【 バック・ナンバー 】
◆ba/RH2FpPo




128 :時間外No.01 バック・ナンバー 1/5 ◇ba/RH2FpPo:08/01/14 17:04:24 ID:aJNZKrx9
『真夜中にコンビニに来る人たちは、きっと誰かを求めている。
言葉を交わす必要はない、ただ自分と同じ今この瞬間に動いている他人が欲しいのだ。
時は現代、隣の家の窓に繁華街の方角に、明かりを確認することはた易いけれど。
すれ違ってでもみなければ、今生きて動いている人間が自分ただ一人じゃないって、
どうして確認できるだろう?』

 うそだよ。私はあくびを噛み殺し、レジカウンターの下でこっそり広げていた雑誌を閉じた。深夜の店内に人はまばらで、レジスター
をするにも退屈だ。けれども暇つぶしにと商品棚から拝借した雑誌の内容はもっと退屈だった。エッセイと称して何やら感傷的な文章
が多く並んでいる。この雑誌は商品棚の、いわゆる成人男性向けコーナーに紛れて置かれていたのだが、相応しい内容とも思えない。
  このコンビニでアルバイトを始めてまだ一か月足らずの私でも分かる。真夜中に来るコンビニに来る人たちは、ビールを煙草を求めて
来るのだ。スルメだっていい。無人販売だろうと万能自動販売機だろうとなんだって良いのだ。ただ深夜に要りようになったものを供給
してさえくれれば。
 そんな詮無いことを考えているうちに、東の空が白み始めた。夜明けは日に日に早くなってきているようだ。とはいえこの町の三月は
まだまだ冷え込む。シフト終了後は中華まんでも買って帰ろうか。つまらないといいつつ折り癖をつけてしまったこの雑誌も、買わない
わけにはいくまい。そう思って財布を確認すると、ぎりぎり雑誌一冊買えるだけの小銭が残っていた。さよなら肉まん。私の小さな贅沢は
打ち砕かれた。
 と、レジに新聞とコーヒー、スルメが差し出される。お客さんだ。私は慌てて笑顔を作り、顔を上げた。商品に伸ばした手が固まる。
知っている顔だった。私のシフトがあと十分ほどで終わることを告げると、待っていると言ってくれた。
「守屋先輩」
こっそり呟いた声はなんだか力が抜けていて、嬉しいのか悲しいのか自分でもよく分らなかった。

二人で店を出た。歩き出すやいなや先輩に頭を叩かれる。軽い動作。背の高い人はずるいと思う。
「女の子がこんな時間までバイトするか、普通」
「守屋先輩だって去年してたじゃないですか」
「俺は女の子じゃねえよ」
「じゃあ私も女の子じゃないです」
 坂を上るにつれて、地平線から顔を出す朝日は大きく、大きくなる。
先輩がすっかり説教モードに入りそうで、私は慌てて言い訳を始めた。アルバイトは、高校を卒業してから上京し大学に行くまでの
一ヶ月限定であること。来週が最後になること。上京には何かと資金が必要で、金欠状態であること。


129 :時間外No.01 バック・ナンバー 2/5 ◇ba/RH2FpPo:08/01/14 17:05:25 ID:aJNZKrx9
「ま、俺がやめろって言ってきくようなやつじゃなもんな、未春は。とにかく気をつけろ」
そんな言葉と共に、右頬に熱いものを押し当てられる。ホット・ミルクティの缶。
「くれるんですか? てっきり部屋で待ってる人のぶんかと」
「ああ、あいつは朝は水しか飲まないから」
部屋にいる人がいることは否定しないで、先輩は言う。私は首に巻きつけていたマフラーを解き、ミルクティの缶を包み込んだ。こうして
おけば缶も冷めず、マフラーも温まり一石二鳥なのだ。
「飲まないのか?」
「今は寒くないからいいんです」

 坂を登りきると、一軒の木造アパートがある。この二階の部屋で、守屋先輩は二年前から一人暮らしをしているのだった。駐車場にもう
一人、懐かしい顔を見つける。朝の光の中で煙草の煙と茶色い髪をなびかせているのは、葵先輩だった。早朝に守屋先輩のアパートにいる
人、といえばこの人しかいないと思ってはいたけれど。
「おう未春じゃん。恵も一緒だったの」
「お前、それ逆じゃね?」
二人が二年前に高校を卒業してからは、私も数回会うだけだった。しかし、彼らの間には今もなお変わらない時間が流れているように思え
た。故郷を離れる前に馴染み深い二人の先輩に会えたのは幸せだったのかもしれない。葵先輩とも二言三言交わし、私が家路に着こうとし
た時だった。守屋先輩がいつになく改まった調子で言う。
「未春。俺、手術受けることにしたから」
「そうですか。良かったですね、葵先輩」
葵先輩はありがとう、と笑う。こんなにそつなく優しい笑い方ができる人を、私はこの人より他に知らない。手術のため、守屋先輩は一週
間ほど入院するのだそうだ。それだけ聞いて私は今度こそアパートを離れた。マフラーを首に巻き直す。その温もりを、まるで守屋先輩
のもののように感じてしまう自分を戒めながら、足を速めた。

