【 外へ 】
◆otogi/VR86




52 :No.13 外へ 1/5 ◇otogi/VR86:08/02/03 20:19:49 ID:sYxQu+th
「いただきます」
「はい、いただきます」
 山の奥の奥、およそ外部の人間が立ち入ることのないような場所にその村はあった。木々が茂り、郷からは離れ、山を越えてもなぁ
んにもない。自慢の名物もなぁんにもない。ただし金目のものもなぁんにもないので、寂れていながらも平和な村であった。
 村のさらに外れに小さな小屋、その中には人影が二つ。片方はやや小柄な青年で真っ赤に焼けた肌を短く刈った髪がそっけ
なく飾る。いや、小柄というのはやや語弊がある。向かいに腰掛けたもうひとりの青年が並外れて大柄なのだ。
「なんで私だけ肉を食べてはいけないんだろうね」
 もうひとりの青年より赤い肌と、はるかに大きな体を持つ青年は、合わせた両手を解くと同時に疑問を口にした。彼にしてみれば
何度問うたか思い出すのも億劫なほど繰り返された質問である。
「はっはっは、お前は図体がでかいからな。腹一杯食われたら村の鶏という鶏を絞めにゃならん」
 小さい方の青年から見た目通りの快活な声が返ってくるが、彼は呆れたようなうんざりしたような、なんとも渋い顔をする。村中の
誰に聞いても似たようなことを言うのだ。返答がわかっていても続ける。
「なんで私だけ川に行ってはならないんだろうね」
 山菜の和え物に箸を伸ばす小さな青年に、固く手拭いが巻かれた頭をかきながら聞く。
「ああ、実はお前はさるご高名なお方の隠し子でな。そんな危ない真似はさせられんのだ」
 そこで初めて大柄な青年が笑う。それでこそだと言わんばかりだ。
「じゃあ何故にそのやんごとなきお方が田植えに腰を痛めてるのだろうね」
「実はお前は百姓の子でな。親の仕事を継いでるだけだ」
 昼に二人きりで飯を食っていることからわかるように両者ともに親がいない。小さい青年は幼いころに親を亡くした口だが、大柄な
方は赤子のころに村に捨てられた捨て子だ。小さい青年の親が引き取ったがすぐに亡くなったらしく、今も男の二人暮らしを続けている。
「川に行けんのはどうでもいいが、せめてこの手拭いくらいは自由に外してもいいんじゃないかね。頭が痒くてたまらん」
「今まで黙っていたが、実は俺はお前の世話係でな。お前の髪が傷むようなことがあれば俺の首が飛ぶんだ」
 もちろん二人とも大柄な青年の生まれがどこかなんて知らない。適当に答えているのも暗黙の了解だ。

53 :No.13 外へ 2/5 ◇otogi/VR86:08/02/03 20:20:10 ID:sYxQu+th
 しかしこの奇妙な掟について村の者に聞いても「そういう掟なのだから仕様があるまい」としか言わない。だから歳近く、背丈が自
分の肩あたりまでしかない兄代わりの青年に聞いているのだ。どうせまともな答えがない、かつ聞かずにはおれぬ質問なのだ。少しで
も楽しみを感じた方が有意義である、と。
「さあ、飯を食い終わったら田植えの続きだ。お前もさっさと食べなさい」
 必死に魚の中骨を取っている小さい青年の前で、とっくに自分の飯を飲み下している大柄な青年は微笑んでいた。彼にとってはちょっ
と不便でとても理不尽なルールを改正することよりも、今の穏やかな生活が長く長く続いてくれた方が何倍も有り難いらしい。
 外は照りつける太陽とそれを反射する田んぼの水面でとんでもなく眩しい。二人の赤い肌はますます赤くなるだろう。

