【 キミョウな自分ルール 】
◆ZetubougQo
62 :No.15 キミョウな自分ルール 1/4 ◇ZetubougQo:08/02/03 20:28:17 ID:sYxQu+th
おやどうしたんですか?
ああ、お勘定で手持ちが足りない?
いったいいくら?……ああ、そのくらいなら僕が払いましょう。
え?見知らぬ人に払ってもらうわけにいかない?
そんなの気にしない気にしない。
あなたこの町に来たの初めてでしょ?ここじゃこういうのが普通ですよ?
そんなに遠慮するならそう、ちょっと僕の話に付き合ってくださいよ。
なに、そう時間は取らせませんよ。
ちょうど話し相手がほしかったところだし、それでチャラってことでどうです?
よしよし、じゃあ座った座った。
自分ルールって知ってる?
横断歩道で白いところ歩いたり、トイレットペーパーの端を三角に折ったりするあれですよ。
エスカレーターの半分をあけておくとか、約束の場所へは5分前に着くとかっていうのも、一応自分ルールといえなくもないかな。
人のものを盗らない、飲酒運転をしないというのは、もはや法規の粋か。
ともかく、これから話すのは、すごい自分ルールを持った輩のハナシ。
数年前まで、この町はごく平凡な町だった。
たとえるならそう、スーパーでずらりと並ぶ形の整った野菜のような、そんな個性のない町だったんです。
だったと付けたのは、今じゃあ違うと言うわけで、そしてそのきっかけを作ったのはたった一人の男。
この町に越してきた彼は、時の移ろいを待たずして次の日からすぐに変わり者というレッテルを貼られた。
たとえばこうだ。
君が歩いてくる。
向こうから彼がやって来る。
彼は君を見つけるとまるでサイのように突進してきて、哀れその勢いに怖気づいて尻餅をついた君の一歩手前でピタリと止まるんだ。
そして、満面の笑みで――そりゃあもう、宝くじが大当たりしてフラダンスを踊ってるおじさんのような、ある意味見る人をジリと後ずさりさせるようなほどの笑みでこう言うんだ。
「おっはよーうございますーっ!」
僕も初めてその珍妙な洗礼を受けたときはあいた口が塞がらなかったよ。
そのままポカンと口を開いたまま出社したらあの課長め、玉入れ合戦よろしく僕の口にケシゴム放り込みやがって……
おっとっと、話がずれましたね。
63 :No.15 キミョウな自分ルール 2/4 ◇ZetubougQo:08/02/03 20:28:52 ID:sYxQu+th
そんなわけで、それから毎日、そう彼の頭に休日という文字は存在しないのか、日々途切れることなく彼の奇声とも言うべき挨拶が朝の町に響き渡るわけです。
こっちが気持ちよく惰眠を貪っているというのに、嗚呼なんと安眠妨害。
しかも、通学帽をかぶってぞろぞろと団子になって歩く小学生にまで一人ひとりそれを繰り返すという、度し難いバカ丁寧さ。
そんな訳で、近所のおばさま方が彼を見るとしかめ面をするのも無理もないこと。
無論、それには僕も全面的に同意し、毎朝彼に見つからないよう回り道をして通勤する毎日。
おお、僕の平穏な朝を返して!
