【 定め 】
◆7BJkZFw08A




57 :No.14 定め 1/5 ◇7BJkZFw08A:08/02/03 20:23:32 ID:sYxQu+th
「なぜいけないのですか!?」
「それがお前のためだ。今までもお前のようなことを言うものは数多くあったが、誰一人として幸運に恵まれたものはいない」
 欝蒼と茂る森の奥。巧妙に隠された洞穴を抜けたその先に、妖精たちの集落がある。
大きな葉の影で、人の手首から指の先くらいまでしかない妖精が、二人で何やら言い合っている。
彼らのどちらも美しいが、纏う雰囲気の違いから一方が女性、一方が男性であることがわかる。
「でも、あなただって実際は知らないのでしょう? 人間の世界に出たものがどうなったか」
「私も直接は知らない。だが夕暮れ時に吹く風が教えてくれるのだ」
「風の言うことは信用できません。あれは真実も多く言いますが、嘘もそれ以上に多いです」
 風格のある男の妖精は少し困った顔をして、まだ若い女の妖精の顔を見つめた。
 しかし彼女の決意はその動かぬ眉と同じく、揺るがないものに見えた。
 深い溜息をひとつついて、男は言った。
「どうしても行くというなら、お前を止めることはできない。しかし、一度人の世界に行ったものはもう戻れはしないぞ」
「それが掟と言うのなら」
「掟ではない、我々は自由の民、我らに我らを縛る掟などは無いことを、お前も知っているだろう。
だが、これはそういうものなのだ。落ちた木の葉が再び色づくことのないように、人間達がいずれは老いて死ぬように、それは決まっていることなのだ」
 男は悲しそうな視線を向けながら言葉を紡ぐ。
「人間には、死がある。苦しみがある。憎しみがある。だが我らには無い。
この美しい池のほとりで風と共に歌い、月明かりの下で踊ることに、何の不満がある?
生きるために獣を殺し、草を刈り、時にはその手を血に染める……どうして人間になどなりたいと言うのか」
 わからない、と言った風に男は頭を振った。
「私は、見てみたいのです。人間を、我々の持たない、美しいものを。
あなたは人間の悪い面ばかり言いますが、人間は詩を紡ぎ、私たちとは違う歌を歌います。
それに、愛というものがあると聞きます。私たち妖精には無い、人間だけの……私はそれが知りたいのです」
 大きな目に情熱をみなぎらせ、彼女は言う。
「我々と人間は、違う。お前の想い焦がれるものが見られるかどうかわからぬし、それどころかひどい目に合わされるかもしれないぞ」
「だとしても、構いません」
 男は目をつぶってしばし黙したが、ついに首を縦に振った。
「……わかった、ならば教えよう。人間になる術を」
「三日の間月の光を浴びず、太陽の光だけを浴びよ。妖精の歌を歌わず、舞も舞うな。しかる後人間のパンと葡萄酒を飲めば、お前は人の姿になれる。
だが忘れるな。体が人間となり、あるいはいずれ心が人のものとなっても、お前の魂は妖精のまま。相容れぬのだ、人間とは……」

58 :No.14 定め 2/5 ◇7BJkZFw08A:08/02/03 20:24:18 ID:sYxQu+th
 それから彼女は三日間、男の言う通りにした。
 仲間達がかわるがわる彼女を引きとめに来たが、彼女は耳を貸さなかった。
 三日の後、男の元に行くと、一かけらのパンと、胡桃の殻に入った葡萄酒が用意されていた。
「我らは仲間の願いを阻むようなことはしない。だが、私はお前にこれを食べて欲しくはない。
今なら何の問題もなくここに留まることができる。今なお、お前は人の世界に行きたいと願うのか」
「はい」
 彼女の決意は揺るいでいなかった。
「そうか……ではこれを持って洞穴を通り、出たところでこれらを飲み、食べれば、それで良い」
 彼女は一かけらのパンと葡萄酒を両手に持ち、別れを告げた。
「ありがとう。あなたに月の祝福のあらんことを」
「叶わぬこととは思うが、吹く風の常に楽しき事を」

 別れを済ませると、洞穴を抜けて彼女は外に出た。
 そして早速パンと葡萄酒を口にする。初めて食べる人間の食べ物の味は誘惑的で、もっと、もう一つ食べたいと願わざるを得ないものだった。
それは欲望と言うものの芽生えであったが、彼女はそれに気づいてはいない。
人の食べ物をその身に入れた彼女の身体はみるみる大きくなり、そこらの娘と変わらないくらいになった。
 願い叶って人間になったとは言えこれからどうして良いかわからず、彼女はふらふらと森をさまよっていた。
なにやらガサガサと音のする方に近づいて行ってみると、突然若い男の姿が目の前に現れた。
「な!?」
 彼はどんな獣に出くわそうと驚かない自信があったが、この時ばかりはあまりの意外さに腰を抜かした。
「誰だ!? なぜこんなところに……いや、何者だ? お前は本当に人間か?」
 森には人ならぬものも数多く住むと言われている、と男は言葉を継いだ。目つきにさきほどの驚きは無く、相手をいぶかしむ様に鋭い。
 女は元は妖精であったから、誰かに敵意を向けられたことは今までなかった。そのためひどく怯えた。
 『ひどい目にあわせられるかもしれない』という男の妖精の言葉が脳裏をよぎる。
「答えろ、お前は人間か?」腰に差した剣を抜き、男が問う。
「はい」反射的に、そう答えた。怯えと震えを含んだ声が、男から敵意を抜いた。
「こんなところでどうしたのだ。服は……山賊にでも襲われたのか?」
 男は今更ながら相手が何も身にまとっていないことに気が付き、顔を赤らめながらそう尋ねた。
「はい」まだ何もわからぬ女としては、そう答えるしかない。
「身ぐるみ剥がされたのか」「はい」「乱暴は、されなかったか?」「はい」

