【 シュガープラント・ルールズ 】
◆AOGu5v68Us




14 :No.04 シュガープラント・ルールズ 1/5 ◇AOGu5v68Us:08/02/02 21:40:48 ID:/t3Gn9n2
 せめて自分のルールくらいは、自分で決めたい。こんな頼りないわたしでも、自分でものごとを判断し、意味を見いだし、行動する権利は与えられて
いるはず。十三歳ごろから、なんとなくそう思っていた。
 けれど実のところ、わたしの単純な頭ではそんな大それたことはできなかった。気がついたら、毎日私は誰かが定めた通りの規則に沿って生きてい
た。
 そんな風に四年間が過ぎ、いつしかその願望と諦観は膨らんでいた。
 それと同調するように、男の子と間違えられるくらいに短かった髪を同期生で一番長く伸ばすようになり、痩せっぽっちだった体も並みくらいに丸み
を増した。背は女としてはいくぶん高いけれど、それでも男子の真ん中あたりと同等だ。なんの取り柄もなかったわたしは、「女の子らしさ」という武
器を手にしたらしかった。先生も同級生も「女の子らしい」女の子というのは好きなものだ、ということにも自然と気づいた。
 なんて役立たずな武器なんだろう。こんなもので、わたしの悩みが解決されるべくもない。自分が占める空間の増加分だけ、包容力や忍耐力が増した
訳でもないし。
 せっかく手にしたものが役に立たないというのは、いらだちを増幅させるばかりだった。
「……という訳でだな、日本ブラジル間の移民の歴史の始まりは、えー、このように農村の貧困の打開、新天地への夢と希望という政府の謳い文句の裏
に、黄禍論に代表される人種差別のような、暗い側面も持っていてだな、えー、栽培するのはサトウキビでも、現実は砂糖のように甘くはないという訳
でだな……」
 こんな授業になんの意味があるんだろう。日系人について学んだって、自分の望み通りの生き方なんてできるはずがない。
 ただ話を聞くだけだというのに、ものすごく気だるく、疲れを感じる。窓の外に目をやっても、だだっ広いだけの校庭と、桜の古木しか見えるものは
なく、風景に刺激がまったくない。だから、体がゆっくりと眠気に包まれる。
 眠気自体は悪くはない。
 目を閉じると、柔らかく甘い微睡みがどこか違う場所へ誘なってくれる。そこにはなにもない。光も影もなく、わたし自身の輪郭も認識もどこにもな
い。休日の夜の砂糖工場の静けさ。
 ただ、目を覚ましたとき、たちどころに自己嫌悪に襲われてしまう。結局惰性で眠りに逃げ込み、アンニュイな悦びをむさぼるような、情けない人間
だ。
 目を覚ましたとき、たいてい真っ先に思い浮かぶのが双子の弟の友哉だ。わたしと顔立ちや背格好は近いのに、髪型と性格はまるで違う、あの極楽ト
ンボ。あいつの憎たらしい笑顔が、わたしをバカにしてくるように思えた。毎度のことながら、最低の目覚めだ。

 夕食のあと、友哉の部屋でゲームをした。ゲーム好きな野球部員の例に違わず、友哉もパワプロが好きなので、ゲームと言えば自然とパワプロにな
る。ふだんほとんど勝てないわたしだけれど、今回は冴えていて、二試合続けて勝ってしまった。そのころには二人ともすっかり飽きてしまい、コント
ローラーを投げ出してぶっ倒れた。友哉は「あーあ」と声に出しながら両腕を挙げて横になり、わたしはため息をつきながら腕を横に出して友哉に続
く。
「いって、なにすんだよ」

