【 そうしたら、朝顔は笑う 】
◆/7C0zzoEsE
77 :No.20 そうしたら、朝顔は笑う (1/5) ◇/7C0zzoEsE:08/01/06 23:26:31 ID:BZa8+mJh
朝の日差しが目に染みた。十一月の早朝ともなると、さすがに身の千切れるような寒さだ。
お気に入りの如雨露に溜めた水を、玄関先いっぱいに豊かに咲き誇った朝顔達に捧げると、
彼らは花を揺らして丁寧にお辞儀する。
どうもありがとう。どういたしまして。
葉に残った露に朝日が反射して、やはり目に染みる。この眩しさが心地よい。
気がつくと眠気は何処かに吹き飛んで、一日が始まる。俺の日課。
うんと大きく伸びをした。
「beautiful! 素敵な御花畑を見つけマシタ」
不意に声をかけられたので、驚いて振り返った。
背の低い塀に両腕を組んでこっちを眺める、とても美しい女性の姿が見えた。
まず目に付いたのは輝く金色の髪、その次に整っているのに、どこか人懐っこい顔立ち。
あどけない、というのが適切か。にっこりと微笑んでいた。
「Japanese morning gloryデスね? こんな冬に見られるなんて思わなかったデス」
アクセントに違和感はあったが、流暢な日本語だった。
朝にご近所の方と挨拶をするのは珍しくなかったが、外国の方に会うのは初めての事だったので、
ついうろたえてしまった。俺も人好きの良い笑顔を見せて話しかける。
「ヘブンリーブルー、西洋朝顔の種ですよ。一輪は小さいですが、これだけ咲くと見れるでしょう?」
「すごく素敵デス。これ全部あなたが育てたんデスか?」
「ええ、幾つも枯らしてきました。気難しい奴らですよ」
俺がカラカラと笑うと、彼女もウフッと笑った。
「お花が好きなんデスか?」
彼女は自然に聞いてきた。それは、“男のくせに”といった様な含みを感じさせない問いかけ。
そのせいか、俺も微笑んだまま全く素直に答えられた。
「いいえ。どちらかといえば嫌いですかねぇ」
78 :No.20 そうしたら、朝顔は笑う (2/5) ◇/7C0zzoEsE:08/01/06 23:27:20 ID:BZa8+mJh
彼女は不思議そうに首を傾げた。
「その割には、この子たち愛情たっぷりに育てられた様に見えマスよ?」
俺は困ったように旋毛を右手で掻き毟った。
「いや花自体は嫌い――じゃないんすけどね、どうも世話するのが苦手なんですよ。
ほら、俺ずぼらな所とかありますし、動物も良く死なせてしまったり……」
彼女は興味深そうに聞いていた。初対面の筈が、実に親しみやすい雰囲気を出している。
あたかも、ずっと昔から見知ってきた人かのように。
「でもねぇ……約束しちまったんですよ。随分昔に――――、もういつだったのかも忘れちまったけど」
◆◆◆◆
蝉がうっとうしいほど鳴く夏だったのは覚えている。
「お願い! 優花ちゃん、宿題のやつ見して!」
「もぉー、だから初日から言ってたのにぃ」
俺は朝起きるのが苦手で、ラジオ体操にも行かなかった。
夏休みの課題で朝顔の花の記録をつける必要があったのを、すっかり放棄してしまっていた。
もちろん朝顔はとっくに枯れて、見る影もなくなっていた。
友人の記録を見せて貰おうが、自分で適当に考えて作るのも変わらないと思う。
それでもわざわざ葛城優花に会いに行っていたのは、恋心を隠そうともしなかったからだろう。
「そんな事してたらお花が可哀相でしょう? 私、雄也君のそういうズボラな所嫌い」
「うぅ……だって」
「知らない」
彼女はそっぽを向いてしまって、俺は情けなくなって目頭に大粒の涙を溜めていたと思う。
それでも、格好悪いところは見せられないので、袖で鼻水と涙を拭った。
「じゃ、じゃあ俺、お花に謝ってくる!」
「お花に?」
79 :No.20 そうしたら、朝顔は笑う (3/5) ◇/7C0zzoEsE:08/01/06 23:28:24 ID:BZa8+mJh
