【 空から降る一億の金 】
◆TNePtEXEN2




20 :No.06 空から降る一億の金 1/5 ◇TNePtEXEN2:08/01/28 16:07:32 ID:+qrCveeM
 ――チャリン、チャリン。
 耳障りな音が覚醒間際の脳内で響き渡る。目覚まし時計のそれとは違う。何かとてつもなく不愉快な音だ。薄
目を開けて、時計の針を追う。五時二十五分。起きるにはまだ早すぎる。俺はいっそう不愉快になる。どっかの
誰かが早起きは三文の得だとか言っていた。馬鹿か。せっかく効率よく睡眠を取ろうとしているのに、それを妨げ
られちゃ胸くそ悪いだけだ。
 目を開けると、閉じるのが面倒になる。窓の外から聞こえてくる騒音を遮断できないまま、あと一時間の心地よ
い眠りに就くことができるだろうか。いいや、できやしない。畜生、この音は何だ。小学生がタンバリンでも叩いて
いやがるのか。気違いが自転車のベルを鳴らしまくっていやがるのか。うるせえ。うるせえ。うるせえ。眠れるもん
か、バカヤロウ。
 俺は分厚い布団を払いのけ、怒りを込めて窓を叩き開けた。
「いい加減にしやがれ、この……」
 見えない敵に宣戦布告しかけるところだった。俺は目の前に広がる光景に我が目を疑った。
 見上げた空からは大量の硬貨が降り注いでいた。
 ――チャリン、チャリン。
「そんな馬鹿な」
 落ちてくる硬貨は、屋根やアスファルトに当たると、音を立てて跳ね返り、また音を立てた後に静止する。見下ろ
した地面は、ピカピカときらめいていた。
 俺はベッド際の窓から離れ、とりあえず用を足しにトイレへ向かった。これはきっと何かの間違いだ。いくらなん
でも非現実的すぎる。お金が降ってくるなんて、江戸時代でもあるまいし。きっと俺は寝ぼけているんだ。うんこし
て、落ち着いたら、もう一度外を見てみよう。空から降っていたのは、実は大粒の雨や雹でした。なんてオチに違い
ない。俺は便器に座り込みながら、そんな風に考えた。
 かくして、落ち着きを取り戻した俺は、いつも通り爽やかな気分でベランダに出た。大きく息を吸い込み、新鮮な
朝の空気を肺に取り込む。そして、外の景色を眺める。
「……何も、降ってないな」
 やはり先ほどのは見間違いだったのだ。空からお金が降ってくるだなんて、常識的に考えて有り得ない。夢でも
見ていたんだろう。
「さて、朝飯食って、今日は早めに大学行くか」
 後ろ向きに部屋の中へ戻り、窓を閉めようとした時、俺はベランダの溝の部分に何かきらめくものを見た。その
瞬間、俺の体は硬直した。背中に変な汗が分泌されるのを感じた。俺は一歩踏み出し、腰を丸め、その光る何か
の正体を確かめた。それは見知らぬ百円玉だった。

21 :No.06 空から降る一億の金 2/5 ◇TNePtEXEN2:08/01/28 16:08:00 ID:+qrCveeM
「本物だと思いますか?」
 突然の声に俺はびくっとした。声のした方向を見ると、仕切りの向こうで一人の男がベランダから身を乗り出
していた。隣人で変人の山崎だった。
「本物って……」俺は百円玉を拾い上げた。「これのことかい?」
 山崎は黙ったまま頷いた。彼は俺と同じ大学に通っていて、この小さな貧乏寮でも一年の時からずっと俺の
お隣さんだった。
「いつ落としたのか分かんないけど、見たところ本物っぽいよ」俺はそう言ってから気がついた。「もしかして
お前の? こっちに転がしちゃったとか?」
 山崎は少し考えた後、わざとらしく微笑んで「ははは、実はそうなんだ」と言った。
「なんだ、そうだったのか」俺が百円玉をベランダ越しに手渡すと、彼は礼を言って部屋の中へ引っ込んだ。何
かしっくり行かないやり取りだった。
 大学へ行こうと家を出た時に、その不自然さの原因があまねく明らかになった。
 道路を始め、木々や屋根の上、至る所に百円玉が転がっていたのだ。
 俺は呆れ返りながらも、今度はなんとか現実を受け入れ、銀色に輝く道を自転車で走り始めた。こういうこと
もあるんだろう。きっと。そういえば、空からカエルが降ってきたという話をどこかで聞いたことがある。それと同
じような類の現象だろう。世界では別に珍しいことじゃないのさ、きっと。
 おそらく山崎は、あのベランダにあった百円玉が空から落ちてきたものだということを知っていた。それと知り
ながら、俺の問いにああいった返事をしたのには、何か得体の知れない怒りが込み上げてくる。別に奴は俺の
金を盗んだわけでもないのだが……なんとなく嫌な感じがするものだ。
 たまに車輪が地面に落ちた百円玉を踏むと、パキパキと音が鳴った。同じように通勤、通学している人々も、
辺りの異様な光景に目を泳がせながらも、足はしっかりと駅へ向かっていた。
 超常現象が起きても、民衆の対応は得てしてこんなものだ。
 玄関前を箒で掃く主婦たちも、全く気にしていない素振りで百円玉を側溝へ落としていた。彼女らも日ごろは倹
約、倹約と謳う種類の人間だろうに、目の前のお金をまるで汚物のように扱っている。百円玉がいたたまれない。
 信号待ちの最中には、高校生のグループがこんなやり取りをしていた。
「腹減ったー。俺今日朝飯食ってねえんだ」
「そこらへんの百円拾ってオニギリ買えよ」
「いや、捕まるだろ!」
「でも誰のかわかんねえじゃん。拾ったお金なんだし、別にいいんじゃね?」
「じゃあ、お前が拾って買ってきてくれ」