59 :No.14 定め 3/5 ◇7BJkZFw08A:08/02/03 20:25:34 ID:sYxQu+th
 不思議な山賊もいたものだ、これほどの美しい娘を前に持ち物だけを奪い去っていくとは……、男は思った。
改めて見るとその美しさは思わず息を飲むほどである。しばし男は娘を見つめ、放心したまま立ちつくしていたが、すぐに我にかえってこう言った。
「とにかく僕と一緒に来てくれ。服くらいなら用意できる」
 自分のマントで娘を包むと、男は女の手を引いて歩きだした。娘は手を引かれるまま男について行った。
男は道すがら、自分はイラックという村の領主であり、今日は森に狩りに来たのだと、娘に事情を説明した。
しばらく歩くと男の従僕達が見えた。従僕達は姿を消した主人が見つかったことと、男の連れている美しい裸の娘を見たことでひどく驚いた。
「あんれ、若旦那が裸の娘っこ連れて来たぞ。うちの旦那は狩りが下手だと思ってたが、意外に大物を捕まえてくるもんだ」
 男は軽口を叩く従僕を戒め、娘に服を用意させるよう指示する。
「男ものだが、構わないな?」娘はこくんと頷いた。
「そういえば、君の名前は?」問われて娘は戸惑う。妖精に個々の名前は無かったからだ。
「名前がない、のか?」男が驚いてそう言った。娘はしばらく考え込んでいたが、
「私に名前を付けて下さいませんか」と、言ってみた。
 男は何やら事情があるのだろうと一人合点し、それ以上深くは訊かなかった。
「では、そうだな……アニス、アニスと言う名はどうだろう」
 娘は嬉しそうに「アニス」と呟くと、にっこりと微笑んだ。その笑顔の美しさに思わず男はどきりとしたが、気恥かしさからすぐに目をそらしてしまった。
「僕はベルグ、家名はあるが、ベルグで構わない」
彼はそう名乗った。

 その後アニスはベルグと一緒に彼の領地であるところの村へと行き、そこで暮らすこととなった。
アニスは身寄りのないある老婆の家に引き取られ、仮の娘ということになった。
彼女は気立ても良く美しかったので、皆が彼女の事を好いた。彼女も親切で楽しげな住人達と豊かなこの村を気に入った。
ここでの一日は、高らかな鶏の声とともに目覚め、地平から覗き出た太陽の白い光をいっぱいに浴びながら外へ出ることから始まる。
朗らかに吹く風や嬉しそうに囀りまわる小鳥達と一緒に、かつてとは違う歌を歌い、与えられた仕事をこなす。
空が焼ける頃になると道具を片づけ、外での仕事をやめる。
家に入る頃には老婆が夕食を並べていて、二人で神への祈りを済ませてからそれを食べる。
老婆は料理が上手く、出てくる食べ物はアニスにとってどれも素晴らしいごちそうだった。また料理などしたことのないアニスに、
老婆は親切に料理を教えてくれた。そのおかげで、アニスは既に簡単な料理なら難なくできるくらいになった。
そうして、たおやかに降り注ぐ月の光を眺めながら眠りにつく。アニスは幸せだった。
 時に村を訪れる旅芸人や詩人達から人間の踊りや詩の作り方を習い、それを踊ってみたり吟じてみたりもした。
人間の歌には妖精のものとは違う力強い響きや哀惜の調べを持つものもあり、アニスはそれらをとても素晴らしいものだと思った。

60 :No.14 定め 4/5 ◇7BJkZFw08A:08/02/03 20:25:53 ID:sYxQu+th
 ベルグはよくアニスを訪ねては、色々な話をした。
父が早くに亡くなったためにこの若さで領主をしていること。この村は恵まれてはいるが、争いには一度として巻き込まれたことのないことなど。
とりわけ彼はアニスの美しさを褒め、彼女の歌や踊りが何より好きだなどということを語った。
 アニスもまた彼に話をした。
月の光で花開き、一日経つと枯れてしまう不思議な花のこと、『昔いたところ』に伝わる歌や踊りの話、自分はその中のある歌がとてもうまかったこと……
 アニスは一度それとは言わず妖精の歌を歌ってみようとしたことがあったが、どうしても上手く歌えなかった。
しかし彼女はそれを悲しいとは思わなかった。彼女は人間の生活にすっかり満足していたのだ。
 ベルグと話しているとき、アニスは楽しかった。しかし、踊りを踊っている時や歌を歌う時とは違う、不思議な楽しさだった。
あるいはもっと別の、神に祈る時に覚える心地よさのような、そんな感覚があった。
逆にベルグが帰ってしまう時は、太陽が急に翳った時のような寂しい気持ちを覚え、次に来るのはいつだろうと心待ちにするようになった。