 バイトを終えて家に帰り着くと、いつもはすぐにソファに突っ伏して寝てしまう。けれども今日はそんな調子でもなく、朝風呂に入ること
にした。長風呂にする態勢で先ほど買い取った雑誌を持ち込む。が、家で開いたところで内容は変わらず、ページを捲るのも億劫になる。


130 :時間外No.01 バック・ナンバー 3/5 ◇ba/RH2FpPo:08/01/14 17:05:43 ID:aJNZKrx9
 守屋先輩の手術。語弊を恐れずに言うならば、記憶調整手術というものらしかった。過去のある記憶を改変する。一日単位まで対象を
絞り、現在への影響を必要最低限にする技術が開発されたことで可能になったらしい。周囲はずっと彼に手術を勧めていたのだが、頑と
して本人が受け入れなかった。……そうか、やっと。

 守屋先輩は、私が出会うよりもっと前、中学の頃にひどい体験をしたのだそうだ。
「恵が毎晩うなされるのは私のせいなの」
珍しく守屋先輩のいなかった放課後。校舎裏で聞いた葵先輩の悲痛な声が、今も耳に残っている。守屋先輩と葵先輩は、ここから少し離
れた町の中学に通っていた。二人とも、高校へは親元から一時間ほどの時間をかけて電車通学していた。二人の中学時代を、私はそれほ
ど詳しく知らない。ただ、守屋先輩が初恋の葵先輩に惚れこんでいたこと。葵先輩が、中一の頃から危ない場所へ足を運んでいたこと。
前者は過去形ではないけれど、そんな話をそれぞれ本人から聞いていた。そしてその日初めて、葵先輩は守屋先輩に助けられた時のこと
を教えてくれた。警察沙汰になる寸前で、彼女は抜け出そうにも抜け出せない状態で。それを知った守屋先輩が駆け付けた。そうして大
きな怪我と引き換えに、葵先輩を助け出したのだそうだ。
「馬鹿だよね、どっちかって言うとインテリなのに。眼鏡は似合わないけど。
 そうそう、似合わない眼鏡かけるようになったのもその時の怪我のせい。
 全部、私のせい」
事件の記憶は、トラウマとなって守屋先輩の体を蝕んでいるらしかった。人間の身体というのは、あまりに悲惨な記憶を時に消してしま
うようにできているらしい。ならば先輩のその時の記憶も消してしまえばいい。彼の親はそう言った。事情を知る者は皆口をそろえてそ
う言った。誰より、葵先輩がそれを望んだ。それでもしかし、彼は言うのだ。
「消したくない。葵との大事な記憶の一つだから」
そんな彼が手術を受けようと決めたのはなぜか……なんて知らないけれど、やっぱり葵先輩のためなのだと思う。

 葵先輩からその話を聞きながら、申し訳ないことに私は別なもう一つのことを考え始めていた。私もまた彼に救われたのだということ。
守屋恵という人間が、どうしようもなく今の自分を作っているのだということ。

  記憶はどんどん遡る。高校一年の初夏、校舎裏のシダレザクラが葉桜に変わる頃。私は見事に五月病にかかっていた。腐っていた。
たぶん割り箸で突いたら刺さるぐらいには。昔の知り合いの少ない高校で、口下手な私は新しい人間関係に疲れていたのだ。善良なクラス
メイトの中で仲間外れにされることはなかった。ただ、彼女らの優しさをわかった上で言わせてもらえるなら――その優しさが重荷になる
こともあったのだ。口数の少ない私に、誰かが気を使って話を振る。私はそれに冷や汗を流しながら答える。その場の皆は、私の面白くもない
返事に笑う。そんな時私は、自分を透明な水の中に漂う一片の水垢のように感じるのだ。 