22 :No.06 空から降る一億の金 3/5 ◇TNePtEXEN2:08/01/28 16:08:28 ID:+qrCveeM
「嫌だよ。俺はむしろ交番に持っていく派だから」
「ふーん。だったら、これ全部拾って持って行ったら?」
「嫌だよ。めんどくせえ」
「ははは、言えてる」
 お金が空から降ってくるだなんて夢みたいな話だけど、実際に降ってきてもあまり喜ぶ奴はいないものだ。む
しろ人としてのプライドが使うことを躊躇わせるのだろう。人々の様子を見ながら、俺はそんなことを考えた。
 しかし、山崎も言っていた通り、この百円玉は本物なのだろうか? いや、空から降ってきたことが重要なの
であり、本物か偽物かは論点ではないのは分かっている。しかし、一度沸いた興味は如何せんともし難いものだ。
 俺は途中、人通りの少ないところへ差し掛かった時、試しに木の枝に引っ掛かった一枚を手にとってみた。そ
れは朝露のために多少濡れており、朝日を浴びて艶めかしい銀色に輝いていた。それは百円玉以上の価値を帯び
ているような気さえした。
「こらっ! 拾ったらいけません!」
 何かと思ったら、反対側の道路だった。背中の曲がった老婆が、登校中の小学生を叱っていた。
「こんなもの拾ったら、神様から罰が当たりますよ!」
 小学生たちが上履き袋に百円玉を集めていたようだ。老婆に言われて渋々と袋をひっくり返し、側溝にじゃら
じゃらと中身を捨てていた。小学生にとっては、そりゃ大金だ。無邪気な故に責められる彼らが哀れに思われた。
 俺は自転車をこぎ続け、少し先の自販機の前に止まった。先ほど拾った百円玉をポケットから取り出し、息を
呑んで投入する。罰が当たっても構わない。とりあえず真偽を確かめたいという好奇心が優先だ。
 ――ピッ。
 『100円』という赤い文字が確かに映し出された。本物だ。俺は返却レバーを引き、お釣り口から百円玉を取り
出した。最初に入れたあの綺麗な百円玉とは別の、薄汚い百円玉が出てきた。ある意味、綺麗なお金になったわけだ。
 大学でも例の話題で持ちきりだった。誰がなんのために、だとか。国の対応はどうのこうの、だとか。回収さ
れる前に拾っておけ、だとか。放課後にはオカルト研究会の奴らが校門で出口調査を行なっていたり、理系学生
が落ちてきた百円玉の成分を測定しようとはしゃいでいたり、みんな何かと非日常に浮かれ揚がっている様子だった。
 朝と同じ道を自転車で帰っていると、地面の百円玉がほとんど無くなっていることに気がついた。屋根の上や、
街路樹に引っ掛かったものを除けば、綺麗さっぱり元の姿に戻っていたのだ。きっと誰かが掃除したのだろう。
しかし、あれだけの量を半日で拾い集めるには、相当な人数が必要であるに違いない。何かボランティア団体の
類が……。
 道中周囲を見渡しながら、そんなことを真剣に考えた。しかし、寮に帰ると、この疑問もことごとく解決され
てしまった。