 そうしたある日、ベルグが勢い込んでアニスの元へやってきた。
いつも快活な雰囲気が体に漲っているようなベルグだが、この日はやけに緊張しているせいか、まるで熱気を帯びているかのように見えた。
アニスはいつもと少し違うベルグの雰囲気に驚いたが、彼の放った一言がさらに彼女を驚かせた。
「アニス、僕と結婚してくれないか!?」
 彼はここ最近、おせっかいな召使達から、いつ若旦那はあの娘と結婚するのかとひっきりなしに言われていた。
彼とて自分がアニスを好いていることはとうに自覚していたし、いつか結婚するなら彼女だと、心に決めていた。
しかし中には素性の知れないアニスを嫌うことはないまでも、領主の妻としてはいかがなものかと言う者もあったし、
アニスを慕っているものは多く、いつ誰に結婚を申し込まれることもあるやもしれないなどとベルグを煽る者もいた。
結果、いろいろ考えることが面倒になったベルグはさっさとアニスに結婚を申し込んでしまおうと考えたのだ。
アニスには彼の申し出を退けることなど思いもよらなかった。彼女は婚姻というものをよくわかってはいなかったが、
ずっとベルグと一緒にいられるのだということはわかっていたし、それを思うと心に花が咲いたようななんとも言えぬ喜びを覚えるのだった。
アニスは、自分の感じているこの喜びが愛と言うもので、自分は今愛を感じているのだと知った。
彼女の目から、嬉しさに涙がこぼれた。

 二人の結婚は村全体に祝福された。
後継ぎのいない若旦那ベルグに、早く妻を娶れとうるさく騒いでいた彼の家の老召使達など溢れんばかりに涙を零していたし、
アニスを密かに慕っていた村の百姓たちも、若旦那の嫁なら間違いないと素直に喜んでいた。
アニスの家の老婆も、お前は血は違えど本当に私の娘だ、若旦那をよく支えるんだよと、涙声を絞り出してアニスを祝福してくれた。
 二人の結婚式の日、教会にはイラックの村人のほぼ全員が詰めかけ、教会の外の広場まで人が埋め尽くすほどだった。

61 :No.14 定め 5/5 ◇7BJkZFw08A:08/02/03 20:26:29 ID:sYxQu+th
アニスは今日のために仕立てられた、輝くような純白のドレスでベルグの横に立っていた。
ベルグも彼の家に伝わる婚儀の礼装を立派に着こなし、胸を張ってアニスを見つめた。
教会の神父が厳かに儀式を進める。
「では両人とも、ここまでの誓いに嘘の無いことを、神に誓えますね?」
「はい」「ええ」
「よろしい、ではそれを神と互いに証明できるよう、誓いの口づけをお願いします」
 アニスは一瞬うろたえた。実のところ、彼女はこれまで一度も口づけを交わしたことが無かったから、彼女は口づけと言うのがいかなことかわからなかったのだ。
しかしベルグが小声で囁いてアニスに教えてくれ、そうして二人は唇と唇を触れ合わせた…………
 互いが唇を離したとき、不思議なことが起こった。
アニスの指の先から一筋の白い靄が立ち上り、靄が無くなった部分はその形を失っていた。
指の先から立ち上る靄は腕に上り、脚にまとわりついて、彼女の身体を蝕んだ。
ベルグは彼女の顔を見つめたが、靄に覆われよく見えない。彼は彼女を抱き締めたが、その腕で捕まえたのは空虚だけ。
音もなく、匂いもなく、彼女はその姿を消した。まるで一夜の夢のように。
ベルグの唇にはまだ夢の感触が残っていたが、今となっては主を失い崩れ落ちた虚ろなドレスとその感触だけが、彼女がここに存在していたという証だった――――

 風が悲痛な叫びをはらんで、夕暮れ時の空を駆けた。
それは当然、アニスと呼ばれた女性が妖精であった時の故郷である池のほとりにも届いた。
そして一つの呟きを紡ぐこととなった。
「あるいは人と交わり、その食べ物を食らうとしても、それだけならば良かったのかもしれない。
しかし人間と愛を結び、その交わりを結ぶことは魂が違うゆえ、許されない。
魂の違う者同士、ましてそれが陽光の世界に住む者と月光の世界に住む者とでは相容れるはずがないのだ。
世の定めとは、かくも哀しいものか……」
 その呟きもまた、風に吸い取られてどこかへ飛び去って行った。
どこか遠くの月明かりの下で、風は渦を巻いた。





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