【 秘密の園 】
◆7BJkZFw08A




50 :No.13 秘密の園 1/4 ◇7BJkZFw08A:08/01/20 20:29:01 ID:skV5Bk2N
時とともに移りゆくものはなにも季節だけというわけではない。
小さかった新芽は大木となり、ゆるやかに流れる川もその流れを変えるだろう。子供は大人へと成長し、幼い頃の夢はどこか果てへと消えていくものだ。。
しかし移ろいゆく記憶の中で、あの出来事だけは年をとると共に鮮やかに思い出される。
あれは私がまだ若く、体力と気力に満ち溢れていた時のことだ……


私はその日も、安楽椅子に座って一日中流れる雲を見つめていた。
こう言うとまるで年寄りのように思われるが、その頃の私はその有り余る体力と気力を使うべきことを見出せずに、
大昔の伝承がその姿をおぼろげに伝える美しい魅惑の土地に憧れを抱きながら、退屈な日々を過ごしていた。
私は自分を空想の中で様々な場所へ行かせ、様々な驚くべきことを成し遂げさせながら、空虚な満足に浸っていた。
もちろん私はこんな空想で真に満足を得ていたわけではない。
私は空想の中の自分のように、九つの海を渡った果てにあるという神々の島に足を踏み入れることや、遥か彼方の大高地、霧と雲に覆い隠された神秘の園を探し出すことを実際にこの身体でやってみたかった。
だがしかし、それは叶わぬ夢である。ただの若者である私に何ができただろう。
私にできることと言えば、祖父の残した家で哀しく想像をめぐらせながら安楽椅子の上で揺れることくらいだった。
失意と空想に沈んでいた、そんなある日のことである。村をキャラバンが訪れた。
キャラバンはふた月に一度ほど遠方から仕入れた様々な品を持ってくるが、同じキャラバンが来るのは五年に一度とも十年に一度とも言われている。
キャラバンの来訪によって小さな村はにわかに活気づいた。
私は戯れに――あの時は本当に戯れの気持ちからだった――リーダー格らしいキャラバンの商人の一人に、この商隊はどこから来てどこへ行くのかと尋ねてみた。
私が声をかけたのは口の周りをもじゃもじゃの髭に囲まれ、銅色の頑丈そうな肌をした男だった。
男は海辺の町リヴィエラから、最も高い町ボーラまでを巡っている、と答えた。
ボーラという名前を聞いたとき、私の心を金槌で叩いたような衝撃が走ったことを今も覚えている。
大高地の霧も雲もかからない端の部分に位置し、大高地において唯一人間の暮らす町、それがボーラである。
私の見ていた夢が色を帯び始めた。私は興奮しながら、髭の男に私も一緒に連れて行ってくれと懇願した。
髭の男は渋ったが、結局恐ろしく低い賃金で働くことと引き換えに私の願いを聞き入れてくれた。
あの時の私の気持ちの昂ぶりを、どんな言葉で伝えることができるだろう!
私は髭の男と約束をとり結ぶとすぐさま簡単な支度を整え、四日後にキャラバンとともに住み慣れた村を離れた。
方向的には一直線とは言え、ボーラの町は遥か遠い。私はキャラバンの商人たちの雑多な仕事をこなしながら、キャラバンとともに様々な村や町を巡った。
草原の彼方に佇む石の村ダワン、流れるフルートの調べが聞くものの心すら潤わせる湖畔の町レルム、死と腐敗の匂いに満ち満ちた廃墟の町ガドゥ、空を燃やすかのような勢いでかがり火が昼夜焚き続けられる頽廃と歓楽の町ザーリア……
美しい山や腐れた沼が現れては消え、幾人もの人々が私の目の前を通り過ぎて行った。
私は紫色の空に閃光の帯が十字に走るのも見たし、欝蒼とした森の中を飛ぶ青い羽の鳥の歌声も聞いた。

