102 :No.25 一月十七日 1/5 ◇IOXYmSMPl6:08/01/28 17:24:10 ID:iApBR0zd
今朝、父が倒れたらしい。布団の中にいた俺には救急車のサイレンも母の悲鳴も聞こえなかった。
病院に担ぎ込まれた父の体はガンに侵されていた。出来る限りの治療をしていくとしても余命は半年ほど。
夕方目を覚ました俺が部屋のドア越しに母から聞かされた話はそんなところだった。
最後に両親の顔を見たのはいつだっただろうか。
大学に受かって上京したまでは良かった。
しかし親の目の届かない一人暮らしを続ける内に、自分が少しずつだが確実に堕落していくのが分かった。
大学に行かなくなり、携帯電話が鳴るのを怖がり、奨学金と仕送りを食い潰しながら一日中部屋に
引きこもってゲームをする。
そんな生活を、留年が決まったのをきっかけに実家に帰るまで続けていた。
実家に戻ってきたところで何かが変わる訳もない。
一度体に染み付いてしまった引きこもり癖は抜けずに今日まで来てしまった。
朝食が出来たよ、家族そろってご飯を食べないとダメだ、などと言いに来る母が鬱陶しくて、
いつしか夕方に起きて朝に寝る生活を送るようになっていた。
「大変なことになったけど、まー君は心配しなくていいからね。お父さんはきっと治るから」
ドア一枚隔てて伝わる母の声が不快でならない。
パソコンの画面だけが光る薄暗い部屋の中で嫌に反響して聞こえる。
俺はヘッドホンを着けていつものようにネットゲームにログインした。
103 :No.25 一月十七日 2/5 ◇IOXYmSMPl6:08/01/28 17:24:22 ID:iApBR0zd
それからしばらくしたある日、真夜中にひっそりとトイレを済ませて自分の部屋に戻ろうとすると
リビングから明かりが漏れていることに気がついた。
無意識の内に一瞬だけ足を止めてしまう。
すぐにまた歩き出そうとしたが、
「まー君? いるの?」
母の声に呼び止められた。
リビングから姿を見せた母は記憶にある姿より一回り小さく、目に見えて分かるほどにやつれていた。
手には預金通帳を持っている。
「何の用だよ」
久しぶりに言葉を話したから上手く舌が回らない。
「ほら、これ。もうすぐお父さん退院できるからね」
そう言って見せてきた預金通帳には両親がこつこつ溜めてきたわずかばかりの蓄えが記帳されていた。
その蓄えがここ数日、一日に一桁ずつ減っている。
とても治療のためとは思えないほど異常な減り方だ。
「まー君は知ってたかな。お母さん達のお金ってね、汚れてるんだって」
うわごとの様に話す母に、酷く嫌な予感がした。
「汚れたお金を持ってたからお父さんにもまー君にも悪いことが起こった。だから今お金をお清めしてもらってるんだ。
もうすぐこの貯金が全部綺麗なお金になるからね。そうしたらきっとお父さんの病気も良くなるからね」
104 :No.25 一月十七日 3/5 ◇IOXYmSMPl6:08/01/28 17:24:33 ID:iApBR0zd
気付いたら母の胸倉を掴んでいた。この通帳の残高じゃ到底治療なんて続けられない。
半年を待たずして父は他界してしまうだろう。そうなったら母は今以上にこの宗教にのめりこむに違いない。
「しっかりしろよ母さん、そんなのデタラメに決まってるだろ」
「そんなことないよ。お父さんが倒れた日にすごく親切な人を紹介してもらってね――」
「もういい、もういいからそんな奴にお金を渡すのは今すぐやめてくれ」
掴んでいた手を乱暴に離して部屋に向かう。
今更渡してしまったお金を取り戻すのは無理だろう。
何とかして父の治療費を工面しなければならない。
半狂乱になりながら部屋のドアを叩く母を無視して俺はパソコンに向かった。
今までネットゲームで手に入れたアイテムと通貨、アカウントを全てRMTで売れば恐らく足りるだろう。
それだけの時間は無駄に費やしてきた。
両親にダメになられると自分も生活出来なくなってしまう。苦肉の策だと思った。
また一からキャラを育てればいい。時間はいくらでもある。
後日、ようやく取引に出した物全てを現金に変えることが出来た。
