【 神のいない世界で 】
◆eYCc7/VuC2




12 :No.03 神のいない世界で 1/2 ◇eYCc7/VuC2:08/02/02 21:39:19 ID:/t3Gn9n2
 神がこの世界を見捨てたのは、数十年前のことだった。
 神の祝福を失った人間は、魔物に対し抵抗と言える抵抗もできなくなった。
 世界は魔王が支配する、いささか人間には住みにくいながらもそれなりに秩序ある世界となった。
 そんな話を酔客が語っているのを、離れたカウンター席で聞く男が居た。
 黒い髪に黒い瞳。長身の男であった。黒いローブを羽織ったその姿は、伝承にある死神とよく似ていた。
 男は酔客の話に特に興味を示す様子も無かった。この世界の歴史である。知らぬもののほうが少ない程だ。
「1年ぶりかな」
 酒とグラスをカウンターにおいて、宿の主人が男に声をかけた。
 人間だけでなく魔物ともうまく付き合うたくましい主人は、彼と古い付き合いだった。
「あぁ。漸く、なんとかなりそうなんだ」
「そうか……。あんたがこんなことをするなんて昔は信じられなかったが、今なら信じられる。あいつを、よろしく頼む」
「あぁ」
 主人の注いだ酒を男は一気にあおった。喉の奥を熱い液体が流れていくのを心地よく感じる。
 酔客の話は、魔王と神の祝福を失った勇者との最後の戦いにさしかかっていた。

 深夜、男は宿を出た。街道とは逆の方角にある山に入る。
 月の放つわずかな光の中であっても、男の歩みに迷いはない。男は既に幾度もこの地を訪れていた。
 獣道のような隘路を半刻程歩いた先に、開けた場所があった。
 男は更に足を進める。周囲より少し盛り上がった場所に、一振りの剣が刺さっていた。シンプルな飾り気のない剣である。どれだけ放置されて
いたのか、刀身は錆びきっていた。
 それは墓標であった。土の下に眠るのは、男が求めてやまない相手だ。
「長かった」
 男が呟く。
 暗がりの中で、その目は不自然に光っている。
 男は剣の周囲に幾つかのナイフや像、金貨といったものを置いていく。見るものが見れば、それらがどれも一つの国を丸ごと吹き飛ばせるほど
の力を持ったものであることがわかるだろう。
「これで漸く君を取り戻すことができる」
 男はそこにはいない相手に語りかける。その一方で、丁寧に作業を進めていく。
「約束は破られるために存在する。言葉にすることで約束は確かな形を持つが、同時に破られるという運命を背負う」
 男が行おうとしているのは、今や失われた魔術である。誰もが求めて止まない、しかし叶うことが許されない願い。それを叶える魔術。

13 :No.03 神のいない世界で 2/2 ◇eYCc7/VuC2:08/02/02 21:39:53 ID:/t3Gn9n2
「君は言った。自分は死なない、必ず戻ってくる、と。だから私は、信じてそれを待った。だが君は死んだ。戻ってこなかった。君は約束を破っ
 た」
 男には今でもつい先刻のことのように思い出せた。自分に向けられた最後の表情。全身血塗れで、白い顔で。それでも強い意志が宿っていた。
 男は体に力をこめる。ここ数十年出したことのないほどの魔力。それを纏め上げ、魔術を作り上げる。
「人との出会いなど些細なことだ。長い間生きていれば、同じ様な出会いは幾らでもある。それでも私が君に執着する理由を君はわかっていたの
 かな」
 魔術が始まった。失敗するかもしれないなど、男は一片も疑いはしない。それだけの準備を男はしていた。
「私には力がある。そのことにこれ程感謝したことはないよ。君に出会えたことも含めて、私は幸せ者だ。神に、感謝せねばな」
 男はクツクツと笑った。既に神と呼ばれる存在はこの世界にはいない。そのことをどれだけ呪ったことだろう。だが、今こうしているのは間違
いなく神のおかげだと男は思う。
 空間が震えはじめる。世界が起こるべきでないことを拒んでいるのだ。男はそれを魔力で押さえつける。世界の定めに隙間を作り、無理やりこ
じ開ける。
 魔術の名前は死者蘇生。神の奇跡とされる業。神が去るまでは容易に行われ、今となっては試みることでさえ禁じられた行為である。
「君は約束を破った。だから私は世界を壊す。死を覆らないものとした世界を壊す。……さぁ、目覚めの時間だ。私の愛しい人」
 激しい音がしていた。耳に聞こえない、魂に直接響いてくる音である。魔力も持たぬ人間がこの場に居れば、即座に発狂しているだろう。しか
し、男は静かにそれを受け止める。
 地面に置いた力を持つナイフや像が砕け散っていく。その度に歯車が回るような感覚が世界を駆け抜ける。
 永遠か。それとも一瞬か。男にも判然とはわからなかった。
 突然、世界は元の平穏を取り戻した。先程までの異常などはじめから無かったように。
 そして彼の目の前には、先程までとは違うものがあった。
 土に突き刺さった剣は消え、一人の少女が横たわっている。
 男はゆっくりと少女に近寄り、その体に手をあてた。
 暖かく、柔らかかった。生きている者のみが持てる感触だと男は思った。
 男は少女の肩にそっと手を当て、ゆする。
 少女の目蓋がゆっくりと開き、男の記憶通りの青い瞳が彼の顔を映した。
「魔王。どうしたんだ。ひどい顔だ」
「ふふ。君があまりにも寝ぼすけなものだから、たたき起こすのに苦労したんだよ……勇者様」
 神の業を行ったのだ。去った神が異変に気付いて戻ってくることも考えられる。そうすれば、二人はまた幾度も戦うことになるかもしれない。
 それでも構わないと、魔王は思った。
 魔王が居て、勇者が居る。それこそが彼が望む世界のルールであるのだから。 (完)



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