15 :No.04 シュガープラント・ルールズ 2/5 ◇AOGu5v68Us:08/02/02 21:41:12 ID:/t3Gn9n2
 さすがに腕がバチンと当たったら怒るか。こんな細い腕でも。
 そのまま呆然と天井を見上げているうちに、ふと友哉に話してみようかと思った。わたしが抱えている悩みに対して、このくそ生意気なガキンチョが
どう反応するかという、純粋な好奇心。どうせ「ワケわからん」と一蹴されるんだろうけれど。
「ねぇ、友哉」
「ん、なんだよ。つかいいかげん腕どかせ」
「友哉は、自分で自分のルールを決めて、好きなように生きたいって、思ったことある?」
 友哉の要求を無視して、そのまま本題に入る。友哉の顔がこちらを向く。少しキョトンとしていたが、やがてこともなげに答えた。
「あるよ」
「うそ」
 意外な解答に驚く。
「つかむしろ、友恵はそう思ったことあんの?」
「ある」
「うっそだー」
 今度は友哉の驚く番らしかった。さんざん人のことをネクラ扱いしておきながら、こうなのだ。人の気も知らないで。
 そのままわたしは話を続けた。自分の生き方への不安や嫌悪感、学校生活の退屈さ、そういった話題に友哉は黙ったまま耳をかたむけ、時折うなずい
て見せた。わたしが話し終わると、友哉はため息まじりにこう言った。
「……やっぱり俺たち、双子だけあって、似たもんどうしだな」
 両手を床について身を起こすと、友哉はわたしに右手を差し出した。友哉に引っ張られて、わたしも立ち上がる。
「散歩、いかね?」
 いささか唐突な誘いではあった。けれど、まんざらでもない。なんとなく気分が変わりそうだった。
「いいよ」
 そう返すと、友哉はほんの少し微笑んだ。

「えー、友哉タバコ吸うんだ」
 十七年間生活を共にして初めて知る事実に、思わず大声を出してしまった。
「知らなかっただろ。散歩してくるって言ってた時、あれって、だいたいタバコ買いにいったり吸いにいったりだよ」
「うへぇ。高野連がなんというか」
「いいんだよ。俺ルール的には、タバコは問題なし」
 友哉がフーッと煙を吐き出すと、煙はたちまち冬の風に流され、夜闇にまぎれた。雪でも降りそうな、寒い曇りの夜だ。無人の公園はうら寂しく、わ
たし達の声と、風で木の枝がこすれる以外の音はほとんどしなかった。

16 :No.04 シュガープラント・ルールズ 3/5 ◇AOGu5v68Us:08/02/02 21:41:35 ID:/t3Gn9n2
「友恵も一本どう? 気持ちが楽になると思うけど」
「わ、わたしは、いいよ」
「いいからいいから。きょうだいだろ、俺たち」
 強引に押し付けられるような形で一本渡される。仕方なく口にくわえると、友哉が火をつけてくれた。
「……なんか最近、野球を続けてるのがヤになってきたんだよな。オヤジが野球少年で息子にも野球をやって欲しいってだけで続けてても、楽しくねー
し。レギュラーも獲れないまま中途半端にやって、なんか意味あんのかな。正直言って、よく分かんね。なんか自由じゃないんだよ、今の俺は」
 どうやら友哉は友哉で、わたしの知らないところで同じもやもやを抱えながら、それを押し殺して、人の期待通りに振る舞っていたようだ。
「俺もやっぱり、もっと思い切った生き方がしてみたいって、ずっと思ってたんだ。人に言われた通りに生きて、気がついたら自分で自分のことを考え
て行動できなくなったらどうしようって、不安でさ」
「ゴホッ、ゴホッ」
 生まれて初めてのタバコと、友哉には不似合いなセリフのせいで、むせてしまった。
「ちょっと、だいじょうぶか、友恵」
「うっ、うん。……恥ずかしいセリフ禁止」
「悪かったな、俺はいたってマジで言ってるんだけど」
 それっきり、二人とも黙り込んでしまった。どうもわたしはタバコと相性が悪いらしいという事実ばかりが頭を支配する。
 やがて、友哉が再び口を開いた。
「友恵って、鎌田先輩とうまくいってないの?」
「な、なに、いきなり」
 いきなり鎌田さんの話を振られてひるむ。鎌田浩一さんは、友哉の野球部での先輩であり、わたしの交際相手でもある。
「ほら、鎌田先輩ってすっげぇ独占欲とか支配欲とか強いじゃん。それで、友恵が『自分のルールは自分で』なんてこと考えてるのを押し殺して、むり
に従順に振る舞ってるのかな、とか。そのせいで恋仲がうまくいってなくて、突然そんな相談を俺にしてきたんだって」
 確かに、カップルとしてはあまりうまくいっていないと思う。一緒にいて楽しくないということはないけれど、特別好意を持っている訳でもない。そ
もそもの始まりが友哉の仲介で鎌田先輩の方から告白され、断る理由もないからなんとなく付き合い始めたというだけのことだから、当然だろう。
「鎌田先輩ってあんな人だけど、友恵さ、もっとワガママ言ってもいいと思うんだよなー。ただでさえ大人しそうなのにハイハイ従ってるだけじゃ、ナ
メられるっつーか、なんつーか……。それにほら、ギャップ萌えっつーの? 大人しそうに見えて意外と芯がある、っつーのもいいんじゃねーの。それ
こそ、『自分のルールを自分で』って奴。友恵ネクラだけど、顔はけっこうきれいだし、もっと自分を出しても許してもらえるはずだよ」
 あまりにも大真面目な顔で友哉らしくもないフォローをしてくるので、思わず吹き出してしまった。それを受けて友哉がばつの悪そうな表情をしたの
がまたおかしくて、本格的に笑い出す。
「友哉って、やっぱりバカだよね」
「るせーな」

