考を張り巡らせた。私が捕まれば、当然組織にも影響が出る。つまり私に残るのは破滅
だけだ。かといって、ここでこの若造に鉛球をぶち込んでも何の解決にもならない。たった1人
で、ハイジャックが成功するはずがない。私はとりあえず、ゆっくりとした動作で、裏ポケット
に突っ込んだ手を出した。同時に、コルネオの手も離れる。
 私に今出来る事は、どうにかして平和的にコルネオを口封じする事だ。買収した空港の職員は
2人だけ。事は出来るだけ内密に運ばなければならない。
「コルネオとやら、物は相談なんだが」
 と切り出すと、コルネオはトランプをシャッフルしながら、私を見つめていた。そこにはすっ
かりと酔いが無く、底まで見透かされそうな、澄んだ瞳があった。
「取り引きだ。とか言うんだろ?」
 やはり見透かされていたようだ。
「もちろん、乗らせてもらうよ」
 続いた言葉は、少しだけ意外な物だった。

89 :No.21 コルネオのルール 3/5 ◇LBPyCcG946:08/02/03 23:02:28 ID:sYxQu+th
「あんたを潰してルートを消せってのがボスの命令なんだが。……まあ、ここだけの話」
 コルネオが声のトーンを更に落とした。
「近々、俺はこの業界から足を洗おうと思ってる」
 その言葉、真偽は不明だが、コルネオの方からそう言うとなると、交渉にも余地が出来る。つ
まり、コルネオが今欲する物は、
「金か?」
「ご名答」
 コルネオがカードを配り始めた。私の膝に5枚、自身に5枚。
「1つ賭けをしようじゃないか。見てたぜあんた、香港のカジノで随分でっかく儲けてたじゃな
いか。うらやましい限りだ」
 どうやら覚せい剤の工場に行く前から、私は後を付けられていたようだ。
「しかもあんた、それを銀行に預けてないな。そこから考えると、あんたのボスも相当セコいん
だろう。どこの組織もボスなんて似たようなもんだな」
 何が言いたいのか、私には分かる。
「……全部賭けてやる」
「ついでに、その腕時計もな」
 当然逆らえない。が、確証を取らなければならない事がある。
「その目は疑ってる目だ。俺が本当に言わないか、だろ? 後ろの席を見てみろ」
 言われた通り、注意しながら後ろの席を見ると、先ほどまで私の隣の席に座っていた女性が、
大きな口を開けながら寝ていた。
「一服盛らせてもらったよ。少なくともあと8時間は起きないだろう。強力な奴だから」
 そう軽々しく言い放ったコルネオの言葉には、なぜか妙な真実味がある。そして取り出したの
は、2粒の錠剤だった。
「もしこのゲーム。あんたが下りてくれるっていうんだったら、俺はこれを飲む。あんたは俺が
寝てる間に帰ればいい。こういうルールだ」
 その錠剤が確実に睡眠薬であるという証拠が無い。
「俺が寝てるかどうかは、飛行機から下りる時に確かめればいい」
 このコルネオという若造。読心術でも会得しているのだろうか。
「さあ、カードを取れよ」

