【 毀れた乳母車が並ぶ自転車店 】
◆/sLDCv4rTY




32 :No.08 毀れた乳母車が並ぶ自転車店 1/4 ◇/sLDCv4rTY:08/02/03 19:53:27 ID:sYxQu+th
 或る森の近くに、小さな寂れた村があった。
村には十七人の老人しか住んでいなくて、
年金と、それぞれが仕事をして稼いだお金で生活していた。
村人は、しかし買物や年金の引き落としなど、生活のほとんどを近くの町に頼っていた。
 その村は、町に頼らなければ存在することができなかった。
 十七人の老人だけが住む村は、死に似た閉塞感がただよっていた。

 一人がいった。
『養子をもらって、この村でそだてよう』
村人は次々に賛成していった。
そして最後に、自転車店をひらいている爺さんが賛成して、村は養子をもらうことになった。
 そのあと村人達は、養子は一人しかもらわない、というルールを決めた。
それは、こんな未来のない村にくる子供は、不幸だと思ったからだった。
つまり、この村にもらわれるその一人は、村人達を慰めるための玩具――――いけにえに近かった。


 乳母車に乗せられて、村に来たのは女児だった。
 十六人の老人(一人は児と入れ替わるように死んだ)の中の、自転車店の爺さんが、
村にきた女児の子守りをすることになった。
この村では自転車に誰一人として乗らないので、彼が一番ひまだったのだ。
 彼は、どこからか毀れた乳母車や毀れたオモチャを拾ってきては、
毀れたまま、児に与えた。
彼は児をあいしていた。とても愛していた。他の村人が、うとましくなるほどに。


33 :No.08 毀れた乳母車が並ぶ自転車店 2/4 ◇/sLDCv4rTY:08/02/03 19:54:17 ID:sYxQu+th
 四年後に、一人の老人と一人の少女だけが住む廃村では(老人の九人が死に、
六人がこの村では暮らせないと言って町に出ていった)、
ところどころに毀れた乳母車や毀れたオモチャが散らばっていた。
 死んだ九人のうち七人は、自転車店の主人――村に残った爺さんが、殺したのだった。
村人達は、少し体調を悪くされただけですぐ死んだ。
ひとりを殺すたびに、彼には何かが変わる予兆みたいなものが込み上げてきた。
そして、それは、予兆のまま終わった。
 全く、老人ほど簡単に死ぬものはないのだった。

 ……もしかすると君は、勘違いをしているかもしれないが、
彼が殺人を犯したのは、少女を独り占めするためではなかった。
また、彼にとって、少女は希望ではなかった。逆だった。絶望、だっだ。
 彼には、少女がいい人間に育つとは思えなかった。
子を捨てるような親から生まれ、一人の子をいけにえにしてでも希望を見い出そうとする村に拾われ、
能無しで、しかも殺人まで犯してしまうような人間に育てられて、
いい人間に育つはずがないと思っていた。 

しかし、彼は少女のためにいきていた。たしかに生きていた。
彼は少女を愛していた。それは少女がなんであろうと、変わることのないことだった。

――――一つ、お願いがある。君には、この殺人を、ただ残虐な行為という一言で片付けて欲しくない。
人は、希望がなく、どうしようもない閉塞感の中では、死体となにも変わらない。
彼は、脳を圧迫しつづける閉塞感の中で、くらくらしながら、
なにかを変えようとしたのだから。
死へ向う村の、なにかをかえようと、もがいていたのだから。


34 :No.08 毀れた乳母車が並ぶ自転車店 3/4 ◇/sLDCv4rTY:08/02/03 19:54:54 ID:sYxQu+th
 小学生になるまえに、少女にすこし勉強をさせておいた方がいい、と彼は思った。
 しかし、彼自身は小学校にさえいっていなくて、教師となって教えることはできず、
できることといえば、少女の同級生となっていっしょに勉強することだった。
 いっしょに勉強することは、少女はオモチャをもらうよりも喜んだ。
彼と少女は互いにおしえあいながら勉強した。
彼もすこしずつ勉強が判っていくのが楽しかった。
 彼は少女を愛していた。しかし、少女がいい人間に育つとは思えなかった。
けど、けれど、彼は少女にいい人間になって欲しかった。
いい人間になって欲しい――――彼はそう考えてからいつも思う。
『"いい人間"って、なんだろう』
そんなこと、誰にも判るはずはなかった。
判るはずがないことを考えて、考えて、考えぬいて、彼はいつも同じ結論を出す。
『もう少し、さんすうができるようになったら、少しくらいは判るようになるのだろうか』
 誰にも、判るはずのないことだった。


 ――少女は死んだ。なんの前触れも無く。それは老人達が死んだのと同じように、あっさりと。
 彼は彼の首あたりの、彼の頭を支えていたものがぽっきりと折れてしまったようなきがした。
彼はうずくまり、爪を立てた両手で顔を覆った。
確かに生きている彼が持つ頭蓋骨には、
生きている他の人間と同じように、悲しみの皮がこびりついて剥がれなかった。
 毀れた乳母車が並ぶ自転車店で、うずくまり、彼は、この村には自分一人しかいないことを感じていた……。

35 :No.08 毀れた乳母車が並ぶ自転車店 4/4 ◇/sLDCv4rTY:08/02/03 19:55:21 ID:sYxQu+th
 一つの毀れた乳母車の中に、少女がいれられていた。
少女は、乳母車からすこし手足をはみ出していて、それは彼女の成長の証であったが、
これから迎える腐敗の証でもあった。
 彼は乳母車のなかの、毀れてしまった少女に話しかける。
(僕たちにんげんは、ぜつぼうすると、首の骨がぽきりとおれちゃうね。なんでだろうね。)
 少女は最初、乳母車に乗って、彼のもとにやってきた。
そして、しぬときは、毀れた乳母車に……。
(僕たちにんげんは、ぜつぼうすると、首の骨がぽきりとおれちゃうね。なんでだろうね。)
 彼は何処かへ出かける。


 彼は乳母車を押して、山道を進む。乳母車の車輪がぐるぐると廻っている。
そして、暗い絶叫のような森の中へ。
 土を踏む彼の靴の裏には、数匹の虫の死骸がへばりついている。
虫は、あの村人達と同じように死んでいた。
乳母車の車輪にも、虫の死骸がへばりついている。
虫も、老人や少女のようにいとも簡単に死んでしまうのだった。

 森の中。車輪と共に、赤や青や黄色の汁をしたたらせながら、数匹の虫の死骸が廻りつづけている。
 毀れた乳母車の中には、毀れてしまったちいさなにんげん。
 虚無を乗せた乳母車を押して、生きたまま壊れてしまった人間は、いったい何処まで行くのだろう。

まだ、さんすうの教科書も終わってないのに。
解きかけの問題も、残っているのに。

『いい人間って、なんだろう?』
その答えもまだ、出ていないのに。



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