【 鼓動と追いかけっこ 】
◆s8ee1DM8jQ
111 :NO.28 鼓動と追いかけっこ1/5 ◇s8ee1DM8jQ :08/01/14 01:14:10 ID:GNVBbaTt
それが癖なのか何なのか知らないが、浅川は何かにつけてふらりと姿を消す。放っておけばいいと分かってい
ながら探しに向かう俺の足は、何か悪い磁石でもついてしまったのだろう。屋上へ続く、重く堅い扉を開けて、
冷たい風に触れた。浅川は金網にもたれかかり、いつものように不敵に笑って俺を見る。その、憎たらしいこと
といったら。悔しさで金輪際止めようと誓うのに、結局、こうしてまた同じ事を繰り返してしまうのだ、俺は。
そんな自分に呆れかえりながら、目の前の性悪顔を見つめた。
「まぁた来たの、あんた。暇人だねぇ」
「実験中にいなくなるって最悪だぞ、お前。せめて休み時間に消えろよ」
「へいへい」
「先生怒ってたぞ。チームワーク乱すな、って」
「チームワークねぇ…」
浅川にまるで似合わないその言葉は、俺の口から勢いよく飛び出したくせに、だらりとした浅川にふれた途端、
ぽとりと地面に落ちたようだった。俺と浅川の会話はいつだってそうだ。
風が乱す長い髪を邪魔そうに振り払って、浅川はおもむろに制服のポケットから煙草を取り出した。そしてそ
の先端に火を付けて、ふうぅ、と吐き出す。薄い煙は、どんよりとした今日の曇り空に重なって消えた。
「そんなに暇なら、彼女でも作りなよ」
「お前はどうなんだよ、ばーか!」
「何キレてんの」
一瞬にして俺の、鼓動のリズムが乱れる。止まったものが慌てて動き出したみたいにガタガタだ。
俺だって、可愛い彼女の一人や二人作って、青春を謳歌したい。だけれど、人生の華の時代と言われるこの高
校生活の始まりに、それを狂わせたのはどこのどいつだ。そんなこと、浅川はこれっぽっちも自覚してやいない
のだろうが、間違いなくそれは浅川だ。あのとき、あの場所で。俺がこんな風に、意味のない行動をくりかえし
てしまい、ぶつける先の分からない憤りを感じるのだってそれが原因だ。
お前だよ、お前。浅川のせいなんだよ。
112 :NO.28 鼓動と追いかけっこ2/5 ◇s8ee1DM8jQ:08/01/14 01:14:41 ID:GNVBbaTt
「いいの?」
「いいんだよ、大体なぁ、彼女なんて作ろうと思って出来るもんじゃ」
「いやいや、何の話だよ。鳴ったけどいいのかって言ってんの」
「は?」
「予鈴」
耳に単純な音のつながりの最後が聞こえた。途端、傘が開くときのようにぶわっと顔を赤く染めた俺を、ニヤ
リと浅川が笑う。居たたまれない、と思いつつも俺は、教室へこのまま足を向かわせる気にはなれなかった。理
由なんてもう、自分でもよく分からない。
そんな俺に、浅川が口から煙を吐き出すと同時に、話しかけた。
「まぁ、あんたみたいな意地っ張りを好きになる子なんていないだろうけど」
「自分だってそうだろ。悪くねぇのに、顔は」
「顔は、って何。悪いとこは何なの」
「だからその、アレな行動とかだよ」
「ふらふらしてんのは性分ですー」
「自覚あんじゃん」
俺の青春を狂わせたのは、高校生活初日の放課後。担任が今後の予定を黒板を使って一通り説明したあと、じゃ
あ、下校、とつぶやいた。
新しいクラスメイト達は、その言葉を聞くとそそくさと荷物をまとめ始め、担任も余ったプリントを整理し、
教室を後にしようと足を進めた。そして出て行く寸前、担任は、あ、と何かに気付き、一番前に座っている生徒
に声をかける。
「お前、悪いけど黒板消しといてくれなー」
その生徒が浅川だった。
俺はその真後ろの席で、ご愁傷様、と浅川に視線を送った。入学早々運の悪い奴。めいっぱい使われた黒板は、
黒というより白だった。面倒くさそうに、浅川はだらりと立ち上がり、黒板を素直に消しにかかった。俺は、普
通ならその行動を気にも止めず帰るのだが、だらだら文字を消す浅川を俺は終わるまで眺めてしまった。何故っ
てその消し方だ。
113 :NO.28 鼓動と追いかけっこ3/5 ◇s8ee1DM8jQ:08/01/14 01:15:08 ID:GNVBbaTt
上から下へ、普通に消せばいいものを、黒板消しを両手にはめて、あっちへせかせか、こっちへせかせか。浅
川なりにさっさと終わらせたい一心での行動だったのかもしれないが、めちゃくちゃに動かされた黒板消しの跡
で、黒板はむしろ書いてあった方が綺麗だった、と言わんばかりの仕上がりだった。消し終わるころ教室には、
眉間に皺を寄せて立ちすくむ俺と、両手に黒板消しをはめたまま俺を見る浅川だけ。
それに気付いた俺は、まだ話したこともない女子と二人、その空気に居たたまれなさを感じ、手元の荷物を引
っ掴む。しかし、ずんずんとこちらへ向かってくる浅川に、身体はそのまま動かなかった。
そして目の前に来たかと思うと、ばふ、という音と共に目の前に白い粉が舞った。
「な、なにす…」
浅川は俺の頭上で自分の両手をたたいたのだった。
「ぼーっと突っ立ってるくらいだったら、手伝えよばーか」