90 :No.21 コルネオのルール 4/5 ◇LBPyCcG946:08/02/03 23:03:00 ID:sYxQu+th
 私は改めて考えた。この勝負、いや、このやりとり自体に、何か綻びは無かっただろうかと。
もしも事前に、空港の方へコルネオが密告しているとしたら? ……いや、それは無い。そうい
う通報があったのなら、既に買収した空港職員が、私の携帯電話に連絡をよこしているはずだ。
次に、コルネオに仲間がいる可能性。これも恐らく可能性は低い。尾行は普通、複数で行わない
のが鉄則だし、これで俺から金を巻き上げても、コルネオ自身の分け前が減る。それに噂によれ
ば、コルネオのボスは絶大な信頼を奴に寄せていると聞く。でなければ、右腕は勤められない。
 思えばコルネオは、最初から全て計算の上で、この取り引きまで持ってきたのだろう。酔っ払
いのフリをして親しげに話しかけ、私の好きなギャンブルを持ちかける。こっちの警戒心を解す
テクニックだ。私が銃まで携帯していたのは予想外だったようだが。
 しかし、私だって馬鹿ではない。馬鹿ではないが、どうする事も出来ないのもまた事実だ。不
運な事故にでもあったと思って、財布の中の札束と時計は潔く諦めよう。というよりむしろ、運
が良かったのかもしれない。コルネオがこの取り引きを持ちかける事なく、空港に通報していた
ならば、私はそのまま破滅していた。そう考えると、これは不幸中の幸いだといえるだろう。
「ゲームを下りれば、必ず薬を飲むんだな?」
「俺は自分の作ったルールは守るんだ。さて、勝負といこうじゃないか」
 私は配られたカードを手に取った。その時、手に汗をかいている自分に気づいた。目の前にい
るこの若造に、私は知らず知らずの内に恐怖心を抱いていたのだろう。湿った手をスーツで軽く
拭いて、形だけのポーカーが始まった。
 いざ手札を開けてみれば、スペードの10、J、Q、K、A。思わず私の頬が緩んだ。
「どうだ? イカサマうまいだろ?」
 笑顔のコルネオ。そういえば会話に気を取られて、コルネオがどういう風にシャッフルしてい
たのかなんて、全く見ていなかった。どうやらこの男は、私よりも何枚か上手なようだ。
「ロイヤルストレートフラッシュでゲームから下りる男が見てみたかったのさ」
 確かに、そんな奴はいるはずが無い。
「さあ、どうする?」
 その問いかけに、私はその幻の手札を裏向きに伏せる事で答えた。
「下りる」
 そう言って、財布から金を取り出し、コルネオに渡した。ダイヤのはめ込まれた腕時計もだ。
コルネオはそれをジーンズの後ろポケットにしまいこんだ。

91 :No.21 コルネオのルール 5/5 ◇LBPyCcG946:08/02/03 23:03:29 ID:sYxQu+th
「契約成立だな。安心してくれ。言ったはずだろ? 俺は自分で作ったルールは守るんだ。イカ
サマはするがね」
 そう言って錠剤を口に含むと、持ってきた酒の瓶を傾け、一気に飲んだ。シートベルトを閉め、
「じゃあおやすみ」
 それからしばらくすると、コルネオが寝息を立て始めた。飛行機も着陸態勢へ入った。一瞬、
金と時計を回収する事も考えたが、隣で寝ている男の尻のポケットをまさぐっていたら、余計な
疑惑を他の客に向けられるだろうと思い、やめた。周りの目を気にしながら、コルネオの瞼を右
手で開いた。どうやら、眠っているのは本当のようだ。後ろの女性も寝ているし、コルネオの言
った言葉に偽りは無かったようだ。私はいそいそと、飛行機から降りた。


 タラップを下り、空港に入ると、すぐに知った顔が見えた。3人の内、2人は買収した職員だ。
手はずでは、探知機が鳴り、職員が私にボディーチェックを行う。その時何があっても、職員は
見てみぬフリをする。そして荷物のチェックもスルーして、晴れて私は莫大な報酬を得る。
 まずは探知機が鳴る。すかさずチェック。異常なし。荷物の方も、異常なし。だがここで異常
事態が発生した。離れたゲートの方から、犬が駆け寄ってくる。
 そんなはずはない! アタッシュケースの中は三重に密閉し、念入りに洗浄した。それにこの
ゲートは麻薬探知犬から一番離れた位置にある。いくら優秀な麻薬探知犬とはいえ、反応できる
はずが……。犬が目の前で大きく吼え、私は焦る。全身から汗が噴出してくる。犬はどうやら、
私の右手に対し強く反応しているように見える。
 その時になって初めて、あのポーカーの本当の意味に、私は気づいた。コルネオは、決してお
遊びがしたかったんじゃない。あれは全て、私にカードを握らせるための仕掛けだったんだ。カ
ードを握った時のあの感触は、私の汗だけではなかった。覚せい剤の臭いを染み付けるために、
あらかじめカードに仕込んであった液体が混じっていたのだ。
 コルネオの言葉には、嘘は無かった。自身の作ったルール通りに、私から金を巻き上げ、自身
のボスへの忠誠も守って仕事をした。
 やがて、耳障りな足音と共に私に破滅がやってきた。





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