【 モンスター 】
◆zsc5U.7zok




47 :No.12 モンスター 1/5 ◇zsc5U.7zok:08/02/03 20:15:12 ID:sYxQu+th
 突然ですが、皆様の好きな食べ物は何でしょうか?
 ハンバーグ? フムフム。
 ラーメン? ああ、美味しいですねぇ。
 納豆? 朝ご飯に出ると、幸せな気分になりますねぇ。
 クサヤ? これはまた個性的な……。
 しかし、この個性的というのは中々面白いものでございまして、万人が何故と疑問に思うような好み
をしている方も当然のごとくいらっしゃるわけです。
 ところで、私は長年ある怪物の生態について研究を重ねてきました。ここでは便宜上その怪物のこと
を『彼』と呼ばせていただきましょうか。
 彼の食生活は、およそどんな生物と比較しても、より個性的であると言って差し支えないほど異質な
ものでした。
 もともと、私が彼の研究を始めたのも、その変わった食の文化に強く興味を惹かれたからであります
が、私がこの場でいくら『変わっている』と申し上げたところで、皆様には伝わりづらいことも多いか
と思います。
 それ故、幾つかの実例を踏まえ、皆様にそのユニークな生態の一部をお目に掛けられればと思ってお
ります。
 では、まずその怪物の存在をいつ私が知覚したか、ということからお話いたしましょう。
 
 私は、実は大の野球ファンでありまして、幼少より父に連れられ幾度も球場に通ったものでした。た
だ、私には人並みほどの運動神経も備わってはおりませんでしたから、あくまで観戦専門でしたがね。
 とにかく、何度も球場に通っているうち、ある試合を観戦する機会に巡り会ったのです。
 九回の裏、三点リード、マウンドにはそれまで相手チームを完全に抑え込んできたエースが立ってお
りました。
 一人目、明らかなストライクコースをボール判定されての四球。二人目、際どい玉をまたもやボール
判定で四球。この後、三人目には死球を与え、四人目の打者に満塁ホームランを打たれ逆転サヨナラ負け。
 この試合、勝敗そのものは大して重要ではありません。まぁ当時の私は贔屓のチームが劇的な逆転負け
を喫したことで、多少落ち込むことは有りましたがね。
 この試合を私と共に球場で見ていた父は、満塁ホームランがスタンドに飛び込むのを見て幼い私の横で
こう言ったのです。
「あーあ。マモノに食われたな。」

48 :No.12 モンスター 2/5 ◇zsc5U.7zok:08/02/03 20:15:49 ID:sYxQu+th
 なるほど、確かに父の言ったことは、今の皆様の表情を見ても分かるように、単なる冗談あるいはジ
ンクスといった極めて非現実的なものでしょう。
 ただ、幼かった私には、この『マモノ』というのは、確かな存在として感じられたわけです。
 それ以来、私は劇的なドラマが現実に起こった時、その裏に常に『彼』の存在を意識するようになり
ました。子供時代の刷り込みというのは、全くもって恐ろしいものです。
 幾つかの事件を検証し、彼がどういったときにやってくるのかを調べるようになったのです。
 おっと、そういえば最も重要なことを説明しておりませんでした。
 彼が一体何を食べているか……今までの私の説明で分かったという勘の良い方もおられるかもしれま
せん。彼はありとあらゆる『ルール』を食べて生きているのです。

 ルールといっても形は様々でありまして、日常生活を送るうえで守っていくべき『マナー』、団体行
動を送る上で何よりも重視される『掟』、周囲に対して払うべき『礼儀』、人間が自らを律する為に作
った『法律』、スポーツ等でそれ自体を盛り上げる為の取り決めはそのまま『ルール』と申します。
 彼はその種類を問わず、ありとあらゆる『取り決めごと』を食べているのです。
 この食事がもたらす結果は様々です。
 例えば、件の試合では、彼が『ストライクゾーン』というルールを食べてしまった為に、劇的な大逆
転負けが生まれたわけですが、私はこのように彼の食事によって生まれる結果を、彼の『排泄物』と考
えることにしております。
 つまりは糞ですな。あ、下品な言い様になってしまったことはお詫びいたします。
 まぁ、とにかく彼の食事によって生まれる排泄物の中には、およそ日常とはかけ離れたような、ある
意味奇跡とも呼べるドラマも存在するわけです。
 その一例を挙げましょう。
 一九八六年六月二十二日、サッカーの世界において伝説とも言われるゴールが生まれました。そのゴ
ールを決めたのは齢二十六、選手としての絶頂期にあったディエゴ・マラドーナその人です。
後に『神の手』あるいは『悪魔の手』と呼ばれることとなるこのゴールは、彼がサッカーにおいて最も
シンプルかつ重要なルールである『手を使ってはいけない』というものを食べてしまったが故に生まれ
ることとなりました。
 このゴールをマラドーナ自身はこう振り返っております。
「あれは神の手と、マラドーナの頭から生まれたゴールだ」
 これを単なる審判のミスジャッジと評することは簡単かもしれません。