むすりとした顔で、浅川は俺にそう言ってのけた。その瞬間俺の心臓は一瞬動くのをやめ、次にドクドクドク
とリズムを乱してまた動き始めた。本当に口から何も出せなかったし、何も入る気配がなかった。俺の息は止ま
ったのだ。
ぽかんとする俺をそっちのけにして、両手の黒板消しを俺の机にぽいっと置くと、浅川はすたすたと教室を後
にした。
「ちょ、…てめぇ、まてコラァア!」
その時からなのだ。俺と浅川の追いかけっこのような関係。もしかしたら降り注いだチョークの粉は、何かの
魔法だったのかもしれない。
呆れて俺はその場にすとんと腰を下ろした。悪いとわかっているのならやめてくれ、と浅川には聞こえないよ
うにつぶやく。つぶやいて、その言葉の可笑しさに少し笑った。別に浅川がどうしようが勝手で、嫌なら追いか
けなければいいんだ。一体俺はこの思考を何度繰り返すつもりだろう。
ため息を吐き出すのと一緒に、首を垂らして足下に目をやった。入学時はまっさらだった上履きが、もうぼろ
ぼろだった。ふいに視界に入り込んだ、もう一つの上履きは浅川のもの。同じようにぼろぼろだ。近づいてきた
浅川は、煙草を咥えたまま、俺を見下ろした。
こんな俺をまたいつものように顔を歪めて笑うのかと思いきや、いやに真面目な顔をして俺を見つめている。
俺がなんだ、と見つめ返すと、そんな見慣れない顔をした浅川が口を開いた。
114 :NO.28 鼓動と追いかけっこ4/5 ◇s8ee1DM8jQ:08/01/14 01:15:35 ID:GNVBbaTt
「もう、いいんじゃないの」
俺は浅川の顔を、ただ見上げながらぽかんとしてしまった。なにがもういいんだ。俺は眉間に皺を寄せたまま
浅川に聞いた。
「あたしはあんたが意地っ張りだって知ってるし、あんたはあたしがふらふら、どうしようもないことも知って
んじゃん」
最後はまるでヤケにでもなったかのような言い草だった。浅川は煙草を口から離し、俺の足下に落とし、踏み
つぶした。それに、あぶねえ、と言う余裕もなく、ただずっと俺は浅川を見上げていた。
「あたしらいつまで、相手を作れだのなんだのって会話続けんのよ。お互い、意地っ張りだからしょうがないの
かもしんないけど、もう、いいんじゃないの」
気付かないフリすんの、もう飽きた。
いい加減、はっきりしようよ。
「ねぇ、西原」
気がつけば、先ほどより、空を大きく雲が覆っていた。もしかしたら、下校時には雨が降るかもしれない。
冷静にそんな事を考えてみるものの、耳の奥はドクドクと激しく脈を打って、熱くて熱くて堪らない。西原、
と名前を呼ばれて、俺の心臓はまたぴた、と動くのをやめた。もうこれで、浅川に心臓を止められたのは何度目
になるのだろう。息を吐くことも吸うこともしないまま一秒、そしてガタガタに乱れた鼓動が、早く、早くと暴
れ出す。腹の奥からざわざわと気持ちが溢れかえった。
すき、意識をすり抜けて俺の口から飛び出た言葉は、案外綺麗に耳に届いた。
「すきだ」
「浅川が」
「すき」
ぼろぼろとこぼれるその言葉をなんて幼稚な言葉だと思った。まるで幼い子供のようだ。だけれどそれにして
は大きな意味を含む言葉。
口に出してしまえば、よく分からない俺の数々の行いもすんなり解決だ。消える浅川を何度も探してしまうの
は、すきだからだ。ほんのちょっとしたことに心臓が止まるのも、すきだからだ。教室に向かわなかった俺の足
は、脳より賢いのかもしれない。
何度と繰り返したこの不毛な追いかけっこも、単なる意地の張り合いだった。
115 :NO.28 鼓動と追いかけっこ5/5 ◇s8ee1DM8jQ:08/01/14 01:15:58 ID:GNVBbaTt
浅川は、表情を変えることなくそのまま、じっと俺を見下ろしていた。一分。いや、三分は経った。時間が経
つにつれて熱さを増す俺の頬はもう、限界だった。
「だから、…っすうーきいーでぇーすうー!!」
「うるさいよ。別に耳が遠いわけじゃないんだけど」
「じゃあお前なんか言えよ! 何黙ってんだよ!」
「なんかって何」
「ああー! もう、本当ムカつく! ほんっとムカつく!」
俺は自分の口から出た言葉を思い出すと頭が沸騰しそうだった。
「返事! 返事を言えっつってんの!」
「だからなんの」
「ちくしょう、お前、わかってんだろ。お前も言えよ!」
「何のことだか全然わからないなぁ」
ニヤニヤとあくどい笑みを浮かべた浅川は、すとんと、俺の左横に腰を下ろした。お前本当に意地っ張りだな、
と俺が吐き捨てると、俺の左手をほんのり暖かいものが包んだ。また、俺の心臓が止まる。暴れ出すかと思った
鼓動は、予想外にゆっくりと、微かに鳴り始めて、少し驚いた。
「やっぱり告白は男がするもんだよ」
「お前、何時代の人?」
なんだか気が抜けて左手はそのままに、屋上のコンクリートに背中をつけた。見上げた空は変わらずどんより
と曇っている。
繋いだ手が答えなら、どこにだって探しに行ってやるから、朝も昼も夜も、俺の息を止めてくれよ、浅川。
おしまい