【 恋と世界のカラクリ 】
◆ecJGKb18io




29 :No.8 恋と世界のカラクリ(1/5) ◇ecJGKb18io:08/01/13 00:48:22 ID:Cwm0GLbh
「おかあさん! こっちこっち!」
 会場内は一階も二階も、ロビーまでも人で溢れていた。興奮が抑え切れない様子の子
供達は、苦笑いを洩らす大人の事情など知ったことかとガンガンと手を引っ張って会場
を練り歩いている。
「はいはい、太助。別にゆっくりでも向こうは逃げませんよ」
「あ! あそこだ! お母さん早くってばあ!」
 今年で八歳を迎える工藤太助もまた会場内の熱気に高揚を抑え切れずにいた。太助の
母、光代はそんな太助の様子に頬を緩ませながらも、早く早くと急かす息子の後をつい
ていくのに必死になっている。
 普段の光代なら落ち着きのない太助に対してきっちりと怒っている所なのだが、今日
ばかりはそれも仕方ない。今日は太助が三ヶ月も前から楽しみにしていた日なのだから。
「ああもう、ここからじゃ全く見えないよ」
 ただでさえ人が多い中、その展示の前は特に人だかりが出来ていた。百三十センチほ
どしかない太助がどれだけ背伸びをしても、目的の物は見えない。
「太助。ほら、乗りなさい」
 光代がその場に屈むと、太助は目をキラキラと輝かせて颯爽と肩に乗る。いつもなら
「そんな恥ずかしい事出来るかよ」なんて一人前に言う癖に。
「どう、見える?」
 その一番人気だろうと思われる展示は光代の目線からでも見る事が出来なかった。肩
車に乗っている太助はしばらく言葉を発せず、ただ一点だけを見詰めているようだ。
「ねえ、どうなの? 見えてるの?」
 光代が再度そう訊ねると、ようやく太助は我に返ったらしく、「うん」と返事をした。
「凄いや! ねえ、お母さん。やっぱり昔のヒトって凄いよ! 昔の時代になんでこんな
に凄いものが作れるんだろう!」
 太助はそれからまたしばらく無言で展示を眺めていたものだから、その間ずっと光代
はここ最近重たくなってきた太助を肩に乗せたままの状態で立っていなくてはならなか
った。
 五分経っても十分経っても。太助はまだ例の展示に目を奪われているようだった。
 かの、からくり弥助が作ったと言われている十二体のからくり人形に。


30 :No.8 恋と世界のカラクリ(2/5) ◇ecJGKb18io:08/01/13 00:49:16 ID:Cwm0GLbh
「もうあんたとはやっていけません」
 生涯唯一の妻、お菊はそう言い残して出て行った。対する弥助はお菊にそう言われた
時ですら振り返りもせずに、黙々と自らの頭の中にある構想を図面に書き起こしていた。
弥助はそれこそ四六時中そういった態度だったから、お菊がほとほと呆れて、離縁状を
叩き付けるような行動に出たのも無理のない話だった。
「俺に必要なのは筆と紙と、後は工具と材料だけだ」
 弥助は天才からくり技師だった。西洋の技術が入ってきた室町時代以降、からくりと
称される機械への注目が高まっていき、それに連れてからくり技師の地位も向上してい
った。故に、弥助も生き甲斐であるからくりを生業にして、充分に食べていけるだけの
財産も築くことが出来た。
 今はもういないが、嫁を取り家庭も持った。人生においてのすべきを事をほとんどし
終えたと思われる弥助は、後はただ好きなからくりを作ることだけに専念していれば良
かった。
 嫁は弥助に愛想を尽かせて出て行ったが、それは弥助の人生にとって何ら支障のない
出来事だった。そもそも互いの両親の都合で結婚した所以もあって、弥助はお菊に対し
てこれといった愛情は持っていなかったし、寧ろ仕事の邪魔だとすら思っていたからだ。
弥助は他人に対して愛情なり友情なりの干渉を持つ事がなかったのだ。


31 :No.8 恋と世界のカラクリ(3/5) ◇ecJGKb18io:08/01/13 00:50:13 ID:Cwm0GLbh
 しかしお菊が居なくなって、数週間。意外にも弥助はお菊が居ないことでちょっとし
た不便さを感じるようになっていた。
「茶を淹れるのがこれほど煩わしいものだとは思わなかったな」
 そこで弥助はある事を思いついた。ならば作ってしまえばいいのだ。自らの得意とす
所のからくりで。
 それから弥助はこれまで以上に仕事に没頭した。仕事とは言うものの、大名に献上す
るものでもなければ、商人に卸すためのものでもない。弥助はこの頃から自らの為のか
らくりを作り始めた。
 このからくりの製作は思いのほか難航した。茶運び人形や茶注ぎ人形は早い段階で完
成したのだが、茶を淹れる、特に火を起こすからくりに弥助は苦しんでいた。単純にか
らくりとして難しいものがある上、ここに来て材料の不足という事態も起こっていた。
 