「うん! 枯らしちゃってごめん、って。次はちゃんと咲かせるからって言ってくる」
そしたら、優花ちゃん後でまた遊ぼうね。そう言って自分の家に戻ろうとした時に、
彼女は俺の服の端をつまんで、止めた。
「そしたら、」
『私の両腕いっぱいの朝顔を咲かせて、プレゼントしてネ』
確かに彼女はそう言った。その言葉は今でも鮮明に覚えている。
その後、俺は何て言ったんだっけか……
「そしたら、何してくれる?」
「そしたら――――結婚してあげる!」
あぁ、恥ずかしげもなく、そう約束した筈だ。
小さい子供の特権でもあるな、無責任の約束。
◆◆◆◆
「でも、翌年の朝顔が咲く前に。彼女は遠い故郷に引越しするって去っちまった」
俺が自重気味にククっと笑っても、金髪の少女は真摯に聞いていた。
いつしか、俺の隣で座って聞いていた。
「それっきり何デスね」
「ああ、それっきり連絡も何も無いんだ。でも朝顔はちゃんと育てる」
アイツがどれ程大きくなっていても、その両腕からこぼれるほどに咲かせてやる。
夏だろうと、冬だろうと。品種改良しても、種まきの時期をずらせても。
たとえ学校でガーデニングおたく、なんて蔑まれても一年中朝顔を笑わせてみせる。
80 :No.20 そうしたら、朝顔は笑う (4/5) ◇/7C0zzoEsE:08/01/06 23:29:29 ID:BZa8+mJh
「朝顔の花言葉は確か、はかない恋だから」
笑顔が一瞬消えて、寂しい顔で呟いた。
今日初めて寂しい顔をしたと思う。自分でも、思いがけずにフッと寂しい顔をした。
金髪の少女は、俺を慰めるように笑いかけた。
「いいえ、アサガオのもう一つの花言葉、知らないんデスか?」
彼女は朝顔に顔を近づけて、芳しい香りに顔をとろませた。
「もう一つの花言葉?」
彼女は意味深に唇を真一文字にして、俺の顔を見つめた。
俺の瞳を覗き込んだ、弱気な心の奥まで見透かされるようだった。
「愛情の絆、デス」
あぁ、そうか。違い無い。確かに、俺とアイツを繋いでいる唯一の絆だ。
そうだ、誰のためでない。自分と彼女の為だけに朝顔を咲かせるんだ。
「なんか……元気でました。ありがとうございました」
「あら、もうこんな時間デスか。学校に遅れちゃいマス」
時計の針は八時を告げていた。まずい、遅刻だ。
彼女がここから去る前に尋ねる。
「あの――、お名前教えてもらえませんか?」
彼女はキョトンと目を丸くして、こっちを振り返る。
81 :No.20 そうしたら、朝顔は笑う (5/5) ◇/7C0zzoEsE:08/01/06 23:30:28 ID:BZa8+mJh
「さて、質問です」
「その女の子がハーフだったとします」
何だろう、彼女が何を言い出したのか戸惑った。
「日本で苛められない様に、親が髪を染めていたとしたら、今はどんな髪でしょう?」
ただ大事な話をしているだろう事は直感で分かった。
「遠い故郷が国境を越えている可能性は?」
「え……、あの……」
最後に、
「どうして外国人の私がこれ程にアサガオに詳しく日本語が上手なのでしょう?」
「あ……、あ……」
彼女はウフフッと笑った。金色の髪を振り分けて、魅惑的な笑みだった。
「まさか、冬にこれほど見事な朝顔が見れると思わなかったんデス」
一瞬の間の後、彼女は自己紹介をする。
「申し遅れました、私、このたび近所に引っ越させて頂きました。
クリスティーネ・マーシャ・優花です。以後、お見知りおきを」
これもらっていい? そういって俺の丹念に育て上げた朝顔を抱きかかえた。
俺は目頭いっぱいに大粒の涙を浮かべた。情けないので、袖で拭った。
「ただいま」
「うん……、うん、お帰り」
私、雄也君のそういうところ好きだな。
うるさいよ。
どこからか落ちた一粒の雪が朝顔の花びらにキスをして、
その露から反射した朝日が俺達を祝福していた。そんな気がした。
了