銀行が開いているような時間に起床、周囲がみんな自分を蔑んでいるような感覚に耐えながら外出して
引き出してきたお金をまとめて母の目の前に突き出してやる。
外が明るい内に母と話すのは本当に久しぶりだった。
「俺が働いて集めてきた」
大嘘だった。だけど俺が働きに出たと言えば母も正気に戻るかも知れない。そう思った。
「まー君が働いて稼いだの?」
母の声が潤む。
「やっぱりお金を清めて良かったわ。本当に、本当にまー君が働いてくれるようになるなんて」
最後の方は嗚咽混じりだった。
「ずっとお願いしてて良かった……」
その場に泣き崩れた母を抱きかかえることもせず、俺はただ居心地の悪さに母から顔を背けることしか出来なかった。
105 :No.25 一月十七日 4/5 ◇IOXYmSMPl6:08/01/28 17:24:43 ID:iApBR0zd
「とにかく、俺もお父さんも大丈夫だから。もう変な宗教を信じるのはやめてくれよ」
それだけ言ってお金をしまおうとした。
その手を母に叩かれる。
「だめよ、このお金もちゃんとお清めしてもらわないと。せっかくまー君がもらってきたお給料だもんね。汚いままなんて
嫌だよね」
頭に血が上るのが分かった。
「ふざけんな!」
勢いに任せてテーブルを叩きつける。
考えるより先に口と手が出ていた。
「いいかげんにしろよクソババア。息子が汗水垂らして稼いだお金が汚れてるって言うのかよ」
「ごめんね。だけどお母さんたちのお金も汚れてたから、まー君のもちゃんとお清めしてあげないとだめなんだよ」
叫ぶように言う母。そこでようやく気がついた。
父が十五の時から定年までずっと同じ会社で稼いできた給料。そして退職金。
母が忙しい家事と育児の合間を縫ってスーパーのパートで得たお金。
大学を辞めた後も俺の将来のためにと、すこしずつ生活を切り詰めて作ってくれていた貯金。
母を騙した奴等はその全てを「汚れている」と言っていたことに。
「ふざけんなよ……」
母が渡していてたお金は少しも汚れてなんていなかった。
それどころかどこまでも純粋で綺麗なお金だった。
本当に汚れていたのは、嘘と親不孝にまみれた目の前のこの紙切れだ。
両親の気持ちを踏みにじってお金を騙し取った連中への怒り、それ以上に自分の情けなさで泣けてきた。
力任せに握り締めていた一万円札に涙がこぼれる。
「ごめん、母さん」
震えた小声で言う。
「どうしたの?」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
しゃくりあげて泣く俺を母がそっと抱きかかえてくれた。
106 :No.25 一月十七日 5/5 ◇IOXYmSMPl6:08/01/28 17:24:54 ID:iApBR0zd
病院からの帰り、並んで歩く母の背がやけに小さく感じる。
頑なにお清めをすると言い張る母を説得して、どうにか未払いだった治療費を払うことが出来た。
せめてお金が出て行くところを見届けたいと母が言うので病院へは二人で向かった。
母と一緒に外へ出るのは恥ずかしかったが、すこしだけ心強くもあった。
あのお金を使えば父は余命を全うできるだろう。
それでも恐らくあと数ヶ月の命だ。
「まー君、ちょっとコンビニに寄るね」
母に続いて歩道脇に建っていたコンビニへ入る。
店の端にある求人情報誌が目に入った。
一度息を吐いた後、それを手に取る。
母に見つからないようにそそくさと鞄の中にしまった。
こんなものを持ち帰っても今すぐ引きこもるのをやめて働きに出るのは難しいだろう。
だけどせめて父に渡す六文銭ぐらいは、絶対に、ぴかぴか光るぐらい綺麗なお金にしてみせる。
父が胸を張って三途の川の船頭に渡せるように。
そう心に誓った。
「母さん」
コンビニを出てから声をかけた。
振り向いた母に目を合わせて言う。
「明日の朝、起こしてくれないかな。久しぶりに母さんと朝ごはんが食べたくなったからさ」
皺の目立つ母の顔が見る見る涙と笑みに満ちていった。
その涙ごとぎこちなく抱きしめる。
母の体はやっぱり小さかったが、とても暖かかった。
終わり