51 :No.13 秘密の園 2/4 ◇7BJkZFw08A:08/01/20 20:29:16 ID:skV5Bk2N
私にとっては全てが新鮮で、興味の尽きないことだった。
キャラバンでの仕事は薄給とは言え寝食は確保してもらっているので、考えようによっては気楽な旅であった。
だが私は、旅と言うものは数々の困難を伴うものであることも知った。
ある時は砂と岩しかない荒涼とした砂漠で飲み水が切れたと言って諍いが起こり、何人かが水を争って死んだ。
またある時は牛とも虎ともつかぬ奇怪な生物の群れに襲われ、干し果物や乾燥肉などの貴重な保存食が根こそぎ駄目にされたこともあった。
しかしキャラバンはそれでも傷ついた車輪を回すのを止めることはなく、次の町、また次の町へとその大きな体を押し進めて行くのだった。
太陽は幾度も昇っては沈み、私は旅立ってから何度目かの春を迎えた。
次の目的の町こそが、夢にまで見た遥かな大高地の上に位置するボーラである。
大高地は今や目の前にその楕円形の切り株のような巨大な姿を現し、悠久からそびえる荘厳さをもって私たちのキャラバンを見下ろしていた。
キャラバンが大高地へと続く不毛極まりない険しい坂を登っていると、どこからか悲鳴にも似た恐ろしい鳥の声が聞こえた。
その声を聞くと無性に胸の奥を切り刻まれるような不安に駆られ、私は恐ろしくなって髭の男に声のことを尋ねた。
男は、あれはここを通る時によく聞く声だが、それ以上の事は知らないと言った。
そして、ボーラの町の住民によれば、大高地の切り立った崖を根城にする巨大な怪鳥の鳴き声だという話だ、とも付け加えた。
坂を登る何日間かの間、その怪鳥のものとおぼしき声は私の耳の奥に張り付いてとれず、私の頭を悩ませることとなった。
坂を登り始めてから十五日目、ついにキャラバンは大高地の上へと辿り着いた。坂の終わりには古びた石造りの門柱が立っており、そこから先には広場と思われる何もない空間と、朽ちかけたような家々がまばらに立っている。
私は何を期待していたわけでもないが、旅の最後の町のこの寂しさに些かも失望しなかったといえば嘘になってしまうだろう。
それでも私たちが石の門を通り抜け町に入ると、この家々のどこから人が出てきたのかと思われるほど多くの人々が現れ、
どこの町でも見られるようなキャラバンをとりまく賑やかさが、荒涼としているように見えた町に色をつけた。
キャラバンがこの町にとっては珍しい荷の数々を吐き出し、代わりにボーラの町の品を仕入れたあたりで、とうとう私は馴染んだこのキャラバンを離れなければならなかった。
そう、キャラバンはボーラまで辿り着くとまた馬首を返して別の町へと行商を続けるが、私の目指すところはボーラの先、あの霧と雲の霞む人の住まない領域にあるのである。
私は髭の男に私の目的と、ついにそれを実行に移す時が来たことを伝えた。
既にキャラバンの一員として認められていた私を、髭の男は悪いことは言わないから止めた方が良い、と引きとめた。
あそこは神や精霊の領域であり、一度足を踏み入れて帰って来たものはいないのだと、口を酸っぱくして男はそう警告したが、夢と野望に駆られた私はその警告を聞かず、どうしても行くと言い張った。
男は悲しげに深い溜息を一つつくと、神に刃向おうとする者に神の加護があるとは思えないが、せめてこれを持って行くと良い、と自分の腰に付けていた飾りナイフを私に手渡してくれた。
私は男に礼を言って飾りナイフを懐にしまうと、ごくわずかしかない自分の荷物を引き出してキャラバンに別れを告げた。
私が町を出て霧の彼方へ向かおうとすると、どこからか私の事を聞きつけた町の住人達が、私を引きとめようと口々に警告を発してきた。
曰く、あの霧の向こうに神秘などありはしない。砂礫と虚無が広がっているだけだ。
曰く、あちら側には時間と言うものが無い、何百年も前に足を踏み入れた囚われ人どもが今も彷徨っている。
曰く、よしや隠された古の園があったとしても、人間が足を踏み入れることを神々が許さない……
私はそれらの警告のどれ一つとして聞き入れなかった。