 田植えも終わり稲の虫対策のみで、暇とまでも行かないまでも多少の余裕ができたある日、村に久しぶりの来客が来た。とは言って
も行商人が寄っただけだが。まあ退屈な村にとって一大イベントであることには違いない。
「さあさあ皆さん、珍しいものが御座いますよ。東国の置物に都のかんざし、西国仕込みの調味料なども揃えております。」
 この村に特産品などはないし、金を持っている家も少ない。商人には気の毒だがろくに商売にならないだろう。冷やかしの見物人は
山ほど訪れるだろうが。
 その大勢の見物人の中にあの二人の姿があった。他の見物人と一緒になって珍しい品を見ては質問をし、質問をしては商品を漁る。
ずいぶんと節操のない品揃えで見ていて飽きないようだ。商人は予想以上の混雑ぶりを商機と見たのか商品のひとつを取り出した。
「さあさあ、これは私の売り物の中でも一番人気! 保存食ですが単なる保存食と一緒にしてもらっちゃあ困る。じっくり干した干物
だから噛めば噛むほど旨味が出て、放って置いても悪くならないよ! 今日今いる方々だけに試しに一口食べてもらいましょう」
 小さい切れ端をさらに細かくして見物人に配る。二人も受け取り、口に放り込もうとしたところで見物人のひとりが声を上げた。
「おっちゃん、こいつぁ何だい?」
「へい、豚でございます」
 その言葉を聞いた途端に小さい、周りと比べれば普通だが、青年が凄まじい速さで大柄な青年の口から強引に肉片を奪い取った。
「な、何をするんだ」
「さあ、油を売ってる暇はない。仕事に戻ろうか」

54 :No.13 外へ 3/5 ◇otogi/VR86:08/02/03 20:20:44 ID:sYxQu+th
 ついさっきまでは珍しい商品を前に緩みきった顔をしていた小さい青年が、今はとても険しい顔をしている。大柄な青年はとぼとぼ
と後ろをついて行きながら、大好きな兄に叱られた気分になって黙り込んでしまった。ただ彼は自分でも気がつかぬ内に、ひたすら自
分の唇を舐めまわし、初めて口にした豚の味を求めていた。
 その晩彼は盗みを犯した。村の中ほどにある家から鶏を盗んだ。稲の上を駆ける風が、実に気持ちのいい晩だった。

 稲刈りもすっかり終わり村はすっかり落ち着きを取り戻したかと思いきや、そうでもなかった。以前からちょくちょくあった鶏泥棒
が夏ごろから急に増したのだ。質の悪いよそ者が近くに住み着いたのかと山狩りも数度行われたが成果は上がらず、ついに村の最後の
鶏までも姿を消してしまった。いくら小さい村と言っても全ての家の鶏となるとちょっとした量だ。犯人は四人か五人か……
 犯人が捕まるはずはない、身内を疑わぬ村の中に犯人がいるのだから。
「ついに最後の鶏もやられたらしいぞ」
 小さい青年が話しかけても生返事しかしない。あの質問も最近は全くしない。何より。
「ごめん、もう眠くなってしまった。先に床に入らせてもらうよ」
 村の誰よりも大食いだった大柄の青年が飯を残すようになった。むろん恋患いのようなかわいいものが理由ではない。
 彼の飢えは肉を食うことなしには収まらなくなっていた。
 初めて肉を食ったあの日からその欲求は日増しに強くなっていき、ついに昨晩、警戒の目をかいくぐってまでも最後の鶏を盗んだ。
例の質問をしなくなったのも「自分には生来この性質があり、少なくとも村長と兄者はそれを知っていたのだ」という彼なりの結論に
たどり着いたのだ。
 しばらくすると小さい青年も床に着いた気配がした。そして眠りに落ちたころを見計らって大柄の青年は家を出る。向かうは村長の
家。彼は、自分の導き出した解答の答え合わせがしたかった。