23 :No.06 空から降る一億の金 4/5 ◇TNePtEXEN2:08/01/28 16:08:53 ID:+qrCveeM
「山崎……、その袋はなんだ?」
 階段を上ると、俺の部屋の横で大きな青いゴミ袋を五つほど抱えた山崎の姿があった。
「よ、よう、おかえり。別に、これは、ただのゴミだぜ?」
 明らかに動揺している山崎を見て、俺は袋の中身が嫌になるほどよく分かってしまった。それを踏まえた上で、
今朝俺を欺いた借りを返してやろうと思った。
「一人じゃゴミ捨て場まで持っていけないだろう。俺も手伝ってやるよ」
「えっ? べ、別にいいよ。大丈夫。一人でできるもん!」
「遠慮すんなって。お隣さんだろ? 困った時はお互い様よ」
「あっ! ま、待て! 触るなあああ!」
 俺がゴミ袋の縛り口を掴んで持ち上げようとしたその時、山崎の手が俺の腕に当たり、俺は思わず袋から手を
離した。
 落下した袋は衝撃で縛り口が緩み、傾いた拍子に中身がじゃらじゃらと流れ出てきた。
「うおあああああああああ」山崎がすごい形相で叫んだ。少し可哀相だが、どうしようもなかった。
 流れ出た百円玉の一部は下の階に落っこち、その音を聞いて大家のおばさんが飛び出してきた。
「何これ、どうしたの!」
 おばさんはつっかけのままでカンカンと階段を上がって来た。山崎はへたり込んでいたので、俺がしょうがなく
説明してやった。
「山崎君が町中の百円玉を回収して、この町の貨幣経済が混乱に陥るのを未然に防いだんです」
 もちろん真っ赤な嘘だった。それでもおばさんは、俺の発言を信じ込んだみたいだった。
「よくわかんないけど、あんたすごいじゃないの! 変わり者だと思ってたけど、やる時はやるのね!」
 おばさんは山崎の背中を叩き、その栄誉を褒め称えた。
「そうだわ。あたしが車でこれ全部市役所まで運んであげる」
 おばさんの篤い心遣いが山崎の心に響いたのだろうか。いいや、全く違うだろうけれど、彼の頬にはいつしか
涙が伝っていた。
 そんなこんなで五つのゴミ袋は役所へ届けられた。役人の話によると、目方からして全部で一億円近くあった
らしい。山崎は始終黙して多くを語らなかった。
 俺が自分の部屋に戻ると、郵便受けに一枚の紙切れが入っていた。
『この貧乏寮ともオサラバさ。 by山崎』
 きっと俺に見つかる前に投函したのだろう。今となっては文面から哀れすぎるほどの哀愁が漂っていた。
 後日、山崎は表彰された。俺も大学の仲間を引き連れてそれを見に行った。もちろん嫌がらせのためだ。

24 :No.06 空から降る一億の金 5/5 ◇TNePtEXEN2:08/01/28 16:09:20 ID:+qrCveeM
 すると、どうしたことか、当日山崎は片足にギブスを巻いた姿で現れた。
「その怪我、どうしたんだ?」
 その日の帰り、俺は山崎に尋ねた。と言っても、なんとなく理由は分かっていた。
「転んだってことにしておいてくれ」
 意味も無くかっこつける山崎に、俺はにやにやしながら言ってやった。
「ああ、そうしておくよ。屋根の上の百円を取ろうとして落ちたってことにな」
「な、なんで知ってんだよ!」山崎は目を丸くして叫んだ。
「本当にそうだったのかよ!」予想通りだったものの、俺は呆れながら突っ込んだ。
「しかし、治療費でパアだよ。もう隣町まで行くしかないな。拾いに」山崎は夕焼け空を見上げて、残念そうに
嘆いた。
「お前知らないの?」
「え、何を?」
「空から金が降ったのは、この町だけなんだよ」
 それは俺が隣町の友人から聞いた確かな情報だった。
「……嘘だっ!」
 山崎はそう叫ぶと走り出した。夕陽に向かって走り出した。骨折しているくせに物凄い足の速さだった。彼は
うわあんと泣き叫んでいた。心の痛みも、足の痛みも、どっちもあったのだろう。そうして、あっという間に、
奴の姿は見えなくなった。電柱の上のカラスがカアと鳴いた。
 あれもまた青春だなあ、と俺は感慨深く思いながら帰った。


                            【おわりん】



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