【 秘密は厳守 】
◆TINKOnbMG6




42 :No.11 秘密は厳守 1/3 ◇TINKOnbMG6:08/01/20 15:52:41 ID:YlS5K4gx
「ねえ? ないしょおじさんの噂、聞いた?」
「私の妹のクラスの子が見たんだって、ないしょおじさん」
 最近、ないしょおじさんという言葉をよく耳にする。はじめはクラスメイトがたまに話しているのを目撃する程度だったが、今やその単語は学校全体を包み込んでいる。
私はその手の話には興味がないので、彼らの話の輪には入れない――いや、入らないでいる。
 それでもやはりその噂が校内に蔓延している以上、私の耳にも入ってくる機会があり、私はそれを甘受する。
 どうやら、ないしょおじさんというのは都市伝説の類のようである。その容姿はくすんだ灰色の帽子を目深に被り、
帽子よりもやや濃い鼠色のダッフルコートを着ているどこにでもいそうな初老の男性である。しかし、その男性に知りたいことを尋ねると、どんなことでも答えてくれるのだという。
 ここで話が終われば、ただの優しい物知りおじさんで済むのだが、それだけでは都市伝説として成り立たない。この話にはまだ続きがある。
 ないしょおじさんに教えてもらったことは絶対に誰にも教えてはならない。また、ないしょおじさんに出会ったことを決して誰にも知られてはならない。
 それはこれから先、彼に出会う人への警告とも取れる。もしこれらの制約を破った場合にどんなことが起こるのかは知らないが、そういう約束事があるのならば、
どうしてないしょおじさんの噂がここまで広まるのだろうか。酷く矛盾している。
 中学校に入学してから一年が経つが、こんな話で盛り上がれる彼らのこうした幼稚な部分は辟易してしまう。
「くだらないな……」
 誰に言うでもなく吐き捨て、部活に励む生徒を背に校門を出た。

43 :No.11 秘密は厳守 2/3 ◇TINKOnbMG6:08/01/20 15:53:12 ID:YlS5K4gx
 十二月も後半になると日没も随分と早くなるもので、まだ五時前だというのに陽は早くも沈みかけていた。
私の家の近くは街灯が少なく、昼間でも酷く薄暗い場所なので陽が落ちると面倒だと思い少々歩みを速める。
 家までもう数百メートルのとこまで差し掛かったところで、前方から誰かが向かってくるのが見えた。
この辺りではあまり人を見かけなかったので、珍しいなと思いつつ歩いていく。相手との二十メートルほど距離があるのと、
逆光になっているのでその容姿はよく見えない。しばらく歩いていると、普段人を見かけない場所でそんな相手に出会ったことを不気味に感じていたのか、
自分の鼓動が早くなっているのに気づいた。歩く速度もいつの間にか上がっている。息も荒い。
 とりあえず一度立ち止まり、呼吸を整える。冷静になると、あんなことで怯えていたのが途端に馬鹿馬鹿しくなる。
興味がないと思っていたが、あんな噂でも知らず知らずのうちに気にしてしまっていたらしい。
 再び自宅へ向かい始めるため、視線を前方に戻す。すると、鼠色のダッフルコートが目に飛び込んでくる。
「っうあああ!」
 思わず叫び声をあげて、後ろに飛びのいてしまった。しかし、眼前の鼠色はまったく動く気配がない。
 私はじりじりと後ろに下がりつつ、目の前の人物を見据える。
 色の褪せた灰色の帽子を目深に被っているため、顔はよく見えないが四十代から五十代くらいの男性のようだ。鼠色のダッフルコートを着て、
俯いてじっと黙ったまま動かない。
 そこでようやく気づき、はっとした。目の前の男性の容姿が、件の人物とまるで同じ格好なのである。同時に例の噂が頭の中で繰り返される。
『その男性に知りたいことを尋ねると、どんなことでも答えてくれるらしい』
 私は馬鹿馬鹿しいと思いながらも、目の前の人物が噂のないしょおじさんなのではないかという疑念を心の底で感じていた。
別に信じているわけではないが、と自分自身に言い訳をした後、恐る恐る目の前の男性に対して質問を投げかけた。
「あなたがないしょおじさんですか?」
 わずかに声が震えた。数秒の沈黙が続いたあと、優しげな声で返事が返ってくる。
「はい」
 全身から冷たい汗が吹き出るのを感じる。気がつけば、全身が生まれたての小鹿のように震えていた。だが、同時に噂が本当だったことと、
自分がそれを体験できていることに興奮を感じていた。冷静に考えれば、彼は知りたいことを教えてくれるだけで約束さえ守れば害はない。恐れる必要など無いのだ。
 私は間髪入れずに次々と質問を投げかけていく。おじさんもそれらの質問に全て答えてくれる。回答の最後に「ないしょだよ」という言葉を付け加えて。
 あらかた知りたいことを聞き終わると、いつの間にか陽が沈んでしまっていることに気づいた。つい我を忘れてしまっていたらしい。
 私は最後にどうしても気になっていたことを尋ねた。
「もしも、誰かにこのことを言ったら……どうなるんですか?」
 緊張と恐怖で声が震える。先ほどまでの空気とは明らかに違う。質問の後、しばらくの静寂が続いた。おじさんは無言のまま俯いている。
 「……ないしょ」
 突然返ってきたその言葉は、今までとは完全に違う地の底から響くような低い声だった。私は彼の変化に恐怖を感じ、逃げるようにその場から立ち去った。

