【 冬の朝、スプーンを 】
◆D7Aqr.apsM




67 :No.18 冬の朝、スプーンを 1/5  ◇D7Aqr.apsM:08/01/06 23:11:28 ID:BZa8+mJh
 みんなと仲良く遊べますように。
 ミハエル姉さんは、何もないところで良くころぶので、気をつけてあげてください。
 給食に、ニンジンがなかったら、ちょっと嬉しいです。
 今日も一日、いい日でありますように。

 二両編成のディーゼル車は、ごとごとと揺れながら雪に覆われた畑の中を走っていく。このあたりは雪深い。
電車にすることもできるのだが、あえてディーゼルで運用されている。狭い車内はまだふんだんに木が使われ、
合いの悪くなった窓からはすきま風が吹き込んできた。
 小さな祈りの声はボックスシートの一つから聞こえてきていた。
「オーリャ。朝のお祈りはお家でしないとダメでしょう? もう三日連続だよ?」
 アリシアは立ち上がりながらスカートの膝を払った。跪いていたオーリャを立たせ、同じように膝のあたりを払う。
座面に肘をのせ、祈りを捧げるにはボックスシートの座席は十分に広いとは言えない。ハチミツのような色の金髪を
シニョンに結ったオーリャはアリシアの顔を見上げてふにゃ、と笑った。
「忘れんぼさんなのよー」
「なのよー、じゃありません。他にはもうないよね?」
 高等部の生徒は、地域の年下の生徒を引き連れて登下校する。アリシアの受け持つ数人の生徒の中で、
オーリャは群を抜いて忘れ物が多かった。
 朝早い時間。汽車の中はそのほとんどを王立学園の生徒が占めていたが、座席は体調不良の者を除いて、
一般客の為にあけておくのが規則だ。揺れる車両の中で、幼年部一年生のオーリャはよろけながら手すり
に捕まっていた。
「オーリャ、もう一回荷物見ておけよな?」
 年かさのピートがたしなめる。オーリャはたすきがけにさげた布の鞄の中身を点検し始めた。
「ノートでしょ? 鉛筆でしょ? 消しゴムでしょ? ハンカチでしょ? ……あれ?」
 嫌な予感がアリシアの頭をかすめる。いつもならオーリャは特別に駅のホームで忘れ物チェックをするのだが、
今日は時間が無かったのだ。
「アリシアさん」
 オーリャが教室でするように、ぴしっと手をあげた。
「はい。オーリャちゃん。なんでしょう?」
「スプーンがありません」
 ばち、と音を立ててアリシアは自分の額に手を当てた。

68 :No.18& ◆UwiGO33l1I :08/01/06 23:12:38 ID:BZa8+mJh
「……しっかたないわね。先生に言って、給食の時は忘れんぼさんスプーンを」
「だめだよアリシアさん。オーリャ、今月これで四回目だ!」
「え、そんなだっけ?」
 三回目までは学校備え付けのスプーンをかしてもらう事ができたが、四回目は許してもらえない。給食抜きだ。
他の人が忘れたことにして、かしてもらう、という事も禁止されていた。王立学園は大抵の事が自主性に任されて
いたが、妙な所のルールが厳しい。
「きゅうしょく……うぅっ」
 オーリャのすみれ色の大きな目が見開かれる。
「しかたないだろ、オーリャが自分で忘れたんだから。一回くらい給食を食べなくても死なないよ」
「ひっ……しぬっ」
 ピートの言葉に、ぼろり、と涙がこぼれた。頬の上を大粒の真珠のような雫が転がる。
「こら。死ぬとか簡単に言わない。ちょっと待ってね? 大丈夫。何とかしてあげる」
 忘れ物をするのは確かに悪い。けれど、それをそれとして見捨てる事はできない。アリシアはなんとか切り抜ける
方法を考えていた。気がつけば汽車は減速し始める。もうすぐ途中の駅に止まる。次の駅で、学校までの全行程の
三分の一。弧を描いて敷設された線路。下りの汽車に乗り換えて、自分が遅刻すればなんとか――。
「ピート、班の指揮を任せるわ。いい? 寄り道とかしないでまっすぐに学校に行くの。わかった?」
 ケープに止めていた指揮章を外し、ピートのケープにつける。この指揮章がある限り、他の子は
ピートの命令に従わなければならない。
「アリシアさん、それじゃあアリシアさんが――」
「大丈夫。なんとかするわ」
 計算では最初の授業の途中には、学校に到着することが出来るはずだった。大教室の授業だから、上手く
すれば遅刻を誤魔化して潜り込めるかもしれない、とアリシアは踏んでいた。
 がくん、と車両が揺れて駅に近づく。その時、アリシアは線路脇の道に見知った影を見つけた。空席だった
ボックスシートに駆け込み、窓を引き上げる。どっと冷たい空気が車内に流れ込んだ。
「おーい! 次の駅で止まれ!」
 窓から身を乗り出し、エポレットに挟んでおいた帽子を抜き取ってふった。線路脇の道を走っていた一台の
オートバイ。乗り手がぎょっとした様子で汽車を見上げる。
「いいから止まりなさい! わかったわね!」アリシアの勝ち誇ったような声が響いた。