17 :No.04 シュガープラント・ルールズ 4/5 ◇AOGu5v68Us:08/02/02 21:41:59 ID:/t3Gn9n2
「そんなのぜんぜん考えてなかったよ。それにわたし鎌田さんが好きって訳でもないし、ふつうに友達感覚だよ」
「あ、え、へー、そうなんだ」
 さっきの友哉の言葉と表情が脳裏をよぎる。そこに、今のうろたえぶりがくわわって、ツボに入ってしまう。
「ハハハ、ほんとに変な奴だよねぇ、友哉って。さっきから変なこと言ってばっかり」
「悪かったな、変な奴で」
「うん、ほんっとに変。だいたいあんたがわたしのことなんかほめるはずがないもん」
 十秒ばかり一人で笑って大爆笑していたが、友哉の様子に目がいって、笑うのをやめた。
 友哉は下を向いて、吸い終わったタバコの吸い殻をつま先でいじっていた。たぶんこの瞬間、とても暗い顔をしているのだろう。そんな気配がした。
「ほんとに、そう思う?」
 低い声で、呟くように友哉が問いかけてきた。
「友哉?」
「ほんとに、俺が友恵のことをなんとも思ってないと思う?」
「だって、わたしたち双子だし、顔も似てるから……。相手の顔をほめるのって、自分の顔をほめるのと同じようなことじゃない」
 友哉の言葉の真意を量りかねて、ためらいながらそう答える。
「……そんなことねーよ。自分の顔はそれなりに好きだよ。でもそれってやっぱり、俺が友恵に似てるから」
「違うよ。それは友哉がわたしを鏡として見てるってだけだよ。友哉がわたしの顔を通して、自分の外見に酔ってるだけ」
「違わねーよ! ……だって俺、辛かったもん。先輩と友恵を紹介するとき、どうしてこんなことしてるんだろうって思った。どうして友恵を人にやら
なくちゃいけないんだろう。どうして俺はなにかをこんなに必死に我慢してるんだろう。どうして」
「やめて」
 それ以上、友哉の言葉を聞く気はなかった。実のきょうだいが言うべきことではないこと、思っていたらまずいこと。そんなことばっかりが、友哉の
口から溢れてきそうな気がした。けれど、友哉はおかまいなしだった。
「なのに、好きでもねー相手と付き合ってるなんて、なんだよそれ。あの時のあれはなんだったんだよ。俺はずっと一人でバカみたいに踊らされてただ
けじゃん。そんなのありかよ! 俺だって変な決まりとかなかったら、ちゃんと自分の想いを伝えたいよ。俺だって……。俺だって、友恵のこと」
 パシーン。
 ほとんど無意識の動きだったのに、思ったよりも大きな音が響いた。外の寒さで肌が張っているせいもあるのだろう。口を開いたまま友哉はしばらく
動きを止め、それからはたかれた頬を手で押さえた。
「……あ、ごめん。そんなに強くやろうとした訳じゃ……」
 わたしの弁解に、友哉はなんの反応も示さなかった。それからの何秒かは時が止まってしまったかと思うくらい長く、気まずかった。
「……やっぱり、きょうだいでそういうのって、まずいと思うんだ。お父さんやお母さんにもし気づかれたら、いい顔しないだろうし……。でも、友哉
が嫌いだとか、そういうことじゃ、全然ないよ。ただ、友哉は双子の弟でしかなくて、それ以外の見方は、ちょっとできないよ」

