【 白い日と息と 】
◆4oIY5Zvkdw




38 :No.10 白い日と息と 1/5 ◇4oIY5Zvkdw:08/01/13 23:55:03 ID:ztmw8RJ+
 それを最初に見つけたのは母だった。洗濯物、あるなら出しなさいよ、と弟の部屋を覗いた時に発見したのだ。
「ヒロ君、これまさか、もらってきたの? ねえこれ、チョコレートでしょう。リボンついてるもの。ねえちょっと」
 母の捲し立て攻撃に怯んだ弟は、咄嗟のことにうろたえてしまい、紙袋を隠し損なった。そこにちょうど私が現れてし
まったのだから、もはや隠蔽のしようもなかった。
「あらあんた、チョコレートもらったの? やるわねー。相手は誰よ?」
 母の血をばっちり受け継ぐ私がやはり捲し立て、弟は完全に頭を抱えている。
「お前ら、プライバシー侵害だから」
 抵抗すること自体も恥ずかしいのか、弟は耳まで赤くしながら、ピンクのリボンが見え隠れする青くて丈夫そうな紙袋
を、死角に隠した。しかし、そんなことにめげる私達ではない。
「ヒロ君がバレンタインにチョコレートをもらうなんて、何年ぶりかしら……」
「小学校低学年の頃は何故か結構もらっていたよね。クラスの女の子達が家に来てさ」
「あぁ、そうだったわねぇ。懐かしいわ。皆にお菓子やケーキを出してあげたのよね」
「それ以来とんとチョコなんて縁がなかったから、私もおこぼれに預かれず白けちゃってたけど」
「今年は、良かったわねぇ」
 満足そうに頷く母は、少し涙ぐんでいる。今にも手に持った弟のジャージで目尻を拭いてしまいそうだ。
「とりあえず、お願いだから、出て行ってくれませんか」
 弟が心底迷惑そうに、頭を下げた。

 その夜の食卓は、弟の話題で持ち切りだった。帰宅した父は、今日一番の重大ニュースとして母からそのことを聞き、
お祝いと称してビールの栓を開けた。
「幸宏も、男を上げたものだ。それ、乾杯」
「乾杯って、俺飲めねーし」
「まぁまぁ、めでたいことに変わりはないじゃん。かんぱーい」
 ふくれ面でカキフライをかきこむ弟を尻目に、私も白い泡に口をつけた。ごくごくと喉を鳴らすと、程よいアルコール
成分が流れ込んでくる。
「それで、手紙とかは入っていなかったの?」
 今すぐ根掘り葉掘り聞き出したそうなのを堪えている母が、おずおずと聞く。
「入ってねーし」
「どんな女の子? 母さんの知ってる子?」
「さぁ」

39 :No.10 白い日と息と 2/5 ◇4oIY5Zvkdw:08/01/13 23:56:33 ID:ztmw8RJ+
 質問には一言以内で答える、とでも誓っているのか、弟の答えは素っ気無い。
「幸宏、そんな態度じゃ、女の子にもてないぞ」
 見かねた父がたしなめた。そういえば、父も今日、誰かにチョコレートを貰うなんてことはなかったのだろうか。会社
の若い女の人とかに。ないか。なさそうだな。額や鼻の頭を光らせている父に質問するまでもなく、私はまたビールをす
すった。もてなくて結構だよ、と弟が呟いている。