52 :No.13 秘密の園 3/4 ◇7BJkZFw08A:08/01/20 20:29:30 ID:skV5Bk2N
私はこの大高地の上までたどり着くまでに何年もの歳月をかけたのだから、多少の困難などあってないようなものであると考えていたし、その考えは正しいものに思われた。
住人達は私が聞かないのを見ると、何度となくついたような溜息をついて、好きにするがいいと言った。
彼らは恐らく、私以外に隠された園を探そうとする者たちにも同じことを言い続けてきたのだろう。
ボーラの町を後にすると、あたかも柔らかな布が優しく包み込むかのように霧がまとわりついて、霞んだ景色の中へ私を引き入れた。
霧の中は全てのものがうっすらと白く霞みがかり、太陽の光が不思議な具合で差し込んで、まるで光によって作り出された木立の中に迷い込んだような感覚を覚えた。
私の足が踏むのは無数の砂粒と妙に丸い礫だけであり、時折見える影はすでに生命を失い朽ち果てた木々ばかり。
時折ここに上がって来る時に聞いた怪鳥の声が聞こえるような気がして身を竦ませたが、この霧の中で音と言えば私の足が砂粒を噛む音だけで、実際にあの声が聞こえてくることはないのだった。
……どのくらい彷徨い歩いただろうか、何度か差し込む光が弱まったり強まったりしたような気がするが、足に疲れも覚えなければ空腹も感じない、ふわふわとした奇妙な感覚が私の全身を支配していた。
私は今大高地のどのあたりにいるのだろうとふと考えてみたが、思考はすぐにあたりを巻くもやに吸い込まれ、その形を留めない。
そうして歩き回るうち、不意にどこかで甲高い笑い声が聞こえ、この世のものとは思えぬ美しい音色がどこか遠くから私の耳を快くくすぐった。
私はその甘美な音色に誘われ、どこへ向かっているのか自分でもわからぬまま足を動かしていた。
どれほど歩いたか、薄い霧の幕の向こうになにやらぼやっとした影が見える。
この霧の中で立っているのは朽ちた木々と私だけだと思っていたが、あれはなんなのだろう、私は影を目指して歩いて行った。
影がその輪郭を強めた時、私は驚き、息をのんだ。
それは枝振り良く葉をひろげた木、生きている木々であった。そしてその向こう側、あれは何だ! 巨大な円柱とそれに支えられた美しい屋根が見える!
私は思わず走り出した。木々の立ち並ぶ所まで辿り着くと、その木の葉が虹色に輝いてるのを見て、ここが隠された園であると確信した。
今や隠された園は私の眼前にその姿を晒している。透き通るように白く美しい大理石で作られた柱は天高くそびえ、いかなる才能を持っていても人間には造り上げることのできないような華麗で壮大な彫刻に飾られた屋根がその柱に持ち上げられている。
陽光のきらびやかさと月光の儚さを併せ持ったなんとも言えぬ光が辺りに降り注ぎ、この神々の建造物を彩っていた。
芳しい香りは辺り一面に漂い、どこからか爽やかな水の流れ落ちる心地良い音がする。
虹色の木立の向こうに見える白銀と水晶をもって建てられた家々からは霧の中で私を誘ったあの美しい調べが聞こえてくる。
そこに至る堺にある、翡翠を磨き上げて造られた美しい門がその口を開いて私を迎え入れてくれようとしているのを知り、私は感動と喜びのあまり涙を流した。
私は夢幻の祝福を持ってこの夢の園へ迎えられているのだ!
私は、自分もこの夢の都の住人となり、永遠の幸福と無限の歓喜に満たされることを少しも疑わず、はらはらと零れる涙もそのままに翡翠造りの門へと歩みを進めた。
が、中ほどまで進んだ時、突然足もとの宝玉に彩られた並木道がその姿を崩し始めた。
私は焦りと恐怖に駆られ、なんとか門へたどり着こうと懸命に走ったが、前方から強烈に吹きつけてきた突風が私の足を阻んだ。

53 :No.13 秘密の園 4/4 ◇7BJkZFw08A:08/01/20 20:29:43 ID:skV5Bk2N
崩壊が私の足元まで迫った時、私は思わず道の横側にそれ、虹色の葉で飾られた木の枝に飛びついた。
しかし無情にも小さな蜥蜴が身を守るためにその尻尾を切り捨てるかのように、虹色の葉を持つ木は私の体重を支えることなく哀れな私を折れた枝とともに奈落の底へと放り出した。
どこか頭上で甲高い笑い声が聞こえた。
私は隠された園へ入ることを拒まれた悲しみと待ち受ける死の恐怖に苛まれ、出せる限りの大声で悲痛な叫び声をあげた。
その瞬間、私はあの怪鳥の鳴き声の本当の正体を知ったのだった――――

次に私が目を開けたとき、私は以前私が何度となく日を過ごしたあの安楽椅子の上にいた。
全てが、出発する前と何も変わっていなかった。
後で日付けを確認すると、私があのキャラバンとともにこの村を出た日からわずかに七日が過ぎているだけだった。
村の人間に尋ねても、キャラバンは来たが髭の男は見なかったし、私が彼らと一緒に旅に出たことなど無い、と不思議な顔で返されるだけだった。
全ては私が七日間眠りつづけた間に見た夢だったのか、それとも空想に浸りつづけた頭が作り出した幻だったのか。
しかし安楽椅子の傍らにはあの髭の男がくれた飾りナイフが転がっており、私が握りしめていた拳の中には確かに虹色に輝く木の葉が存在したのだ……


それから長い年月がたった。
私はくしゃくしゃになった虹色の木の葉を頑丈なビンに入れ、飾りナイフとともに大切に保管していたが、度重なる住居の移動に際して無くなった様々なものとともに、それらもいつの間にか姿を消した。
今となっては私の脳裏に焼きついたあの美しい光景だけが、あの出来事を実際にあったことだと私が自分に証明できる唯一のものである。
果たしてあの霧の中の神秘の園は幻だったのだろうか。私にはあれが、あの旅が、夢や幻だったとは思えない。
しかし全ては移ろいゆく時の中に沈み込んで消えていってしまう。私の記憶も、あの隠された美しい夢の園も……





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