「こんな夜更けになんの用かの」
居間に座るなり村長が切り出した。大柄の青年の並々ならぬ気配に何かを感じているらしい。普段の好々爺然とした態度はなく、小さ
くともひとつの村の長であることを実感させる風格を醸し出している。
「まずは謝らせて下さい。昨今の鶏泥棒、私の仕業です」
 村長は最悪の事態に近いことになっていることを悟り、うなり声を上げた。

55 :No.13 外へ 4/5 ◇otogi/VR86:08/02/03 20:21:13 ID:sYxQu+th
「村長、正直に答えていただきたい。私の肉食を禁じていたのは何故でしょうか。私が川に行くことを禁じていたのは何故でしょうか
。私の日焼けが秋を迎えても引かないのはなぜでしょうか」

「なにより、この頭に巻いた布の下には何があるのでしょうか」

 村長は何も答えない。残念ながら、彼のたどり着いた解答はあっているらしかった。
「失礼します、掟を破ります」
 幾重に巻かれた手拭いをひとつひとつゆっくりと解いていく。すっかり取り除くと彼は水瓶を覗き込んだ。彼が初めて見る自分の頭
には、人ならぬものの証拠が、二本の角があった。桃色にしては赤すぎる肌とあいまって大分小柄であろう赤鬼にしか見えなかった。
 いかほど時間が経っただろうか。村長も青年もじっと赤鬼を見つめていたが、ふいに話しだす。
「もうひとつお聞きしたいことがあります。……兄者の両親は戦で亡くなったと聞きましたが、このような小さく何もない村に戦乱の
波が届くでしょうか。何故ほぼ同じ頃合に鬼の赤子がこの村に捨てられたのでしょうか。もしや――」
「もういい、そうだ。お主が思っている通り、あれの両親はお主の両親が村を襲い、犠牲になった者の内の一部。困った我々は貢ぎ物
の酒に毒を混ぜた。まさか鬼に産まれたばかりの子がいるとは夢にも思わずにな」
 最初は殺すつもりだったが幼いころの人間の青年を含む一部の懇願で条件付きで難を逃れたらしい。その条件とはもちろん鬼の青年
に課せられていたものである。鬼であることを自覚させず、「鬼は人間を襲うもの」という不文律をできる限り抑えるために。なんだ
かんだ言ってもつまるところ、村長も何も知らぬ赤子を殺すのには抵抗があったのだ。
「村から出て行った者たちも少なくなかったがの」
 なぜ子供二人だけだったのかはまた他の事情があるのか、口を開くことはなかった。しかし鬼の青年にとってそんなことはどうでも
良かった。親の仇の子供に良くしてくれていた兄代わりの青年への感謝の涙を堪えるので精一杯のようだ。
「今までお世話になりました。私は朝までに村を出ます」
 鬼の青年はそれだけ絞り出すと村長の家を飛び出した。荷物なんていらない、身ひとつで出ても構いはしなかったが、ただ一言、た
った一言だけ礼が言いたい人がいた。

56 :No.13 外へ 5/5 ◇otogi/VR86:08/02/03 20:21:50 ID:sYxQu+th
 明日からは他人の家になる建物に戻り、起こすことのないように慎重に人間の青年の寝床に向かう鬼の青年。彼はまず深々と頭を下
げる。そして仏でも拝むように手を合わせた。ありがとうありがとうと涙しながらゆっくりと思い返す。
 あのころは理由がわからなかったが、近所の子供にいじめられていたときに助けにきてくれた。力が強いことに調子をよくして暴れ
ていたことをたしなめてくれた。行儀が悪かったのをなお……して…………。
「食べ物を食べるのはどうしようもない人間の決まりみたいなものからな。だからせめてご飯を食べるときは食べ物に感謝して、いた
だきますって言うんだ。」

 鬼の青年のありがとうという言葉がふいに途絶えた。しばしの沈黙の後に、鬼の決まりに従った代わりの感謝の言葉が浮かぶ。
「……イタ……ダキマス」



がぶり





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