 弟が相談を持ちかけてきたのは、私が一人、リビングでくつろいでいる時だった。
「あのさ、バレンタインって、女にとってなんなの」
 だしぬけにそんなことを言う。
「なんなのってなんなの」
 私はタオルでぽんぽんと髪の毛をたたきながら答えた。乾かし方が行き届かなかったのか、まだ少し冷たい。
「いきなりチョコだけ貰っても、意味わかんねーよ。付き合いたいってこと?」
「そうとも限らないと思う。渡された時に何か言われなかったの?」
 弟はその時のことを思い出そうとしているのか、遠くを見るようにして首を捻った。
「特になかった。これどうぞ、あ、はい、どうも、みたいな」
 うーん。今度は私が首を捻った。
 バレンタインにおける女性の思惑は人それぞれだろうが、根底に「相手が居なくても誰かにはあげたい。それは女とし
ての義務である」という意識があるのは否めない。特に中高校生くらいの、若い女子においては。ようするにこの場合、
うちの弟が「なんとなくチョコをあげる相手として」適役だった、という可能性もなきにしもあらず、しかし、それを全
て弟に伝えるのは酷な気がした。
「とりあえず、あんたもそんな感じでお返しすればいいんじゃないの」
「とりあえずかぁ」
「全く知らない子って訳じゃないんでしょ」
 それを受けて、弟が何か口ごもった。え、なに、と聞き返すと、今度は決心したのか、はっきりと言った。
「七瀬歩。白女の。うちにも前に来てた」
 ななせあゆみ……と記憶のページをめくっていくと、栗色がかった髪の毛を耳の下にふわりと垂らしている、色白の女
の子に行き当たった。
「あぁ、ピアノを習いに来てた子か! へぇ、白女に入ったの、あの子。頭良さそうだったもんね」
 白木女子はうちの県でも、学力の高さと制服の可愛さで一、二を争う高校である。私にとってはかつての第一志望校で、
受験したが入れなかったというほろ苦い思い出のある所でもあった。

40 :No.10 白い日と息と 3/5 ◇4oIY5Zvkdw:08/01/13 23:56:51 ID:ztmw8RJ+
「あの子なら姉ちゃんも、かなりいいと思うな」
「なに素っ頓狂なこと言ってんだよ」
「いいじゃない。思い出作り。がんばりたまえ」
 はぁー、訳わかんねー、と後頭部をばりばり掻く弟の口元が緩んでいたのを私は見逃さなかった。ちょうどそこに、お
風呂から上がってきた母が現れ、最終的に弟が頭を抱える事態になったのは言うまでもない。

「さて、問題のホワイトデーまで、あと一週間を切ったわけだが」
 父が神妙な面持ちで宣言する。ダイニングテーブルには四つのマグカップが置かれていて、それぞれコーヒーやほうじ
茶など、思い思いの飲み物が入っていた。
「だからなんで家族会議なんだよ」
 弟がうなだれている。そうは言ってもこのところ情緒不安定なのは明らかであり、憎まれ口を叩きながらもこうしてお
となしく作戦会議に参加しているのが、何よりも彼の不安を物語っていた。
「何をあげるのかは、決まっているのよねぇ」
 母が緑茶のマグカップを手で包みながら、やはり神妙な顔つきで言った。
「私のチョイスには自信あるから、そこは任せて」
 渡す物については、数日前に弟と雑貨屋を回って用意してあった。それも所謂「母親か姉に選んでもらったような、や
たらと可愛らしい物」ではなく、「無骨な男が選びに選び抜いて、店員さんのアドバイスもさんざん取り入れて選んだちょ
っとセンスの良い物」にした。お菓子については弟に責任を持って選ばせた。ラッピングはお店のお任せコース。完璧だ。
「ところで、父さんにいいアイデアがあるんだ」
 そういって父は席を立ち、一旦廊下に消えたかと思うとまたすぐ現れた。肩からは愛用のフォークギターを下げている。
「アイラブユー、あーゆーみー、ミーラブユー」
 父はおもむろに熱唱し始め、取り残された私達三人は顔を見合わせた。
「大好きなのさー、本当さベイベー、幸宏、カモン」
 弟が大きくついた溜息が聞こえているのかいないのか、父はなおも歌い続ける。
「あれ、この歌、知ってる気がする」
 私がそう言うと、母はにこにこして頷いている。
「あんた達が小さい頃もよく歌っていたわねぇ。アイラブユー、さーおーりー」
「それ、思いっきり使いまわしじゃんか」弟が口を尖らせる。
「そうそう、ヒロ君の時は、語呂が合わなくておかしかったわ。ゆーきひろー、って」
 母が愉快そうに笑っている。

41 :No.10 白い日と息と 4/5 ◇4oIY5Zvkdw:08/01/14 00:01:07 ID:6apdyFRS
「もしかして」私は言った。
「お母さんへの告白もこの歌だったとか?」
 さあねえ、と母は目尻を下げた。
「そうだったかもしれないわねぇ」
 父はまだギターをかき鳴らしている。