69 :No.18 冬の朝、スプーンを 3/5  ◇D7Aqr.apsM:08/01/06 23:14:10 ID:BZa8+mJh
「アリシア先輩、どうしたんですか?」
「オートバイ、かして。うちの子が忘れ物しちゃってね。このままだと給食抜きになっちゃうのよ」
 無人駅のホームで、汽車は上下線のすれ違いの為に止まっていた。そのホームの脇に、申し訳程度に
作られた小屋の前でアリシアは後輩の男子のオートバイを借り受けようとしていた。
「じゃあ僕が」
「取りに行く家、わからないでしょう? このバイク、二人乗りじゃないんだから。あたしが行くわ。
――それとも、あたしとぴったり密着して走りたい? 彼女に怒られるわよ?」
 不満げな顔でキーを差し出す後輩に笑いかけて、アリシアはスカートを捌き、シートにまたがった。
「グローブとゴーグルもかしてくれる? あんたは汽車でうちの子たちと一緒に行って」
「言い出したら聞かないのは知ってますけどね。幹線道通ったら間に合いません。畑の中の旧道を行ってください。
その代わり、スピードと、あと帰りは――」
 後輩が指し示す方向には、畑の中を突っ切る農道があった。
「スピードはテクニックと相談することにするわ。ありがと。――――ごめんね」
 後輩の言葉を遮ると、暖まりきったエンジンを一つ吹かす。アリシアは後輪をスライドさせて向きを変えた。
ゴーグルをぐい、と引き上げてそのまま走り始めた。

 農道の路面は思ったよりもなめらかだった。ガソリンタンクを腿で挟み込むと、冷たさが身体を走り抜ける。
ぎち、と奥歯をかみしめる。女子の制服がスカートっていうのはこういうときに不便だ。アリシアは左手で
風に巻き上げられそうになるスカートを捌き直した。
 小さなライトの上に置かれた回転計の白い文字盤。その上で赤い針が踊る。申し訳程度につけられた速度計。
小さな赤いタンクに身体を伏せ、ステップにつま先立ちするように足をのせる。シンプル過ぎるほどの車体は適度に
使い込まれ、そしてキチンと整備されていた。
 緩やかな、大きいカーブ。車が通ったタイヤの跡だけ雪がない。そのわずかな場所にタイヤを乗せ、アリシアは
車体を加速させていった。
 カーブが終わる。直線。シフトアップしてエンジンの回転を更に速度にのせる。小排気量ではあるものの、
フォーストローク特有の伸びやかな吹けあがり。排気音が早朝の空に響く。

 駅からほど近い、小さな喫茶店の前でアリシアはオートバイを止めた。車体を支えようとした足を出した
つもりが、出ていない。転んでしまいそうになるのを何とかこらえた。サイドスタンドで車体をささえ、『準備中』の
札がさがった入り口を入り、奥へ声をかけた。

70 :No.18 冬の朝、スプーンを 4/5  ◇D7Aqr.apsM:08/01/06 23:15:02 ID:BZa8+mJh
 慌てふためき、謝るオーリャの母親がコーヒーを入れようとするのを振り切って、オートバイに戻った。
使い込まれた小さなステンレスのスプーン。柄にはオーリャの名前が彫りつけてある。アリシアはそれを
制服の内ポケットに収めると、ケープの上からその所在を確かめた。腕時計を見る。凍り付いているので
なければ、時間は十分にあった。
 キックスターターを蹴り、エンジンをかける。 巻き上がらないようにスカートを足に巻き付け、シートに座る。
もう一度農道に車体を乗り入れた。
 タンクの上で前方を睨みつけるようにしていたアリシアは舌打ちした。ゴーグルの向こうから、白い小さな
ものが吹き付けてくる。
「くそっ。ここで降るの?」