44 :No.11 秘密は厳守 3/3 ◇TINKOnbMG6:08/01/20 15:53:40 ID:YlS5K4gx
 自宅に着くと母に「帰るのが遅い」と怒られたが、それでも人のいる安心感からか幾分かは落ち着くことができた。数分もすれば呼吸も完全に整い、
冷静に思考ができるようになった。そして十分ほど前の出来事を思い返し、ないしょおじさんから知り得た情報をどうするか考えた。
 無論、興奮に身を任せて誰かに喋るなどという愚考は犯さない。だが、この情報を記憶とともに風化させてしまうにはあまりにも惜しい気がした。
ノートにでも書き留めようと思ったが、万が一にでも見つかってしまった場合のことを考えてやめた。
 その日は興奮は冷めなかったが、疲れていたのかすんなりと眠ることが出来た。
 翌日になっても興奮は冷めなかった。むしろ昨日よりも高まっていた。
 いつもは馬鹿にしていた会話にも参加してみた。勿論、昨日の出来事は決して話さないように気をつけながら。
みんなが知らないことを自分だけが密かに知っているということで優越を感じ、すごく楽しかった。
 友人はくだらない話だと馬鹿にしていたが、昨日まで自分もああいう風だったのかと思うと酷く恥ずかしく感じた。今までの学校生活で一番気分が良かった。
 そしてその日の帰り道。昨日、ないしょおじさんと出会った場所に差し掛かった。
「また、ないしょおじさんに会わないかな……」
 思わず呟いてしまってから、はっとする。辺りを見回すと近くに小学生が居てドキリとしたが、どうやら気づいていないようだった。
 家に着くと、母は未だ昨日のことを怒っているのか一切口をきいてくれなかった。夕飯まで暇だったので、ベッドで横になっていたらいつの間にか
寝てしまっていたらしく、目覚めたときには朝になっていた。やはり興奮しすぎて疲れが溜まっているのだろうか、と考えたが遅刻しそうだったので急いで家を出た。
 私がようやくその異変に気づいたのは学校に到着してからだった。
 いつもは挨拶をしてくれる友人が今日に限って何も言ってこなかった。どうしたんだろうと思いつつ、友人に「おはよう」と声を掛けるが反応が無い。
まるで私が見えていないかのように。流石に私も腹が立ち「おい」と友人の肩を掴んだ。
 その瞬間、全身から汗が吹き出るのを感じた。感触が無いのだ。確かに触れているはずなのだが、その感触が一切無い。足ががくがくと震えだす。
 そこでようやく今までの出来事が繋がった。母も、友人も無視していたわけではない。見えていないのだ、私が。考えられる原因は一つ。
 やはりあの時、あの小学生に聞かれていたのだ。
 私の頭の中では、あのときの会話が延々とまわり続けていた。

「もしも、誰かにこのことを言ったら……どうなるんですか?」
「……ないしょ」

 ないしょ、とは教えないということでは無く、私の存在自体が"ないしょ"になってしまうということだったのだ。
 私はその場にしゃがみこんで、ひたすら喚き、泣き叫んだが誰も気づいてはくれなかった。

(了)



BACK−秘密の関係 その終わり……◆zWHRu9TEOI  |  INDEXへ  |  NEXT−秘密よ、さようなら◆lNiLHtmFro