ところが、だ。
そうやって僕たち賢明な大人たちが懸命になって避けている彼を、遊び盛りの子供たちは逆に追い掛け回してるようなのだ。
男の行くほうへ行くほうへと先回りし、あの「おっはよーうございますーっ」をぶっ被る。
なにが楽しいんだか最近の若いもんはなどと年甲斐もなく思いつつ、まあ所詮他人事ですし、そう気にも留めていなかった。
しかしまあなんと、やつらはそれに飽き足らず、自分たちの間でまで「それ」を流行らせてしまったのだ。
彼ひとりならまだしも、近所中の小学生が朝っぱらから雄鶏のように奇声を発するのは、温厚な(さすがに聖人君子とまではいきませんが、そうとうに気は長いつもりなのです)
温厚な僕も我慢できなくなるのもまた、当然じゃあないでしょうか。
僕は規律を重んじる賢明なる大人然と表に出ると、ちょうど目の前を走るがきんちょ、もとい子供を呼び止めた。
しかしこのガキ、こちらが注意しようと口を開きかけたその顔面に「おっはよーうございますーっ」を叩きつけてきた。
おかげで初めて聞いた日のように半開きの口で止まってしまったではないか。
なんだか妙なデジャヴを感じつつもういちどそのガキの顔を見ると、彼と同じく笑いかけてきた。
……はずなのだが。
若さだろうか逆年の功だろうか、その無邪気極まりない顔は、あの得体の知れないオッサンの笑い顔とは違い、なんともまあ愛らしくそれゆえ、叱ろうとした言葉を引っ込め、「ああ、うん、おはよう」などという間の抜けた言葉とトレードする羽目になったのだ。
印象とは心の持ちよう一つでふらふら千鳥足の如く左右されるもので、あのガキ、いや子供の笑顔を見ると、それまであんなに迷惑千万だとストレスの原因になっていた挨拶の応酬もそれほど気になってくるから不思議だ。
結局僕は頭をふりふり出てきたばかりの玄関へ逆戻りするのであった。
その後知ったことではあるが、子供たちに毒気を抜かれ、宗旨替えした豹変家は僕だけでなく、住民漏れなく同上だったようだ。
ううむ、恐るべきは若さか。
64 :No.15 キミョウな自分ルール 3/4 ◇ZetubougQo:08/02/03 20:30:05 ID:sYxQu+th
そんなことを考えながら、今日もすし詰め電車に乗らんと家を出るとちょうどお隣さんもご出勤の様子。
連れ立っていざ地獄に赴かんと声をかけようとしたのだが、その時あろうことか私の口を付いて飛び出してきたのは例によって例の如く。
「おっはよーうっ!……お、オハヨウゴザイマス……」
なんということだ!穴があったら飛び込みたい。
飛び込んで入り口を厚くセメントでふさぎたい。
そんな私を見て、お隣さんはウメボシを頬張ったような口になりプーッと噴き出したではないかコンチクショウ!
恥ずかしいやら腹立たしいやらで腹の中がぐるぐるする。
しかもこんなときに限って飛び込むのにおあつらえ向きのマンホールが無い!
かくなる上は自分で穴を掘って飛び込むしかないと墓穴まがいなことを思い巡らしていたのですが、
ところが続けてその口から飛び出してきたのは、
「いやあ実は私も今朝家内にそれを言ってしまってね…」
そう、つまり彼のあの毒気に当てられたのは僕だけではなかったのだ。
皆がそうだと知ればもはや恥ずかしいもへったくれもない。
かくしてこの妙ちきりんな挨拶は子供たちのあとに続いて我々賢明なる大人の間にも浸透し、第二次ブームを巻き起こしたのだ。
しかもしかも、彼の所業はこれだけに留まらなかった。
今度は道を横断するときに、まるでニューヨークの自由の女神になったかのように右手を掲げて歩くのが目撃されるようになった。
しかもその伸ばした指先から次々ときれいな花々を取り出しながらだ!
そして、道を渡り終えるころにはりっぱな花束になったそれを子供たちに配りながら去っていく。
もらった子供たちはその珍妙不可思議な手品のタネを探そうと花をひねくりまわし、そして何事にも感化されやすい彼らはそれを真似するようになる。
あとはもうご想像のとおり。
一週間もたたぬうちに、道を横断する人は皆腕を突き上げて歩くようになったのだ。
そんなこんなで、いつしか彼の新しい「自分ルール」が生まれるのを、町中の人が首をろくろっくびのように伸ばして待ち望むようになった。
拾ったゴミを袋に詰めて振り回したり、物を尋ねられればオーバーアクションで丁寧に説明する。
不可思議な口笛を吹きながら街路樹の剪定をし、奇天烈なダンスを踊りながら落し物を警官にパスする。
そう、ここまでくればもう自ずと理解したでしょう。
いつしか町からはゴミが消え、交通ルールは守られ、毎朝目の覚めるような元気な挨拶が町並みにこだまする。
かくして、この町はびっくりするほどすばらしい町へと変貌を遂げたという嘘のような真のハナシ。
ひとりの自分ルールが社会のルールを作ったハナシ。
トイレットペーパーの先を折る手を目的地に五分前に着こうと時計を見る手に変え、飲酒運転しようとする輩を制する手に早がわりさせる愛すべき変人の物語。
65 :No.15 キミョウな自分ルール 4/4 ◇ZetubougQo:08/02/03 20:30:31 ID:sYxQu+th
とまあ、こんな話なんだ。
いやあ、おかげで本当に住みやすい町になって……え?その彼は今どこか?
さあねえ、なんか、ちょっと前にふいっといなくなっちゃってね。
またどっかでここみたいに自分ルールを広めてるんだろうさ。
今では彼の影響で、この町の皆がそんな「いい自分ルール」を作って生活してるんだよ。
ん?僕の自分ルール?
それはね。
一人でも多くの人に彼を知ってもらうために、この話をしまくることさ。
-完-