 雪はどんどん酷くなっていった。農道に残されていたアスファルトが露出したタイヤ跡も、
次第に白の中にかき消されていく。速度は落とさざるを得なかったルートは最短距離を突っ切ることが
できるとはいえ、少しラフにアクセルを操作すれば即座に後輪が左右に暴れる状況ではいかんともしがたかった。
 両足を突き出すようにして、ゆるゆると車体を進めていく。一瞬、オートバイを放置して走った方が、
とも思ったが、後輩から借りたものにそんな仕打ちをすることははばかられた。
 小さな丘にさしかかる。ここを登り切れば、学園がみえるはずだった。手袋の裾をめくって、時計を
見る。ぎりぎり間に合う時間。
 このあたりの農道を通る者は少ない。丘を登る道は雪で真っ白だった。高めのギアで、探るように
しながら斜面を登っていく二度、三度、と後輪が暴れた。片足を新雪の中についてしまう。冷たくなった
ローファーの中に、新たに雪が入り込む。痛みにも似た冷たさが走る。気をとられた瞬間、エンジンが
激しくしゃくり上げた。エンストしそうになるエンジンをなだめようと、クラッチを切ってアクセルをふかす。
回転はむずがるようにあがらない。丘を登り切る直前、エンジンは黙りこんだ。
 ブレーキレバーを握りこんで車体を支える。それだけがアリシアに出来ることだった。足もとが不安定
な中で、スターターを蹴り、エンジンを再始動することは考えられなかった。
「……いっつも最後は力技だね」
 体重をのせるようにして、アリシアは車体を前に押し出した。ざく、とタイヤが雪を踏みつける音。一歩、また
一歩と車体を丘の頂上に向けて押し上げた。
 頂上から、学園の校舎がみえる。真っ白に雪化粧を施された古い建物は、まるで砂糖菓子で出来ているか
のようにきれいだった。足早に校舎への道を歩く生徒達がみえる。冷たい空気で喉が切れるように痛い。
 アリシアはしばらく呆然とその景色を眺めていた。

71 :No.18 冬の朝、スプーンを 5/5  ◇D7Aqr.apsM:08/01/06 23:15:41 ID:BZa8+mJh
「なんだ、もうすぐじゃない」
 ブレーキレバーに手をかけたまま、ズルズルと坂道を下っていく。足が、もつれた。雪に濡れたグローブ
が滑る。車体が――――――。倒れなかった。
「先輩、大丈夫ですか?」
 このオートバイの持ち主。後輩が車体を支えていた。ふと、顔を上げれば、校門からかけてくる小さな影。
転びそうになるオーリャをピートがおっかなびっくり見守りながら走る。
 ふっ、と息を吐いて、アリシアはまっすぐに立った。
「押すの、手伝ってくれる? 遅刻はしちゃいけないでしょう?」
 後輩は勢いよく車体を押して走り始めた。アリシアがそれに続く。途中まで来ていたピートとオーリャが
その後に続く。校門までの道を、一気に走り抜けた。
「事情は聞いたが、『取り返しのつかない失敗もある』事を教えることも必要じゃないのか?」
 校門で見守っていた教師がアリシアに声をかけた。肩で息をするアリシアは、教師に向き直る。
「でも、それは精一杯なんとかしようとして、その結果、でいいですよね。今回は、なんとかなりました」
 アリシアは制服の内ポケットからスプーンを取り出した。受け取ったオーリャは、そのままアリシアの
脚に抱きつき、大きな声で泣き始めた。ピートは、黙って指揮章を外し、アリシアに差し出す。指揮章を
受け取ったアリシアは、ピートに一つ、ウィンクを飛ばした。

 数日後。
 朝の電車。アリシアは治りかけの風邪に咳き込みながら、ボックスシートに座っていた。指揮章は風邪が
治るまでピートに預けてある。オーリャは隣の席で、今日も朝の祈りを捧げていた。

 みんなと仲良く遊べますように。
 ミハエル姉さんは、何もないところで良くころぶので、気をつけてあげてください。
 好き嫌いはいいませんけど、給食に、ニンジンがなかったらちょっと嬉しいです。
 アリシアさんの風邪が早く治りますように。
 忘れ物はもうしません。
 今日も一日、いい日でありますように。


<冬の朝、スプーンを 了>



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