 目覚めると、ホワイトデーという名前に相応しく、前日までからは想像できないほどの雪が積もっていた。水っぽい雪
に難儀しながら、駅までの道を歩く。こうして泥と混じってしまうとホワイトどころかグレーだ。グレーデーか。弟よ、
君の未来は、分からない。と不謹慎なことを考える。当の弟はといえば、いつもの時間より大分早く家を出たようだ。雪
道に備えたのか、それとも朝コースに決めたのか。
 ホワイトデーのお返しを渡すのを、朝にするか夕方にするかで我が家の意見は真っ二つに分かれ、前日の夜にまで何度
も議論が繰り返された。私と母は朝コースを支持した。家に帰る直前に渡されるよりも、朝のうちに貰ったほうが面目も
立つ、というあくまで女サイドからの意見だ。父は父で、夕方に渡すまで、残りの一日をまだまだ作戦を練るなどして有
意義に過ごしたい、と慎重な面を見せたが、弟が結局どちらを採用したのかは謎に包まれたままだ。

 駅に着くと、雪のためか普段の数倍増しの人でごった返していた。パネルを見ると、どの電車にも遅れが生じているよ
うだ。あぁ、私も弟を見習ってもっと早くに出るべきだった。と後悔しても後の祭りで、しばらく目当ての電車は動きそ
うに無い。
 諦めて職場に連絡を入れよう、と携帯電話を耳に当てて顔を上げた時、人波の向こうに弟が見えた。駅構内の壁に寄り
かかり、誰かを待っているようだ。弟の姿を遠目に見続けながら、チーフに遅れる旨を伝える。弟はダウンジャケットの
ポケットをごそごそしたり、前髪をいじったりと、とにかく落ち着きがない。あれは間違いなく、朝コースだ。
 とりあえず、この場を見届けてから会社に行くことにしよう。私はそう決意し、とりあえずコーヒーでも買って温まる
か、と近くの店へと足を向けた。




42 :No.10 白い日と息と 5/5 ◇4oIY5Zvkdw:08/01/14 00:01:25 ID:6apdyFRS
「あのー、須藤さんのところの、お姉さんですか」
 向こうに声を掛けられるまで気付かなかった。見れば、栗色の髪の毛をふわっと垂らしている、女子高生が居た。襟元
のエンジ色のリボンをきれいに結び、頬と唇を赤く上気させている。
「あ、あなたは……」
 おそらく数年ぶりの再会だが、私はこの子を知っている。
「前にピアノを習いに行っていた、七瀬歩です」
 なんということだ。遠くから見守る予定であった弟のお相手本人に、会ってしまった。というか、見つかってしまった。
私はそれとなく横にじりじりと歩いて、弟から見えないところへ移動した。
「あぁ、どうも、お久しぶりねぇ」
「お久しぶりです。須藤先生はお元気にしてらっしゃいますか」
「母ならずっと変わらず、元気よー」
 ここまで来れば完全に大丈夫だろう、というところまで進んで、内心胸を撫で下ろした。そんな私の不審な動きを気に
も留めずに、彼女がさらに話しかけてくる。
「幸宏君も、元気にしていますか」
 そう言って少しはにかんだように、私には見えた。何だかこっちまでどぎまぎして、思わず口走ってしまう。
「そういえば今日はホワイトデーだね! 歩ちゃんは誰かにチョコあげた? 好きな人とかいるの?」
 いつもの捲し立て癖だ。私は頭を抱えてしまいそうになる。
 歩ちゃんは一瞬だけ目をぱちくりさせて驚いていたが、その後にふわりと微笑み、答えた。
「いますよ」
 こちらまで香ってきそうな、甘く優しげな表情だった。この場にもし父がいたら、恋する女は綺麗さー、とギターを鳴
らして叫んでしまうに違いない。
「それって、私の知ってる人、かな?」
 えー、それはー、と言いながら、ふふ、と歩ちゃんが笑う。そうして、花のような女子高生は、人波の方に去って行っ
た。
 あの方向をさらに進めば、さっきからずっとそわそわしているだろう弟が居るはずだ。やっぱり、あの制服はこの辺り
で一番可愛い。
 弟よ、君の未来は、明るい。



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