【 歌が聞こえる 】
◆SQvDZ46yqY




66 :No.16 歌が聞こえる 1/5 ◇SQvDZ46yqY:08/02/03 20:31:48 ID:sYxQu+th
 道なりも建物も都会のそれとは少し違って、初めて見るこの風景は、
今の私を吹き飛ばして連れ去ってくれるような気がした。
まるで時間が止まった様な、時代錯誤でありながら一種の安心感を与えてくれる、
そんな雰囲気がここにはある。
 静かな町模様の中、私は目的の場所へと足を進めていた。
(ホントに素敵な所・・・)
少し細い通りを抜けると、海の見える防波堤に辿り着いた。
そこには一人の女性が、私の探している人がいた。
「亜紀・・・」
呼びかけに反応してこちらを振り向いた彼女は、亜紀そのものだった。
「あ、ありさちゃん。よくここが分かったね」
亜紀は私の方を向いて微笑んだ。私は小さく手を振ると、すぐさま隣へ座った。
「綺麗なところだね」
空を見上げては海を見下ろし、私は思ったことを素直に口に出した。
「うん、いいところでしょー。私が生まれた町、育った町。
たくさんの思い出が残ってるの、ありさちゃんと出会う前の―」
亜紀も遠くの空を見ながら語っていた。
「なんだか、急に戻ってきたくなっちゃったの。この景色が見たかったのかも」
心の底から幸せそうに笑う、私はそんな亜紀を見つめていた。

67 :No.16 歌が聞こえる 2/5 ◇SQvDZ46yqY:08/02/03 20:32:27 ID:sYxQu+th
 でも、側にいればいるほど心の奥底から何かが溢れてきて。
体育座りして組んだ手が僅かに震えているのが自分でも分かる。
(亜紀はこんなにも元気じゃない―)
今にも流れ落ちそうな涙はどうにか堪えた、つもりだった。
「どうしたの、ありさちゃん。泣いてるの・・・?」
亜紀がこっちを見ているのに気付き、あわてて涙を拭った。
「大丈夫・・・?」
そのやさしい声に一瞬心地よさを覚えるも、手がこちらへ伸びたのを見て慌てて立ち上がった。
取り繕うように、何かを押し殺すように、私は話し出した。
「そ、そうだ。私ね、亜紀の歌を聞きにきたの。
ほら、この前舞台で歌ってた歌。もう一度聞きたくなっちゃって」
両手を大きく広げて亜紀の方を向いた。
「え・・・恥ずかしいなあ」
そう言いながらも、亜紀は頭をかきながら静かに立ち上がった。
「やった。亜紀に期待の拍手ー。パチパチパチ」
急かすように拍手をすると、空と海を泳ぐ海鳥たちも一斉に歓声を上げた。
「えーと、僭越ながら、私、ありさちゃんのために歌わせていただきます!」
その時の小さく咳払いをする仕草がやけに可愛らしく見えた。
照れている亜紀に向かって、私は再び精一杯の拍手をした。亜紀が歌ってくれる。
静かなこの私たちだけの世界で、亜紀の歌声が遠くまで響く―。

68 :No.16 歌が聞こえる 3/5 ◇SQvDZ46yqY:08/02/03 20:33:00 ID:sYxQu+th
 天使―そう表現しても差し支えないその歌声は、いつも私を救ってくれる。
ずっとそう思っていた。そしていつか私のため"だけ"に歌ってくれるのではないかと。
亜紀が私のために歌い、私は亜紀の全てを受け入れる、そんな瞬間を夢見ていた。
二人きりの時に歌ってくれた事は何度もある。
それでも今日、今この時が、初めて訪れる世界であると感じた。
本当に幸せ、とても幸せ――だからこそ、だからこそもう耐えられなかった。
涙が止まらない。
 体に染み込むように聞こえてくる亜紀の声が、激しく鼓動する心臓をさらに揺り動かした。
自分でも何がなんだか分からなくなってしまって、もう後は感情だけが先走った。
「亜紀!お願い、私を・・・私を一人にしないで。私も連れて行って・・・!」
亜紀を両手でしっかりと抱きしめた。もう駄目だ私―。
「ど、どうしたの、ありさちゃん。急に・・・」
私は必死に顔を上げて亜紀の顔を見た。おそらくは、今の私はとてもひどい顔だったことだろう。
それでも、亜紀は私の背中に両手を回してくれた。
「ありさちゃん、私はちゃんとここにいるよ?」

遠くで鐘の音が聞こえた。

私は亜紀の頬を両手で包むと、
「一緒にいたいの。ね、お願い・・・」
「ありさちゃん・・・」
その柔らかい唇にゆっくりと顔を近づけた。

69 :No.16 歌が聞こえる 4/5 ◇SQvDZ46yqY:08/02/03 20:33:39 ID:sYxQu+th
 唐突に、私を残して全てが消えた。全て。否応にも現実を呼び起こされた。
私の世界が失われた。・・・世界を失った。

と同時に、あの声が響く。

 ここまで。それでなくとももう時間は残っていない。私は最初に告げた。
 死んだことに彼女はまだ気付いていない。
 だから、もし望むならば貴女は会うことができる。彼女のこの世における最後の姿に。
 ただし、彼女に触れてはならない。死者に触れてはならない。
 死者はこの世に生きるものとは離別すべき存在、相反する存在。
 だからこそ、貴女は触れてはならない。これが規律、掟。
 もし触れてしまったら、貴女は・・・

 どうでもいい―。本当にどうでもよかった。
 私の中では、数秒前の亜紀の声と姿が鮮明に残っていた。
思い返す事しかできない、今はもうどうしようもない光景が。
もう頭の中の声が消えていることにも、
いつのまにか病室に戻っていることにも、
泣いている自分自身の声が聞こえないことも、
もうどうでもよかった。

『亜紀といつまでも一緒にいたい・・・』
最後の想いも、もう紡ぎ出される事はない。

70 :No.16 歌が聞こえる 5/5 ◇SQvDZ46yqY:08/02/03 20:34:00 ID:sYxQu+th
資料:事件記録抜粋

二十日夕方、都内での公演リハーサル中、機器の発火による爆発発生。
意識不明の重体となりすぐさま病院へ搬送。
診断は全身の打撲・火傷及び内臓付近・頭部の致命的骨折。
搬送後に緊急オペを行うも、未明、心肺機能の停止を確認し、死亡。

未確認・複数の証言によるメモ
被害者が亡くなる直前に歌が聞こえたらしい。それはとても綺麗な歌声だったという。

<おわり>



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