18 :No.04 シュガープラント・ルールズ 5/5 ◇AOGu5v68Us:08/02/02 21:42:22 ID:/t3Gn9n2
 そう言いながら、わたしは友哉がすすり泣く声を聞いた。昔から泣かない子だった友哉が、精一杯こらえながら、静かに嗚咽をもらしている。その事
実に少し衝撃を受け、わたしもほんの少しの間、泣きたくなった。でも、今はわたしが友哉を引っ張るべきなのだろうと思うと、泣けなかった。
「さ、友哉、そろそろ帰ろ。だいぶ寒くなってきたし、場所を変えて、気持ちを落ち着けようよ」

 散歩に出る前と同じ体勢で友哉の部屋の床に寝転がっていると、振り出しに戻ったような気分になった。二人とも冷静さを取り戻し、おとなしく体を
投げ出して次なる動きを待っている。
「どっか遠くに行けたら、自分の望み通りに生きられるのかな」
 おもむろに友哉がそう言う。
 どこか遠く。誰も自分を知らず、名前を持った個人として認識しない国。物理的に存在しても、概念的には剥がれ落ちてしまったような、「その他大
勢の登場人物」になれる場所。そこでは、誰からも期待も縛りも受けず、理想通りに自分のルールを自分で定められるのだろうか。
「どうなんだろ。少なくとも、わたしには無理かな。なんだかんだ言って、わたしも人の言うこと聞いて生きてるし、人の見る目を気にしてるから。
さっき気づいたけど、素直に世間や周りの人に従った方が楽だし、自立できる強さなんて、わたしにはないや」
 唐突に、その日の授業を思い出す。三限の世界史。南米移民の話。うとうとしていたわりには記憶に残っていたそれが、少し役に立ちそうだと感じ
た。
「でも、どこかに消えたいなら、ブラジルなんてどうかな」
「ブラジル?」
「うん。日本の真裏。みんなそれなりに希望を持って移っていったのに、現実はもっと厳しいんだねって。そういう場所。治安も悪いし、きっと自分勝
手に振る舞っても、警官にちょっとお金を渡せばだいじょうぶ」
「ハハッ、そいつはいいな」
「友哉、ちょっとこっち向いて」
 わたしと一緒に、友哉は顔の向きを変える。わたしは友哉に顔を寄せ、さっきひっぱたいた頬に手を添えて、友哉の唇に軽くわたしのくちびるを重ね
た。ほんの一瞬、だけれども確かに、わたし達は口づけた。
「な、なんだよ、いきなり」
 友哉が顔を赤くしながら慌てて距離を置く。
「『ブラジル体験』。明日の朝厳しい現実世界に戻る前に、かわいい弟につかの間の夢を見せてあげようかなって思って」
 柔らかな感触の残る自分の唇に、そっと指で触れる。
 実のところ、どうなんだろう。どこか違う場所に行けたら、わたしは友哉を違う風に思っただろうか。わたしは友哉の気持ちに応えただろうか。友哉
と、今以上のことをしただろうか。
 今いる場所に生まれてしまった以上、そういう仮定は無意味だ。わたしは友哉との血縁外の関係を拒んだし、それはごく常識的な判断であるはずだ。
 けれど、もし他の場所で友哉と生きていけたなら、悪い気はしないだろう。そんな気が、ほんのちょっとだけした。



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