49 :No.12 モンスター 3/5 ◇zsc5U.7zok:08/02/03 20:16:23 ID:sYxQu+th
 しかし、こういったドラマには多くの場合、目に見えない大きな流れがあることもまた紛れも無い事実
なのです。
 目に見えない大きな流れ。
 これはとても卑怯な、そしていい加減過ぎる言い方なのかもしれません。
 そもそも、私が今皆さんに力説している怪物の存在も、正直な所立証する方法がありません。
 彼の姿は目に見えず、証拠も無いのですから。
 しかし、それでも私は彼の存在を断言したいわけです。
 次はその理由を説明いたしましょう。

 二〇〇一年九月十一日、アメリカ合衆国において非常に痛ましい事件が起きました。勿論ご存知の方も
多いでしょう。世に言う『9/11』です。
 アメリカにおいて行われたテロの中でも、もっとも大きな被害をもたらしたこの事件は、最終的に三千
人近い死者を出し、数え切れないほど多くの人々に影響を与えました。
 私は、この糞のような事件が、事実彼の糞であったと考えております。
 でなければ一体どんな人間が、どんな意思を持てばこのような犬畜生にももとる非道を行うことが出来
るでしょうか?
 私は、そんな悪を行える人間はいないと考えております。
 というよりも、信じたいと言うべきでしょうか。
 元来、人の心は弱いもの。ちょっとしたことで揺れ動くのです。
 彼はそうしたものを敏感に嗅ぎ付けやってきて、甘い誘惑の吐息をそっと吹きかけてやるだけでいい。
 それだけで、弱い心はルールを放棄し、それは瞬く間に彼の胃袋に納まってしまうでしょう。
 そして、彼はどんな糞尿よりも酷い悪臭を放つ、悪夢を世の中に排泄するわけです。
 今私が述べた事を、偽善者の戯言と切り捨てる方もいらっしゃるでしょう。そんな怪物の誘いが無くと
も、法律を破る者はいる……そう言われることもあります。
 ただ、そういった法を犯す者たちも、最初の一回すら躊躇はしなかったのでしょうか?

50 :No.12 モンスター 4/5 ◇zsc5U.7zok:08/02/03 20:16:52 ID:sYxQu+th
 大分、話が逸れてしまったようですね。
 どうやら、私の熱弁もそろそろ皆様の興味を引き続けるのは限界が近づいているようだ。
 おっと、慌てないで。もう少し私にお付き合い下さい。
 最後に、本当の戯言程度に、この怪物がやらかした最も大きな食事の話を聞いて欲しいのです。
 いきなり戯言などと言ってしまうと、皆様にまたかよ……などと思われることになりかねないのです
が。ただ、実の所私も今からする話に関しては、埒も無い妄想だと考えているのですよ。
 まぁ冗談程度に聞いていただきたい。
 
 もし私が、人間の今があるのは彼のお陰だ……と言ったら皆様はどう思うでしょうか?
 おや、驚いておられない?
 まぁ、ここまで私の話に付き合ってくれる皆様方ですから、当然といったところでしょうか。
 では、前置きはこの辺にして本題に入りましょう。
 私や皆様が日常、無意識に行う『思考』という行動……これを手に入れたのはまさに彼のお陰だとす
る文献が実在しているのです。
 もう分かった方もいらっしゃるようですね。そう、聖書です。
 旧約聖書、創世記第三章。後に、ジョン・ミルトンの手によって『失楽園』と名を変えたこの物語に
おいて、人間の祖であるアダムとイヴに最初の罪を犯させた者。
 蛇の誘惑という形をとってはいますが、これこそ彼が最初に行った食事でしょう。
 神はアダムとイヴに、楽園で暮らす上で唯一のルールを設けます。それが知恵の実を食べてはいけな
いということ。
 彼がこのルールを食べてしまったことで、人間には知恵がもたらされました。
 つまり、我々人間がこの地上の覇者でいられるのも、彼の排泄物のお陰だ……というわけですね。
 まぁ、その分何不自由なく楽園で暮らすことの出来る権利は失われてしまったわけですが。

51 :No.12 モンスター 5/5 ◇zsc5U.7zok:08/02/03 20:17:44 ID:sYxQu+th
 どうです? 少しは楽しんでいただけたでしょうか?
 単なるスポーツの話題から、よくもまぁここまで話が飛んだなぁ、と考えていらっしゃる方も多いこ
とでしょう。
 しかし、結局はどれも一緒なのです。
 ルールがある時は破られ、ある時は無視され、ある時は失われる。
 その度に生まれる様々な出来事を、彼は腹ごなしに見物しているのでしょう。
 最後の例はあくまで聖書に描かれている神話の類ではありますが、重要なのはその真偽ではありませ
ん。
 人間がルールを破る時、そこには決まって何か人以外のものの力が働いていたと、昔の人々も考えて
いたことが重要なのです。
 彼自身はただ囁き喰らうだけ。罪を犯すのは、またドラマを作るのは、あくまで人間なのですから。
 さて、そろそろ時間のようですね。結局、彼の食事に関することの一部しかお話しすることが出来ま
せんでした。
 今回の講演で、彼に興味を持たれた方は遠慮なく私の所にきてください。今までに採り溜めたデータ
が、野球だけでも百例以上ありますから。
 その一例一例を丁寧に説明いたしましょう。
 それでは、長くなりましたがこの辺で。
 今回はお集まりいただきありがとうございました。





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