 その内、衰える事はないと思っていた弥助の熱意も段々と薄れていった。思うように
作業が捗らない。気がつけば、自ら茶を淹れる事に慣れてしまって煩わしさも感じない
ようになっていた。
「どうしたものか。このままではからくり技師の名が泣いてしまう」
 弥助の言葉通り、その頃から町内では、仕事もせずに家に引き篭もっている弥助に対
して「奇人」だの「変人」だのといった噂が広まっていた。実際、もともとそういった
一面を持ち合わせていた弥助だが、これが意外と辛かった。一層外に出ることはなくな
り、かといってからくりを作る事もせずに家に閉じこもる事が多くなった。
 弥助の内なる鬱憤が頂点に達した頃、弥助は初めて心の内を話すことの出来る他人を
欲した。
 そうして出来上がったのが、からくり弥助の最高傑作として後世にまで語り継がれる
事になる『頷き人形』である。
「さぁ、お梅。今日も僕の隣にいてくれるね」
 頷き人形はこくりと頷いてにっこりと笑う。いつでも弥助の愚痴交じりの話を聞きな
がら、それでもうんうんと頷いて楽しそうに笑うのだ。弥助は毎日、朝から晩まで彼女
に語りかけ、時には身体の手入れをしてやった。

32 :No.8 恋と世界のカラクリ(4/5) ◇ecJGKb18io:08/01/13 00:50:58 ID:Cwm0GLbh
 この「頷き人形」の凄い所は多様なからくりと、それを動かす強力なぜんまいにある。
世のからくり技師がやりたいと思っていても出来なかった事を弥助は可能にしたのだ。
 それから弥助は再び仕事としてのからくり製作を始めた。どんなに理不尽な依頼をさ
れようと必死に仕事をこなしたし、大名に気に入られるようなからくりも沢山作った。
すると、天才からくり技師としての名も戻ってきて、弥助はしばらく何不自由のない暮
らしを送っていた。
「お梅。君はいつまでも美しい。いつまでもそのままで居ておくれ」
 弥助はいつしか自らが作ったそれを愛するようになっていた。もし、町内の噂好きの
人々が弥助の家での様子を覗き見出来たのならば、たちまち「奇人」、「変人」の噂が
再度流れただろう。それくらいに弥助は彼女を寵愛していた。人だとか人形だとかの枠
を超えて弥助は恋焦がれていたのだ。
「ねえ、お梅。答えておくれ。君は僕を愛してくれているかい。僕はこれほど君を愛し
ているけれど」
 しかし人形は人形。弥助の悲しくなるほどの告白に彼女が答える事があるはずもない。

 だが、弥助は彼女に語り続けた。弥助の愛は、一般的な愛よりもずっと献身的で、そ
こに見返りはないし、また弥助も求めることはなかった。
「家庭を築こう。子供を作るんだ。そして子供がまた子供を産んで、どんどん輪を広げ
るんだ。それはきっと僕らにとって幸せだ」
 それから弥助は、頷き笑うお梅を傍らにからくり人形を量産した。既に壮年を迎えて
いた弥助であったが、一体に数年掛かると言われているからくり人形を、弥助は十年で
十体も作り上げたのだ。死ぬまで食べていける程の財産はとうにあったから、弥助はそ
れらを売りに出すことはせずに、十一体の人形に囲まれて生活をしていった。
 それは弥助とお梅の子供であり、望んだ世界そのものだった。
 そして、弥助が五十一になった春先。弥助は「からくり技師人形」という十二体目の
人形を作った後、からくりにつぎ込んだ生涯の幕をついに下ろした。こくんと頷き、に
っこりと笑う人形に見守られながら、満足そうな顔で天国へと旅立ったのだ。

33 :No.8 恋と世界のカラクリ(5/5) ◇ecJGKb18io:08/01/13 00:51:40 ID:Cwm0GLbh
「お母さん、今日は楽しかったね!」
 太助は未だ興奮冷めやらぬ様子で、鼻息荒げに光代に言う。
「あんな時代に、それも十二体なんて!」
 季節は夏。「天才からくり技師弥助展」の会場を後にした光代と太助は、家までの長
い直線を二人で手を繋いで歩いていた。高いビルよりもずっと高い位置にある太陽から
降り注ぐ日差しはじりじりと二人の腕を焼く。
「ね、お母さん。僕の太助って名前と、あのからくり技師の弥助って人の名前は凄く似
てるよね。もしかしてあの人の子孫が僕ってことはないのかな?」
 よっぽど今日の展示会に感銘を受けたのか、太助は随分からくりとからくり技師であ
る弥助に興味を抱いたようだった。
「まあ、先祖ではあるんじゃない? でも太助はパパとママの息子なんだからね」
「そりゃそうだけどさ」
 太助は気に入らなかったのか、口を尖らせて拗ねた真似をする。しかし、すぐに何か
を思いついたのか、再びを顔を輝かせて光代を見上げた。
「でもさ、きっと弥助さんは幸せだったんだろうね。自分の望みが叶ってさ!」
 そう言う太助を見て、光代は笑って頷いた。確かに太助の言う通りなのだろう。結局、
弥助は自分の子供達に囲まれて死んでいったわけだ。そして、彼が作った人形達も歴史
上の傑作として、未来にこうして展示されるまでになっている。
 弥助の想いは時を越え、続いているのだ。
「そうね。……それより太助、朝家を出る前にちゃんと巻いてきた?」 
 太助が素っ頓狂な声をあげる。
「あっ! 忘れてた!そろそろ巻かなきゃ。お母さんのは僕が巻いてあげる!」
 太助はそう言うと、上着のポケットからぜんまいを取り出して掲げて見せた。
「あらあら、珍しいこともあるもんね。じゃあお母さんは太助のを巻くわね」
 光代は苦笑しながら、太助は嬉しそうに笑いながら、お互いのぜんまいを巻く。
 
 弥助の時代よりずっと進んだこの時代。世界は弥助の子供で溢れていた。
 それは弥助が望んだ、最も幸福な世界の形。                     <了>



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