131 :時間外No.01 バック・ナンバー 4/5 ◇ba/RH2FpPo:08/01/14 17:05:59 ID:aJNZKrx9
 そんな私が昼休みに逃亡するのにおあつらえ向きの場所があった。校舎裏だ。そこには温かな人の気配はなかったけれど、狭い空とシダ
レザクラがあった。私はすぐにそこで弁当を広げるのが好きになった。
 けれどもすぐに梅雨前線がやってきて、そこに行けない日々が続いて。窓から見えるシダレザクラを見ていたら、
「未春ちゃん?」
私を呼んだのは、もちろん桜じゃなくクラスメイトの女の子だった。
「どうしたの、いきなり……泣いて」
言われて初めて、頬を伝うものに気づいた。泣いているんじゃない。ただ涙が流れているだけ。心の中でそう言いながら、私は席を立っ
た。教室を出る。後ろから私を呼ぶ声に、なぜだかごめんと答えてしまった。
歩いていたつもりが急ぎ足になって、いつしか走っていた。息を切らして辿り着いたのは校舎裏。傘をさしていないのは気にならなかっ
た。雨が涙の跡を消してくれる。早く、いつものシダレザクラの下に。しかしその日その場所には先客がいた。
 一つの透明なビニール傘に二人で入って、キスをしていた。至近距離でその光景を見てしまった私は、慌てて引き返そうとした。とこ
ろが、男の人のほうが私を見つけて言うのだ。
「待って。君、泣いてる?」
どうして雨との区別がついたんだろう。そんなことを思いながらも、私は逃げようとする足を止めない。
「待てよ、どうして」
「関係ないでしょう。あなたは私を知らないし、私もあなたの名前すら知りません」
それは私の素直な心境だったけれど、言葉となって口を吐いて出たことに自分自身も驚いた。ところが彼は表情一つ変えず、答えるのだ。
「俺、三年の守屋恵」

 それから私は守屋先輩と、その彼女の葵先輩と校舎裏でよく会うようになった。なぜかいつも雨の日だった気がするけれど、それはさ
すがに気のせいだろう。他愛無い話の連続の中、彼は私に、素直な気持ちを言葉にする術を教えてくれた。

 ――手足の指の皮がふやけてきていた。浴槽を出る前に雑誌をもう1枚だけ捲ってみる。バックナンバーの紹介らしい、と思いながら読むと
すぐに間違いに気づいた。
『バック・ナンバー。どうしても知りたい、過去のあの人に会える!?』
どうやらそれは雑誌のバックナンバーではなく、新手のサービスの広告らしかった。詳細はお問い合わせください、と電話番号が添えてある。
私は風呂からあがるとすぐに電話をかけた。
「お電話ありがとうございます。このサービスは、一定時間だけ他人の過去の時間に入り込めるというもので……」
申し込みを終えて気づく。向こうの声は、『お掛けになった番号は、現在使われておりません……』というあのメッセージのものとよく似ていた。


132 :時間外No.01 バック・ナンバー 5/5 ◇ba/RH2FpPo:08/01/14 17:06:44 ID:aJNZKrx9
 翌日、私はその電話の指示で、とある公園に出かけた。園内はすいている。桜の下のベンチに少年が一人、座っているだけだった。私は
黙ってその少年の隣に腰かけた。彼は一瞬こちらを見る。その顔を見て確信した。彼は六年前の守屋先輩だ。葵先輩を助けた日の彼なのだ。
先輩も私も、ただぼんやりと昼下がりの公園を見ていた。最初に沈黙を破ったのは彼の方だった。
「あなたも人を待ってるんですか?」
まだ眼鏡をかけていない先輩の目が、こちらを見ていた。
「待っているといえば、ずっと待ってるのかもしれません。も、ということはあなたも?」
「ええ」
「彼女さんですか?」
「彼女になる予定の人です。正午に待ち合わせてたんだけど、何かあったのか」
先輩は時計を見ながら立ち上がった。それを追うように私の言葉が零れ出る。
「守屋恵先輩。私は」
切るつもりのなかった言葉が、喉のところでつかえる。それは確実に形を持って私の呼吸を苦しくさせた。

「私はあなたが好きです」
 
 上京の朝、私が始発の新幹線を待っていると守屋先輩が見送りにやってきた。葵先輩は実家に帰っていて来れなかったそうだ。
「記憶はきれいさっぱりですか」
「さっぱりです」
それなら問題ない。私の伝えた言葉も全部、跡形もなく消えたのだ。それにしても、せっかく家族も振り切って来たというのに、
いちばん会いたかった人に来られたら、堪えようがないじゃないか。溢れてくる涙の訳を問う代わりに、先輩の手が私の頬を軽く拭った。
「手出して」
言われるままに右手を出すと、痛いぐらいに握りしめられた。
「頑張れよ」

新幹線に差し込む朝陽の中、私は目を閉じている。先輩の掌がとても温かかったこと。今手の中にあるぬくもりは今度こそ、
本物であるということ。餞別には充分すぎる。 
 守屋恵先輩。私はあなたが大好きでした。

-了-



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